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第六十六話(奉仕作業。ゴミ屋敷)
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ーー嫌な予感がする。
奉仕作業内容が何もかも説明されないまま用意されたのは、二台の2tトラックと依頼主の名前と住所の書かれた一枚のメモ用紙だった。
荷台の方を確認してみれば、そこには大量のゴミ袋と段ボール、それと軍手、紐、ホウキ、ガムテープ、などなどが積まれていた。
これは勝手な推測になるのだが、本日俺達に与えられた仕事は一沢に絞られる。
というより、これしか思いつかない。
考えるだけで身の毛がよだつが……やっぱ、あれしかないよなぁ。
日影が2tトラックを走らせ向かっている先は一人暮らしの男の自宅。
隣の助手席にちょこんと座るテイルが、依頼人の簡単なプロフィールを声に出して読み上げていた。
「かとーよしゆき。無職だって。日影、今日ってこの人のお家行って何するの?人生相談?」
「人生相談か。そっちの方がまだ気楽だったろうなぁ」
依頼主=加藤義之。24歳独身。そして無職。
3年前に事故物件を格安で購入し、親の脛を大いに齧りながら日々を生きている。
つまりは仕送り生活ってやつだ。
朝昼晩とフルで陰気臭い部屋に引き籠り、食ったら寝て起きたら食べてを命ある限り繰り返す怠惰な生活を送ってるんだろうな。
肩身が狭い思いをして苦渋の決断をしたに違いない。
日影が運転するトラックの後ろを億劫そうに走っているのは万が運転する同じ車種のトラックだ。助手席には居眠りを決め込むツクネが乗車している。
サイドミラー越しに映る万の表情は日影と同様に浮かない顔だ。
「ゴミ屋敷の片付け。トラックに積まれてた道具から察するにそれで間違いない」
「ごみ、やしき?」
それ、なあに?
とでも言いたげな視線をこちらへ向けて、テイルは首を捻る。
日影は物分りの悪い相棒へ、依頼人の自宅へ向かう途上ゴミ屋敷について力説することにした。
********************
「あー…………こりゃまたひでぇな」
現状を確認して、目を疑った。正直に真情を吐露してしまった。
一時間近くかけて辿り着いた目的地は一階建ての何処にでもあるような平凡な平屋。
チャイムを何度鳴らしても出て来ないもんだから、試しにドアノブを捻ってみれば、
「ツクネ、そろそろ起きなってば。もう現場着いたよ」
ーー勘が見事に的中した。
不用心にも施錠されていないドアを開いて眼前、最初に飛び込んできたのは寝室らしき部屋へと一直線に続く通路。その上にはぎっしりと様々な沢山のゴミが積まれ、見るも無惨な汚らしいロードと化している。
一瞬でこちらの決意を揺らがせる程度には衝撃的な光景が広がっていた。
トラックの助手席で、アホ面晒して眠り呆けているツクネの姿が案外どうでも良くなるくらいには。
どう生活してたらこんな風になるんだろうなぁ……きったねぇ……。
「これが、ゴミ屋敷?」
「そう。これがさっき話したゴミ屋敷だ」
朝の八時だってのにこの家の主は未だ起床していない様子で、カーテンは閉めっぱなし、勿論電気も点いていない。
ゴミの山に支配された暗い室内には、つい鼻を塞ぎたくなるくらいの異臭が充満している。
この現状を、万に揺すり起こされたツクネが遅れてやって来て中を覗き込んで見ると、
「よし。帰るか。おーい、よろず~。車出してくれ~」
現実逃避して即座に回れ右。
タクシーでも使うくらいの雑さで相棒に呼びかけ、万の運転する車へ向かおうとする。
そうはさせるかと、遠ざかろうとする馬鹿の襟を後ろから掴みにかかった。
「待て。帰ってどうする気だ?奉仕作業を放棄すれば懲罰は間逃れないぞ」
「いい。こんなとこ掃除するくらいなら懲罰受けた方がマシだ」
「お前の勝手な都合に万を巻き込もうとするなよ。ほら、覚悟決めて中入るぞ。ーーあれ、テイルのやつ何処行った?」
少し目を離した途端、隣に居た筈の狼娘の姿が忽然と消失している。
万とツクネに所在を求めるような視線を送ってみても、二人して首を横に振り知らない存じないの合図。
三人が周辺をきょろきょろと見渡していた刹那、
「ひやぁああああああああああっ!!」
その凄絶な悲鳴が、ゴミ屋敷の奥底から響き渡り、全員の鼓膜を等しく激しく振動させていた。
********************
「へぇ~。君達がワイの部屋を掃除してくれる囚人ちゃん達?ひゃっほう!可愛い子ばっかりじゃん!一人余計なの混じってるけど」
日影の方をチラ見しながら、喧嘩を売るような言葉尻を吐いたのは、ゴミ屋敷の住人の24歳無職、天然パーマとそれなりに肥えた腹が特徴的な男、加藤義之。
