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第10話 混乱(叶芽)
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嫉妬した冬真を宥めるのは大変だった。
高校生の理玖にもらったプレゼントを巡って何度も口論になったが、それでも叶芽はブレスレットを外さなかった。
「どうしてまだそれつけてるの?」
大学に着いて早々、空き部屋に連れていかれた叶芽は、負けじと言い張った。
「せっかく貰ったものを捨てるわけにもいかないし、これくらいいいだろ?」
「浮気者」
「友達だって何回言えばわかるの? それと俺が他の友達と喋るたびに睨むのやめてくれない?」
「睨んでない。楽しそうだから見てるだけ」
「気になるなら、こっちにくればいいだろ?」
「近づいたらキスしたくなるし触りたくなるから」
「……人のいない場所でならキスはいいよ」
「無理。キスだけで終われない」
「……もう帰ろう……んっ!」
話している途中にもかかわらず、冬真は叶芽に貪るようなキスをする。いつからか、二人になると無理やりことに及ぼうとする冬真に、叶芽は苛立ちを覚える。嫌いになったわけではないが、だからといって、何もかも許せるほど一方的な関係にもしたくなかった。
叶芽は冬真を押し退けて睨む。
「言ってることとやってることが違うだろ!」
「ねぇ」
「なんだよ」
「約束して。あいつと二人だけで会わないでほしい」
「あいつ? 理玖のことか? それは約束できない。それとも冬真と三人で会えばよくない?」
「俺はあいつが嫌いだ」
***
冬真に止められても、叶芽は理玖と会うことをやめなかった。
ここで冬真の言うことを聞けば、きっとこの先も他の友達と会えなくなる。そんな風に言いなりになるのはご免だった。
だが冬真が嫉妬する気持ちもわからなくはないので、冬真の見えないところで理玖と会うことにした。
いつもの洒落たカフェに来た叶芽と理玖は、窓際の席で向かい合って座った。
一緒にいると場所を考えずに密着してくる冬真と違って、程よい距離感が叶芽には心地よかった。
「この間はごめん、置いてけぼりにして」
「この間? ああ、図書館の帰りに会った時のことですか?」
「うん。冬真のやつはマイペースだから」
「とうまさんって言うんですね……カッコいい人でしたね」
「理玖もいい勝負じゃないか?」
「……本当にそう思います?」
「俺は二人が羨ましいよ。イケメンが見る世界ってどんなだろう……頭もいいし。ズルいよな」
「俺が見る世界は、叶芽さんと変わらないですよ」
「理玖は優しいな。そのビジュアルでその性格、絶対モテるだろ?」
「……好きな人以外にモテてもしょうがないです」
「出た! イケメンの常套句。そういうこと言うからイケメンなんだよ」
「あの……あまりイケメンを連呼しないでください。恥ずかしいです」
「理玖は控えめでいいよな。あいつと違って──それで、理玖には好きな子がいるの?」
「……はい」
「あ、いるんだ? どんな子?」
「可愛いし、綺麗な人です」
「へぇ、その子とは付き合ってるの?」
「まだです」
「え? 理玖なら、即オーケーもらえそうじゃない?」
「それが……好きな人には彼氏がいるみたいで」
「ええ⁉︎ それは残念だね」
「でも、近いうちに奪ってしまおうかと思ってます」
「りゃ、略奪⁉︎ 高校生とは思えないセリフだな」
「本当は受験が終わるまで我慢するはずだったんですが……彼氏と一緒にいるところを見たら、このままじゃダメだと思って」
「バイトに受験に好きな子かぁ……理玖は忙しいね」
「その人のことを思うと、なんでも頑張れてしまうんです」
