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第2章
第37話 ざまぁされそうなデービット
しおりを挟む神歴1012年、3月5日――ギルティス大陸南東、滅びゆく村。
午前6時21分――宿屋一階、玄関近くの共有スペース。
アリスは突っ立ったまま、茫然とその光景を見つめていた。
発端は、三十分前。
昨晩のことで動揺し、なかなか寝つけなかった彼女は、珍しく寝坊した。いつもは誰よりも早く目を覚まし、朝に弱いルナやレプを起こすのが彼女の日課となっているのだが――この日は逆にレプに起こされるという失態を演じてしまった。
否、厳密に言うと、失態ではない。そのときの時刻は、まだ朝の六時にもなっていなかった。五時半頃には必ず起床するアリスにしてみれば、多少の寝坊であったのは事実だが――いつも九時過ぎまで爆睡しているレプが、そんなに早い時間に起きていたことがイレギュラーなのだ。
もしかしたら、レプも昨日のことで動揺して――と、アリスは一瞬心配しかけたが、その心配は文字どおり一瞬で終わった。
「子分がまた逃げ出した。レプが昨日、おじぎの練習させたのが気に喰わなかったのかも。急いで捕獲する。アリスも手伝う」
超絶くだらない理由だった。
どっか行っても(けっこうすぐにどっか行く)、勝手に戻ってくるのがタンタンだ。放っておいても間違いなく、いつのまにやら『レプの頭の上』といういつものポジションに収まっているだろう。でも、レプにとってはたとえ短い時間だろうと離れているのはつらいと分かる。
アリスは急かすレプと一緒に、階下へ降りた。そうして、その『現場』の目撃者となったのである(ちなみにタンタンはすぐに見つかった。風呂場で優雅に水浴びをしていた。探す必要ほとんどゼロであった)。
「あたしじゃないわよ!? 最初に発見したのはあたしだけど、あたしがやったんじゃない!」
視線の先で、リベカが必死に訴えかける。その相手はジャックとリア、さらにはそれにデービットを加えた三人だった。
否。
「殺られたのは、宿屋の主――レイニー・レインか。卑劣な行為の罰が下ったと思うほかないな」
「アリスさん、大丈夫ですか? 部屋に戻って一緒に休みます?」
響いたふたつの声に、アリスはハッとして振り返った。
真後ろに、ブレナとルナが並ぶように立っていた。
乱れていた心が、その瞬間に一気に安らいでいくのを自覚する。
アリスは、気遣うように声をかけたきたルナに、
「ううん、平気。ちょっと寝不足なだけ。あたしは元ブレナ自警団のアリス・ルージュだよ。死体見たくらいで、体調悪くなるほどやわじゃないよ」
「ですね。わたしの知ってるアリス・ルージュも、そんなにやわじゃありません」
穏やかな笑みを浮かべて、ルナが力強く言う。
隣のブレナも小さく頷き、
「それにしても、また無残にやられたもんだな。左胸を一撃で貫かれてやがる」
「……うん、瞬殺。今回もまた瞬殺だよ。絶対、十二眷属のしわざだ」
床に大の字になって倒れているレイニー・レインは、左胸を完全に貫かれた状態で事切れていた。
どう考えても、人間業じゃない。人間の力で、できる所業じゃなかった。
アリスはゆっくりと、レイニーの亡骸に近づいた。
ジャックとリアの視線が、一瞬だけこちらを向く。が、彼らはすぐにそれを渦中のリベカへと戻した。
代わりに――。
「おっ、アリスちゃん発見。顔色あんまよくないけど、大丈夫? オレが介抱してやろうか?」
「…………」
デービット・ウォーカー。
アリスはツンと彼から視線を外した。
このヒトは好きではない。チャラチャラした感じも、他人を見下したような態度も、何もかもが受けつけない。ベルとは正反対の、不誠実な男。目を合わせるのも嫌だった。
「……あっ、そう。無視ね。あー無視かぁ。さすがにちょっと傷つくわー。アリスちゃん程度のレベルの女の子に無視されるのはプライドが傷つく」
別に気にならない。
そんなことを言われても、腹も立たないし、気分も悪くならない。嫌いな相手に嫌なことを言われてもへっちゃらだった。
が。
「なんか勘違いしてそうだから、一応教えといてあげるけど、アリスちゃん、別にそこまで魅力的じゃないからね。色気はゼロだし、カッコもガキっぽいし……男はみんな思ってると思うけど、可愛いってだけで、ハッキリ言って女としての魅力は――――がはッ!?」
「――――っ!?」
飛んだ。
ものすごい衝撃音と共に、突然デービットの身体がサイドの壁まで消し飛んだ。
アリスは両目を丸くしたまま、その場でピタリと固まった。
