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5章
大神殿の人々
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地を這うような音がずっと続いている。
ややあって気づく。あれは声だ。
魔法の詠唱だ。
「フィラーロ」
銀狼騎士団長が振り向いた。
「おまえにしか頼めないことがある。聞いてくれないか」
「なんなりと。ご命令に従います」
「娘に……メリーサに届けてほしいものがある。渡し忘れていたものだ。わしの父から伝わってきた指輪だ」
団長が押しつけてきたのは、大ぶりの指輪だ。意味がわからず押し戻す。
「この戦いが終わったときに、生きて帰って渡してください。勝てる戦いです」
「いいから、渡してくれ。そうしないと安心して戦えない。渡し終わったら、戻ってきてくれ」
強引に握らされた指輪。
見れば友も笑顔で追い払う仕草をする。
気がついたときには手遅れだった。
離れたばかりの戦場は、地獄と化し、戻ろうとした身は、黒い法衣の軍団に羽交い締めにされていた。
「離してくれ、団長のところに、みんなのところに行かせてくれ」
「いけません。フィラーロ様を守れと言われております」
嘘だ。
嘘をつけ。
そんなはずはない――
強いノックの音で夢を破られた。
「ガリマーロ。どうした、大丈夫か」
ビルギッタの声で、ガリマーロは身を起こした。ここはノルデスラムト商館。ガリマーロに与えられた寝室だった。全身に気持ちの悪い汗をかいている。夢の中だけではなく、叫んでいたらしい。
「悪い夢を見た」
「戦場の夢か?」
ドアの向こうのビルギッタが、声を落とした。
「すまなかった」
「謝ることはない。戦いの記憶は魂を蝕む。騎士はみな知っていることだ。庭の井戸で身体を洗うといい」
ビルギッタがドアのそばを離れた気配を、ガリマーロは感じた。
庭に面したガラスの扉から、外に出る。生まれたばかりの太陽が、透明な日差しを投げかけ、土や庭木を照らしている。
ガリマーロは井戸に近づき、上着を脱いだ。筋肉に覆われた赤銅色の上半身をさらけ出し、下半身を包む下着一枚になる。そのあとで、井戸に釣瓶を下ろしてくみ上げた水を、勢いよく頭からかぶった。
忘れようとしても忘れられない思い出が、鮮明に蘇る。
――あなただけが生きて戻ったのね、フィラーロ。お父様を置いて。
指輪を受け取ったメリーサの涙に暮れた顔と声が、目にも耳にも焼き付いている。
「俺は……」
ガリマーロはもう一度、身を切るような冷たい井戸水に、自分の身をさらした。
◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆
同じ朝。アルネリアとパウラは、ソレイヤール大神殿に赴いた。
魔法会議に代理出席するヴァレリウス王太子に同行させられたからだ。
とはいえ、さすがに国家機密そのものの魔法会議に出席できるはずはなく、アルネリアとパウラは一般参拝客に混じって、荘厳な大神殿内を見学するということになっていた。
大神殿の、聖堂部分の中心には水晶を惜しみなく使った水晶宮がある。光に満ちたその宮で、1日に1度、祈りが捧げられる。
しかし、アルネリアがいるのは大神殿の庭の中だった。回廊が取り囲む中庭の、木々に囲まれた一角。その太い木の幹に腰を下ろし、真っ青な顔をして、肩で大きな息をしていた。
「いっそ、吐いてしまえば楽になるんじゃないですか?」
心配そうにのぞき込むパウラ。アルネリアは首を横に振りながら唇だけをパクパク動かした。