さっきの甲高い、女の様な悲鳴は彼の口から飛び出した。
俺がツクネを相手にしているちょっとした隙に、先陣を切ったテイルが寝室でゴミに囲まれて眠っていたこの男の膨れた腹を指で突ついたらしい。
異変に気付いた加藤は超至近距離で己の顔を覗き込んでいる侵入者の存在に気付いた。
「余計な俺が混ざってて悪かったな。こっちだって好きでこんなゴミ屋敷来たい何て思うかよ。嫌々出向いてやったんだ。感謝しろよ」
「はあん?ゴミ屋敷?何処が?」
「此処だよ。此処。アンタの家がだよ。見りゃ分かんだろ」
周りに散乱するゴミというゴミを指差して悪態をつく日影へ、加藤は青髭の目立つ濃い顔を近づけて、
「君が「男の娘」という可能性は?」
そんな、とんでもない願望を口にした。
「ねぇよ!1%もそんな気はねぇ!」
「ひかげ、おとこのむすめって何?」
心底不愉快な戯言を口にされ熱り立つ日影の感情を押さえ止めたのは、テイルのそんな疑問だった。
加藤を睥睨する目を穏やかモードに切り替えて、男の娘とはなんぞやと説明を挟む。
ーー男の娘とは、女の子に見える男のことである。
「ているん。ツクネたん。よっちゃん。ワイは今日一日、君達のことをそう呼ばせて貰うことに決めたわ。ひゃは。何か恋人みたいで良いよね」
日影達四人の自己紹介が済んだところで、加藤による軽薄で勝手な渾名が一人の男子を除いた女子三人に付与される形となった。
万に付けられた「よっちゃん」にツクネがいち早く反応。笑いの感情を堪えきれずに「ぷっ」と吹きこぼす。
「ぷぷ。よっちゃんとか、まるでイカみたいだな」
「それ以上侮辱したら本気で怒るよ。ーーツクネたん」
「うぉ……それが自分に付けられたあだ名って思うだけで滅茶苦茶歯痒い……!」
「何でよ~。ツクネたんすげえ可愛いじゃん」
「うわっ!?やめろっ!放せ!くせぇ!」
渾名の話で万と言い争いになっていたツクネの体に後ろから抱きつくぽっちゃり男。
彼の拘束から逃れようと派手に四肢をばたつかせる男勝りな少女の姿を眺めて日影は思考する。
別段ツクネが見知らぬ男に抱かれることに抵抗を微塵も感じない俺だが、何でも彼んでも仕事の依頼を受けるのは如何なものか。
ーー未成年囚人に仕事を頼む輩は毎年跡を絶たない。それどころか、増え続けているという噂だ。
人件費が一銭も掛からないお手伝いさんを使えるのは個人や会社側からしたら美味しい話だよな。
今回の仕事は便利屋が自分達で引き受けるのが面倒だからと、日影達に丸投げした一件だ。
当然の話だが、彼等の元には楽して請求しただけの金額が全額懐に入る。
不景気が原因で正社員として働くのがより一層難しくなった世知辛い世の中だってのに、それに加えてアルバイトやパートさえ雇う会社が減少しているという取り沙汰が最近耳朶に触れた。
それもこれも俺達の働きが影響を及ぼしていると考えると、多少は申し訳ない気持ちにもなる。
「よし、皆。ツクネたんのことは放っておいて、ちゃっちゃと終わらせて帰ろうぜ。まずはペットボトルと空き缶、それとビンを分別するとこから始めよう。うん。そうしよう」
日影は今にも加藤の毒牙の餌食になりそうなツクネを見限り、テイルにペットボトル、万にビンを集めるよう指示を出した。
ツクネから助けを求める声が掛かるも、三人の誰も手を差し伸べようとはせず与えらた自らの役割に集中する。
「ひかげ、ひかげ。テイルえっちな本みつけた。これ捨てていいの?」
「構わん。どんどん捨てろ。エロ本はとりあえずダンボールにでも放り投げとけ」
「わかった」
「ているん!それは捨てちゃダメー!」
ゴミの山からアニメの同人誌を大量に発見したテイルが、興味有り気にページをぺらぺらとめくっていた。数秒で飽きたのか日影の指示通りにダンボールに本をどんどん投げ入れていく。夜の世話になっているであろう宝物達が容赦無くゴミとして処分されていく様を目にして加藤から嘆きの声が上がった。
「お兄さん、この如何わしい女の子のフィギュアとえっちなゲームは捨ててしまっても構わないかな?大丈夫だよね?」
「いやん、よろろん。照れるからワイをそんな蔑むようなジト目で見つめないで」
「お前の部屋、エロいもんばっか埋まってんだな。つうか、万の呼び方さっそく変わってんじゃねぇか。よっちゃんじゃなかったのかよ。きもちわりーからそろそろ放せよな」
加藤から抵抗することさえ面倒になったツクネは、彼の膝の上に乗せられた状態で体にもたれ掛かりながら万の渾名に早くも変化が生じたことを指摘する。
「やだ。絶対放さないもんね。ツクネたんはワイの嫁」
「勝手に嫁にすんなよな。放さないなら実力行使するぞ。殴るぞ。蹴るぞ」