「すごいね。理玖にとってその人は元気の源なんだ?」
「はい」
「それにしても、彼氏がいるのに理玖を惑わせるなんてすごい相手だね」
「そうですね。俺も、こんな風になるなんて初めてで……困惑してます」
「ふうん……理玖は今まで何人くらいとつきあったの?」
「十人くらい……です。叶芽さんは?」
「俺は……三……いや、四人だけど。やっぱりモテるやつはすごいよな。冬真なんて、二十一人だし」
「でも……その人は、十人以上の存在なんです」
「冬真と同じことを言ってる」
「とうまさんですか?」
「ああ、うん。冬真にも好きな人がいるらしいけど、その人は二十人以上の存在なんだって」
叶芽がはにかむように笑うと、理玖は少しだけムッとした顔をする。そんな理玖を見て、何かを察した叶芽は慌てて謝る。
「ごめん、理玖はその人のこと真剣なんだな。茶化して悪かった」
「そうじゃないんです。比べられるのが嫌なんです」
「え?」
「叶芽さん、ちょっと耳を貸してもらえますか?」
「うん、どうしたの?」
突然、近づいてくる理玖に、叶芽は大人しく耳を貸した。
すると──頬にさらりとキスをされた。
「……え?」
「叶芽さんって、隙だらけですね」
「は? いや、隙だらけって……」
叶芽が動揺する中、理玖はおかしそうな顔をする。
「叶芽さんは面白い人ですね」
「か、からかうなよ! なんなんだよ、いきなり」
(これが冬真にバレたらお仕置きどころじゃなさそうだ)
急に心配になった叶芽は、周囲を見回す。だが冬真の姿がないとわかると、ホッと息を吐いた。気にしすぎだとは思っても、見つかった前科があるので、気にせずにはいられなかった。
そんな風に叶芽がソワソワする中、理玖はかしこまって咳払いをする。
「あの、叶芽さん」
「ん? なに?」
「実はうちのオヤジが会社で沢山ビールをもらったんですが、オヤジは呑めなくて……良かったら貰ってくれませんか?」
「ビール? え? でも、悪くない?」
「全然、悪くないですよ。どうせなら、美味しく飲んでくれる人に譲りたいってオヤジが言ってました」
「じゃあ、遠慮なくもらおうかな」
「ちなみにそれ、外国のビールなので、良かったらうちで味見してから持って帰ってください。俺にはよくわからないけど、ビールにも好みがあるんですよね?」
「あー、うん。俺はなんでも飲むけど……本当にいいの?」
「もちろんです!」
理玖のお願いに、素直に応じた叶芽だが、どうやってビールを持って帰るか悩む叶芽の傍ら、理玖は感情の読めない顔で笑っていた。
***
「理玖の家、広いね。お父さんと二人暮らしって聞いたけど」
ビールをお裾分けしてもらうために、理玖の家にやってきた叶芽だが、予想以上に広いタワーマンションで少し緊張していた。
(シンプルな家具とか、部屋の感じとか、冬真のマンションに似てる)
叶芽の部屋の三倍はあるリビングをきょろきょろと見回していると、理玖は微笑ましそうな顔をする。
「父と二人ですが、たまに兄さん──幼馴染が泊まりに来るんです」
「そういえば、幼馴染がいるって言ってたね」
「はい。……とりあえず、ビールを用意しますね。良かったら、その辺でくつろいで待っていてください」
「ありがと」
少しだけ背筋を伸ばしてソファに座る叶芽だが、そんな叶芽のところに早くも理玖がビールを持ってくる。だがトレイに乗せたビールはプルトップが開けられており、理玖が近づくと同時に、アルコールも漂ってくる。
叶芽が目を丸くする中、理玖は当然のようにビールを並べた。
「お待たせしました」
「って、ええ⁉︎ なんで二缶も開けてるの?」
「味が二種類あるみたいだったので、二つ用意しました」
「高校生にお酒出してもらうとか、なんか罪悪感が……」
