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第2章
第33話 懐かれたい女
しおりを挟む神歴1012年3月3日――ギルティス大陸南東、滅びゆく村。
「おねーちゃん、見つけたーっ!」
どばばばーっ、ばしゅっ。
と、そんな可愛らしい効果音を鳴らして、走ってきた『小さな影』がリアの両足にスポリと張りつく。
張りつめていた空気が、その瞬間にぽよんと緩んだ。
「……なに、またあんた? なんですぐ寄ってくんの? うっとうしいんだけど。ほら、くっつくな。邪魔」
「やだー、くっつくーっ」
面倒くさそうに引きはがそうとするリアと、満面の笑みを浮かべながら楽しそうにそれに抗う小さな影。
突然と訪れたその光景に、緊張と不安に強張っていたアリスの心は鮮やかなほどあっさりとほぐれて和んだ。
彼女は地面に両ひざをつき、目線の高さを『彼』に合わせると、
「可愛いーっ! きみ、年いくつ? 男の子だよね? お名前は?」
「トッドー! ごさいー! おとこー!」
トッド。五歳。男の子で間違いなかった。
それを裏づけるように、すぐさまリアの補足が入る。
「トッド・フィール。村に住む男の子。みなしごみたいなんだけど――嘘みたいに元気だから、あんたも気をつけな」
「気をつける? 気をつけるって何に?」
「何にって……くっつかれたりとか、遊んでってせがまれたりとか、うっとうしいことになるから」
「そんなの全然うっとうしくないーっ! 可愛いーっ! 一緒に遊びたいーっ!」
「……正気?」
正気も正気。
アリスにしてみれば、うざがるリアのほうが理解できなかった。
子供と一緒に遊ぶことほど、楽しいことはない。アリスは子供が大好きだった。
「じゃあ、このコの世話はあんたにまかせるよ。あたし、子供の世話とかよく分かんないし。やらなきゃいけないこともたくさんあるから」
「うん、まかされたーっ! トッドくん、お姉ちゃんと一緒にあそぼーっ!」
破顔一笑、アリスはトッドの身体に手を伸ばした。
が。
「やだーっ! リアおねーちゃんがいいーっ! リアおねーちゃんといっしょにいるーっ!」
「……え」
拒否られた。
思いっきり拒否られた。
数秒置き、改めて手を伸ばすも――リアの足にしがみついたまま、トッドは頑なに彼女のそばから離れようとしなかった。
アリスは、へこんだ。
「うぅ……なんでー? なんであたしじゃ嫌なのー? リアさん、なんでー?」
「……あたしが知りたいんだけど。ほら、あっちのお姉ちゃんとこ行きなよ。あたしはあんたをかまってる暇ないの」
「やだーっ! いかないーっ!」
リアがうながすも、トッドの態度は変わらない。いや、変わらないどころか一層頑なになっているようにさえ感じられた。
アリスは「んがーっ!」と両手を上げた。
「なんでーっ! なんで嫌なのーっ! なんでなんでーっ!」
「……ああ、なんとなく分かった気がするかも」
あきれたように両目を細めて、リアがポツリとつぶやく。
アリスはでも、納得がいかなかった。
一緒に遊びたいのに、抱っこしたいのに、懐いてほしいのに。
アリスは駄々をこねるように地団太を踏むと、
「じゃあ、お菓子あげるから一緒に遊んで―!」
「……なんであんたが遊んでもらいたいみたくなってんの?」
それはアリスにも分からなかった。
いつのまにやら立場が逆に――が、そのことにアリスが気づいた刹那、それは唐突に起こった。
ごぉぉぉんん!
