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二世革命
しおりを挟む「ちょっと、そこの人! あんまり前に出ちゃ、駄目ですよ!」
行列に並ぶ客が押し合うのを見て、俺は警備服の胸にかけていた笛を吹くもの、完全に出遅れた。
笛を吹いたと同時に、後列から押し出された婆さんがガイドポールを倒す。
仕方なくパーティションポールを立て直していると、同じ警備服の先輩が助っ人にやってくる。
「きちんと並んで先頭からどうぞ!」
俺が一生かけても稼ぎようがない額のついた美術品を背中に守るようにして、客を誘導する。
世界的に有名な絵画の展示は今日までということで、美術館はやたらと賑わっていた。多くの芸術品が展示されている美術館は、宮殿のような内装で壮観だが、アメに群がる蟻のような客たちのおかげで台無しだ。
マナーもへったくれもない客たちは、鑑賞——というには荒っぽい押し合いへしあいをしながら絵画を食い入るように見つめている。
この中でどれだけの人間が芸術性に感動しているかはともかく、ぎゅうぎゅう詰めの列を潜り抜けてでも芸術品を目に留めようとするその執念は、こちらが感心するほどだった。
「今日は最終日でも、人が多すぎやしないか?」
満員電車を整理する車掌の気持ちで人海を抑えていると、同じようにもみくちゃにされながら、それでも絵画を守ろうとする勇者の一人が呆れた声で言った。
同僚が不思議に思うのも無理はないだろう。先日も確かに行列こそあったもの、ここまでの騒ぎではなかった。最終日だからと言って、こんな年初めのバーゲンセールみたいな状況は異常に違いない。
————だが、理由はわかっていた。
「……実は昨日、この美術館に予告状が届いたらしいッスよ」
俺が溜め息混じりに告げると、先輩は驚いたようにこちらを向いて——その拍子に、一部の客が雪崩れた。
「よっ、予告状? それってもしかして例の奴か?」
「そうそう、最近メディアを賑わせてる怪盗ッスよ」
「怪盗か——そりゃ、楽しみだな」
「先輩も野次馬とかやめてくださいよ」
「もちろん仕事はするけど、楽しみじゃないか。怪盗ってあれだろ? 『いつも鈍くさいけど、なんとなく上手くいく系の怪盗』って言われてるやつ……」
「そう、『いつも鈍くさいのに、なぜかいつまでも捕まらない怪盗』ってやつです」
俺は雑誌の煽り文句のような怪盗のあだ名を言いながら吹き出してしまう。
巷には話題の怪盗というのが存在するのだが、それがドラマのようにスマートな仕事をするわけではなく——予告状を送りつけておいて、いつもそれはそれは鈍くさい仕事をした挙句、なんとなく警察をまいて去っていくのである。
あまり格好の良いイメージではないのだが、庶民派な怪盗は意外と一般人ウケして、芸人並みの人気を博しているという、なんとも妙な現象が起こっていた。
「あれだけ失敗も多いのに、捕まえられないっていうのもおかしいから、警察との癒着があるとかナイとか——あ、ちょっとそこの人、お子さんが流されてますよ!」
先輩はさすがベテランだけあって、喋っている間も視線はきっちり前を向いていた。
俺もそれにならって前を向いて喋る。
「警察との癒着……実は『警察内部の犯行』とかいう説もあったッスね」
「ああ。実は『盗品を持ち主に返す正義の味方』とか言うのもな」
「ありふれすぎてインパクトないッス」
「だな」
俺は時間給分だけ真面目に仕事をした後、昼食をとるために美術館のバックヤードに入った。
今日は人手が警備に集中しているため、休憩室には俺しかいなかった。
俺はテーブルと椅子だけの殺風景な部屋で独り、コンビニのサンドイッチを口に放り込む。予想以上に体力の必要な仕事だっただけに、握り飯のほうがまだ良かったのかもしれない。