大神殿まで、王太子が乗る馬車に便乗したまでは良かったが、4人乗りの馬車に、進行方向と逆向きに座ったアルネリアは、すっかり乗り物酔いをしてしまったのだ。しかもソレイヤールの王室専用馬車は、普通の馬車ではない。脚部に車輪がついた木馬が引っ張る「木馬車」で、動力は大地の精の力。つまり魔法である。4本の脚を使って走る馬と違い、木馬車は、木馬の下に取り付けられた車輪を回して走る。直線であれば走行は滑らかだが、曲がり角になると、客車は大きく振り回され、アルネリアの身体は容赦なく揺さぶられてしまう。
「木馬車はまだ改造の余地がありますねえ」
ティリアーノがぼやくような乗り心地も、ダメージを受ける原因のひとつだった。
「……ん? ああ、大神殿の庭だから汚したくないと。それは殊勝な心がけですね。でも素直にティリアーノさんに席を代わってくれっていえば、こんなことにならないんですからね」
アルネリアは唇の動きでひどい、と答える。
「ひどい? 自業自得です。夕べちゃんと寝てないんでしょう。乗り物酔いには体調も関係あるんですよ。今日は大神殿に来ることがわかってたんだから、くだらない考え事してないで、早く寝れば良かったのに!」
しかしパウラは容赦なかった。
当然である。
前夜、アルネリアは何度もためいきをついては、寝返りを打ってばかりいたのだ。それというのも……夕餉のテーブルに並んでいたのが、アスパラガスのスープ、蜂蜜を塗って焼き上げたウズラ、鶏肉の白い煮込み、食後の果物だったからである。
口に合わなかったわけではない。むしろ逆だ。食器から、グラスやシルバー、ナプキンに至るまで気を配る洗練されたテーブルのセッティングといい、文句があるわけはなかった。
ただ、思い切ってティリアーノに質問をしたら、予想外の答えが返ってきたからである。
「鴨肉の包み焼きとキジの丸焼きってどんな味なんですか?」
「ん? 食べてみたいの? でもあれはね、秋にしか食べられないんだよね」
思い出すしてはまたため息をつくアルネリアだった。
肖像画家ナバラの話に出てきてからずっと、夢に描き続けてきたものなのに。
秋までソレイヤールにいなければ食べられないなんて。そんなに長く滞在できるわけがない……ああどうしよう……。
そのとき唐突にアルネリアは背中から羽交い締めにされ、口を押さえられた。
驚いて抗おうとすると、パウラが耳元に、そっと口を寄せる。
「人が来ます」
その言葉の通り。まもなく回廊を歩く足音と、男性の声が聞こえた。
「ヤミル。なにやってるんだよ。魔法会議になぜ出ない」
「わかってるよ。だけど、見逃してくれ。妖怪が出席するんだ」
「ヴァレリウスか。しょうがないじゃないかボンクラ王が出ないんだから」
「俺、あいつの醜い顔見ると、寒気がするんだよ」
「おまえ、いつもそう言うけど、そんなに変か? 確かに不細工ではあるが」
「不細工で済むか。いつも無表情で、悪魔みたいだろう。あれじゃ結婚なんかできるわけがねえ」
「お前、他の人の前でそれ言うなよ」
「かまうもんか。レオーニスさんなんか、この前『なにもかも全部変えてやりたい』って言ってたぞ。大神官様はボンクラ王たちをかばってるけど、本当はうんざりしてるだろうよ」
「レオーニスさんが? それ本当に言ったのか?」
「そうだ。レオーニスさんが大神官になるころには、この腐りきった王室とこの国をなんとかしてくれるだろうよ」
木の幹からこっそりとのぞいてみると、黒い法衣を身につけた男性ふたりがゆっくりと庭を横切っていった。
ティリアーノがいつも着ている衣装と同じだった。あれが神官の装いなのだろう。彼らはアルネリアたちには気づく様子もなく、そのまま回廊から大神殿へと入っていった。
アルネリアはパウラと顔を見合わせる。
「レオーニスという人、神官かな? 彼をマークした方がいいですね」
「それもあるけど……」
アルネリアが首をかしげたとき、大神殿のほうから大股でこちらに向かってくる人影が見えた。
「こんな所にいたんだね~、探したよ」
現れたのはティリアーノだった。
「会議じゃないんですか? ティリアーノさんも神官なんでしょ」