「俺が呑むわけじゃないから、気にしないでください。それと何かつまみ作りましょうか?」
「高校生につまみを作らせるのはちょっと……」
「バイトで慣れてます。すぐできるので、待っててください」
理玖がカウンターキッチンに入るのを見て、叶芽はおそるおそるビールを口にする。
独特の後味だったが、嫌いな味ではなかった。
「んー、このビール美味しい」
「良かった、叶芽さんの口に合うみたいで」
「俺、理玖はもっと苦学生だと思ってた」
「なんですか、いきなり」
オリーブオイルをかけたトマトや枝豆を、テーブルに並べる理玖に、叶芽が早速絡み始める。
思った以上に、酔いが回るのは早かった。
あきらかに目が据わっている叶芽に、理玖は苦笑していた。
叶芽はビールを口に含むと、さらに言った。
「だって、こんな家に住んでるし……バイトしながらうちの大学目指してるし」
「よく言われます。受験生がバイトなんかして余裕だなって……でも俺、あまりオヤジの世話にはなりたくなくて」
理玖が取り繕わずに告げると、叶芽は酔っ払った頭で考える。
叶芽は理玖のことを何も知らない。だから、知った風な口を聞いた自分が少し恥ずかしくなり、顔を伏せる。
「そっか……理玖にもきっと色々あるんだろうな」
(久しぶりのビールでふわふわする)
理玖の事情にあまり突っ込まないようにと思い、それから話題を変えた叶芽だが。気づくと、あっという間に二缶あけていた。
叶芽がふわふわした頭でぼんやりしていると、理玖が新しい缶を持ってくる。
「良かったら、もっと呑んでください」
「え? でも、あまり呑むと俺……寝ちゃうかも」
「へぇ……そうなんですか」
叶芽が遠慮する中、理玖はさらに新しい缶を開ける。
「ちょっと!」
「良かったら泊まっていけばいいですよ。今日はオヤジもいませんし」
「泊まるのはさすがに迷惑だと思うから、これを最後に帰るよ」
叶芽は仕方なく理玖が持ってきた缶を口にする。すでに酔いは深かったが、それでもまだ理性は残っているので、なんとか帰れるだろう。そんなことを思う叶芽は、すでに判断力を失いつつあることに、気づいていなかった。
それでもわずかな自制心で、最後のビールを断った叶芽は、熱くなった顔を手で仰ぎながら、理玖に告げる。
「理玖は……こんな酔っ払いといて、楽しくないだろ?」
「そんなことないですよ。お願いしたのは俺ですし……もっと呑みますか?」
「いや、だからもういいって。これ以上呑んだら本当に帰れなくなる」
(冬真の家ならまだしも、理玖の家に泊まるわけにはいかない)
ようやく帰ろうと決意した叶芽は、力の入らない足で立ち上がる。
————が、
「……あ」
立ち上がるまでに、ふらついて倒れそうになったところを、理玖が素早く受け止めた。
「はは、叶芽さん、お酒くさい」
密着して、叶芽の肩に顔を埋める理玖だが。
叶芽はそんな理玖から離れて睨みつける。
「おい受験生、さっさと勉強しろ」
「なんですか、いきなり」
「もうこの時期、余裕なんてないだろ? わかってるんだぞ……余裕あるふりをしてるだけだって」
「俺、これでも予備校では成績上位ですよ」
「うわ、生意気!」
「それより叶芽さん、ひとつお願いがあるんですが」
「なに?」
叶芽が見つめると、理玖が緊張した面持ちで固唾を呑む。
「勉強頑張れるように、ちょっとだけいいですか?」
「ちょっとだけ? 何を?」
理玖の言う意味がわからず、首を傾げていると、温かいものが唇に触れた。
理玖の唇だった。
(え? 何? 何が起こってる?)
慌てて身を引こうとする叶芽の頭を捕まえて、理玖は深いキスをする。
状況がわからず呆然とする叶芽に、理玖はどこまでも食らいついた。
(これは……高校生のキスじゃないよなって、そんな場合じゃない!)
