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最終章
第109話 戦いのあと
しおりを挟むトッドは、淋しかった。
ずっとずっと、淋しかった。
淋しくて淋しくて、淋しかった。
目が覚めたら、知らない場所にいて、周りには知らない人しかいない。
お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、お姉ちゃんも、少し前に知り合った優しそうな女神のお姉ちゃんも――誰もいない世界で目覚めて、トッドは淋しくてたまらなかった。
淋しくてたまらない日々を、そうして彼は何日も何日も何日も過ごした。
やがて、彼の意識はプツリと途切れる。
そこから先は、ずっと長い夢を見ているような感覚だった。
夢の中で、トッドは怪獣になって暴れていた。
怪獣はかっこよくて、強くて、一緒になって暴れるのは楽しかったが、悪いこともたくさんしていたので悲しいと思うときも多かった。
でも、怪獣になっていないときは、ずっと淋しいだけの夢なので、トッドは怪獣になっているときの夢のほうが好きだった。
怪獣になっているあいだは、淋しい気持ちを忘れることができたから。
でも。
でも。
でも、今は怪獣になっていないときの夢のほうが楽しい。
リアお姉ちゃんが、いつも一緒に遊んでくれるから。
リアお姉ちゃんが、いつも一緒にお休みしてくれるから。
リアお姉ちゃんが、ずっとずっと一緒にいてくれるから。
だから。
だから。
だから今はまた、早くあの夢に戻りたい……。
◇ ◆ ◇
神歴1012年6月10日――ミレーニア大陸中部、ラドン村。
午前11時37分――ラドン村、宿屋2階の客室。
「……リア、おねーちゃん……?」
目が覚めて、最初に見えたのは『大好き』な顔だった。
その顔が、言う。
そっけなくも優しい、いつもの眼差しで、こちらの顔を覗き込むようにして。
「おはよう。お寝坊さん」
「リアおねーちゃん!」
トッドは、その顔――リアの身体に飛びつくように抱きついた。
リアだ。
リアお姉ちゃんだ。
なんだか久しぶりに会ったような気分である。
トッドはたまらなく嬉しかった。
彼は自分が寝ているベッドの隣をパンパンと左手で叩いて、
「いっしょにねんね! ねんね!」
「……もうお昼なんだけど?」
「おひるね! いっしょにおひるね!」
「……甘えんぼ」
あきれたようにそう言って、でもリアがクスッと笑う。
彼女はトッドの要望通りに、彼と一緒のベッドに横になると、
「どっか痛いとか、ない?」
「ない! どこもいたくない!」
「……そう、なんだ」
リアの目が、ほんの少しだけ愁いを帯びる。
彼女はその瞳のまま、トッドの身体を優しく抱き寄せると、
「……ごめんね、ほったらかしにしてて。これからは、ずっと一緒だからね」
「……うん、ずっといっしょ」
ずっと一緒。
安心と安らぎが、身体中を駆け巡る。
トッドはまた眠たくなった。
彼は甘えるようにリアの身体にしがみつくと、
「……はやく、おうちにかえりたい」
「……うん、おうち帰ろうね。一緒に、帰ろう……」
「……うん、いっしょかえる」
おうむ返しにつぶやき。
トッドは再び、眠りに落ちた。
穏やかな夢の中で見る、楽しい夢がそうして始まる。
◇ ◆ ◇
同日、午前11時39分――ラドン村、宿屋2階の客室前。
「トッドは不死身です。不老不死の存在。どれだけのダメージを負おうが、一時間もすれば元の状態まで完全回復する。何も飲まなくても、何も食べなくてもおそらくは半永久的に生きていける」
ドアの隙間から二人の(リアとトッド)様子を見ながら、ナギが言う。
ブレナは、怪訝に聞いた。
「……試したのか?」
「そんな目で見るのはやめてください。理解不能な生命体を理解不能なままにしておくのはリスクが高すぎる。いろいろとリサーチするのは当然でしょう?」
「…………」
「それに、トッドは聖堂騎士団を計三千人以上も殺している。当人にその間の記憶がなかったとしても、許される行為ではない。個人的な感情のみで話せば、不死の存在でなければこの手で八つ裂きにしたいと今でも思っていますよ」
「…………」
ブレナは、黙った。
見方を変えれば、トッドは確かにただの大量殺人鬼だ。
今回こそ犠牲は出なかったが、前回までは官民合わせて(民の部分はそれほどの数ではないとナギは言っていたが、それはナギたち聖堂騎士団の命がけの働きあってのものなのだろうと考えると酌量の余地は少ない)相当数の死傷者を出していたに相違ない。
多くの部下を失ったナギからすれば、不倶戴天の敵以外の何物でもないだろう。