「そうだけどね。今日はそれほど発表もなさそうだから、君たちに付き合って案内してあげなさいって、殿下が」
「僕たちは大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないよね、そんな真っ青な顔して。癒やしの魔法をかけてあげるよ」
ティリアーノは掌をアルネリアの前でかざした。
「大地の精よ。そのお力でこの者に癒やしを賜り給え」
アルネリアの額に冷たい風のようなものがかかった。
「すごい。僕の胸のあたりまでスッとします」
背後にいたパウラが清々しい声でつぶやいた。
だが、アルネリアには、あまり効果があるようには感じられなかった。
「あれ? まだ良くならないかな。よっぽど具合が悪かったんだね。無理しないで少し中で休んだ方がいいよ」
ティリアーノはアルネリアたちを、回廊へと導いた。
「以前、神官が自分で魔法を創造するっていってましたね。それを王様が議会で承認するとも」
「よく覚えているね。ソレイヤールの魔法は、国民を幸せにするために使うと決められているんだ。それでみんなで吟味して使っていいものと使ってはいけないものを分けるんだよ」
「そんな重要な会議なのに王太子様が王様の代わりに承認するんですか? 責任重大ですね」
「まあ……原則的にはそうだね。とはいえ会議に上るまでには、たいてい根回しが済んでいるから、王様は追認する程度なんだけどね」
では、承認されない魔法を使うとどうなるのだろう。王太子の呪いが承認された魔法だとは思えないのだが……。そんなことを思いながらアルネリアが口を開きかけたとき。
「そうか……この国は魔法で、国民が守られているんですね」
パウラの声で、アルネリアの思考が途切れた。やはり体調がよくないせいか考えがまとまらない。しかもふらふらと歩いていると、扉にぶつかったりする。
「もうそっちじゃありませんったら、こっちです」
ティリアーノに肩を抱かれるように導かれ、石の回廊を通り、ひやりと冷たく薄暗い大神殿の内部に入っていく。 アルネリアのみぞおちあたりにたまっていた、重苦しさが少し軽くなってきた気がした。
「どうしたんだ、賢者君! 顔色が悪いぞ」
透き通った声が響いた。会議が終わったらしい。会議室の木製の扉の向こうから現れたヴァレリウス王子が、足早に近づいてくるのが見える。
「乗り物酔いで休んでいました。でもずいぶん良くなったので、大丈夫です」
「それはよかった!」
明るい声で微笑むヴァレリウスの背後から、白いひげを蓄えた老人が顔をだした。周りの人とは違い、ひとりだけ白い法衣に身を包んでいる。
「その少年が、噂の客人ですかな」
「バレムイーダ大神官ですよ。粗相のないように」
アルネリアの耳元でティリアーノがささやき、跪いた。アルネリアとパウラもそれに倣う。
「客人の少年に、大地の精の祝福を」
片膝をついて祝福を受けるアルネリアとパウラの視界の中を、黒い法衣の裾が通り過ぎていく。会議に出席していた神官たちだろう。
「大神官よりも先に出るとは。礼儀知らずな王太子だ」
聞こえよがしにささやいていく者もいる。アルネリアの隣で、パウラが拳を強く握りしめていた。口は悪いが忠誠心が強い彼女にとっては、異国の臣民の言葉ですら許しがたいものがあるのだろう。
その中で、ひときわ大きな靴音が響き、ヴァレリウスの前で止まった。
「ヴァレリウス王太子。先ほどの我が提案に、なぜ何の反論もなく、すべて賛成とおっしゃったのでしょう」
男は、よく通る低い声で語りかけた。やや詰問調である。
「貴殿の魔法のおかげで、我が国の農業も防衛も日進月歩の進化を遂げておりますと、申し上げましたが。お忘れかな?」
「それでは何も言っていないのと同じだ。本当は言うことがあるでしょう?」
強い調子で詰め寄る男を、大神官が厳かに止めた。
「これ、レオーニス立法祭司。客人の前ですぞ」
レオーニスだって?