と、その時。
「——あら、意外と人がいないのね」
俺が午後の混雑を考えながらぞっとしていると、警備を統括している警部さんがやってきた。
予告状が届いてからは、人員の配置は警察に任され、俺の所属する警備会社はバックアップという形になった。
指揮は女警部さんが担当していると聞いていたが、おそらくこの人がそうだろう。パンツスーツを着こなした女性の胸には、徽章がついている。
ちなみに女警部さんは、細いだけでなく顔立ちも華やかで、モデルのような人だった。
「お疲れ様。男のコが、そんなので足りるの?」
警部さんは苦笑しながら俺の向かいに座ると、銀色の塊を俺の前に置いた。
アルミに包まれたそれを広げて見ると、手作りの握り飯だった。
「渡しておいてあれだけど、他人が作ったおにぎりとか大丈夫?」
「ぜ、ぜんぜん問題ないッス! 基本、賞味期限内ならなんでも」
「そう、なら良かった」
「ごちになります」
「どうぞ」
手づくりというだけで、テンションが上がった俺は、さっそく握り飯に齧りついた。目が覚めるほど塩のきいたそれは、疲れがぶっとぶほどのデカさだった。
「なんか意外ッスね。モデルさんみたいなのに、こんなデカい握り飯食うんスか?」
「あたし、見た目ほど細くないわよ。それに体力のいる仕事だからね。容疑者追いかけている最中に倒れたら大変」
「そうッスね」
「美味しい?」
「抜群に」
「良かった。いつも友達には塩入れすぎって言われるんだけど、やっぱりオニギリは塩が命よね」
「俺は今日から塩にハマりそう」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。——キミ、大学生くらい? バイトかしら?」
「いえ、フリーターッス。こう見えて、けっこういってますよ」
「三十路のあたしよりは若いでしょう?」
「まあ、ちょい下くらいですね」
「そう。警備の仕事は長いの?」
「いや、一ヵ月……くらいですかね」
「じゃあ、今日みたいな状況、ビックリしたんじゃない?」
「そうッスね。遠巻きに見るのとは全然ちがくて、度胆抜かれました」
「でしょう? だって、こんな突然、予告状をよこすなんて……あんまりだわ……」
警部さんは疲れ果てた顔で、大きなため息をついた。
俺はまだ飲んでいないイチゴミルクをそっと差し出す。
「あなた、イチゴミルクなんて飲むの?」
「それは偏見ッス。疲れた時に糖分が欲しいのは女子だけじゃないッスよ」
「そっか、ごめんね」
そのごめんね、の後の警部さんの困ったような笑顔にグッときて、俺はついでにアメとガムもつけておいた。
「キミ、いいコね」
「オニギリのお礼ッス。ちょうど昼飯足りないと思ってたんで、助かりました」
「こういう大きなアメ玉って子供の時以来だわ……」
「そうッスか。俺は今もけっこう食べますよ」
「ふふ、子供みたい」
「変ですか?」
「いいえ、キミのその少年みたいなところ、いいと思うわ。それに比べて——私なんて、署内では鬼とか悪魔とか言われてるんだから……」
「そんな風には見えないですけど」
「仕事となると、どうしても周りが見えなくなっちゃうのよ。自分でも悪い癖だとは思うんだけどね。でも……やっぱり、親と比べられちゃうと、ね。うちの父親は、有能な警視だから、最初は期待されてたんだけど……周囲の期待を裏切っちゃったみたいで——ああ、ごめんなさい。私の話、暗くて」
「警視なんて、オヤジさんカッコイイッスね。うちは逆に、ダメオヤジなんで、一緒にいるだけで恥かしいっていうか……でも、ダメオヤジのことを馬鹿にされると、ムカつきがハンパないッスよ」
「そっか。やっぱりキミはイイコね」
「子供扱いしないでくださいよ。俺、警部さんと年変わんないですよ」