やがて、それに気づいたジャックが、慌てて視界の中へと入りこむ。
彼は、デービットの身体に足刀蹴りを見舞ったばかりのリアへと近づき、
「リア、いきなり何をしてる!? なぜあの男を蹴りつけた!? 私は奴が犯人だと結論しては――」
「犯人だと思って蹴ったわけじゃない。なんか急に、蹴っ飛ばしたい気分になっただけ。加減したから、死んではないと思うよ」
泡ふき、白目をむいているデービットを冷めたまなこで見下ろしながら、リアがたんたんと言う。
まったく理解できない、といった表情で困惑するジャックをしりめに――アリスは、リアの後ろ姿に感謝の念を送った。
(……リアさん、ありがと……)
できることなら、このまま――。
このまま、味方のままでずっといてほしい――アリスは心の底からそう願った。
だが、その願いが叶わぬだろうことも、彼女は同時に理解していた。
ゼフィーリア・ハーヴェイは、敵である。
いつかは戦う、敵である。
◇ ◆ ◇
同日、午後7時36分――宿屋二階、ジャックとリアの部屋。
「なんでおなか見せてんの? 意味分かんないんだけど」
トッドが、突然とリアの前で服をめくって腹を見せる。
ブレナはその様子を、ただぼんやりと眺めていた。
「……どうしたの? ポンポン痛いの?」
「ポンポン!?」
ポンポン。
リアの口から、まさかの単語が飛び出した。
ブレナは思わず、頓狂な声を上げた。
すぐさま、リアが眉根を寄せて反応する。
「……なに?」
「いや別に……」
ブレナは、ぼそりと流した。
流すほかなかった。
と。
「ちっこ!」
間を置かず、トッドが元気に言い放つ。
どうやらおしっこがしたかったらしい。
受けたリアは、面倒そうに片眉を上げて、
「……おしっこ? また? てゆーか、もうおしっこくらい一人でしなよ。できんでしょ?」
「できない! いっしょにきてー!」
「……ったく。ごめん、ちょっとトイレ行ってくる。話、先に始めちゃってていいから」
言って、リアがトッドの手をひき、部屋の外へと姿を消す。
ブレナは、隣のアリスに言った。
「どうした? そんな浮かないような顔して二人を見て。トッドに懐かれてるリアがうらやましいのか?」
「違うーっ! あたしはそんなにひねくれてないーっ!」
心外だと言わんばかりに、アリスが両手を振り上げる。
ジャックが開始の口をひらいたのは、ちょうどそのときだった。
「時間が惜しい。そろそろ始めようか。どちらが『十二眷属』なのか、をこの話し合いで確定させる」
(昨日も、似たようなこと言ってたけどな……)
一昨日も、言っていたような気がする。が、無論それは口には出せない。言い合いとなって、貴重な時間をつぶすだけだ。
ブレナは代わりに、
「なあ、おまえらギルバードから事前知識は得てないのか? あいつなら、どんなタイプの十二眷属がいるか、全て把握してるだろ?」
「してるだろうが、その情報は伝えられていない。ギルバード様のお考えは、我々には到底理解できん。だいたい、今回の任務だって私は――」
「すみません、話先に進めませんか? わたし、気になってることがあります」
脱線しかけた話の向きを、ルナが瞬時に引き戻す。
彼女は続けて、
「ステフさんが殺されたときの、密室についてです。あの密室の存在が、すごく気にかかっています」
「気にかける必要などなかろう。あんなもの、ただの気まぐれだ。あの謎を解明したからといって、犯人に結びつくとは到底思えん。議論するだけ時間の無駄だ」
強引に割って入られたのが気に喰わなかったのか――不機嫌そうに、ジャックが応じる。
ブレナもでも、彼と同じ考えだった。
「まっ、その件に関しては俺もジャックと同じ考えだ。あのあと、おまえが発見した抜け穴から腕を突っ込んだりしていろいろ試したが――結局、中から鍵を掛けた状態で外に抜けるのは不可能だって二人して結論したはずだ。世の中不思議なことは山ほどあるが、その不思議全てに答えを見つける必要なんてない。今回の密室も、解く必要のない不思議だと俺は思うけどな」
解く必要のない不思議。
釈然としないような表情で押し黙るルナを、ブレナはそう言って納得させたが――後になって、彼は自分の出したその結論が間違っていたと気づく。
これは、解く必要のある不思議。
解く必要のある不思議だったと、遅まきながら彼は知る。
遅まきながら――。
この村で過ごす最後の一日が、そうして波乱と共にブレナの元を訪れる。
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