次期ご当主様の花嫁選び

ツルカ

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それは生涯ただ一度の・上(side慧十郎)

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 長く海外で暮らし、もう本家には戻らなくてもいいのではないかと思えてきた頃。

 二度と会うつもりのなかった『彼女』が一族の高校に進学するのだと知った。帰国を決めることを、俺は不思議なほど迷うことがなかった。






 彼女に会うのは5年ぶりではない。彼女に気付かれぬように会いに行っていたからだ。最後に姿を見てから、2年と少しぶりだった。

「若君様……」

 高校の裏庭で、お弁当箱を膝に広げている彼女は少し惚けたようにそう言った。

 一族の子供らは俺をそう呼んでいる。
 他人行儀なその呼び方に、自分の犯した罪を突き付けられるようで、少しだけ足がすくんだ。

「……俺のことを、知っているのか?」

 記憶を失っていても、犀河原の息子としては認知されているのか。こくりと頷く彼女に何食わぬ顔をして言った。

「俺は、犀河原慧十郎。一族の者に、順番に挨拶をしてるんだ」

 一度は別れを告げた彼女に、俺はまた残酷なことをしているのかもしれない。そんな想いが浮かぶ。けれど必要以上に近づくつもりもなかった。

「それはそれはわざわざ……ご挨拶が遅れまして、私は小石美月です」

 出来るだけさりげなさを装って、彼女の望みを聞き出す。
 一族の皆にヒアリングなどはしていない。必要があれば行うが、彼らは子供の頃からの知己であり、挨拶が必要になる者など他にはいない。
 実際、数年前にそんなことをしていたのなら、彼女の妹が苦しんでいたと言うときに戻って来ただろう。

 彼女は、自分と妹が穏やかに平和に卒業出来ることだけを望んでいるようだった。

 可能な限り望みに応えられるよう努めることを伝えると、彼女はほっとしたように微笑んだ。

「おにぎりを一つ食べませんか?」

 唐突にそんなことを言い出した。

「……おにぎり?」
「食べるのが遅い私にはもう、おにぎりを食べ切る時間がありません。もし何もお腹に入れていないようでしたら食べて頂けるとありがたいのですが」

 俺はそれを食べたことがあった。
 姿も名前も変え、彼女の中学に潜り込んでいたときのことだ。部活動への差し入れとして彼女が度々持ってきてくれていた。

 一般の暮らしを学んでくることは当主の命令であったけれど、しかし、俺がどの学校を選ぶかまでもきっと彼の予想の範囲だったのだろう。

「ありがとう」

 受け取ると彼女は幸せそうに笑った。
 裏も表もなく、純粋な好意として向けられる笑顔がこそばゆく、目を逸らしたくなるほどただ眩しく感じた。







 そんな時、彼女の妹が言い出した。

「今までの部に、美月ちゃんと一緒に入りたいのです」
「今までの部……?君たちが?」

 何を考えているのかと訝しむような視線を向けると、小石陽奈はにんまりと笑った。
 この子は、生徒たちから間違った噂を流され苦しんだはずだ。俺の知らぬ間とはいえ、俺の花嫁候補として女生徒たちから辛く当たられていたらしい。

 そして小石陽奈が俺に特別な意識を向けてくるようなこともなかった。そんな子がわざわざ近づいてこようとするはずはないのだが、なぜ。

 強い異能力者だけの部活動、そんなものには入れないと彼女は恐縮しているが、彼女の妹の方が積極的に言い募る。

「美月ちゃん、部活入ろう。一緒に! 美月ちゃんの能力、私知りたいよ……!」

 何か思い出したのだろうか、そう思わないでもなかったが、他の意図があるのかもしれない。

「……一緒に活動してくれると、俺は嬉しい。可能な限り、問題が起こらないように対処しよう」

 答えを逡巡しながらも、気が付くと素直な想いを口にしていた。








 それからも彼女は、『若君様』としての俺に、笑顔とともに気遣いを分け与えてくれた。

 なぜ彼女が微笑むと、心が踊るのだろうかと俺は考えた。
 きっと、罪悪感のせいなのだろう。笑顔でいてくれることで、罪の意識が薄れるのだろうと。







 俺の体内に溢れる膨大なサイキは、人の肉体には過ぎたものであった。力を維持し行使するだけで、文字通り、異能力が肉体を喰らっていくように生命力を消耗した。

 『我らは人になれなくては、訪れるのは死のみ』

 言い伝えられている言葉の意味を、自らの体で知って行く。人として生まれたはずなのに、鬼の力が強すぎて、俺はきっと人としては死ねないのだろう。

 自覚したのは海外で暮らすようになってからだ。

 死期が近づいて行くのを感じ取るように、眠りが浅くなり、睡眠時間が減っていた。意識は常に覚醒しているのに疲労は抜けない。ふとしたことで体調を崩す。最近はもう、人であると言えるのか分からぬほど眠っていなかった。

 棺桶に片足を突っ込んでいることを自覚していた。けれど生きることすら望んでもいなかった。ただ運命として、最期を迎えるその時を待っていた。

 そんな俺の意識は――彼女に触れたとたん、一瞬で塗り替えられた。







(なんだこれは)

 体を巡る、圧倒的な幸福感。
 細胞が生き返るように、心も身体も再生して行く。息も出来ぬほどの煌びやかな光の渦の中に引き込まれ、俺は意識を失った。

「……累、何が起きた?」
「急に眠った。二分くらい。それだけだ」
「……眠った?」

 彼女に触れ、その力を感じ取るだけで、俺は抗えずに眠りに落ちてしまう。そして、抵抗もできぬ間に身体を『治され』てしまう。

 その時に俺はやっと気が付いた。

 『妖鬼か――』

 鬼の子孫に引き継がれていくサイキと呼ばれる異能力。それが人の思念と混合し、ついには人の身から離れ、制御出来くなった力の成れの果ては、怒りを持つように我らを襲う。それを妖鬼と呼ぶ。