アルネリアは目だけをせわしなく動かしたが、跪いている状態では顔を起こしようがない。
「客人?」
「顔を上げなされ、少年たち」
大神官に促され顔を上げたアルネリアは、自分を見下ろす長身の男と目を合わせた。
色が白く、彫りが深い酷薄そうな顔立ち。初対面のはずなのに、初めて会った気がしないのはなぜだろう。
「ほう、これがノルデスラムトの少年ですか。王太子を慰めるために連れてきたという」
「これ、レオーニス。平和を乱す罪に触れておりますぞ」
再度大神官にたしなめられ、レオーニスは不愉快そうにその場を立ち去りかけたが、振り向いてパウラに向いた。
「ああそうだ。少年たち。母君からの伝言だ。館に忘れ物をしているらしい」
「母に会ったのですか?」
「そういうことだ。伝えたからな」
レオーニスが靴を鳴らしながら遠ざかると、ヴァレリウスがやさしく語りかけてきた。
「忘れ物は、大切なものなのかい? 母君のところに帰ってもいいんだよ。しばらく一緒に過ごすといい。ずいぶん引き留めてしまったからね」
ヴァレリウスがそっと肩に手を置いたので、アルネリアは思わず彼の目をのぞき込んだ。
「王太子殿下は、それでよろしいのですか?」
「かまわない。君たちは、きっとまた来てくれる。だから、それでいい」
仮面の下で、王太子の表情はわからない。
呪いを解くために力を貸すといった以上、王宮に戻るべきだとは思うが、体調のこともあって、アルネリアの心は少し弱っていた。
母のように慕っているビルギッタの顔が、ただ見たかった。
「ではお言葉に甘えて、弟を連れて母のところにしばらく戻ります」
アルネリアの代わりに、パウラが凜とした声で答えてくれた。
ややあって気づく。あれは声だ。
魔法の詠唱だ。
「フィラーロ」
銀狼騎士団長が振り向いた。
「おまえにしか頼めないことがある。聞いてくれないか」
「なんなりと。ご命令に従います」
「娘に……メリーサに届けてほしいものがある。渡し忘れていたものだ。わしの父から伝わってきた指輪だ」
団長が押しつけてきたのは、大ぶりの指輪だ。意味がわからず押し戻す。
「この戦いが終わったときに、生きて帰って渡してください。勝てる戦いです」
「いいから、渡してくれ。そうしないと安心して戦えない。渡し終わったら、戻ってきてくれ」
強引に握らされた指輪。
見れば友も笑顔で追い払う仕草をする。
気がついたときには手遅れだった。
離れたばかりの戦場は、地獄と化し、戻ろうとした身は、黒い法衣の軍団に羽交い締めにされていた。
「離してくれ、団長のところに、みんなのところに行かせてくれ」
「いけません。フィラーロ様を守れと言われております」
嘘だ。
嘘をつけ。
そんなはずはない――
強いノックの音で夢を破られた。
「ガリマーロ。どうした、大丈夫か」
ビルギッタの声で、ガリマーロは身を起こした。ここはノルデスラムト商館。ガリマーロに与えられた寝室だった。全身に気持ちの悪い汗をかいている。夢の中だけではなく、叫んでいたらしい。
「悪い夢を見た」
「戦場の夢か?」
ドアの向こうのビルギッタが、声を落とした。
「すまなかった」
「謝ることはない。戦いの記憶は魂を蝕む。騎士はみな知っていることだ。庭の井戸で身体を洗うといい」
ビルギッタがドアのそばを離れた気配を、ガリマーロは感じた。
庭に面したガラスの扉から、外に出る。生まれたばかりの太陽が、透明な日差しを投げかけ、土や庭木を照らしている。
ガリマーロは井戸に近づき、上着を脱いだ。筋肉に覆われた赤銅色の上半身をさらけ出し、下半身を包む下着一枚になる。そのあとで、井戸に釣瓶を下ろしてくみ上げた水を、勢いよく頭からかぶった。
