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第六十九話(ルナお姉ちゃん)
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少女が通学路を疾走し、その動作に追従して綺麗な銀髪ショートが風に靡いた。
家路を急ぐ教え子の姿を担任が確認したのは、ホームルームが終わってすぐのことだった。
ーー現在午後十五時半。
あと二十分も経過すれば木ノ下慈愛が毎日楽しみにしているドラマの再放送が始まる時間となる。自宅まで十分と掛からない筈の距離を彼女が直走る理由はその一つだけに限定されていない。
ーー学校から、一分一秒でも早く帰りたい。
数ヶ月前に起きたあの日の事件が今でも尾を引いている。
苛めっ子の主犯格、鈴木彩の取り巻き達が日影の正体を吹聴して校内を回った結果、当然クラスにも波紋が生じた。
鈴木が逮捕されたことで虐めは無くなったが、代わりにたくさんの友達を失った。
現状で慈愛へ話しかけてくる相手は陽射輝徒と担任教師であるルナの二名のみ。
悲しみを堪えて気丈に振る舞ってはいるが、親しかった相手に敬遠されるのは辛いし、誹謗され蔑ろにされるのは耐えられない。
幼い少女の脆弱な心は、度重なるストレスに蝕まれ打ち拉がれそうになっていた。
ーーひとりぼっちは嫌だ。
***********************
ーーあれは昨日の夕方、学校から帰ってきてお家で長閑にTVを眺めている時でした。
「気になりますなぁ」が口癖の警部と、何年か置きに変わるパートナーが活躍する人気のシリーズ。
その有名な刑事ドラマの合間に流れたCMの一つが私の目を惹いたのです。
「へぇ……それで?」
「それで?じゃないです。ルナさん、私の話ちゃんと聞いてましたか?」
まるで瑣末な内容だと決めつけたかのような適当な返事に、慈愛がルナの双眸をじっと見つめて口を尖らせる。
彼女が気になったのは、ケータイ会社「モバイルS」の看板キャラクターである「拗ねたアザラシ」略して「スネアザ」が登場する面白可笑しいCMだ。
十月までの数量限定で誰もが貰える「スネアザぬいぐるみ」が欲しいと、自室である離れにルナを呼び出しておねだりをしている真っ最中である。
「スネアザがどうしても欲しいんです」
「あれって確か誰でも貰えるんだよね。あたしが一緒に付いて行く必要あるの?」
「昨日 一人でお店に行ってみたら「パパかママと一緒に来てね」って屈辱的な仕打ちを受けました。遠回しに「お子様」だって罵られたんです。最悪です。私は子供じゃありません」
「いや、何処からどうみても完璧に「子供」でしょ。誰が見たってそう言うと思うけど」
無礼千万な発言に慈愛は「むむっ」と顔を顰めた。
店内の受付前で、あまりのショックで棒立ちになっていたら、ショップ店員のお姉さんに「ごめんね」と声をかけられて、頭を優しく撫でられた。
懐かしい感触を瞑目して味わう。
兄に寵愛され溺愛され盲愛され猫可愛がられてきた経験豊富な妹は、その行為に対しては不快に考えたりしない。
ーーお詫びの飴ちゃんを貰った。
ーー無様にも素直に口へ含んだ。
ーー渇いていた喉を程よい甘さが広がった。
美味しかった。
慈愛は黙考する。
飴を貰った程度で喜び、口元を緩めてしまう自分は子供なのだろうかと。
「とにかくお願いします。一緒にお店に来て欲しいです。いつ向かいますか。今ですか。そうですか。ならさっそく出掛けましょう」
慈愛はルナに縋るように擦り寄って甘えた声で懇願する。
「歌ちゃんとお婆ちゃんには頼まなかったの?」
「歌お姉ちゃんは「BU」お婆ちゃんは「カシコモ」です。CMでは「誰でも」と紹介していますが、お店に行って聞いてみたら、モバイルSで契約してるお客さんに限り配っていると説明を受けました」
ルナは慈愛の話を聞いて「なるほど」と首肯する。
BU。カシコモ。ハードバンク。
この三社で契約している客は、モバイルSに乗り換えないとぬいぐるみを入手するのは不可能。
どうしても欲しい場合は、知り合いや友達に頼み込むしか方法が無い。
「そこで、あたしの出番という訳ですか」
