君と出逢って

美珠

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1巻

1-3

 葬式の後、親戚が集まる精進落としの席で、貴嶺は父の一言により純奈の隣に座ることになった。

「なにこれ、うまっ」

 小さな声が聞こえて隣を見ると、純奈がリスのように口いっぱいに料理を頬張って、忙しく口を動かしていた。
 その様子が可愛くて眺めていると、目が合った途端、彼女は視線を下に向けてしまった。
 しかし、貴嶺が好物の椎茸しいたけをとっておいたところ、彼女は嫌いなものをよけていると勘違いしたようで、声をかけられた。

「私、椎茸が好きなんですよね。でも人参にんじんは嫌いで」

 本当は、貴嶺も好きなのだが、彼女はとても食べたそうにしている。

「……食べます?」

 そう言うと、彼女の目が嬉しそうに輝いた。椎茸ごときで、ずいぶんと嬉しそうな顔をする。
 貴嶺にとって純奈のファーストインプレッションは、目が丸く大きいこと、食べ方が気持ちいいこと、そして可愛い人だということだった。
 その後、姉の雪嶺と一緒に会場を出た貴嶺は、すでに呼んであったタクシーに乗り込む。すると、隣に座った雪嶺が肘でつついてきた。

「貴嶺、味が染みた椎茸しいたけ、好きじゃなかった?」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて聞いてきたので、そのまま答えた。

「好きだよ」
「じゃあ、なんであの子、純奈ちゃんにあげたの?」
「物欲しそうだったから」

 何の期待をしていたのか、姉はがっかりした目を向けてくる。今日初めて会った相手と、何が起こるわけもないだろうに。

「……あっそ。可愛い子だったしぃ、珍しく貴嶺が気に入ったのかなぁと思ったのにー」

 嫌みったらしく言うのを聞きながら、貴嶺は眼鏡を押し上げる。

「でも、貴嶺が女の子とあんなに長く話してるの、初めて見たかも」
「そうかな?」
「ハトコって、結婚できるよね?」

 そんな姉の言葉を、ただの冗談だろうと笑って流した。

「とにかく、元気で日本に帰って来てよ?」
「わかった」

 そう答えると、雪嶺はそこで降ろしてくださいと言ってタクシーを降りた。
 二千円を置いて手を振る雪嶺に、貴嶺も手を振る。

「次はどちらですか?」
「外務省へお願いします」

 貴嶺は後部座席に深く背を預けて目を閉じ、純奈の顔を思い出す。知らず笑みが浮かんでいた。
 また会うことがあるだろうか。
 そんなことを考えながら、貴嶺はほんの少しだけ眠った。


   ☆ ★ ☆


 二度目の出会いは偶然だった。
 異動先の、松尾という人懐っこい男に飲みに誘われ、待ち合わせたバーになぜか彼女が現れたのだ。お互い驚いたが、聞くと松尾の中学の同級生なのだと言う。
 世間の狭さに驚いた。
 純奈は、こうした店に慣れていないのか、どこか居心地悪そうにしている。
 そんな彼女の戸惑うような仕草が可愛らしくて、悪いと思いつつ口元がゆるんでしまった。
 見ていると、純奈は素直で可愛い人らしい。くるくると変わる表情に、気付けば目を奪われていた。
 しかし、貴嶺が話しかけるたびに、純奈は黙ってうつむいてしまう。
 どうしたらいいのだろうと思った。

「純奈、新生さんがイケメンだから気後きおくれしてんのか?」

 すると横から、松尾が茶化すように言った。

「そ、そうよ!」

 純奈は、頬を赤く染めながら力いっぱい肯定する。
 その反応が可愛くて、思わず唇に笑みを浮かべてしまった。

「お葬式のすぐ後からお仕事で、大変でしたよね? お疲れでしょう?」

 不意に純奈から仕事のことを振られて、口下手な貴嶺は、とっさに答えを用意できなかった。

「いえ、仕事は、すぐ済みましたから」

 そっけない言い方だったかもしれない、と反省しつつ内心ため息をつく。次に話しかけられたら、どう返事をしようかと、ウイスキーを飲みながら考えた。

「お仕事できるんですね、隆介の言った通り」
「いえ、そんなことはありません」

 純奈は貴嶺の言葉に何度かまばたきをして、ちょっと俯いた。
 また失敗したか、と頭を抱えたい気持ちで琥珀こはく色の液体を揺らす。純奈には、もっと優しい言い方を用意すべきだった。

