次期ご当主様の花嫁選び

ツルカ

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若君様と鬼の気配(3)

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 若君様――犀河原慧十郎様は、とにかくまず、見目麗しい。

 すらりと背は高く、だけど頭は小さくて、少し女性的なほどに色白の顔は細面なのに、意思の強そうな凛々しい眉と黒い瞳が、彼が逞しい男性だと思い出させる。

 聡明な眼差しも、余裕のある笑みも、はらりと頬にかかる長めの黒髪も、完璧なその肉体の首筋に見え隠れする色香も、全てが彼の魅力だ。

 だけど――。

 私はたぶん知らなかった。
 彼の圧倒的な存在感は、理由があるものだったんだって。

 今、私の片手を大きな手でぎゅっと握りしめている若君様は、私の隣で猪瀬くんの部屋の扉を見つめている。

 手を繋いでいるからなんだろうか。彼の存在を、その熱を、その肉体から立ち上るサイキを、私は感じている……気がする。

 ――怖い。

 若君様は美しい形をした唇の口角を少しだけ上げる。妖艶な笑みが浮かぶと、ぶわりと、私の体が震える。

 ――これは何?

 本能が、何か圧倒的な存在に触れて、怖がっている。いいものじゃない。まがまがしくて、人を害するたぐいのもの。

 彼のうちから立ち上る、尋常じゃない力を、私は初めて感じている。

「さて……我が旧友は、どんな顔を見せてくれるのかな」

 クスクスと笑いを漏らすと、若君様は一歩前へと足を踏み出す。

 私は何故だかひやりとするような気持ちをもてあましながら、若君様について行く。

 コンコン、と若君様が扉を叩いて声をかけるけれど、案の定返事はなく、若君様は当たり前のように扉を開けた。

 部屋は暗くて、よく見えない。

「点けますか?」
「ああ」

 陽奈の言葉に若君様が答える。点ける、という言葉の意味はすぐに分かった。

「光よ照らせ」

 陽奈の掛け声とともに部屋の中に灯りがともる。
 小さな光がふよふよと部屋の中を漂う様子は幻想的で、私は魔法のようだな、と思う。

 異能力が使えない私には、いつまで経っても物語の中のファンタジーな現象のように思えてしまう。

 明るさにも目が慣れてくると、部屋の奥のベッドに丸くなる人影に気が付いた。

 黒のスエットの上下を着た若い男の子。膝を抱えて顔を伏せている。彼が猪瀬くんなのかな。

「……『INO』来たよ。『moon』だよ」

 陽奈がそっと声をかけた。
 moon?

「陽奈、moonって」
「ハンドルネーム。私はネットだと、月にちなんだ名前よく付けるの」

 月に?陽奈が?
 不思議に思っていると、陽奈はふふと笑う。

「ずっと、美月ちゃんみたいになりたかったから」

 私?どうして?
 思わず黙り込んでしまうと、若君様の声が響いた。

「俺にもそれは分かるな」
「……まぁ!気が合いますね」

 楽しそうに笑いあう二人を見て頭にハテナが浮かび続ける。

「……うるさい。……うるさい、うるさい、五月蝿い!!」

 ベッドの上の猪瀬くんが頭をかきむしる。

「出てけ、来るな、邪魔だ、出て行け……!!」

 そう叫びながら顔を上げた猪瀬くんの目は、真っ赤に染まっていた。尋常な顔付きではなかった。悲鳴をあげそうになると、若君様が私の手をぎゅっと握る。見上げると、若君様は安心させるように微笑んだ。

「これは猪瀬ではない、妖鬼に憑かれている」
「妖鬼……」

 先程若君様は、妖鬼は鬼ではないのだと言っていた。異能力の成れの果てなんだって。

「我ら犀河原の血を引く者たちは、皆、いつ妖鬼を作り出しても、また妖鬼に飲み込まれてもおかしくない」

 作り出しても、飲み込まれても……?

「なぜなら」

 若君様は妖艶な笑みを浮かべ言った。

「俺たちは、かつてこの世界に存在した、最後の鬼の子孫だからだ」

 最後の鬼の子孫?

 意味が分からなくて陽奈を見つめたけれど、彼女も驚いたように若君様を見上げていた。

 若君様はそっと繋いだ手を持ち上げると、もう片方の手でわたしの手の甲を撫でた。

 ぞくりとして体を震えさせると、若君様は頬を染めるような笑みを浮かべる。

「美月さん。少しここで待っていて。すぐに終わるから」

 は、い……、そうかろうじて答えると、彼は満足したように手を離して、猪瀬くんに向き合う。

 猪瀬くんは荒い息を繰り返し、若君様を睨んでいる。

 一歩、若君様が前に踏み出すと、猪瀬くんが叫んだ。

「来んな、暴君が!」

 驚いて息を呑む。暴君。若君様の事だろうか。

「人の心のない鬼が!お前に、俺の苦しみが分かるのか!」

 猪瀬くんの叫び声と共に、目の前の景色が赤くなった気がした。世界に、赤いフィルターが掛けられたように見えるのだ。

 ――どくん、と心臓が痛くなる。

 え、なに?動悸が止まらなくなる。不安と恐怖が心を駆け巡る。この真っ赤な景色を知っている気がした。これは、子供の頃に見たものだ。

 子供の頃――そう、あの日、両親の亡くなった事故の日と『同じ色』だ。

「これは赤の妖鬼」

 若君様は振り向かずに言った。

「君はかつて、これを見たことがあるはずだ」

 両目から、ぼろりと涙が溢れ出た。
 若君様の言葉の意味を理解していない。なのに、悲しくて、想いが溢れるように、涙が出てきた。

「……はい」

 答えてから、ああ……と思う。
 そうだ、私は知っていたんだって。
 『ずっと忘れていた』
 そのことを思い出して行く。

 犀河原の血を引く異能力者たちは、妖鬼にいつ襲われてもおかしくない。普通は、大人になれば能力者たちは妖鬼を払うことが出来る。

 けれど……あの事故の日。
 赤の妖鬼に襲われた。
 異能力者の血を引くのは、父と私だけだった。私には異能力は使えない。そして父もとても弱い。運転中だった。上手く対処を出来なかった。両親は……亡くなった。

「……思い出しました……!」

 溢れる涙をぐっと堪えて言った。どうして、こんな大事なことを忘れていたんだろう。おばあちゃんも言っていたのに。『お前の父親は弱いから亡くなった』あれは、異能力のことだったのだ。

 若君様がゆっくりと私を振り向いた。
 漆黒の瞳が私を捉えて揺れる。

「美月さん」

 心の深いところに響くような、若君様の声。

「恐ろしくはない。我らはもう、鬼ではない」
「……」
「見てるんだ」
「……はい」

 若君様は微笑むと、いい子だ、と小さな声で言った。

「ひい!?」

 突然、世界から赤色が消え失せ、黒色に変わった。モヤが掛かったように視界が霞む。猪瀬くんが怯え出した。

 若君様は歩き進むと怯える猪瀬くんの前に立ち、彼を見据える。冷たいまるで見下すような眼差しで。

「猪瀬……久しいな。俺を覚えているのか?」
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