忘れようとしても忘れられない思い出が、鮮明に蘇る。
――あなただけが生きて戻ったのね、フィラーロ。お父様を置いて。
指輪を受け取ったメリーサの涙に暮れた顔と声が、目にも耳にも焼き付いている。
「俺は……」
ガリマーロはもう一度、身を切るような冷たい井戸水に、自分の身をさらした。
◆◆◆‡◆◆◆‡◆◆◆
同じ朝。アルネリアとパウラは、ソレイヤール大神殿に赴いた。
魔法会議に代理出席するヴァレリウス王太子に同行させられたからだ。
とはいえ、さすがに国家機密そのものの魔法会議に出席できるはずはなく、アルネリアとパウラは一般参拝客に混じって、荘厳な大神殿内を見学するということになっていた。
大神殿の、聖堂部分の中心には水晶を惜しみなく使った水晶宮がある。光に満ちたその宮で、1日に1度、祈りが捧げられる。
しかし、アルネリアがいるのは大神殿の庭の中だった。回廊が取り囲む中庭の、木々に囲まれた一角。その太い木の幹に腰を下ろし、真っ青な顔をして、肩で大きな息をしていた。
「いっそ、吐いてしまえば楽になるんじゃないですか?」
心配そうにのぞき込むパウラ。アルネリアは首を横に振りながら唇だけをパクパク動かした。
大神殿まで、王太子が乗る馬車に便乗したまでは良かったが、4人乗りの馬車に、進行方向と逆向きに座ったアルネリアは、すっかり乗り物酔いをしてしまったのだ。しかもソレイヤールの王室専用馬車は、普通の馬車ではない。脚部に車輪がついた木馬が引っ張る「木馬車」で、動力は大地の精の力。つまり魔法である。4本の脚を使って走る馬と違い、木馬車は、木馬の下に取り付けられた車輪を回して走る。直線であれば走行は滑らかだが、曲がり角になると、客車は大きく振り回され、アルネリアの身体は容赦なく揺さぶられてしまう。
「木馬車はまだ改造の余地がありますねえ」
ティリアーノがぼやくような乗り心地も、ダメージを受ける原因のひとつだった。
「……ん? ああ、大神殿の庭だから汚したくないと。それは殊勝な心がけですね。でも素直にティリアーノさんに席を代わってくれっていえば、こんなことにならないんですからね」
アルネリアは唇の動きでひどい、と答える。
「ひどい? 自業自得です。夕べちゃんと寝てないんでしょう。乗り物酔いには体調も関係あるんですよ。今日は大神殿に来ることがわかってたんだから、くだらない考え事してないで、早く寝れば良かったのに!」
しかしパウラは容赦なかった。
当然である。
前夜、アルネリアは何度もためいきをついては、寝返りを打ってばかりいたのだ。それというのも……夕餉のテーブルに並んでいたのが、アスパラガスのスープ、蜂蜜を塗って焼き上げたウズラ、鶏肉の白い煮込み、食後の果物だったからである。
口に合わなかったわけではない。むしろ逆だ。食器から、グラスやシルバー、ナプキンに至るまで気を配る洗練されたテーブルのセッティングといい、文句があるわけはなかった。
ただ、思い切ってティリアーノに質問をしたら、予想外の答えが返ってきたからである。
「鴨肉の包み焼きとキジの丸焼きってどんな味なんですか?」
「ん? 食べてみたいの? でもあれはね、秋にしか食べられないんだよね」
思い出すしてはまたため息をつくアルネリアだった。
肖像画家ナバラの話に出てきてからずっと、夢に描き続けてきたものなのに。
秋までソレイヤールにいなければ食べられないなんて。そんなに長く滞在できるわけがない……ああどうしよう……。
そのとき唐突にアルネリアは背中から羽交い締めにされ、口を押さえられた。
驚いて抗おうとすると、パウラが耳元に、そっと口を寄せる。
「人が来ます」
その言葉の通り。まもなく回廊を歩く足音と、男性の声が聞こえた。