「はい。そうです。ルナさんの出番です。一生のお願いです。私の私用に付き合って頂けませんか?」
大袈裟な台詞を口走り、傍らで瞳を燦然と輝かせながら好転する結果を待ち望む。
まるで哀願するようにせがみ続ける健気な姿を見て、ルナは吐息を漏らし「仕方ないなぁ」と呟いて立ち上がる。
「断って慈愛たん泣かせても後味悪いしね。面倒だけど付き合ってあげるよ」
最近の慈愛の様子を担任として把握しているルナ先生は、彼女に元気がないことを十分過ぎる程知っている。
兄が自分のせいで刑務所に入る結末になったと自責の念に駆られ、周りからは糾弾され敬遠され除け者にされた。
故に、学校ではほぼ一人の生活を送っている。
常に席に腰掛け、空を眺めたり机に象形文字のような落書きをしてみたり。寂しそうにぼーっとした眼差しは虚ろで焦点が定まらない。
憔悴した表情が綻ぶ場面は放課後と休日に限られる。
欲しい物を与えるくらいで少しでも慈愛が元気になってくれるのなら、ルナは協力を惜しまないつもりだ。
***********************
「貰えて良かったね。慈愛たん」
モバイルSのショップに、二人で出掛けたその帰り道。
行きとは違い慈愛の腕の中には、所望していたスネアザぬいぐるみが大事そうに抱えられている。
店員の話によればそれが最後の一つだったようで、あと少し来店が遅ければ入手は難しかっただろう。偶々運が良かったみたいだ。
「はい。良かったです。ルナさんの……えっと、その……」
「ん、なあに?」
言葉の途中で口籠った慈愛の様子に、?マークを浮かべて隣を歩く声の主を振り返る。
その後に紡ぐ筈だった内容の続きをルナが催促すると、慈愛は恥ずかしそうに頬を赤らめ、ゆっくりと口を開いた。
「「ルナお姉ちゃん」のおかげでスネアザ貰えました。ありがとうございます」
思わず、驚きで目を見張った。
その台詞はルナを甚く感銘させ、恍惚の名言となり、気持ちよく鼓膜を震わせる。
慈愛にとって彼女は大好きな兄を取り合い争う仲で、恋敵でしかなかった。
そんな相手を初めて頼れる年上の女性と認め、慕い敬える瞬間が訪れたのだ。
「えっと……慈愛たん、今何て?」
「あれ、聞き取れませんでしたか?」
「う、うん……」
ーー嘘だ。本当は聞こえていた。
しっかりと、はっきりと、くっきりと、鮮明に、尾を引くように。
嬉しさのあまり瞳が潤むくらいに。
「でしたら、何度でも言いますよ」
慈愛の無垢で汚れの何一つない眼差しがルナの心を射止める。
何だか無性に面映ゆくて、はにかんで、上手く顔を合わせられない。気を抜けば顔が簡単に弛緩してしまう自信がある。
「ルナお姉ちゃん大好きです。いつも私を気にかけてくれて、見守ってくれて、構ってくれて、感謝してもとてもしきれません。今日だって私の我儘に付き合って貰いました。一緒の時間を過ごせて嬉しかったです」
これまでルナは、日影の意思を継承するように慈愛の為に徹し、満身の力を振り絞って庇護してきた。
なるべく、出来るだけ、可能な限り、あの子の傍で一緒に居てあげたい。
学校に通うたびに感じるストレスを不安を恐怖を、少しでも取り除いてあげられたらと、校長室へ向かった。
受け持つクラスのトレードを願い出た。
嘆願し哀願し熱願し、必死な無理矢理な交渉と切望の結果、その悲願はやっとのこと成就。
異例の担任変更に児童達は混乱し驚いていたが、慈愛だけは嬉しそうに顔を綻ばせた。
二度と慈愛を苛めの対象にはさせまいと決起し、休み時間に職員室に戻ることもトイレに行くことすら我慢して教室に居座り、監視に目を光らせていた。
鈴木彩の取り巻き達を担当する教師にも相談を持ちかけて、今後は彼女達が三年の教室へ足を運ぶことのないよう厳重な注意を頼んだ。抜かりはない。
給食の時間は二人で屋上に出向き、ルナが早起きして作ったお手製の弁当に舌鼓を打った。
慈愛が毎日楽しみにしていたこの時間さえ、教室に彼女の居場所は消失していた。
他の児童、輝徒以外の皆から敬遠されている慈愛に机をくっつけて仲良く食べる空間は残されていない。