口ではいくらでも威勢よく言えるが、左手に片手錠を嵌められている彼女に暴力行為は何一つ不可能。
奉仕作業中誰かに危害を加えようものならセンサーが反応し、手首が刹那に切断される。
所詮ははったりに過ぎない。
ツクネの威圧するような眼差しに怖気付いた加藤は、彼女のご機嫌を取ろうと親から毎月受け取っている仕送りを頼りにこんな提案を持ち出した。
「ツクネたん、そんな冷たいこと言わないでよ。お昼にピザの出前取ってあげるからさ、もうちょっとこのままで居させてよ。ねっ?ねっ!」
「ーー寿司とラーメン。それと、フライドチキン」
「ーーへ?」
数秒前の態度とは打って変わり、ツクネは悪戯っぽい笑みを浮かべて加藤に要求を持ち出した。
「ピザと寿司とラーメンとフライドチキン。それで手を打とう」
傲慢な少女の遠慮の欠片もない命令に渋々と加藤は頷いた。
彼女居ない歴24年の彼は女に飢えている。
そのくらいの出費で柔らかでいい匂いのする女の子の感触を味わえるなら安い買い物よ。
ーー午後十二時過ぎ。
粗方寝室の片付けが完了しゴミを踏まずに歩けるスペースができた頃、ツクネの所望したそれらは届けられ、テーブルに豪奢な料理が満遍に並べられていた。
少しも作業に参加していない彼女はそれぞれに分別作業に奮闘している皆を集めて、
「さあ、お前等食え。あたしの奢りだ。遠慮はいらねぇ」
「お前はどっかの国のお姫様か何かかよ……」
日影が呆れた声でそう呟く。
彼にはツクネが座る加藤の大きな体が錯覚で玉座に見えていた。
片付けを全く手伝いもせずに三人が汗水垂らして働く姿を偉そうに見下し、あまつさえ自分の食べたい料理を加藤に好きなだけ出前を取らせた。
これがお姫様じゃなかったら、何だと言うのか。
……というか、この待遇の差は何だ。贔屓にも限度があるだろ。
(まあ、でも……)
テイルの為を思って肉料理まで注文する辺り、コイツも万と同じような優しい心を持っていたんだなと、ただの木偶の坊じゃなかったんだなと、今まで軽視していたことを後悔した。
「あれ……体が動かない……なぜ?」
突然、まるで金縛りにでも掛かったかのように、加藤の体が微動だにしない。
硬直したように停止した体から飛び降りたツクネの双眸が不気味な紫色に発光している。
それに気付いた万は彼女が力を発したのだと直ぐ様見破った。
いつも穏やかで優しい寛大な彼女が、端正な顔だちを歪ませ、不愉快そうな剣幕を作る。
「ツクネ、むやみやたらに能力使っちゃ駄目でしょ。また具合悪くしても知らないからね」
「平気だよ。毎日欠かさず薬飲んでんだ。折角のご馳走が抱かれたままじゃ食べ辛いだろ」
テイルと同じようにツクネと万も普通の人間じゃない。
プールでの奉仕作業時に日影が万に聞いた話は真実だった。
その超能力と呼べる不思議な力は彼が身を持って経験し、疑いようのない本物だと実感している。
悪戯に人の動きを停止させたり、物を宙に浮かせたり、最初こそ半信半疑だった俺も練熟した技のパレードの餌食になった一人だ。
言い争う二人を尻目にテイルはフライドチキンにさっそくかぶり付いている。ほんと呑気な奴。
「この魚美味しい。これなあに?」
フライドチキンを全て一人で平らげたテイルが次に手をつけたのはサーモンの握り。
それのネタのみを手掴みで口に運び堪能の声を漏らしていた。
そんな行儀の悪い、シャリを置いてけぼりにした贅沢な食べ方を見て、超能力少女ツクネが狼娘に物申す。
「ネタだけ食べないでシャリもちゃんと食えよな。
「しゃり?」
何それ。解らない。
頭上に?マークを浮かべて、こてんとテイルが首を傾げる。
「酢飯のことだよ。寿司は魚とご飯一緒に食べるんだ。次からはそうしような」
日影は一般常識に疎い相棒に寿司の食べ方を優しくレクチャーしてから、ネタを失ったシャリを手に取って口に運ぶ。
冷めたご飯を食べるよりはマシだが、シャリ単体ってのも中々味気ないものだ。
「そう言うツクネもピザの耳だけ残して食べてるけどね。それでよくテイルに偉そうに言えるな~」
万の容赦ない詰るような発言がツクネに炸裂し、間抜けな少女がばつの悪い表情を浮かべながら日影の方へ視線を向けた。
「あ、あたしはパンの耳が嫌い何だよ。テイルは別にシャリが嫌いで残してたんじゃないだろ。日影、パンの耳やるよ。残飯係だもんな。勿論食べるよな。可愛いくて華奢で気品溢れるツクネちゃんの食べ残しだ。喜んで奇声上げながら味わって食べろよな」
「お前って毎回自分をもて囃すような台詞吐くよな。言ってて恥ずかしくならねぇか?」
「あたしは事実を述べてるからな。ツクネちゃんの美貌の前にはトップアイドルや女優ですら負けを認めて膝を突くんだぜ」
この強大な自信は一体何処から沸き上がって来るんだろう。