「ヤミル。なにやってるんだよ。魔法会議になぜ出ない」
「わかってるよ。だけど、見逃してくれ。妖怪が出席するんだ」
「ヴァレリウスか。しょうがないじゃないかボンクラ王が出ないんだから」
「俺、あいつの醜い顔見ると、寒気がするんだよ」
「おまえ、いつもそう言うけど、そんなに変か? 確かに不細工ではあるが」
「不細工で済むか。いつも無表情で、悪魔みたいだろう。あれじゃ結婚なんかできるわけがねえ」
「お前、他の人の前でそれ言うなよ」
「かまうもんか。レオーニスさんなんか、この前『なにもかも全部変えてやりたい』って言ってたぞ。大神官様はボンクラ王たちをかばってるけど、本当はうんざりしてるだろうよ」
「レオーニスさんが? それ本当に言ったのか?」
「そうだ。レオーニスさんが大神官になるころには、この腐りきった王室とこの国をなんとかしてくれるだろうよ」
木の幹からこっそりとのぞいてみると、黒い法衣を身につけた男性ふたりがゆっくりと庭を横切っていった。
ティリアーノがいつも着ている衣装と同じだった。あれが神官の装いなのだろう。彼らはアルネリアたちには気づく様子もなく、そのまま回廊から大神殿へと入っていった。
アルネリアはパウラと顔を見合わせる。
「レオーニスという人、神官かな? 彼をマークした方がいいですね」
「それもあるけど……」
アルネリアが首をかしげたとき、大神殿のほうから大股でこちらに向かってくる人影が見えた。
「こんな所にいたんだね~、探したよ」
現れたのはティリアーノだった。
「会議じゃないんですか? ティリアーノさんも神官なんでしょ」
「そうだけどね。今日はそれほど発表もなさそうだから、君たちに付き合って案内してあげなさいって、殿下が」
「僕たちは大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないよね、そんな真っ青な顔して。癒やしの魔法をかけてあげるよ」
ティリアーノは掌をアルネリアの前でかざした。
「大地の精よ。そのお力でこの者に癒やしを賜り給え」
アルネリアの額に冷たい風のようなものがかかった。
「すごい。僕の胸のあたりまでスッとします」
背後にいたパウラが清々しい声でつぶやいた。
だが、アルネリアには、あまり効果があるようには感じられなかった。
「あれ? まだ良くならないかな。よっぽど具合が悪かったんだね。無理しないで少し中で休んだ方がいいよ」
ティリアーノはアルネリアたちを、回廊へと導いた。
「以前、神官が自分で魔法を創造するっていってましたね。それを王様が議会で承認するとも」
「よく覚えているね。ソレイヤールの魔法は、国民を幸せにするために使うと決められているんだ。それでみんなで吟味して使っていいものと使ってはいけないものを分けるんだよ」
「そんな重要な会議なのに王太子様が王様の代わりに承認するんですか? 責任重大ですね」
「まあ……原則的にはそうだね。とはいえ会議に上るまでには、たいてい根回しが済んでいるから、王様は追認する程度なんだけどね」
では、承認されない魔法を使うとどうなるのだろう。王太子の呪いが承認された魔法だとは思えないのだが……。そんなことを思いながらアルネリアが口を開きかけたとき。
「そうか……この国は魔法で、国民が守られているんですね」
パウラの声で、アルネリアの思考が途切れた。やはり体調がよくないせいか考えがまとまらない。しかもふらふらと歩いていると、扉にぶつかったりする。
「もうそっちじゃありませんったら、こっちです」
ティリアーノに肩を抱かれるように導かれ、石の回廊を通り、ひやりと冷たく薄暗い大神殿の内部に入っていく。 アルネリアのみぞおちあたりにたまっていた、重苦しさが少し軽くなってきた気がした。
