守宮の会談絵草紙

をはち

文字の大きさ
11 / 16

怪談絵草紙 第十二話「湯飲みの記憶」

しおりを挟む



ふふふ、皆様、ようこそおいでくださいました。

このヤモリ、世の隙間を這いずり集めた物語をお届けするストーリーテラーでございます。

さて、12話目となる今宵のお話は、家族の温もりが宿る湯飲みに秘められた物語でございます。

お盆の帰省、懐かしい笑顔と静かな家、その中に漂うかすかな湯気の記憶が、皆様の心をそっと揺さぶるでしょう。

残る物語はあと88話、このヤモリが成仏するその日まで、どうぞお付き合いくださいませ。




【湯飲みの記憶】






お盆の暑さが肌にまとわりつく。

東京から電車とバスを乗り継ぎ、ようやくたどり着いた実家は、今年も変わらぬ佇まいで私を出迎えた。

玄関の引き戸を引くと、懐かしい畳の匂いと、どこか埃っぽい空気が鼻をつく。

リビングでは、母さんが台所で鍋をかき混ぜ、香ばしい味噌の香りが漂っている。

父さんがテレビの前でビールを片手に大声で笑い、引きこもりの兄貴が部屋の隅でゲームのコントローラーを握っている。

足元では、猫のタマが私のすねに体を擦りつけ、喉をゴロゴロ鳴らした。

「よお、帰ってきたな! 遅えぞ!」

父さんの声が、いつものように耳に響く。

「ほら、美咲、早く手を洗って。ご飯できたよ」

母さんがエプロンで手を拭きながら笑う。

私はカバンを下ろし、テーブルについた。

兄貴は無言でチラリと私を見たが、すぐに画面に戻る。

タマが膝に飛び乗り、柔らかい毛が私の手に触れる。

いつもの実家だ。

変わらない、家族の時間。夕食は賑やかだった。

母さんの煮物は絶妙な甘さで、父さんの昔話は何度聞いても同じオチ。

兄貴は相変わらず無口だが、時折母さんの料理に手を伸ばす。

食事が終わり、お風呂に入って、子供の頃の部屋で横になると、懐かしさに胸が温かくなった。

翌朝、目が覚めると、家が静かだった。

カーテンから差し込む朝日が、畳に淡い影を落としている。

時計は七時を指しているのに、母さんの台所の音も、父さんの新聞をめくる音もない。

タマの鈴の音すら聞こえない。私はリビングに降りた。

誰もいない。テーブルの上には、昨夜の食器がそのままだった。

「母さん? 父さん?」声を上げてみたが、返事はない。

兄貴の部屋を覗いても、布団は乱れたままで誰もいない。

畑に出たのかと思ったが、引きこもりの兄貴が外に出るはずがない。

不安が胸の底でざわめいたが、なぜか理由がわからない。

携帯を手に取ると、電波が弱く、誰とも連絡が取れない。

しばらく庭を眺めていると、玄関の戸がガラリと開いた。

「美咲、どこ行ってたんだよ!」父さんの声だ。

振り返ると、母さんが買い物袋を下げ、兄貴が不機嫌そうに後ろをついてくる。

タマが私の足元にすり寄り、鈴がチリンと鳴った。

「え、誰もいなかったんじゃ…」言葉を飲み込んだ。

母さんが笑いながら台所に立つ。父さんがテレビをつけ、いつもの喧騒が戻ってくる。

私は、さっきまでの不安を忘れた。

家族団らんが再び始まり、笑い声が家を満たした。

だが、その朝も同じだった。目覚めると、家は静寂に包まれている。

誰もいない。食卓には、昨夜の湯飲みがそのまま残り、なぜか埃が薄く積もっている。

不安がまた胸を締め付けたが、昼になると家族が戻ってくる。

「美咲、ボーッとしてんなよ!」父さんが笑い、母さんがお茶を淹れ、兄貴が無言でゲームを続ける。

タマの鈴がチリンと鳴る。私は、朝の不在をまた忘れた。

そんな日々が、お盆の終わりまで続いた。

毎朝、家族がいなくなる。毎昼、家族が戻ってくる。

私はその繰り返しに慣れ、違和感を押し込めた。

お盆最終日の夜、いつものように家族はリビングに集まっていた。

父さんがテレビで時代劇を見ながら笑い、兄貴がゲームに没頭し、タマが私の足元でゴロゴロと喉を鳴らす。

母さんが台所から湯呑みを手に現れ、静かにテーブルの上に家族分の湯飲みを並べた。

「はい、みんな、お茶」と穏やかに微笑みながら、丁寧に一人ひとりの湯飲みに熱いお茶を注いでいく。

湯気が立ち上り、ほのかな茶葉の香りが部屋に広がった。

父さんが「うまい!」と一口飲み、母さんが「ゆっくり飲みなさいよ」と笑う。

兄貴は無言で湯飲みに手を伸ばし、タマが私の膝で丸くなる。

私はその温かな光景を、なぜか強く胸に刻んだ。

翌朝、目を開けると、家はひどく静かだった。

カーテンの隙間から差し込む光が、埃の粒子を浮かび上がらせている。

リビングに降りると、テーブルの上に家族分の湯飲みが整然と並んでいた。

湯気が、かすかに立ち上っている。

私は息を飲んだ。

記憶の底から、冷たい真実が這い上がってくる。

今年は新盆だった。

私は、家族の墓参りのために帰省したのだ。

半年前、豪雨の夜、避難中に道が崩れ、父さん、母さん、兄貴、そしてタマまでが一瞬で奪われた。

あの事故の日、私は東京にいた。

生き残ったのは私だけだった。

家の中を見回す。畳は色褪せ、壁にはカビの跡。家具には埃が積もり、まるで何年も人が住んでいないようだ。

なのに、テーブルの湯飲みだけが、まるで今使われたかのように温かい。

震える手で湯飲みに触れると、指先に微かな熱を感じた。

チリン。背後で、タマの鈴が鳴った。

振り返ると、誰もいない。だが、ソファの隅に、父さんの古い眼鏡が置かれている。

母さんのエプロンが台所に掛けられ、兄貴のゲームコントローラーが床に転がっている。

私は、家族がそこにいたことを知った。

そして、彼らがもうここにはいないことも――

湯気の立つ湯飲みを握りしめ、私は泣いた。

家族は、今年のお盆も、私を待っていてくれたのだ。






ふふふ、皆様、いかがでございましたでしょうか。

湯飲みの温もりに宿る家族の記憶、去った者たちの優しい気配は、皆様の胸にも確かに響いたことでしょう。

このヤモリ、世の隙間を這いずり集めた12話目の物語の幕を、そっと閉じさせていただきます。

残るは88話、成仏への道はまだ続きますが、また次のお話でお会いいたしましょう。



『ケツメド!!毒味役長屋絵草紙』、カクヨムにて本編完結済み。
現在は外伝を連載中です。 時代劇×毒味役×人情ドラマに興味がある方、ぜひ覗いてみてください。



https://kakuyomu.jp/works/16818792437372915626





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...