ブスじゃないのは認める。確かに可愛い部類に入る顔ではあると思うよ。
ーーでもな、性格と言動に難ありだ。
完璧な美少女になりきれていないのがお前の残念な所であり欠点。
建前を一切使わずに本音で話せるのは誇って良い長所かもしれないが、ツクネの短所はその本音に度が過ぎているという部分だ。
俺相手なら別に気にしないし、いつも通りの口調と態度で接してくれて構わないが、不快に思うやつは少なくないと思うぞ。
現状は気心の知れた万がペアだからとりあえず問題ないだろうけど、ペアの変更がこれから無いとは断言出来ない。
馬の合わない相手と仲睦まじくやっていくには建前も必要だ。
「何だよー。テイルの残したシャリは食べるのに、あたしの食べ残したパンの耳は要らないってか?」
眉尻を下げて分かり易くしょんぼりとした顔を見せるツクネを、不覚にも可哀想に思ってしまった日影は、彼女に対して仕方なしに手を伸ばし、早よ寄越せのポーズ。
「分かった。分かった。食べる。食うよ。食べますよ。食ってやるからそんな泣きそうな顔すんな」
「誰が泣きそうな顔だ!?なってねぇし!」
日影のからかうような台詞が耳朶に触れ、パンの耳が大量に載った皿を手渡す途中で、ツクネの表情は笑顔から不満顔へ変貌した。
ころころ感情の変化する愉快な所は少しばかり可愛いと言えなくもない。
********************
それからの午後の作業は順風満帆に進み、清掃場所はごく僅かとなった。
間近でポルターガイスト現象が展開。
ツクネの発動させた十八番の念動力が周りに散らばるゴミを中空に浮かせる。
彼女が両手を巧みに操り、手を触れる必要もなく超能力による分別ショー。
手を右に動かせば右に。左に動かせば左に。
AVがフィギュアが抱き枕が同人誌が大人のおもちゃが、性欲を満たす物ばかりが次々とゴミ袋にぽいぽい捨てられていく。
変な物ばかりを目の当たりにしたツクネは苦虫を噛み潰したような、軽蔑の眼差しを加藤に向けている。
「すごいなツクネたん。ワイ、超能力者初めて拝見したッスわ。物を浮かすのと動きを止める以外には他に何かできるん?」
「こんなことが出来るぞ」
加藤の要求に応えるように、ニヤリと顔を綻ばせるツクネ。
ケースを失って露出するDVDの円盤が浮かぶ方向へ、右腕を伸ばし意識を集中させる。
右の掌を開き両目が発光。物を握り潰すようなアクションで掌を閉じた瞬間、パキっと何かが爆ぜるような音が連なり、数枚の円盤が中空で粉々になって地に落ちた。
不意、我が子を目の前で失ったが如く嘆きの悲鳴がゴミ屋敷内に轟いた。
「はあ……どうして俺が……」
寝室、廊下、キッチン、居間。
全ての部屋のゴミは余すところなく片付き、加藤の自宅は元の広々としたスペースを取り戻し、残すはトイレと風呂のクリーニングのみとなった。
日影は加藤に命じられ、一人寂しく掃除道具を手にし廊下を歩き出す。
ツクネは念動力の使い過ぎで頭痛を訴え、綺麗になった寝室でお昼寝中。テイルは眠る彼女の頬をつんつんしている。万は殊勝にも各部屋の掃除機がけだ。
ーートイレのノブを捻って、ドアを開いた瞬間、
「うぇ……、此処にもゴミが……くっせ……」
用を足す限定の場所であるトイレに散らばっていたのはポテトチップの食べかけ袋と大量の空のペットボトル。
思わず鼻を塞ぎたくなる強烈な異臭が、本能に従い顔を歪ませる。
これは奉仕作業だ。囚人に与えらた無償の、罰という名の労働だ。看過して帰ることは許されない。この場から逃げられる様な選択肢は用意されていない。
日影は自分に言い聞かせ、乱れる心を静かに落ち着かせる。仕事として割り切り、我慢して汚いトイレ内に恐る恐る足を踏み入れた。そのタイミングを見計らっていたかの様に、ヤツはカサカサと動き出す。
黒一色の体をテカテカ不気味に光らせ、床を這い、時には空を飛ぶ、世界中で耐性を持つのが難しいとされる害虫ナンバーワン。
ーーゴキブリが、やたらと長い触角を激しく揺らし、進行を開始した。
日影は一旦寝室に踵を返し、どんなに気持ちの悪い虫でも平気で摘めるテイルを手招き。
女々しくも女の子にゴキブリの駆除をお願いする。
彼の後ろをてとてと付いてくるテイルは、頼られて嬉しいのか、感情の変化に伴って具現化する狼の尻尾を左右に振っていた。
その可愛らしい尻尾をテイル自身は「アンテナ」と呼んでいる。
それが外に飛び出している間は嗅覚と視覚と聴覚が通常より高まるらしい。
我が物顔でトイレ内に蔓延る大胆不敵なゴキブリは、テイルの握るスリッパの一撃によって呆気なくその命を散らした。
一人で小汚いトイレとカビだらけの風呂を掃除し終えたのはそれから二時間後。
苦労に苦労を重ねて、その日の奉仕作業は幕を閉じた。