「どうしたんだ、賢者君! 顔色が悪いぞ」
透き通った声が響いた。会議が終わったらしい。会議室の木製の扉の向こうから現れたヴァレリウス王子が、足早に近づいてくるのが見える。
「乗り物酔いで休んでいました。でもずいぶん良くなったので、大丈夫です」
「それはよかった!」
明るい声で微笑むヴァレリウスの背後から、白いひげを蓄えた老人が顔をだした。周りの人とは違い、ひとりだけ白い法衣に身を包んでいる。
「その少年が、噂の客人ですかな」
「バレムイーダ大神官ですよ。粗相のないように」
アルネリアの耳元でティリアーノがささやき、跪いた。アルネリアとパウラもそれに倣う。
「客人の少年に、大地の精の祝福を」
片膝をついて祝福を受けるアルネリアとパウラの視界の中を、黒い法衣の裾が通り過ぎていく。会議に出席していた神官たちだろう。
「大神官よりも先に出るとは。礼儀知らずな王太子だ」
聞こえよがしにささやいていく者もいる。アルネリアの隣で、パウラが拳を強く握りしめていた。口は悪いが忠誠心が強い彼女にとっては、異国の臣民の言葉ですら許しがたいものがあるのだろう。
その中で、ひときわ大きな靴音が響き、ヴァレリウスの前で止まった。
「ヴァレリウス王太子。先ほどの我が提案に、なぜ何の反論もなく、すべて賛成とおっしゃったのでしょう」
男は、よく通る低い声で語りかけた。やや詰問調である。
「貴殿の魔法のおかげで、我が国の農業も防衛も日進月歩の進化を遂げておりますと、申し上げましたが。お忘れかな?」
「それでは何も言っていないのと同じだ。本当は言うことがあるでしょう?」
強い調子で詰め寄る男を、大神官が厳かに止めた。
「これ、レオーニス立法祭司。客人の前ですぞ」
レオーニスだって?
アルネリアは目だけをせわしなく動かしたが、跪いている状態では顔を起こしようがない。
「客人?」
「顔を上げなされ、少年たち」
大神官に促され顔を上げたアルネリアは、自分を見下ろす長身の男と目を合わせた。
色が白く、彫りが深い酷薄そうな顔立ち。初対面のはずなのに、初めて会った気がしないのはなぜだろう。
「ほう、これがノルデスラムトの少年ですか。王太子を慰めるために連れてきたという」
「これ、レオーニス。平和を乱す罪に触れておりますぞ」
再度大神官にたしなめられ、レオーニスは不愉快そうにその場を立ち去りかけたが、振り向いてパウラに向いた。
「ああそうだ。少年たち。母君からの伝言だ。館に忘れ物をしているらしい」
「母に会ったのですか?」
「そういうことだ。伝えたからな」
レオーニスが靴を鳴らしながら遠ざかると、ヴァレリウスがやさしく語りかけてきた。
「忘れ物は、大切なものなのかい? 母君のところに帰ってもいいんだよ。しばらく一緒に過ごすといい。ずいぶん引き留めてしまったからね」
ヴァレリウスがそっと肩に手を置いたので、アルネリアは思わず彼の目をのぞき込んだ。
「王太子殿下は、それでよろしいのですか?」
「かまわない。君たちは、きっとまた来てくれる。だから、それでいい」
仮面の下で、王太子の表情はわからない。
呪いを解くために力を貸すといった以上、王宮に戻るべきだとは思うが、体調のこともあって、アルネリアの心は少し弱っていた。
母のように慕っているビルギッタの顔が、ただ見たかった。
「ではお言葉に甘えて、弟を連れて母のところにしばらく戻ります」
アルネリアの代わりに、パウラが凜とした声で答えてくれた。
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