「新生さん、仕事できるじゃないですか」

 松尾の気遣いと明るさにほっとしつつ、ただ首を横に振る。本当に、自分が仕事ができると思ったことはないのだ。

「ただこなしているだけだから」
「そうやって、こなせるのが凄いんですよ。俺、尊敬してますよ!」

 め上手だな、と思いながらウイスキーを飲み干した。
 飲んだ後、純奈のグラスがからなのに気付く。

「何か飲みます?」
「え? あ、いえ! さっき一気に飲んだので、もう少しいいです」

 スープやガーリックトーストも食べていたし、もうお腹がいっぱいなのかもしれない。

「そうですか」
「新生さんは? 何か飲まれないんですか?」

 軽く小首をかしげて聞いてくる仕草を、可愛いと思った。自然で、凄く好感が持てた。
 普段なら、女性のこういう仕草は敬遠するところなのに、可愛いと思うとは。今日の自分はどこかおかしいのかもしれない。

「そうですね……じゃあ、ウイスキーで」

 並んでいる酒瓶を一通り見た貴嶺は、一本の酒瓶に目を留めた。

「エドラダワーをストレートでください」

 ほどなくして、ストレートで置かれたウイスキー。それを一口飲むと、純奈がじっとこちらを見ていることに気付く。

「どうしました?」

 大きな目でじっと見られると、なんだか心が落ち着かない。

「いえ、それ美味おいしいのかな、って。ウイスキー、飲んだことないので」

 ウイスキーを見ていたのか、と若干じゃっかん残念な気持ちがあることに貴嶺は驚いていた。

「ああ……じゃあ、次は……」

 純奈でも飲みやすそうなウイスキーは、と考えつつ自分の感情に戸惑う。

「いえ、ちょっとでいいんです……味見してみたいな、って思っただけですし」

 貴嶺のウイスキーを見ながら言われ、手の中にあるウイスキーグラスを揺らす。

「これ、ですか?」
「はい……。あの、ダメですか?」

 にこりと笑う唇。彼女は何を考えているのだろう、と思う。
 純奈とはこの前知り合ったばかりで、会うのは今日で二度目だ。
 親戚だから気安く思ったのか、それとも何か特別な意味でもあるのか……

「どうぞ」

 彼女の言葉の真意が測れないままに、貴嶺はグラスを純奈に渡す。
 すると彼女は貴嶺が口をつけた酒を飲んだ。それが好意の表れなのか、なんなのか。まったく見当がつかない。

「うぁ……っ!」

 純奈から視線を外して考え込んでいた貴嶺は、純奈の声でハッとする。

「ばっかだなぁ、純奈。いきなり飲むからだよ。マスター水ください」

 舌を出している純奈を見るに、どうやら何も考えずウイスキーを飲んだようだ。グラスの中身が結構減っている。
 すかさず水を頼む松尾を見て、なぜか後れを取った気分になった。
 純奈のことは自分が、と思う貴嶺がいる。

「ありがとう、隆介」

 ひとしきり水を飲んだ純奈は、ほっとしたように息をついた。

「純奈、甘い酒好きじゃん。急にどうした? ウイスキー飲みたいなんて」
「え? だって、新生さんが、美味しそうに飲んでるから……」

 自分を見上げてくる純奈に、これは好意以外のなんだろうと考える。

「ウイスキーは、ゆっくり飲むのが美味しいんです」
「あ、でも、なんか凄く甘い匂い、っていうか……後味が、いい感じ?」

 貴嶺が言うと、純奈は何かに気が付いたように目を丸くする。

「ウイスキーは、そういうところを楽しむんです」

 そうなんだ、と素直そうな目が向けられた。
 貴嶺は知らず口元に笑みを浮かべながら、その表情を見ていたのだが……

「す、すみません、グラスに口紅がっ!」

 いきなり純奈が謝り、グラスに手を伸ばしてきた。グラスには純奈の口紅がしっかりついている。
 そのピンク色の痕跡こんせきを見て、心がまた落ち着かなくなった。
 貴嶺のグラスについた口紅を指でぬぐうのもまた、なんだか思わせぶりな行為に感じてしまって、そんなとらえ方をする自分に戸惑う。

「……いえ」

 内心の動揺を抑えて気にしていないと伝えるが、純奈は顔を赤くして下を向いてしまった。
 もしかして言い方が冷たかったのだろうか。そっと純奈の様子をうかがおうとすると、肩に寄りかかってくる。明らかに、心臓が音を立てて跳ねた。