奉仕作業内容が何もかも説明されないまま用意されたのは、二台の2tトラックと依頼主の名前と住所の書かれた一枚のメモ用紙だった。
荷台の方を確認してみれば、そこには大量のゴミ袋と段ボール、それと軍手、紐、ホウキ、ガムテープ、などなどが積まれていた。
これは勝手な推測になるのだが、本日俺達に与えられた仕事は一沢に絞られる。
というより、これしか思いつかない。
考えるだけで身の毛がよだつが……やっぱ、あれしかないよなぁ。
日影が2tトラックを走らせ向かっている先は一人暮らしの男の自宅。
隣の助手席にちょこんと座るテイルが、依頼人の簡単なプロフィールを声に出して読み上げていた。
「かとーよしゆき。無職だって。日影、今日ってこの人のお家行って何するの?人生相談?」
「人生相談か。そっちの方がまだ気楽だったろうなぁ」
依頼主=加藤義之。24歳独身。そして無職。
3年前に事故物件を格安で購入し、親の脛を大いに齧りながら日々を生きている。
つまりは仕送り生活ってやつだ。
朝昼晩とフルで陰気臭い部屋に引き籠り、食ったら寝て起きたら食べてを命ある限り繰り返す怠惰な生活を送ってるんだろうな。
肩身が狭い思いをして苦渋の決断をしたに違いない。
日影が運転するトラックの後ろを億劫そうに走っているのは万が運転する同じ車種のトラックだ。助手席には居眠りを決め込むツクネが乗車している。
サイドミラー越しに映る万の表情は日影と同様に浮かない顔だ。
「ゴミ屋敷の片付け。トラックに積まれてた道具から察するにそれで間違いない」
「ごみ、やしき?」
それ、なあに?
とでも言いたげな視線をこちらへ向けて、テイルは首を捻る。
日影は物分りの悪い相棒へ、依頼人の自宅へ向かう途上ゴミ屋敷について力説することにした。
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「あー…………こりゃまたひでぇな」
現状を確認して、目を疑った。正直に真情を吐露してしまった。
一時間近くかけて辿り着いた目的地は一階建ての何処にでもあるような平凡な平屋。
チャイムを何度鳴らしても出て来ないもんだから、試しにドアノブを捻ってみれば、
「ツクネ、そろそろ起きなってば。もう現場着いたよ」
ーー勘が見事に的中した。
不用心にも施錠されていないドアを開いて眼前、最初に飛び込んできたのは寝室らしき部屋へと一直線に続く通路。その上にはぎっしりと様々な沢山のゴミが積まれ、見るも無惨な汚らしいロードと化している。
一瞬でこちらの決意を揺らがせる程度には衝撃的な光景が広がっていた。
トラックの助手席で、アホ面晒して眠り呆けているツクネの姿が案外どうでも良くなるくらいには。
どう生活してたらこんな風になるんだろうなぁ……きったねぇ……。
「これが、ゴミ屋敷?」
「そう。これがさっき話したゴミ屋敷だ」
朝の八時だってのにこの家の主は未だ起床していない様子で、カーテンは閉めっぱなし、勿論電気も点いていない。
ゴミの山に支配された暗い室内には、つい鼻を塞ぎたくなるくらいの異臭が充満している。
この現状を、万に揺すり起こされたツクネが遅れてやって来て中を覗き込んで見ると、
「よし。帰るか。おーい、よろず~。車出してくれ~」
現実逃避して即座に回れ右。
タクシーでも使うくらいの雑さで相棒に呼びかけ、万の運転する車へ向かおうとする。
そうはさせるかと、遠ざかろうとする馬鹿の襟を後ろから掴みにかかった。
「待て。帰ってどうする気だ?奉仕作業を放棄すれば懲罰は間逃れないぞ」
「いい。こんなとこ掃除するくらいなら懲罰受けた方がマシだ」
「お前の勝手な都合に万を巻き込もうとするなよ。ほら、覚悟決めて中入るぞ。ーーあれ、テイルのやつ何処行った?」
少し目を離した途端、隣に居た筈の狼娘の姿が忽然と消失している。
万とツクネに所在を求めるような視線を送ってみても、二人して首を横に振り知らない存じないの合図。
三人が周辺をきょろきょろと見渡していた刹那、
「ひやぁああああああああああっ!!」
その凄絶な悲鳴が、ゴミ屋敷の奥底から響き渡り、全員の鼓膜を等しく激しく振動させていた。
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「へぇ~。君達がワイの部屋を掃除してくれる囚人ちゃん達?ひゃっほう!可愛い子ばっかりじゃん!一人余計なの混じってるけど」
日影の方をチラ見しながら、喧嘩を売るような言葉尻を吐いたのは、ゴミ屋敷の住人の24歳無職、天然パーマとそれなりに肥えた腹が特徴的な男、加藤義之。
さっきの甲高い、女の様な悲鳴は彼の口から飛び出した。
