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第2章
第35話 テレる女
しおりを挟む神歴1012年3月4日――ギルティス大陸南東、滅びゆく村。
午前8時30分――宿屋二階、ステフの部屋。
密室殺人。
ミステリ小説を読む人間なら――否、読まない人間でも、一度は耳にしたことがある言葉だろう。
内側からロックされた部屋の中などで人が殺されており、かつその部屋の中に犯人がいないという状態を指すのだが――ブレナは今、まさにその『密室殺人』とやらを目の当たりに見ていた。
殺されていたのは、ステフ。
殴られたか蹴られたかしたのだろう――白く細いその首は、一撃のもとにへし折られていた。
またしても、瞬殺。が、今回は無論のこと、それにまさる大事が存在する。
「内側から鍵が掛かってた、ってのは事実なのか?」
ブレナは、隣に立つジャックに訊いた。
今現在、室内にいる『生きた人間』は三人。
ブレナとジャック、それに第一発見者である『リベカ』を加えた三人だ。
「事実かどうかは分からない。私は『この女』が言ったとおりのことを貴様に伝えただけだ。私が駆けつけたときには、すでに扉は蹴破られ、密室状態ではなくなっていた」
多分に疑念を込めた眼差しで、ジャックが答える。
受けたブレナも同様の眼差しでリベカを見やったが、彼女の反応は当然のように怒だった。
「あたしが嘘ついてるって言うの!? 冗談じゃないわ! あたしが来たときには確かに内側から鍵が掛かってたのよ! てゆーか、このオンボロ宿に外側から掛ける鍵なんてないし! そういう構造じゃないって言うのも、見れば分かるでしょう!?」
「外からか内からかの問題じゃない。私が疑っているのは、そもそも本当に鍵が掛かっていたのか、ということだ。貴様が殺して、鍵が掛かっていたと嘘の証言をしているのではないのか? 第一、なぜすぐほかの者を呼びに行かなかった? ドアを蹴破る前に、普通は誰か別の者を呼びに行くだろう?」
「心配だったのよ! 昨日、友達でもなんでもない、なんてちょっとキツめなこと言っちゃったから……それで謝ろうと思って訪ねたら、全然返事ないんだもん! まさか、って思って……それで……」
「友達でもなんでもないんじゃないのか? 実は仲が良かった、なんて言うつもりじゃなかろうな?」
「仲は良くなかったわよ! でも、二か月弱とは言え、この小さな村で一緒に過ごせば、少しくらい情はわく! 言い過ぎたことを謝ったり、返事がなくて心配するのってそんなおかしなこと!?」
まあ、確かにおかしなことではない。
ブレナは、そっとジャックの肩を叩いて言った。
「とりあえず、今の段階で決めつけるのはやめよう。彼女が『十二眷属』であろうがなかろうが――この老朽化したドアを蹴破ること自体は造作もないだろうが、判断材料が少なすぎる」
「分かっている。決めつけてはいない。だが、昨日もこの女が第一発見者だった。ミステリ小説じゃあるまいし、怪しい奴はやはり怪しい。シンプルに考えるべきだと、私は思うがな」
シンプルに。
二日後、ブレナは身をもってそれを思い知ることになる。
真実は、いつだってシンプルだ。だが、人は思い込みの中でその真実を見失う。
◇ ◆ ◇
同日、午後1時07分――宿屋二階、ステフの部屋。
ルナはあごの下に右手を潜らせ、黙考した。
なぜ、犯人はわざわざ『密室』という状況を作りあげたのだろう?