「す、すみません」

 純奈はすぐに謝って、パッと身体を離した。
 貴嶺は何度も落ち着け、と自分に言い聞かせる。だが、どこか期待している自分がいる。

「大丈夫ですか? 顔が赤い」

 平静を装いながら、赤くなった彼女の頬を親指でそっと撫でた。

「あの、ちょっと、トイレに行ってきます」

 彼女は赤い顔のまま、バッグを持って席を立った。

「すみません、新生さん。あいつ、新生さんの酒を飲んでしまって……そういえば、さっき、なんで謝ってたんですか? 純奈」
「……ああ、少し酔ったみたいで、肩に寄りかかられてね。悪いと思ったんじゃないかな」
「そうですか」

 酔っただけ。きっとそうだ。もう一度自分に言い聞かせて、グラスの酒を飲もうとした。しかし、純奈が口をつけたものだと思うと、なぜか心臓が騒ぐ。
 恋をしたての十代じゃあるまいし、と酒をあおった。
 しばらく酒を飲んでいると、松尾が先程の会話の続きを口にする。

「酒は弱くないんですけどね、純奈」
「そう。弱くない、か。ウイスキーは初めてだったからかな」
「そうでしょうね……っていうか、遅いですね。本当に酔ったのかな?」

 うーん、と言いながらトイレの方向を見る松尾に、からのグラスを置いて言う。

「見てくるよ」
「あ、いいですよ! 俺が……」
「酒を飲ませたのは俺だから。松尾君は座っていていい」

 手で制して、立ち上がってトイレの方向へ向かう。
 すると純奈は、うつむきながら背をトイレのドアに預けていた。

「純奈さん?」

 気分が悪いのかと思って声をかけると、彼女はハッと気付いたようにこちらを見た。

「あ、に、新生さん!?」

 あわててドアに預けていた背を起こしたからか、純奈の身体が不自然に前に倒れてきた。

「わぁっ!?」
「純奈さん!」

 倒れ込んできた身体を抱き留める。ほっとして、息を吐くと、純奈の肌が近くにあった。
 そこからうっすらと甘い香りがする。同時に抱き留めた身体の柔らかさを意識して、貴嶺は息を詰めた。
 彼女の胸が、貴嶺の腕と肋骨のあたりに当たっている。
 純奈は腕も細く、割と華奢きゃしゃらしい。けれど当たっている胸はかなり大きい。
 純奈はバランスを崩したまま上手うまく立てないようで、すがるみたいに貴嶺の腕を掴んでくる。
 純奈の柔らかさや香りをより近くに感じてしまい、たまらない気持ちになった。
 貴嶺の目の前には、純奈の形のいい耳と薄らと色づく細い首。気付けば顔を寄せ、彼女の首筋へ唇をわせていた――

「す、すみません!」

 焦った純奈の声に、ハッとまばたきをする。慌てて身体を離す彼女に、一気に理性を取り戻した。
 幸いにも、唇を這わせたのには、気付かれていないようだ。

「……いえ、大丈夫ですか?」

 いつの時も、貴嶺は冷静で表情がとぼしいと言われる。それは自分の長所であり短所でもあるが、今は長所として働いたようだ。そのまま冷静な声で声をかける。

「はっ! はい! だ、大丈夫、です」
「なかなか帰ってこないから、心配しました」

 肩を支えると、純奈は申し訳なさそうにうつむく。その様子を見る限り、彼女には思わせぶりな態度を取ったつもりなど欠片かけらもないのだろう。なのに貴嶺は、そんな彼女にぐらついてしまった。それこそ、一瞬、理性が飛んでしまうくらいに。

「マスターが水を用意してくれています。戻りましょう」
「は、はい」
「足は、平気ですか?」

 上手く立てなかった様子なので尋ねると、力一杯返事をされる。

「大丈夫です!」

 彼女はそう言って一人で歩いて席に戻って行ってしまう。
 純奈は用意してあった水を一気に飲み干すと、赤い顔のまま立ち上がった。そして財布を取り出し、三千円をテーブルに置く。

「あの、隆介、えっと、酔ったみたいだから帰るね! あの、新生さんも、すみませんでした!」
「え、おい、純奈?」

 いきなりのことで、声を掛けることもできなかった。とっさに椅子から立ち上がるものの、そのまま彼女の背中を見送ることしかできない。

「きちんと帰れるかな?」

 いろいろと悪いことをしてしまった気分になった。

「純奈ですか? 大丈夫ですよ。純奈は自分の限界知ってますから。きっと、バーの雰囲気に酔ったんじゃないですかね」
「だったら、いいけど。松尾君は、純奈さんとずっと友達?」
「ええ。中学の時からずっとですね。純奈は真面目まじめでさっぱりした性格なんで、昔から付き合いやすいんです。でも、なぜかずーっと、彼氏いないんですよね」