俺がツクネを相手にしているちょっとした隙に、先陣を切ったテイルが寝室でゴミに囲まれて眠っていたこの男の膨れた腹を指で突ついたらしい。
異変に気付いた加藤は超至近距離で己の顔を覗き込んでいる侵入者の存在に気付いた。
「余計な俺が混ざってて悪かったな。こっちだって好きでこんなゴミ屋敷来たい何て思うかよ。嫌々出向いてやったんだ。感謝しろよ」
「はあん?ゴミ屋敷?何処が?」
「此処だよ。此処。アンタの家がだよ。見りゃ分かんだろ」
周りに散乱するゴミというゴミを指差して悪態をつく日影へ、加藤は青髭の目立つ濃い顔を近づけて、
「君が「男の娘」という可能性は?」
そんな、とんでもない願望を口にした。
「ねぇよ!1%もそんな気はねぇ!」
「ひかげ、おとこのむすめって何?」
心底不愉快な戯言を口にされ熱り立つ日影の感情を押さえ止めたのは、テイルのそんな疑問だった。
加藤を睥睨する目を穏やかモードに切り替えて、男の娘とはなんぞやと説明を挟む。
ーー男の娘とは、女の子に見える男のことである。
「ているん。ツクネたん。よっちゃん。ワイは今日一日、君達のことをそう呼ばせて貰うことに決めたわ。ひゃは。何か恋人みたいで良いよね」
日影達四人の自己紹介が済んだところで、加藤による軽薄で勝手な渾名が一人の男子を除いた女子三人に付与される形となった。
万に付けられた「よっちゃん」にツクネがいち早く反応。笑いの感情を堪えきれずに「ぷっ」と吹きこぼす。
「ぷぷ。よっちゃんとか、まるでイカみたいだな」
「それ以上侮辱したら本気で怒るよ。ーーツクネたん」
「うぉ……それが自分に付けられたあだ名って思うだけで滅茶苦茶歯痒い……!」
「何でよ~。ツクネたんすげえ可愛いじゃん」
「うわっ!?やめろっ!放せ!くせぇ!」
渾名の話で万と言い争いになっていたツクネの体に後ろから抱きつくぽっちゃり男。
彼の拘束から逃れようと派手に四肢をばたつかせる男勝りな少女の姿を眺めて日影は思考する。
別段ツクネが見知らぬ男に抱かれることに抵抗を微塵も感じない俺だが、何でも彼んでも仕事の依頼を受けるのは如何なものか。
ーー未成年囚人に仕事を頼む輩は毎年跡を絶たない。それどころか、増え続けているという噂だ。
人件費が一銭も掛からないお手伝いさんを使えるのは個人や会社側からしたら美味しい話だよな。
今回の仕事は便利屋が自分達で引き受けるのが面倒だからと、日影達に丸投げした一件だ。
当然の話だが、彼等の元には楽して請求しただけの金額が全額懐に入る。
不景気が原因で正社員として働くのがより一層難しくなった世知辛い世の中だってのに、それに加えてアルバイトやパートさえ雇う会社が減少しているという取り沙汰が最近耳朶に触れた。
それもこれも俺達の働きが影響を及ぼしていると考えると、多少は申し訳ない気持ちにもなる。
「よし、皆。ツクネたんのことは放っておいて、ちゃっちゃと終わらせて帰ろうぜ。まずはペットボトルと空き缶、それとビンを分別するとこから始めよう。うん。そうしよう」
日影は今にも加藤の毒牙の餌食になりそうなツクネを見限り、テイルにペットボトル、万にビンを集めるよう指示を出した。
ツクネから助けを求める声が掛かるも、三人の誰も手を差し伸べようとはせず与えらた自らの役割に集中する。
「ひかげ、ひかげ。テイルえっちな本みつけた。これ捨てていいの?」
「構わん。どんどん捨てろ。エロ本はとりあえずダンボールにでも放り投げとけ」
「わかった」
「ているん!それは捨てちゃダメー!」
ゴミの山からアニメの同人誌を大量に発見したテイルが、興味有り気にページをぺらぺらとめくっていた。数秒で飽きたのか日影の指示通りにダンボールに本をどんどん投げ入れていく。夜の世話になっているであろう宝物達が容赦無くゴミとして処分されていく様を目にして加藤から嘆きの声が上がった。
「お兄さん、この如何わしい女の子のフィギュアとえっちなゲームは捨ててしまっても構わないかな?大丈夫だよね?」
「いやん、よろろん。照れるからワイをそんな蔑むようなジト目で見つめないで」
「お前の部屋、エロいもんばっか埋まってんだな。つうか、万の呼び方さっそく変わってんじゃねぇか。よっちゃんじゃなかったのかよ。きもちわりーからそろそろ放せよな」
加藤から抵抗することさえ面倒になったツクネは、彼の膝の上に乗せられた状態で体にもたれ掛かりながら万の渾名に早くも変化が生じたことを指摘する。
「やだ。絶対放さないもんね。ツクネたんはワイの嫁」
「勝手に嫁にすんなよな。放さないなら実力行使するぞ。殴るぞ。蹴るぞ」
口ではいくらでも威勢よく言えるが、左手に片手錠を嵌められている彼女に暴力行為は何一つ不可能。
奉仕作業中誰かに危害を加えようものならセンサーが反応し、手首が刹那に切断される。