 俺は身体の中に、自覚も出来ぬうちに妖鬼を育んでいたのだ。誰にも気付かれることもなく。なぜならそれは、俺自身しか攻撃することのない、俺自身が作り上げた妖鬼だからだ。

 自分で作り上げた妖鬼を自分で払うことは難しい。意識の奥に入り込んだそれを自覚することが困難だからだ。ましてや、体内に妖鬼を育むことが出来るのは先祖返りと呼ばれる膨大なサイキを持つ存在だけ。払えるのも同等の存在だけだろう。

 文献に残されていた彼らが子供時代を抜け大人になることが難しいと言われていたことを、やっと理解した。

 そして彼女は、まさに『希望の子』。

 万華鏡のように、体内にあらゆる色のサイキを抱え持っていた。その光の中に、ただ優しく、色を失ったサイキたちを溶かしては再び輝かせて行く。妖鬼すら、気付かぬうちに溶かして消してしまう。

 子供の頃にそれに気づけなかったのは、俺がまだ体内に妖鬼を抱え持ってはいなかったからだろう。

 彼女は俺の思惑になど気付かず無邪気な笑顔で言った。

「一体どれだけ眠れないのか分からないですが、ご病気になってしまいますよ。そんなの心配です。放課後のほんのちょっとじゃ足りないでしょうけど、それでも、休んでくださると嬉しいです」

 おれは彼女の性質を、あらゆる意味で初めて知った気がした。

 自分の時間を削られ、よく知らない異性と2人きりに置かれ、迷惑にしかならないはずのことなのに、彼女にはまるで関係のない手助けを積極的にしてくれようとする。

 子供の頃、自分に懐く少女の存在に、心の中の何かが満たされた。
 だがその少女の心のうちまでも見つめたことはなかった。

 そして俺自身が、この少女を知りたいと強く望んだのは、たぶん今が初めてだった。







 頭から彼女の笑顔が離れない日々が続く。
 こんなことは、今まではなかった。意識すれば彼女のことを考えないようにして生きてこれたからだ。

 視線が彼女を追う。
 累に気付かれる。奴は心の機微にさとい。

 距離を保ちながらも、触れ合うことにも抗えない。
 あれは確かに、誤算だったのだ。彼女のために必要以上に近付いてはいけない。なのに、俺にはもうやめることができなかった。

 己の死を待つだけだった肉体に、これ以上もない快楽が与えられる。ほんの少しずつ再生されていく身体は、まるで生きることを渇望していたかのように、喜びで震え上がる。

 このままではいけないと自分を戒めれば、体調崩す。
 彼女に迷惑をかけぬようにするには、己の肉体を朽ち果てさせるしかないのか、そんな風に考えていると、彼女は幼い頃のように犀河原本家の俺の自室に飛び込んできた。

「慧十郎様……!どうぞ横になっていて下さい。起き上がらなくて大丈夫です!」

 熱に冒され夢を見ているのかと思った。
 己の願望が形になったのかと――俺の美月が戻ってきてくれたのかと。

 俺の……美月?

 浮かんだ思考に息を呑む。そして身勝手な欲望に吐き気がする。

 けれど俺は確かに、心から望んでいたのだ。俺のただ1人の、家族になりたいと望んだ少女が、明るい笑顔を浮かべあの時のように俺に駆け寄ってくれることを。ずっとあの時から、心の底では自ら捨てた少女を望んでいたことを知る。

「具合の悪いときは、誰かを頼ってもいいと思います。元気になられたら、今度は、また誰かを助けてあげてください。そう言うものなんですよ」

 打ちひしがれる俺に、彼女は優しげに言う。
 そうか、と思う。彼女らしい思考だ。巡るものとして考えているのか。

 俺にも、彼女を助けることは出来るのだろうか。

「手を……」

 手?と彼女は不思議そうにしていたが、俺は縋るように彼女の手を握りしめた。彼女は振り解かなかった。抗えない幸福感が俺の肉体を襲う。圧倒的な力が俺の身体を再生させていく。

 そして子供の頃の夢を見た。
 それがいけなかった。精神感応だ。彼女もまた、子供の頃の俺の夢を見てしまった。

 いや違う、俺はどこかで望んでいたのだろうか。彼女に思い出させたかったのだろうか。

「子供の時、病院で……手を繋いでくださってありがとうございました。あれは慧十郎様だったんですね」

 あれは、俺たちの出逢いの日。
 彼女が事故にあったあと、病院で苦しげに眠るようすを見て、俺は人生で初めて人間に興味を持った。

(似合わないな)

 子供の俺は何故だかそう思った。輝くように鮮やかなサイキをその身に持ちながら、哀しみを堪えられずに泣きながら眠る少女。

(こんな風に生きる子じゃないのに)

 彼女の身体の中を巡るサイキのように、輝くように生きるのが似合うのに。

 それは子供の気まぐれだった。それを押し通せる環境と力があった。俺は彼女を輝かせるまでそばにおくことを決めた。

「礼を言われるほどのことじゃない」

 けれどそれは叶わなかった。
 振り回し悲しませた記憶を、思い出させてはいけないのに。
 それなのに彼女が微笑むと、今は彼女に触れていないのに、まるで心が再生されていくように充たされていくのを感じていた。
 
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