扉を蹴破ることなく、室内に侵入することができたのなら――目的を果たしたあとは、そのまま速やかに部屋を出ていったほうが目撃されるリスクは低く抑えられるはず。わざわざ手間と時間をかけてまで、このような密室を作り出すメリットなど何もないはずだ。
それなのに、どうして――。
と、そこまで考えたところで、不意に横合いから怯えたような声が響く。
ルナは思考を止めて、その方向を見やった。
現在、ルナのほかに室内にいるのはアリスとレプの二人。
発したのは、そのうちの一人――ポニーテールの親友だった。
「ルナ―、もうこの部屋出ようよー。死体があると、ゴキブリとか出てくるかもしれないし……」
「いや死体があってもなくても、出るところには出ますよ。死体、あんまり関係ないと思いますけど」
あるかもしれないが。
いずれ――。
「ゴキブリなんて何が怖いんですか? 噛むわけでもないし、刺すわけでもないのに」
ルナは、かんたんに言った。
アリスが、衝撃に両目を震わせる。
「グロテスクじゃないーっ! 見た目がー! あれで噛んだり刺したりしたら十二眷属より怖いーっ!」
「十二眷属聞いたら怒りますよ」
ぶち切れるだろう。
まあ、害虫という意味では人間にとってはどちらも似たような存在(脅威のレベルは雲泥だが)だが。
「じゃあ、ルナは素手でゴキブリ倒せるのー!」
「いえ、素手はさすがに無理です。気持ち悪いです。わたしをなんだと思ってるんですか?」
ひどい偏見である。
スリッパや新聞紙があれば問題なく退治できるが、いくらなんでも素手は無理。
というか、素手であれを退治できる人間などいるのだろうか?
ルナは半信半疑にそう思ったが――思いのほか、でもそれは間近に存在した。
「レプは素手でやれる。アチョーってやって、すぐ終わり。奴らは全然強くない。ただの雑魚」
平らな胸を誇らしげにそらして、レプ。
が、彼女が胸をそらしたことで、頭の上に乗っていたタンタンがズルリと真下へ落下した。
想定外の落下だったのだろう――驚いたタンタンが、ものすごい勢いで壁際までダッシュして、そのまま部屋の外へと走って消える。
部屋の、外へと……?
「タンタンが逃げた。レプは急いで捕獲する。子分の逃走を、レプは許さない」
「あっ、ちょっと待ってー! レプ、勝手に一人で動き回っちゃダメ! ゴキブリも素手で殺しちゃダメ! そんなたくましさいらないからーっ! やめないと、もう一緒に手つないであげないからねーっ!」
「わかったー! レプはもう、素手で奴らを倒さないー! でも、タンタンは捕獲する! なんぴとたりとも邪魔はさせない!」
破壊されたドアを抜け――そう叫びながら、レプが部屋の外へと姿を消す。心配そうにその後ろ姿を見送るアリスとは裏腹、だがルナの注意は完全に走るレプとは別方向に向いていた。
壁際。
タンタンが走り去っていった――否、走り去っていけるはずはないその個所。
近づき、確認すると――ルナはその瞬間にハッと息を飲んだ。
すぐさま、アリスに向かって大声で叫ぶ。
「アリスさん! 来てください! この壁、抜け穴があります!!」
抜け穴。
抜け穴だ。
ただの壁だと思っていたその個所に、直径数十センチの抜け穴が開いていた。
「あーっ、ホントだーっ! 穴が開いてる! けっこう大きい!」
近づいてきたアリスが、同様に驚きの声を上げる。
直後、ルナは這いつくばるようにして、その穴の中に首から上を差し入れた。
「うなあーっ! 何やってるの、ルナ―っ! 通り抜けられるわけないよー!」
通り抜けられるわけない。
それは見れば分かったが、試してみずにはいられなかった。
が、まあやっぱり通り抜けられない。肩の部分で引っかかって、首から上しか向こう側には抜けられない。抜けられない、ということが実験の結果判明した。
「やっぱり無理ですね。ここから侵入することは不可能です」
「そんなの見れば分かるじゃん! レプにだって通り抜けらんないよ! そんなことより、スカートめくれちゃってるー! パンツ半分見えちゃってるよー!」
「いえ、別にそれはどうでも。アリスさんにしか見えてないので」
「そういう問題じゃないーっ! はしたないーっ! 卑猥だーっ!」
「卑猥って……」
ひどい言われようだ。
ルナはしかたなく、首から上を元に戻そうと――して、だが中途でその動きを取りやめる。
取りやめざるを得ない事態が、そのタイミングで訪れたのである。
「……おまえ、なにやってんの?」
声は、上方から。
ルナは、ゆっくりと視線をその方向へと差し向けた。
ブレナ。
金髪碧眼の青年が、ドン引きしたようなまなこでこちらを見下ろしていた。
「……なんですか?」
「いやそれはどう考えてもこっちのセリフなんだが……」
「…………」
アリスは速やかに部屋の中へと身体を戻した。
恥ずかしかった。
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