闇鍋という名の短編集

悠木全(#zen)

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プロポーズ

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 早野聡太はやのそうた二十八歳。会社ではそれなりにできるやつで通っている俺は、事務課の高橋美奈子たかはしみなこさんに告白した。
 美奈子さんはいつも身綺麗にしていて、明るくて素直で、女性の妬みを一身に受けるほど素敵な人だった。そんな彼女と付き合うきっかけというのは意外と簡単なもので、飲み会の帰りに送ったことが始まりだった。同じ方向に住んでいることもあって、一緒に帰ることも多くて。気づけば気さくに話ができる彼女に惹かれていた。そして何度か個人的に会ったのち、昨日ようやく俺の方から告白し、付き合うことになった。
 その時の彼女の可愛さといったら、本当に世界中に自慢したいくらいだったが、そういうことを言うと恥ずかしがるので、俺の胸のうちに留めておくことにしよう。
 そしてあれから三ヶ月。交際は順調で、可愛い美奈子さんと待ち合わせするだけで幸せな日々を繰り返していたが。

 そんなある日のこと。
 まだ早いとは思いつつも、美奈子さんを誰にも渡したくない俺は、プロポーズを決意した。だが、シチュエーションを考えるのに苦労していた。テーマパークで指輪を渡すのは、あまりにも周りに似たような奴らが多すぎるし、かといってそれだけのためにハワイに行くのもどうだろう。俺は世の中で溢れているプロポーズを片っ端からけなしていた。おそらく美奈子さんならどんなシチュエーションでも喜んでくれるとは思うのだが、俺自身がこだわりたかった。サプライズというガラでもないのだが、一生に残るものにしたいと思うのは悪いことじゃないだろう。
 そしてさんざん考えた末、普通が一番だと気づいた俺は、夜景が綺麗なレストランを予約して、そこでプロポーズすることにした。
 プロポーズの前日。気合いを入れすぎて眠れなかった俺は指輪を迎えにいくために街に繰り出した。まだ時間があるので、野暮ったい普段着で外に出た俺。信号待ちの間も、スマホでプロポーズのセリフについて調べていたのだが——その時だった。
 暴走したセダンが信号待ちの列に突っ込み、俺はあっという間に意識を落とした。
 


「——あなた、起きてよ」

 気づいた時、すぐ傍に知らないおばさんがいた。どこか美奈子さんに似たその人は、くたくたの変なセーターを着ていて、女を捨てていると言っても過言ではなかった。
 そしておばさんは俺が起きるのを見て、「もう、だらしないったら」とどこかに行った。
 セダンにはねられて、天国にいるのかと思いきや、そうでもないらしい。
 俺は現状を把握するために周囲を見回す。そこは、どこかのお宅のリビングだった。ソファに寝ていた俺は、よく見れば地味なシャツとパンツを着ていた。なんだか年寄りになった気分だ。もしかしたらこれは夢なのかもしれない——そう思っていると、さっきのおばさんがマグカップを持ってやってきた。

「聡太くん、ほらこれでも飲んで」

「あ、ありがとう」

 どうして俺の名前を知っているのかはわからないが、おばさんは俺にココアを差し出して笑った。そしてその時の顔を見てピンときた。彼女はきっと美奈子さんの親戚か何かなのだと。どうして美奈子さんの親戚の家にいるのかはわからないが、俺はありがたくココアを貰うことにした。それはとても俺の好きな味がした。

「ねぇ、聡太くん。覚えてる?」

「なんのことですか?」

「三十年前にプロポーズしてもらったときのこと」

「三十年前? プロポーズ」

「あら、もしかして忘れてしまったの? あなたが車に轢かれて、意識不明の重体になった日のことよ」

「それって……」

 おばさんの話を聞いて、俺はみるみる青ざめる。車に轢かれたのは、つい先程の出来事だ。
 俺をあなたと呼んだおばさん、三十年前の交通事故。
 まさかとは思いながらも、俺はおばさんに尋ねた。

「あの……つかぬことをお伺いしますが、あなたのお名前は?」

「あらまあ、何を言ってるのよ。まだ寝ぼけてるの? 私は美奈子よ——頭、大丈夫?」

「……やっぱり」

 俺は彼女が三十年後の美奈子さんだと知って、驚愕で震えた。なぜならあれだけ可愛くて綺麗でオシャレだった美奈子さんが、こんなおばさんになるなんて。もしかしてこれは夢なのか? なんて思った俺だが、確かに歳をとったら、どう転ぶかはわかったものじゃない。きっと、この美奈子さんは俺の中の将来を見据えた迷いであり、可能性なのだと思った。
 こんな変な格好のおばさんになるなんて……考えただけでもホラーだが、一緒にいてなんとなく落ち着くのはわかった。それは、長年一緒にいたという設定のせいだろうか。
 俺はココアをすすりながら、美奈子さんにさらに尋ねる。

「三十年前の俺って何したんだっけ?」

「さあ、なんだったかしら?」

 俺が忘れていることを怒っているのか、美奈子おばさんははぐらかすように言った。でも決して機嫌が悪そうでもなくて、鼻歌を歌いながらキッチンに入っていく。そして、今度は暖かい紅茶を入れてくれた。
 甘いココアのあとにさっぱりしたものが飲みたいと思っていたので、ちょうど良かった。こういうかゆいところに手が届くのは、さすがだと思う。

 それから俺は美奈子おばさんと長い時間、会話した。二十八の美奈子さんしか知らない俺には、違和感しかなかったが、それでも楽しい時間が過ごせた。格好は面白いが、会話が上手い美奈子さんは、おばさんになっても俺を楽しませてくれた。だから、俺は大笑いしっぱなしで、気づけば就寝間近になっていた。
 おばさんの隣の布団に寝転がった俺は、すでに微睡まどろみつつあったが。そんな時、ふとおばさんが話しかけてくる。

「あなたはずっと変わらないわ」

「何が?」

「本当に幸せそうに私の話を聞いてくれるの」

「美奈子さんの話が面白いからだよ」

「ううん。あなたはとても優しい人なのよ」

 そう言われて、俺はなんだか誇らしい気持ちになる。まるで美奈子さんに言われているような気持ちになった。
 そうして眠りについた俺だが、次に目覚めた時には、病院のベッドだった。

 真っ白な天井を見て、ようやく現実に帰ってきたことを悟った俺は、すぐそばにいる美奈子さんに気づいた。

「聡太さん!」

 泣きそうな顔をする美奈子さん。
 その顔が笑顔のおばさんと重なって見えて、やっぱり俺は美奈子さんが好きだと確信した。
 そして上半身を起こした俺は、泣いて縋りついてくる彼女を宥めたあと、笑顔で言った。

「ずっとずっと一緒にいよう」

 その言葉に、美奈子さんがおかしそうな顔をする。

「どうしてこんな時に?」

「言いたくなったんだ。俺は美奈子さんが、たとえ変なセーターを着たおばさんになっても好きになれるよ」

「なにそれ」

「……あ、ごめん。変なこと言ったね」

 一瞬、気まずい空気になる俺たちだったけど、美奈子さんは思いっきり噴き出して言った。

「わかった。じゃあ、私は記念日のたびに変な柄のセーター着るから」

「うん、そうしなよ」

「聡太さんこそ、変なの」
 
 こうして起きてそうそう、バカみたいに笑った俺たちは、その後も幸せな日々を送ったことは——言うまでもないだろう。
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