輝徒の気遣いで二人で食べる日もあったが、人気者の彼と毎日二人っきりの昼を囲むのは周りの女子のやっかみの視線で落ち着かず、食べ物の味さえよく分からなかった。
そんな慈愛を不憫に感じたルナの、毎日の愛妻弁当ならぬ「愛姉弁当」作りはスタートを切った。
寝坊して起きられなかった日はコンビニ弁当や外食に誘ったこともあった。
「愛姉弁当だよ」と自信満々に四時起きの愛情たっぷり弁当を差し出した時は「ルナさんは私のお姉ちゃんじゃないです」と完全否定した慈愛。
開いたランチケースの中にはぎっしりと三十個程のサンドイッチが詰まっていた。
食欲旺盛で大食らいの相手を考えて用意されただけあって、過多でたっぷりなボリューム感。
自分のことをよく理解してくれている相手が作ってくれた正真正銘の愛姉弁当だと、一目で察した慈愛の瞳の端に感動で涙が滲み頬を伝う。
ーーひーくんが帰ってくるまでは、あたしが慈愛たんを守ってあげるからね。
初めて愛姉弁当をプレゼントされたあの日、耳朶が鮮明に捉えた、心地の良い声音。
我が子の幸せを心から願う慈母のような優しい笑顔。今は亡き母の面影をルナの微笑みに重ねながら慈愛は作って貰ったサンドイッチを泣きながら口に咥える。
ルナのこれらの懸命な功績は、慈愛の抱えていた悲痛や暗澹、憔悴や疲弊を次第に解消し、困窮していた面持ちに可愛らしい笑顔を開花させた。
「そっか。慈愛たんは、あたしのことが大好き何だ」
続け様に紡がれた感謝の言葉に感極まって、零れ落ちそうになった涙を指で拭う。
ルナが確認のため投げかけた問いに応じた慈愛の返答は、予想を大いに覆した内容だった。
「はい。大好きです。日影お兄ちゃんと歌お姉ちゃんとお婆ちゃんの次に大好きです」
「えー。慈愛たん、そこは嘘でも一番って言ってあたしを喜ばせるところだよ」
「その順位だけは譲れないです。申し訳ないですが、四番で我慢して下さい」
慈愛にとって大切な家族は纏めて一番。
ルナは順番的に言えば「四番目」となるが、提示された三人を除けば返り咲くことはできる。
ーー誰かの一番になりたいと心から願ったのは今回が二回目だ。
金髪と銀髪の少女が、まるで血の繋がった仲睦まじい姉妹のように並んで歩き、じゃれ合いながら言葉を交わす。
家路を目指す合間に慈愛の笑顔は片時も絶えず、二人して笑いあっていた。
家路を急ぐ教え子の姿を担任が確認したのは、ホームルームが終わってすぐのことだった。
ーー現在午後十五時半。
あと二十分も経過すれば木ノ下慈愛が毎日楽しみにしているドラマの再放送が始まる時間となる。自宅まで十分と掛からない筈の距離を彼女が直走る理由はその一つだけに限定されていない。
ーー学校から、一分一秒でも早く帰りたい。
数ヶ月前に起きたあの日の事件が今でも尾を引いている。
苛めっ子の主犯格、鈴木彩の取り巻き達が日影の正体を吹聴して校内を回った結果、当然クラスにも波紋が生じた。
鈴木が逮捕されたことで虐めは無くなったが、代わりにたくさんの友達を失った。
現状で慈愛へ話しかけてくる相手は陽射輝徒と担任教師であるルナの二名のみ。
悲しみを堪えて気丈に振る舞ってはいるが、親しかった相手に敬遠されるのは辛いし、誹謗され蔑ろにされるのは耐えられない。
幼い少女の脆弱な心は、度重なるストレスに蝕まれ打ち拉がれそうになっていた。
ーーひとりぼっちは嫌だ。
***********************
ーーあれは昨日の夕方、学校から帰ってきてお家で長閑にTVを眺めている時でした。
「気になりますなぁ」が口癖の警部と、何年か置きに変わるパートナーが活躍する人気のシリーズ。
その有名な刑事ドラマの合間に流れたCMの一つが私の目を惹いたのです。
「へぇ……それで?」
「それで?じゃないです。ルナさん、私の話ちゃんと聞いてましたか?」
まるで瑣末な内容だと決めつけたかのような適当な返事に、慈愛がルナの双眸をじっと見つめて口を尖らせる。
彼女が気になったのは、ケータイ会社「モバイルS」の看板キャラクターである「拗ねたアザラシ」略して「スネアザ」が登場する面白可笑しいCMだ。
十月までの数量限定で誰もが貰える「スネアザぬいぐるみ」が欲しいと、自室である離れにルナを呼び出しておねだりをしている真っ最中である。