「ん……やめろ!」
力をこめて押し返すと、理玖はようやく離れる。その顔は、いつもの無害な笑顔ではなく、どこか悪そうな、まるで悪戯に成功した子供のような顔をしていた。
「……はぁ……なんなんだよ……俺、もう帰る」
震える体を宥めながら帰ろうとすると、そんな叶芽を理玖は優しく包み込む。途端に叶芽の背筋が凍りついた。さすがにこれが、悪戯の類ではないことに気付く。叶芽の肩に顔を埋める理玖。
冬真とは違う匂いに、困惑してしまう。
だが理玖はまるで悪びれた様子もなく、叶芽の耳元で囁く。
「……す、すみません……叶芽さん。俺、悪ノリがすぎました」
「悪ノリどころじゃないよ。なんなんだよ!」
相変わらずふわふわした頭で理玖を押し返すと、理玖は真剣な顔で叶芽を見下ろす。
「……本当は、勉強頑張れるようにって……軽いキスをもらおうと思ったんです。でも叶芽さんに触れたら、なんだか熱くなって……」
「俺にはよくわからない」
酒で思考力が低下している頭では、理玖の言うことが理解できなかった。
思った以上に酔っぱらっているらしい。
立っているのがやっとの状態で、叶芽はどうすればいいのかわからず、出口ばかりを気にしていた。
高校生の理玖にもらったプレゼントを巡って何度も口論になったが、それでも叶芽はブレスレットを外さなかった。
「どうしてまだそれつけてるの?」
大学に着いて早々、空き部屋に連れていかれた叶芽は、負けじと言い張った。
「せっかく貰ったものを捨てるわけにもいかないし、これくらいいいだろ?」
「浮気者」
「友達だって何回言えばわかるの? それと俺が他の友達と喋るたびに睨むのやめてくれない?」
「睨んでない。楽しそうだから見てるだけ」
「気になるなら、こっちにくればいいだろ?」
「近づいたらキスしたくなるし触りたくなるから」
「……人のいない場所でならキスはいいよ」
「無理。キスだけで終われない」
「……もう帰ろう……んっ!」
話している途中にもかかわらず、冬真は叶芽に貪るようなキスをする。いつからか、二人になると無理やりことに及ぼうとする冬真に、叶芽は苛立ちを覚える。嫌いになったわけではないが、だからといって、何もかも許せるほど一方的な関係にもしたくなかった。
叶芽は冬真を押し退けて睨む。
「言ってることとやってることが違うだろ!」
「ねぇ」
「なんだよ」
「約束して。あいつと二人だけで会わないでほしい」
「あいつ? 理玖のことか? それは約束できない。それとも冬真と三人で会えばよくない?」
「俺はあいつが嫌いだ」
***
冬真に止められても、叶芽は理玖と会うことをやめなかった。
ここで冬真の言うことを聞けば、きっとこの先も他の友達と会えなくなる。そんな風に言いなりになるのはご免だった。
だが冬真が嫉妬する気持ちもわからなくはないので、冬真の見えないところで理玖と会うことにした。
いつもの洒落たカフェに来た叶芽と理玖は、窓際の席で向かい合って座った。
一緒にいると場所を考えずに密着してくる冬真と違って、程よい距離感が叶芽には心地よかった。
「この間はごめん、置いてけぼりにして」
「この間? ああ、図書館の帰りに会った時のことですか?」
「うん。冬真のやつはマイペースだから」
「とうまさんって言うんですね……カッコいい人でしたね」
「理玖もいい勝負じゃないか?」
「……本当にそう思います?」
「俺は二人が羨ましいよ。イケメンが見る世界ってどんなだろう……頭もいいし。ズルいよな」
「俺が見る世界は、叶芽さんと変わらないですよ」
「理玖は優しいな。そのビジュアルでその性格、絶対モテるだろ?」
「……好きな人以外にモテてもしょうがないです」
「出た! イケメンの常套句。そういうこと言うからイケメンなんだよ」
「あの……あまりイケメンを連呼しないでください。恥ずかしいです」
「理玖は控えめでいいよな。あいつと違って──それで、理玖には好きな子がいるの?」
「……はい」
「あ、いるんだ? どんな子?」
「可愛いし、綺麗な人です」
「へぇ、その子とは付き合ってるの?」
「まだです」
「え? 理玖なら、即オーケーもらえそうじゃない?」
「それが……好きな人には彼氏がいるみたいで」
「ええ⁉︎ それは残念だね」
「でも、近いうちに奪ってしまおうかと思ってます」
「りゃ、略奪⁉︎ 高校生とは思えないセリフだな」
「本当は受験が終わるまで我慢するはずだったんですが……彼氏と一緒にいるところを見たら、このままじゃダメだと思って」