 松尾は笑いながらそう言って、一気に残りのウイスキーをあおった。
 それはさすがに嘘だろう。いくらなんでも、あの純奈がずっとフリーだったとは思えない。葬式の後、確か母が、一月に二十七歳になったばかりだと言っていた。

「男にも人気があったし、顔も結構可愛いんですけどね。純奈はあんまり男に興味ないみたいで。だから、友達以外の男がいると、キョドるんですよ」
「キョドる?」
「はい。純奈の態度、ちょっと変だったでしょ? 新生さんに女扱いされて、挙動不審になったんですよ、きっと」
「そうなのかな」

 酒を飲みながら、先ほどまで一緒だった純奈を思い出した。
 久しぶりに女性に対して自ら興味を持ち、好ましいと思った。
 というより、出会ってからこんなに短期間で好ましいと思える女性は初めてだった。
 だが、もう会うことはないだろう。自分は仕事が忙しいし、連絡先さえ交換していない。
 きっと、これで最後。
 自分でそう心を整理しながら、ウイスキーのお代わりを頼む。
 でも、もし三度目があったら――
 心のどこかでそれを願って、貴嶺は新しいウイスキーを飲むのだった。


   ☆ ★ ☆


 見合いの話は突然だった。
 本省で書類仕事をしている時に母から着信があった。何事かと思い昼休みに電話をかけると、開口一番に、お見合いをして欲しいと言われた。

「は?」
『だから、お見合い。早い方がいいんだけど、いつなら大丈夫なの? 貴嶺』
「そんなの、する気ないけど」

 今は、恋愛や出会いを求めてはいなかった。この間、珍しく心が動いたけれど、きっと純奈とももう会わないだろうと思っている。それなら最初から求めない方がいい。

『相手方には、このお話を進めてもらってるの。お母さんの顔を立てると思って、会うだけ会ってくれない?』
「顔を、立てる?」
『向こうが乗り気なのよ。相手のお嬢さんは家事手伝いをしていて、結婚したら専業主婦ができる人。貴嶺、忙しいから、家にいてくれる人がいいでしょ? それに、もし転勤となったら、ついて来てくれる人がいいじゃない?』
「乗り気って……」

 頭痛を感じて目を閉じる。それから眼鏡を押し上げ、ため息をついた。

「断ってくれない?」
『ダメ、断れないの! だって、相手の親御さんに、こっちは日付けさえ合えば大丈夫って伝えちゃったもの!』

 親というのはなんて勝手なんだろう。そう思って、貴嶺はまたため息をつく。

「……スケジュール、確認する。こっちの予定に合わせてもらっても大丈夫?」
『もちろんよ! ありがとうね、貴嶺!』

 母は、言うだけ言うと電話を切った。
 こんな強引な母は初めてだが、気持ちはわからないでもない。
 気持ちを落ち着かせてスケジュールを確認すると、二日後の昼間しか予定が空いていないことがわかった。重いため息をつきながら、貴嶺は母親に連絡する。


 結婚は、縁があったらと思っていた。
 その縁が、まさか会ったばかりの二従妹はとこへ繋がっているとは、この時の貴嶺は考えもしなかった。
 だけど、見合いの席にいた彼女を見た瞬間、この縁を大事にしたいと思ったのだ。



   3


『結婚を考えるには、良い縁かと』

 そう言ったのは、新生貴嶺という美形の代名詞のような人。よく見ると、目の下に小さな黒子ほくろがあった。彼のかけている黒縁眼鏡は野暮ったく見えず、とても似合っている。

「あとは二人で話して来たらどうかしら? ねぇ、秋絵さん」
「そうねぇ。庭に出て、お話でもねぇ」

 本格的に見合いっぽくなってきている。ちらりと貴嶺を見上げると、表情が少し柔らかくなったような気がした。

「庭に出ますか?」
「あ、ええ、はい」

 あわてて立ち上がると、貴嶺が見上げてきた。

「寒いですよ?」
「え?」
「コート、着た方がいいと思います」

 貴嶺は立ち上がって自分のコートを羽織った。確かに外はまだ寒い。純奈も椅子の上のコートを手に持つ。すると傍に来た貴嶺が、純奈のコートを持って着やすいように広げてくれた。
 こんなことをされたことがない純奈は、途端に心臓がうるさく鳴り始めた。