突然と周囲に轟く、大きく重い鐘の音。
奇奇怪怪の始まりが、アリスの耳にも届いて響く。
◇ ◆ ◇
惨殺。
それはまごうことなく、惨殺された死体だった。
村の中央付近に佇む、背の高い見張り台。その場所に備えつけられた大きな鐘はかなりの年代物だが、ブレナの視線がその鐘に張りついていた時間は短かった。
その真下、彼の視線は当たり前のように『その個所』へと自然と流れた。
「一撃。腹を一撃で貫かれている。おそらく素手でだ。普通の人間に、できる芸当だと思うか?」
ジャックに訊かれ、ブレナは即座にかぶりを振った。
「無理だろうな。が、素手だと決めつけるのは早いんじゃないか? 鉄球のようなモノを勢いよく撃ち放って貫いたのかもしれない」
「手持ちサイズの大砲でか? そんな武器は聞いたことがないな。ゼロとは言わんが、確率は極めて低いだろう。手か足か、そのどちらかで貫いたと考えるほうが自然だ。問題は――」
そこまで言って、ジャックが不意に視線を変える。
変えた視線のその先は、ルナの右斜め前方――その位置には、一人の男と二人の女が立っていた。完成度の低い作り笑いをたたえる例の男(名前はレイニー・レインというらしい。二十歳前後に見えたが、年も三十代前半とのことだ)と、新顔二人である。
その『新顔』の一人が、不機嫌そうに言う。
「何よ、その目? まさかあたしを疑ってるの?」
リベカ・アースタッド。腰まで伸びた栗色の髪と、薄紅色の口紅が特徴的な三十手前の女である。
「第一発見者を疑え、というのは捜査の基本だろう?」
「はぁ? 冗談じゃないわ! あたしは村を離れるつもりだったの! それでたまたまここを通りかかったら、クソ野郎のダニエルが殺されてた! 無視しても良かったけど――最後の親切心で、あんたが決めたワケわかんないルールどおりに鐘を叩いてみんなに報せたんじゃない! 好意があだになるなんて最悪の気分だわ!」
「あらリベカ、あなた村を離れるつもりだったの? そんな重そうな荷物まで持って――事前相談なしなんて水臭いわね」
応じたのは、もう一人の女。
彼女は、一言で言うと『派手な女』だった。
ベリーショートの頭髪(色は赤みがかった金――いわゆるストロベリーブロンドと呼ばれるカラーだろうか)に、スラリと伸びたモデルのような白い手足。自己主張の強い真っ赤な口紅も、華のある彼女にはよく似合っている。が、いかんせん、見るからに嫌味なその表情がそれらのプラス要素を根こそぎ無に帰していた。
ステファニー・ゴードン。三十八歳。文字どおりの、ゴージャスを字でいく女である。
「はぁ? ステフ、なんであんたに相談しなきゃなんないの? 友達でもなんでもない、ムカつくだけのあんたに相談なんてするわけないでしょ?」
「あら、ひどい言い草ね。二か月弱とは言え、同じ村で過ごした仲なのに。それはそうと――ジャック様、ダニエルを殺したのがリベカと考えた場合、彼女の行動は辻褄が合いますわよね? だってこのタイミングで村の外に旅立とうとするなんて怪しすぎますもの」
「――――ッ!」
ステファニー・ゴードン――ステフのその言葉に、リベカが両目をむいて反応する。
一触即発。
女同士の取っ組み合いが始まるんじゃないかとブレナが危惧したそのとき、だがその声は響いた。
「おっ、可愛い子発見」
軽薄。
ブレナが振り返ると、ルナの真後ろに(本当に『真後ろ』である)頭の先から足の先まで――さらには表情からちょっとした身のこなしにいたるまで、もう全てが軽薄そうな男が軽々しく立っていた。
これで中身まで軽薄だったら――。
「嬢ちゃん、年いくつよ? 幼く見えるけど、奇跡的に二十歳すぎだったりしない?」
中身まで軽薄だった。
「しません。十五です」
「うっわ、想像してたよりもさらに若かった。さすがに十五はきっついなー。まあでも、イケないこともないか。なあ――」
「すみません、肩に手を乗せるのやめてくれませんか? 気持ち悪いです」
「……あ?」
男の表情が、険しく変わる。
ルナの肩に触れている、彼の右手にわずかに力が加わったのを認めると――ブレナは鋭い声で、
「おい、二秒以内にそいつから離れろ。その汚ねえツラがさらに汚く崩れる前に、十歩下がって両手を上げろ」
「なっ……ちょ、待てって。落ち着けよ。分かった、下がるよ。おら、両手も上げた。これで満足だろ?」
怯んだ男が後方に下がり、言われたとおりに両手を上げる。ブレナはそこでようやくと瞳から闘争の色を除いた。
「……ったく、マジになんなよ。女を見たら、とりあえず誘ってやるのが礼儀だろ? 本気で落とそうとなんざ思っちゃいねえよ。さすがに十五は守備範囲外だ。それに素材はいいが、よく見るとパッとしないカッコしてるしな。シンプルすぎ。オレ、磨けば光るタイプとか興味ないんだよね。光ったあとにしか、興味がねえ」
不満そうな顔をして、男がボソボソと捨て台詞のようなものを並べ立てる。いちいち反応するのも面倒だったので、ブレナは視線の矛先をルナへと切り替えた。
そのまま、励ますように言う。
「気にすんなよ。別におまえはダサくない」
「いえ、ダサいとまでは言われてないです。自分でも思ってないです。思ってないので、もうその話はしないでください。なんかムカつきます」
こっちはこっちで、面倒くさそうな状態に陥っていた。
嘆息し、ブレナは視線をジャックへと戻した。
と、すぐさま、その意図を察した彼が小声でつぶやく。
「デービット・ウォーカー。二十八歳。四人目の村民だ。これで一人を除いてほぼ全員がこの場に揃った。場所を宿屋に移そう。そろそろ、この件にも片をつけなくてはな」
「つけられれば、いいけどな……」
三月の風が、この案件は『難解』だと言わんばかりにブレナの心を吹き抜ける。
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