「バイトに受験に好きな子かぁ……理玖は忙しいね」
「その人のことを思うと、なんでも頑張れてしまうんです」
「すごいね。理玖にとってその人は元気の源なんだ?」
「はい」
「それにしても、彼氏がいるのに理玖を惑わせるなんてすごい相手だね」
「そうですね。俺も、こんな風になるなんて初めてで……困惑してます」
「ふうん……理玖は今まで何人くらいとつきあったの?」
「十人くらい……です。叶芽さんは?」
「俺は……三……いや、四人だけど。やっぱりモテるやつはすごいよな。冬真なんて、二十一人だし」
「でも……その人は、十人以上の存在なんです」
「冬真と同じことを言ってる」
「とうまさんですか?」
「ああ、うん。冬真にも好きな人がいるらしいけど、その人は二十人以上の存在なんだって」
叶芽がはにかむように笑うと、理玖は少しだけムッとした顔をする。そんな理玖を見て、何かを察した叶芽は慌てて謝る。
「ごめん、理玖はその人のこと真剣なんだな。茶化して悪かった」
「そうじゃないんです。比べられるのが嫌なんです」
「え?」
「叶芽さん、ちょっと耳を貸してもらえますか?」
「うん、どうしたの?」
突然、近づいてくる理玖に、叶芽は大人しく耳を貸した。
すると──頬にさらりとキスをされた。
「……え?」
「叶芽さんって、隙だらけですね」
「は? いや、隙だらけって……」
叶芽が動揺する中、理玖はおかしそうな顔をする。
「叶芽さんは面白い人ですね」
「か、からかうなよ! なんなんだよ、いきなり」
(これが冬真にバレたらお仕置きどころじゃなさそうだ)
急に心配になった叶芽は、周囲を見回す。だが冬真の姿がないとわかると、ホッと息を吐いた。気にしすぎだとは思っても、見つかった前科があるので、気にせずにはいられなかった。
そんな風に叶芽がソワソワする中、理玖はかしこまって咳払いをする。
「あの、叶芽さん」
「ん? なに?」
「実はうちのオヤジが会社で沢山ビールをもらったんですが、オヤジは呑めなくて……良かったら貰ってくれませんか?」
「ビール? え? でも、悪くない?」
「全然、悪くないですよ。どうせなら、美味しく飲んでくれる人に譲りたいってオヤジが言ってました」
「じゃあ、遠慮なくもらおうかな」
「ちなみにそれ、外国のビールなので、良かったらうちで味見してから持って帰ってください。俺にはよくわからないけど、ビールにも好みがあるんですよね?」
「あー、うん。俺はなんでも飲むけど……本当にいいの?」
「もちろんです!」
理玖のお願いに、素直に応じた叶芽だが、どうやってビールを持って帰るか悩む叶芽の傍ら、理玖は感情の読めない顔で笑っていた。
***
「理玖の家、広いね。お父さんと二人暮らしって聞いたけど」
ビールをお裾分けしてもらうために、理玖の家にやってきた叶芽だが、予想以上に広いタワーマンションで少し緊張していた。
(シンプルな家具とか、部屋の感じとか、冬真のマンションに似てる)
叶芽の部屋の三倍はあるリビングをきょろきょろと見回していると、理玖は微笑ましそうな顔をする。
「父と二人ですが、たまに兄さん──幼馴染が泊まりに来るんです」
「そういえば、幼馴染がいるって言ってたね」
「はい。……とりあえず、ビールを用意しますね。良かったら、その辺でくつろいで待っていてください」
「ありがと」
少しだけ背筋を伸ばしてソファに座る叶芽だが、そんな叶芽のところに早くも理玖がビールを持ってくる。だがトレイに乗せたビールはプルトップが開けられており、理玖が近づくと同時に、アルコールも漂ってくる。
叶芽が目を丸くする中、理玖は当然のようにビールを並べた。
「お待たせしました」
「って、ええ⁉︎ なんで二缶も開けてるの?」
「味が二種類あるみたいだったので、二つ用意しました」
「高校生にお酒出してもらうとか、なんか罪悪感が……」
「俺が呑むわけじゃないから、気にしないでください。それと何かつまみ作りましょうか?」
「高校生につまみを作らせるのはちょっと……」
「バイトで慣れてます。すぐできるので、待っててください」
理玖がカウンターキッチンに入るのを見て、叶芽はおそるおそるビールを口にする。
独特の後味だったが、嫌いな味ではなかった。
「んー、このビール美味しい」
「良かった、叶芽さんの口に合うみたいで」
「俺、理玖はもっと苦学生だと思ってた」
「なんですか、いきなり」
オリーブオイルをかけたトマトや枝豆を、テーブルに並べる理玖に、叶芽が早速絡み始める。