「スネアザがどうしても欲しいんです」
「あれって確か誰でも貰えるんだよね。あたしが一緒に付いて行く必要あるの?」
「昨日 一人でお店に行ってみたら「パパかママと一緒に来てね」って屈辱的な仕打ちを受けました。遠回しに「お子様」だって罵られたんです。最悪です。私は子供じゃありません」
「いや、何処からどうみても完璧に「子供」でしょ。誰が見たってそう言うと思うけど」
無礼千万な発言に慈愛は「むむっ」と顔を顰めた。
店内の受付前で、あまりのショックで棒立ちになっていたら、ショップ店員のお姉さんに「ごめんね」と声をかけられて、頭を優しく撫でられた。
懐かしい感触を瞑目して味わう。
兄に寵愛され溺愛され盲愛され猫可愛がられてきた経験豊富な妹は、その行為に対しては不快に考えたりしない。
ーーお詫びの飴ちゃんを貰った。
ーー無様にも素直に口へ含んだ。
ーー渇いていた喉を程よい甘さが広がった。
美味しかった。
慈愛は黙考する。
飴を貰った程度で喜び、口元を緩めてしまう自分は子供なのだろうかと。
「とにかくお願いします。一緒にお店に来て欲しいです。いつ向かいますか。今ですか。そうですか。ならさっそく出掛けましょう」
慈愛はルナに縋るように擦り寄って甘えた声で懇願する。
「歌ちゃんとお婆ちゃんには頼まなかったの?」
「歌お姉ちゃんは「BU」お婆ちゃんは「カシコモ」です。CMでは「誰でも」と紹介していますが、お店に行って聞いてみたら、モバイルSで契約してるお客さんに限り配っていると説明を受けました」
ルナは慈愛の話を聞いて「なるほど」と首肯する。
BU。カシコモ。ハードバンク。
この三社で契約している客は、モバイルSに乗り換えないとぬいぐるみを入手するのは不可能。
どうしても欲しい場合は、知り合いや友達に頼み込むしか方法が無い。
「そこで、あたしの出番という訳ですか」
「はい。そうです。ルナさんの出番です。一生のお願いです。私の私用に付き合って頂けませんか?」
大袈裟な台詞を口走り、傍らで瞳を燦然と輝かせながら好転する結果を待ち望む。
まるで哀願するようにせがみ続ける健気な姿を見て、ルナは吐息を漏らし「仕方ないなぁ」と呟いて立ち上がる。
「断って慈愛たん泣かせても後味悪いしね。面倒だけど付き合ってあげるよ」
最近の慈愛の様子を担任として把握しているルナ先生は、彼女に元気がないことを十分過ぎる程知っている。
兄が自分のせいで刑務所に入る結末になったと自責の念に駆られ、周りからは糾弾され敬遠され除け者にされた。
故に、学校ではほぼ一人の生活を送っている。
常に席に腰掛け、空を眺めたり机に象形文字のような落書きをしてみたり。寂しそうにぼーっとした眼差しは虚ろで焦点が定まらない。
憔悴した表情が綻ぶ場面は放課後と休日に限られる。
欲しい物を与えるくらいで少しでも慈愛が元気になってくれるのなら、ルナは協力を惜しまないつもりだ。
***********************
「貰えて良かったね。慈愛たん」
モバイルSのショップに、二人で出掛けたその帰り道。
行きとは違い慈愛の腕の中には、所望していたスネアザぬいぐるみが大事そうに抱えられている。
店員の話によればそれが最後の一つだったようで、あと少し来店が遅ければ入手は難しかっただろう。偶々運が良かったみたいだ。
「はい。良かったです。ルナさんの……えっと、その……」
「ん、なあに?」
言葉の途中で口籠った慈愛の様子に、?マークを浮かべて隣を歩く声の主を振り返る。
その後に紡ぐ筈だった内容の続きをルナが催促すると、慈愛は恥ずかしそうに頬を赤らめ、ゆっくりと口を開いた。
「「ルナお姉ちゃん」のおかげでスネアザ貰えました。ありがとうございます」
思わず、驚きで目を見張った。
その台詞はルナを甚く感銘させ、恍惚の名言となり、気持ちよく鼓膜を震わせる。
慈愛にとって彼女は大好きな兄を取り合い争う仲で、恋敵でしかなかった。
そんな相手を初めて頼れる年上の女性と認め、慕い敬える瞬間が訪れたのだ。
「えっと……慈愛たん、今何て?」
「あれ、聞き取れませんでしたか?」
「う、うん……」
ーー嘘だ。本当は聞こえていた。