「うふふ。ごめんなさい——でもなんだか、あなたと話していたら気持ちが楽になってきた。こんな大変な時に、愚痴を聞いてくれてありがとうね」
「美人さんの愚痴ならいつでも聞くッス」
「ありがとう——じゃあ、そろそろ私は行くわね。また会えたら——愚痴を聞いてくれる? S警備会社さんなら、また会えるわよね?」
「……うーん。それなんスけど……急にやる気が出てきたんで、S警備は今日で辞めるッス」
「『やる気が出た』って、就職活動を始めるってこと?」
「俺、ちょっとオヤジとゴタついて、前の仕事辞めたんスけど……警部さんと話してたら、なんかやる気出ました」
「そう。なら、今度こそお父様と上手くいくといいわね。でもきっと、あなたなら大丈夫な気がするわ。こんなこと言うの、無責任だけどね」
「いえ、警部さんにそう言ってもらえると、俺も大丈夫な気がします」
「じゃあ、またね」
「はい、また。すぐにでも」
「ふふ」
なんだかイイ感じの雰囲気にのぼせ上がった俺が、いつまでも警部さんに手を振っていると、警部さんはおかしそうに笑いながらバックヤードを出ていった。
俺は周囲をしっかりと確認した後、人気のない美術館の裏庭に移動してスマホのダイヤルボタンを押す。
電話をかけた先は、俺が家を飛び出して以来、一度も喋っていないオヤジだった。
『はい、○×商事でございます』
「ああ、オヤジ?」
『——は? お前なのか? お前は——いつまで帰って来ないつもりなんだ! どうしても嫌なら、わしの跡を継がんでも良いと言っているだろうが』
「いや、やっぱ継ぐわ」
『……な……今更どういう風の吹き回しだ?』
「俺、仕事にやりがいがほしかったんだけどさ。いきなりできたんだわ」
『マジか』
「マジだわ」
『じゃあ、早速今日の仕事いけるか? お前のほうが近いだろ』
「わかったよ——つか、オヤジ、俺がいることわかってて予告状送って来たんだろ?」
『……実はぎっくり腰になってな……ちょうど連絡しようと思っていたところだ』
「最悪だな……いいか、オヤジ。今後はそのダサいイメージを俺が払拭するから、覚悟しとけよ。それと予告状の字が汚すぎ」
『これでも通信教育で頑張ってるんだぞ————まあ、この際なんでもいい。遺品を集めてさえくれれば、な』
「ああ、まかせとけ」
俺はオヤジとの通話を終えて、警備の仕事に戻る。そして改めて美術品の配置を完璧に把握し、見えない通路や排気口も確認するために、警備だけでなく裏方の手伝いもした——全ては美術品を盗み出すために。
————そう、俺は、巷を騒がせている怪盗の——息子なのである。
芸術一家である俺の家は、裏組織に奪われた美術品を、代々自分の手で取り戻してきた。
美術品をひとつでも多く取り返そうとするオヤジの、そのダサい怪盗スタイルに辟易した俺は、オヤジと口論になった挙句、家出を決行したのだが——。
そんな俺が、警部さんのオニギリで変わった。
「……花とか喜ぶかな」
俺は変装したうえで、近くの花屋で花を仕入れた。
これで準備は万端。
俺にこれだけやる気を出させたアノ人にはきっちり責任をとってもらおう。
俺は、美術館が閉館し、美術品が搬送されるタイミングで、目的の物を手に入れようと目論見ながら、握り飯とエールをくれた彼女のことを思う。
美術品を華麗に盗み出し、彼女に追いかけられる姿を想像するだけでゾクゾクした。
「……プロポーズの言葉も考えないとな」
そしてやる気を漲らせた俺は——その後スマートに美術品を奪い、怪盗のイメージを覆したわけだが——美人警部さんに出くわすたびに口説き落とす事で有名になった俺の、ついたあだ名は『怪盗ストーカー』だった。
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