所詮ははったりに過ぎない。
ツクネの威圧するような眼差しに怖気付いた加藤は、彼女のご機嫌を取ろうと親から毎月受け取っている仕送りを頼りにこんな提案を持ち出した。
「ツクネたん、そんな冷たいこと言わないでよ。お昼にピザの出前取ってあげるからさ、もうちょっとこのままで居させてよ。ねっ?ねっ!」
「ーー寿司とラーメン。それと、フライドチキン」
「ーーへ?」
数秒前の態度とは打って変わり、ツクネは悪戯っぽい笑みを浮かべて加藤に要求を持ち出した。
「ピザと寿司とラーメンとフライドチキン。それで手を打とう」
傲慢な少女の遠慮の欠片もない命令に渋々と加藤は頷いた。
彼女居ない歴24年の彼は女に飢えている。
そのくらいの出費で柔らかでいい匂いのする女の子の感触を味わえるなら安い買い物よ。
ーー午後十二時過ぎ。
粗方寝室の片付けが完了しゴミを踏まずに歩けるスペースができた頃、ツクネの所望したそれらは届けられ、テーブルに豪奢な料理が満遍に並べられていた。
少しも作業に参加していない彼女はそれぞれに分別作業に奮闘している皆を集めて、
「さあ、お前等食え。あたしの奢りだ。遠慮はいらねぇ」
「お前はどっかの国のお姫様か何かかよ……」
日影が呆れた声でそう呟く。
彼にはツクネが座る加藤の大きな体が錯覚で玉座に見えていた。
片付けを全く手伝いもせずに三人が汗水垂らして働く姿を偉そうに見下し、あまつさえ自分の食べたい料理を加藤に好きなだけ出前を取らせた。
これがお姫様じゃなかったら、何だと言うのか。
……というか、この待遇の差は何だ。贔屓にも限度があるだろ。
(まあ、でも……)
テイルの為を思って肉料理まで注文する辺り、コイツも万と同じような優しい心を持っていたんだなと、ただの木偶の坊じゃなかったんだなと、今まで軽視していたことを後悔した。
「あれ……体が動かない……なぜ?」
突然、まるで金縛りにでも掛かったかのように、加藤の体が微動だにしない。
硬直したように停止した体から飛び降りたツクネの双眸が不気味な紫色に発光している。
それに気付いた万は彼女が力を発したのだと直ぐ様見破った。
いつも穏やかで優しい寛大な彼女が、端正な顔だちを歪ませ、不愉快そうな剣幕を作る。
「ツクネ、むやみやたらに能力使っちゃ駄目でしょ。また具合悪くしても知らないからね」
「平気だよ。毎日欠かさず薬飲んでんだ。折角のご馳走が抱かれたままじゃ食べ辛いだろ」
テイルと同じようにツクネと万も普通の人間じゃない。
プールでの奉仕作業時に日影が万に聞いた話は真実だった。
その超能力と呼べる不思議な力は彼が身を持って経験し、疑いようのない本物だと実感している。
悪戯に人の動きを停止させたり、物を宙に浮かせたり、最初こそ半信半疑だった俺も練熟した技のパレードの餌食になった一人だ。
言い争う二人を尻目にテイルはフライドチキンにさっそくかぶり付いている。ほんと呑気な奴。
「この魚美味しい。これなあに?」
フライドチキンを全て一人で平らげたテイルが次に手をつけたのはサーモンの握り。
それのネタのみを手掴みで口に運び堪能の声を漏らしていた。
そんな行儀の悪い、シャリを置いてけぼりにした贅沢な食べ方を見て、超能力少女ツクネが狼娘に物申す。
「ネタだけ食べないでシャリもちゃんと食えよな。
「しゃり?」
何それ。解らない。
頭上に?マークを浮かべて、こてんとテイルが首を傾げる。
「酢飯のことだよ。寿司は魚とご飯一緒に食べるんだ。次からはそうしような」
日影は一般常識に疎い相棒に寿司の食べ方を優しくレクチャーしてから、ネタを失ったシャリを手に取って口に運ぶ。
冷めたご飯を食べるよりはマシだが、シャリ単体ってのも中々味気ないものだ。
「そう言うツクネもピザの耳だけ残して食べてるけどね。それでよくテイルに偉そうに言えるな~」
万の容赦ない詰るような発言がツクネに炸裂し、間抜けな少女がばつの悪い表情を浮かべながら日影の方へ視線を向けた。
「あ、あたしはパンの耳が嫌い何だよ。テイルは別にシャリが嫌いで残してたんじゃないだろ。日影、パンの耳やるよ。残飯係だもんな。勿論食べるよな。可愛いくて華奢で気品溢れるツクネちゃんの食べ残しだ。喜んで奇声上げながら味わって食べろよな」
「お前って毎回自分をもて囃すような台詞吐くよな。言ってて恥ずかしくならねぇか?」
「あたしは事実を述べてるからな。ツクネちゃんの美貌の前にはトップアイドルや女優ですら負けを認めて膝を突くんだぜ」
この強大な自信は一体何処から沸き上がって来るんだろう。
ブスじゃないのは認める。確かに可愛い部類に入る顔ではあると思うよ。
ーーでもな、性格と言動に難ありだ。