しっかりと、はっきりと、くっきりと、鮮明に、尾を引くように。
嬉しさのあまり瞳が潤むくらいに。
「でしたら、何度でも言いますよ」
慈愛の無垢で汚れの何一つない眼差しがルナの心を射止める。
何だか無性に面映ゆくて、はにかんで、上手く顔を合わせられない。気を抜けば顔が簡単に弛緩してしまう自信がある。
「ルナお姉ちゃん大好きです。いつも私を気にかけてくれて、見守ってくれて、構ってくれて、感謝してもとてもしきれません。今日だって私の我儘に付き合って貰いました。一緒の時間を過ごせて嬉しかったです」
これまでルナは、日影の意思を継承するように慈愛の為に徹し、満身の力を振り絞って庇護してきた。
なるべく、出来るだけ、可能な限り、あの子の傍で一緒に居てあげたい。
学校に通うたびに感じるストレスを不安を恐怖を、少しでも取り除いてあげられたらと、校長室へ向かった。
受け持つクラスのトレードを願い出た。
嘆願し哀願し熱願し、必死な無理矢理な交渉と切望の結果、その悲願はやっとのこと成就。
異例の担任変更に児童達は混乱し驚いていたが、慈愛だけは嬉しそうに顔を綻ばせた。
二度と慈愛を苛めの対象にはさせまいと決起し、休み時間に職員室に戻ることもトイレに行くことすら我慢して教室に居座り、監視に目を光らせていた。
鈴木彩の取り巻き達を担当する教師にも相談を持ちかけて、今後は彼女達が三年の教室へ足を運ぶことのないよう厳重な注意を頼んだ。抜かりはない。
給食の時間は二人で屋上に出向き、ルナが早起きして作ったお手製の弁当に舌鼓を打った。
慈愛が毎日楽しみにしていたこの時間さえ、教室に彼女の居場所は消失していた。
他の児童、輝徒以外の皆から敬遠されている慈愛に机をくっつけて仲良く食べる空間は残されていない。
輝徒の気遣いで二人で食べる日もあったが、人気者の彼と毎日二人っきりの昼を囲むのは周りの女子のやっかみの視線で落ち着かず、食べ物の味さえよく分からなかった。
そんな慈愛を不憫に感じたルナの、毎日の愛妻弁当ならぬ「愛姉弁当」作りはスタートを切った。
寝坊して起きられなかった日はコンビニ弁当や外食に誘ったこともあった。
「愛姉弁当だよ」と自信満々に四時起きの愛情たっぷり弁当を差し出した時は「ルナさんは私のお姉ちゃんじゃないです」と完全否定した慈愛。
開いたランチケースの中にはぎっしりと三十個程のサンドイッチが詰まっていた。
食欲旺盛で大食らいの相手を考えて用意されただけあって、過多でたっぷりなボリューム感。
自分のことをよく理解してくれている相手が作ってくれた正真正銘の愛姉弁当だと、一目で察した慈愛の瞳の端に感動で涙が滲み頬を伝う。
ーーひーくんが帰ってくるまでは、あたしが慈愛たんを守ってあげるからね。
初めて愛姉弁当をプレゼントされたあの日、耳朶が鮮明に捉えた、心地の良い声音。
我が子の幸せを心から願う慈母のような優しい笑顔。今は亡き母の面影をルナの微笑みに重ねながら慈愛は作って貰ったサンドイッチを泣きながら口に咥える。
ルナのこれらの懸命な功績は、慈愛の抱えていた悲痛や暗澹、憔悴や疲弊を次第に解消し、困窮していた面持ちに可愛らしい笑顔を開花させた。
「そっか。慈愛たんは、あたしのことが大好き何だ」
続け様に紡がれた感謝の言葉に感極まって、零れ落ちそうになった涙を指で拭う。
ルナが確認のため投げかけた問いに応じた慈愛の返答は、予想を大いに覆した内容だった。
「はい。大好きです。日影お兄ちゃんと歌お姉ちゃんとお婆ちゃんの次に大好きです」
「えー。慈愛たん、そこは嘘でも一番って言ってあたしを喜ばせるところだよ」
「その順位だけは譲れないです。申し訳ないですが、四番で我慢して下さい」
慈愛にとって大切な家族は纏めて一番。
ルナは順番的に言えば「四番目」となるが、提示された三人を除けば返り咲くことはできる。
ーー誰かの一番になりたいと心から願ったのは今回が二回目だ。
金髪と銀髪の少女が、まるで血の繋がった仲睦まじい姉妹のように並んで歩き、じゃれ合いながら言葉を交わす。
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