思った以上に、酔いが回るのは早かった。
あきらかに目が据わっている叶芽に、理玖は苦笑していた。
叶芽はビールを口に含むと、さらに言った。
「だって、こんな家に住んでるし……バイトしながらうちの大学目指してるし」
「よく言われます。受験生がバイトなんかして余裕だなって……でも俺、あまりオヤジの世話にはなりたくなくて」
理玖が取り繕わずに告げると、叶芽は酔っ払った頭で考える。
叶芽は理玖のことを何も知らない。だから、知った風な口を聞いた自分が少し恥ずかしくなり、顔を伏せる。
「そっか……理玖にもきっと色々あるんだろうな」
(久しぶりのビールでふわふわする)
理玖の事情にあまり突っ込まないようにと思い、それから話題を変えた叶芽だが。気づくと、あっという間に二缶あけていた。
叶芽がふわふわした頭でぼんやりしていると、理玖が新しい缶を持ってくる。
「良かったら、もっと呑んでください」
「え? でも、あまり呑むと俺……寝ちゃうかも」
「へぇ……そうなんですか」
叶芽が遠慮する中、理玖はさらに新しい缶を開ける。
「ちょっと!」
「良かったら泊まっていけばいいですよ。今日はオヤジもいませんし」
「泊まるのはさすがに迷惑だと思うから、これを最後に帰るよ」
叶芽は仕方なく理玖が持ってきた缶を口にする。すでに酔いは深かったが、それでもまだ理性は残っているので、なんとか帰れるだろう。そんなことを思う叶芽は、すでに判断力を失いつつあることに、気づいていなかった。
それでもわずかな自制心で、最後のビールを断った叶芽は、熱くなった顔を手で仰ぎながら、理玖に告げる。
「理玖は……こんな酔っ払いといて、楽しくないだろ?」
「そんなことないですよ。お願いしたのは俺ですし……もっと呑みますか?」
「いや、だからもういいって。これ以上呑んだら本当に帰れなくなる」
(冬真の家ならまだしも、理玖の家に泊まるわけにはいかない)
ようやく帰ろうと決意した叶芽は、力の入らない足で立ち上がる。
————が、
「……あ」
立ち上がるまでに、ふらついて倒れそうになったところを、理玖が素早く受け止めた。
「はは、叶芽さん、お酒くさい」
密着して、叶芽の肩に顔を埋める理玖だが。
叶芽はそんな理玖から離れて睨みつける。
「おい受験生、さっさと勉強しろ」
「なんですか、いきなり」
「もうこの時期、余裕なんてないだろ? わかってるんだぞ……余裕あるふりをしてるだけだって」
「俺、これでも予備校では成績上位ですよ」
「うわ、生意気!」
「それより叶芽さん、ひとつお願いがあるんですが」
「なに?」
叶芽が見つめると、理玖が緊張した面持ちで固唾を呑む。
「勉強頑張れるように、ちょっとだけいいですか?」
「ちょっとだけ? 何を?」
理玖の言う意味がわからず、首を傾げていると、温かいものが唇に触れた。
理玖の唇だった。
(え? 何? 何が起こってる?)
慌てて身を引こうとする叶芽の頭を捕まえて、理玖は深いキスをする。
状況がわからず呆然とする叶芽に、理玖はどこまでも食らいついた。
(これは……高校生のキスじゃないよなって、そんな場合じゃない!)
「ん……やめろ!」
力をこめて押し返すと、理玖はようやく離れる。その顔は、いつもの無害な笑顔ではなく、どこか悪そうな、まるで悪戯に成功した子供のような顔をしていた。
「……はぁ……なんなんだよ……俺、もう帰る」
震える体を宥めながら帰ろうとすると、そんな叶芽を理玖は優しく包み込む。途端に叶芽の背筋が凍りついた。さすがにこれが、悪戯の類ではないことに気付く。叶芽の肩に顔を埋める理玖。
冬真とは違う匂いに、困惑してしまう。
だが理玖はまるで悪びれた様子もなく、叶芽の耳元で囁く。
「……す、すみません……叶芽さん。俺、悪ノリがすぎました」
「悪ノリどころじゃないよ。なんなんだよ!」
相変わらずふわふわした頭で理玖を押し返すと、理玖は真剣な顔で叶芽を見下ろす。
「……本当は、勉強頑張れるようにって……軽いキスをもらおうと思ったんです。でも叶芽さんに触れたら、なんだか熱くなって……」
「俺にはよくわからない」
酒で思考力が低下している頭では、理玖の言うことが理解できなかった。
思った以上に酔っぱらっているらしい。
立っているのがやっとの状態で、叶芽はどうすればいいのかわからず、出口ばかりを気にしていた。
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