完璧な美少女になりきれていないのがお前の残念な所であり欠点。
建前を一切使わずに本音で話せるのは誇って良い長所かもしれないが、ツクネの短所はその本音に度が過ぎているという部分だ。
俺相手なら別に気にしないし、いつも通りの口調と態度で接してくれて構わないが、不快に思うやつは少なくないと思うぞ。
現状は気心の知れた万がペアだからとりあえず問題ないだろうけど、ペアの変更がこれから無いとは断言出来ない。
馬の合わない相手と仲睦まじくやっていくには建前も必要だ。
「何だよー。テイルの残したシャリは食べるのに、あたしの食べ残したパンの耳は要らないってか?」
眉尻を下げて分かり易くしょんぼりとした顔を見せるツクネを、不覚にも可哀想に思ってしまった日影は、彼女に対して仕方なしに手を伸ばし、早よ寄越せのポーズ。
「分かった。分かった。食べる。食うよ。食べますよ。食ってやるからそんな泣きそうな顔すんな」
「誰が泣きそうな顔だ!?なってねぇし!」
日影のからかうような台詞が耳朶に触れ、パンの耳が大量に載った皿を手渡す途中で、ツクネの表情は笑顔から不満顔へ変貌した。
ころころ感情の変化する愉快な所は少しばかり可愛いと言えなくもない。
********************
それからの午後の作業は順風満帆に進み、清掃場所はごく僅かとなった。
間近でポルターガイスト現象が展開。
ツクネの発動させた十八番の念動力が周りに散らばるゴミを中空に浮かせる。
彼女が両手を巧みに操り、手を触れる必要もなく超能力による分別ショー。
手を右に動かせば右に。左に動かせば左に。
AVがフィギュアが抱き枕が同人誌が大人のおもちゃが、性欲を満たす物ばかりが次々とゴミ袋にぽいぽい捨てられていく。
変な物ばかりを目の当たりにしたツクネは苦虫を噛み潰したような、軽蔑の眼差しを加藤に向けている。
「すごいなツクネたん。ワイ、超能力者初めて拝見したッスわ。物を浮かすのと動きを止める以外には他に何かできるん?」
「こんなことが出来るぞ」
加藤の要求に応えるように、ニヤリと顔を綻ばせるツクネ。
ケースを失って露出するDVDの円盤が浮かぶ方向へ、右腕を伸ばし意識を集中させる。
右の掌を開き両目が発光。物を握り潰すようなアクションで掌を閉じた瞬間、パキっと何かが爆ぜるような音が連なり、数枚の円盤が中空で粉々になって地に落ちた。
不意、我が子を目の前で失ったが如く嘆きの悲鳴がゴミ屋敷内に轟いた。
「はあ……どうして俺が……」
寝室、廊下、キッチン、居間。
全ての部屋のゴミは余すところなく片付き、加藤の自宅は元の広々としたスペースを取り戻し、残すはトイレと風呂のクリーニングのみとなった。
日影は加藤に命じられ、一人寂しく掃除道具を手にし廊下を歩き出す。
ツクネは念動力の使い過ぎで頭痛を訴え、綺麗になった寝室でお昼寝中。テイルは眠る彼女の頬をつんつんしている。万は殊勝にも各部屋の掃除機がけだ。
ーートイレのノブを捻って、ドアを開いた瞬間、
「うぇ……、此処にもゴミが……くっせ……」
用を足す限定の場所であるトイレに散らばっていたのはポテトチップの食べかけ袋と大量の空のペットボトル。
思わず鼻を塞ぎたくなる強烈な異臭が、本能に従い顔を歪ませる。
これは奉仕作業だ。囚人に与えらた無償の、罰という名の労働だ。看過して帰ることは許されない。この場から逃げられる様な選択肢は用意されていない。
日影は自分に言い聞かせ、乱れる心を静かに落ち着かせる。仕事として割り切り、我慢して汚いトイレ内に恐る恐る足を踏み入れた。そのタイミングを見計らっていたかの様に、ヤツはカサカサと動き出す。
黒一色の体をテカテカ不気味に光らせ、床を這い、時には空を飛ぶ、世界中で耐性を持つのが難しいとされる害虫ナンバーワン。
ーーゴキブリが、やたらと長い触角を激しく揺らし、進行を開始した。
日影は一旦寝室に踵を返し、どんなに気持ちの悪い虫でも平気で摘めるテイルを手招き。
女々しくも女の子にゴキブリの駆除をお願いする。
彼の後ろをてとてと付いてくるテイルは、頼られて嬉しいのか、感情の変化に伴って具現化する狼の尻尾を左右に振っていた。
その可愛らしい尻尾をテイル自身は「アンテナ」と呼んでいる。
それが外に飛び出している間は嗅覚と視覚と聴覚が通常より高まるらしい。
我が物顔でトイレ内に蔓延る大胆不敵なゴキブリは、テイルの握るスリッパの一撃によって呆気なくその命を散らした。
一人で小汚いトイレとカビだらけの風呂を掃除し終えたのはそれから二時間後。
苦労に苦労を重ねて、その日の奉仕作業は幕を閉じた。
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