「行きましょうか」

 さらに背を抱くようにしてうながされ、心臓がパンクしそうになる。男慣れしていない純奈には、過ぎたサービスだ。

「あ、あのっ!」
「はい?」
「て、手を、離してくれますか?」
「……はい?」
「せ、背中です。普通に歩きましょう!」

 純奈が貴嶺から一歩離れると、貴嶺が自分の手を見る。

「ああ、すみません」

 外交官で、外国人を相手にすることが多いからだろうか。なんだかエスコートされているみたいで、ドキドキして困ってしまう。
 けれど庭に出るまでの間も、貴嶺はことあるごとに紳士的な振る舞いを見せ、女扱いされたことがない純奈はとにかく緊張した。そうして、二人で庭に出ると――

「にゅー……」

 あり得ないくらい寒かった。冷たい風に身を縮める純奈を見て、貴嶺が声をかけてくる。

「向こうに回って、母たちの視界から消えましょう。確か、この階にはコーヒーショップが入っていましたから」

 コーヒーショップ、と聞いて何度も頷いた。すると、貴嶺が口元に拳を当てて笑った。
 その笑顔は反則だ。魅力的すぎて、まさに惚れてしまいそうだ。
 前を歩く貴嶺の後について、庭から室内に戻る。少しの間に手がかなり冷たくなってしまった。
 いくら見合いの定番とはいえ、こんな寒い日に庭に出ろなんて、あんまりだ。
 冷えた手をこすり合わせていると、貴嶺がポケットに入っていたものを差し出してくる。
 見ると使い捨てカイロだった。なんだか似合わなくて、貴嶺の大きな手をじっと見てしまう。

「俺はもう使わないので、よかったらどうぞ」

 純奈は、ありがたく受け取る。とても温かくて、ほっとした。
 貴嶺は再び歩き出す。純奈は彼の後ろ姿を見ながら、ふと思う。忙しい人だと聞いているが、こんなところでお見合いなんかしていて大丈夫だろうか?
 そんなことを考えていると、目的のコーヒーショップに着いた。

「何を飲みます?」
「えーっと……チャイティーラテを、トールサイズでって……あ、ああ、お金、ないっ!」

 ここにきて、レストランにバッグを置いてきてしまったことに気付いた。
 やってしまったと思って貴嶺を見上げると、彼は首を振った。

「いいですよ」

 そう言って、自分のコーヒーと一緒に純奈のチャイも注文してくれる。おごってもらうつもりなんてなかったのに、申し訳なく思って頭を下げた。
 貴嶺はスーツの胸ポケットから財布を出すと、カードを抜いて電子マネーで支払いを済ませる。
 なんてスマートでイマドキなんだ、とまじまじと見入ってしまった。こんなところさえもイイ男感満載で、いやはやと首を振る。
 ランプの下で飲み物ができるのを待っていると、貴嶺が口を開いた。

「……チャイ、お好きなんですか」
「あ、はい。マサラとか入っていると、さらに好きです。チェーン店のチャイだったら、最後にシナモンをたっぷりかけるのがお気に入りで」
「シナモンにマサラですか。俺も好きですよ。本場のものは、結構スパイシーですけど」

 純奈はまだ、本場のチャイを飲んだことがない。インドのミルクチャイは、いつか飲んでみたいと思っているけれど、この人は飲んだことがあるのだろうか。
 それぞれコーヒーとチャイを持って空いている席に落ち着いた。貴嶺に一言お礼を言ってから、チャイを飲む。あったかくてほっとした。
 ……やっぱり、何か話したほうがいいのだろうか、と目の前の貴嶺を見る。席に座ってから、まだ一言も会話していない。さすがの純奈も、そわそわしてくる。
 すると彼は、コーヒーを飲みながら時計を見た。
 もしかして、この後も仕事があるのだろうか。そう思って、何気なく彼の腕時計を見る。
 銀の光沢を放つ金属ベルトに青いフェイスの時計は、誰もが知っている高級ブランドのものだ。純奈は以前、必要に迫られてブランドものについて勉強した時期がある。だから、大抵のものは見てわかる。貴嶺が身に着けているブルーフェイスの時計は、確か一昨年おととし出たモデルだったはずだ。
 話題が見つからないので、とりあえず時計をめてみようと口を開いた。


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