「無論、それを利用してミレーニアを落とそうと考えた私が言える義理ではないことは重々理解していますが。ですが、個人の感情を語るのは自由でしょう?」
「……いや、悪かったよ。余計なことを言った。おまえの立場からすれば、非道な行いでもなんでもない。当然の行為だ」
一方の立場に寄りすぎては、正否を見失う。
軽々に言えることではなかったと、ブレナは反省した。
◇ ◆ ◇
同日、午後12時3分――ラドン村、宿屋1階の食堂。
四人掛けの丸テーブルを囲むようにして、ブレナたちはランチを取っていた。
ほかにいるのは、ルナ、アリス、レプのいつもの四人である(あ、チロもいた)。
ブレナはタマゴサンドを右手につまみながら、
「ていうか、おまえなんで元気に登場できたんだ? 最高のタイミングで来てくれて助かったけどよ。ハインの奴に半殺し状態にされて、その辺に捨て置かれてたんじゃないのか?」
「……捨て置かれてました。でもリリーちゃんがやってきて、回復魔法で癒してくれたんです。理由は分かりませんが、なぜかお礼も言われました。ほんの十数分前まで敵として戦っていたんですけど……」
「……なんだそれ? 意味分からん。まあ、意味分からなそうな奴には見えたけど」
「おそらく黒マントの男、ハインでしたっけ? その男が裏切者だと分かって、急遽立場を変えたんでしょうけど……。お礼を言われた理由は皆目見当もつきません」
「……まあ、何かしらの意味はあるんだろう。本人の中では。いちいち――」
「なあーっ、話についていけないーっ! あたしたちを置いてくなーっ!」
と、会話の途中で突然とアリスが割って入る。
彼女はいつものように、両手を頭の上にバッと振り上げると、
「二人だけで盛り上がるの禁止ーっ! つまんないーっ!」
「いえ、別に盛り上がってはまったくないです」
盛り上がってはまったくない。
ブレナは短く嘆息すると、視線をレプとチロの二人に向けた。
二人とも、こちらの会話などまるでおかまいなしに、目の前の昼食を競い合うように腹へと詰め込んでいる。
ブレナは連続で、今度は深く長い息を吐いた。
激しい戦いの終わりは、いつも決まって締まらない。
◇ ◆ ◇
同日、午後12時15分――ラドン村、村はずれの小高い丘。
墓と呼べるようなものでは到底ない。
ただ遺体を埋め、その上に申し訳程度の十字を立てただけ。
セーナはその墓の前で、でも真摯に両手を合わせていた。
「いまだに信じられん。まさか、ディルスが……」
背後に立つジャックが、ぼそりとそう吐き落とす。
すぐさま反応したギルバードの言葉は、実に彼らしいシンプルなそれだった。
「奴よりも強い敵がいた。それだけの話だ。満足して逝ったと、私は思っている」
セーナも、そう思う。
戦いの中で、自分よりも強い者に殺される。
それはディルスが望んでいた、最高の『最期』だったに相違ない。
でも――。
(……早すぎでしょ? もっとおじいちゃんとかになってから、その理想の最期迎えなさいよ。心の準備とか、できてないっての……)
彼らしいといえば、彼らしいのだが。
セーナは、両目を開けて空を見上げた。
雲ひとつない晴れ間から、しずくが一滴頬を伝う。
彼女はもう一度、目を閉じて祈った。
これ以上、涙が流れてしまわぬように――。
◇ ◆ ◇
同日、午後12時37分――ラドン村、宿屋前の広場。
「一年前に、聖堂騎士団の隊長各二人を殺ったのは、奴だったのだろうな」
ナギは、言った。
隣には、かつての半身――邪王ナミが立っている。
自分とよく似た、けれども何もかもをが違う甘ったれな片割れ。
その片割れが、相変わらずのピントがズレた言葉を吐き落とす。
「それに気づけなかったわたしの責任でもある。気にしてはいない」
「気にする? 何を勘違いしている。私は別に謝っているわけではないぞ?」
「…………ッ」
ナミの両頬に、ほんの少しだけ赤みが差す。
早とちりを恥ずかしいと思ったのか、あるいはたんに腹が立ったのか――どちらかは分からないが、彼女はそのまま、こちらからぷいっと顔を背けた。
やれやれと、ナギは鼻息を落とした。
細かな部分は、千年前から何も変わっていない。
千年前――空に浮かぶ、永久不滅のあの島で、共に暮らしていたあのときから。
ナギはもう一度、今度は口から鉛の息を落とした。
そうして、最後に言う。
それは数百年ぶりに放った、短くも特別な二文字だった。
「そのすぐにヘソを曲げる癖は、いいかげん改めるんだな。ナミ」
たまにはそう呼んでやるのも、悪くはない。
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