そして今日も、押入れから推しに会いに行く

ツルカ

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サースティールート

終業式と伝えたい気持ちの日

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 夏休み前の最後の登校日。
 午前中だけで帰れるとあって、終業式が終わると教室の中は夏休み気分の生徒たちのおしゃべりで溢れる。

 まだ高校一年生の夏休み……。
 勉強に明け暮れて過ごすなんて言っている人はいなくって、バイトや遊びの予定でいっぱいみたいだ。

(私も本当だったら、公式お布施の為にバイトの予定をめいいっぱい入れる予定だったんだけど……)

 なのに、いつから気持ちは変わっていたんだろう。

(もうゲームの世界で、サース様に会わなくてもいいって思ってる)

 二年前から大好きだった乙女ゲーム『二つの月の輝く下で……』。
 攻略対象者の一人だったサースティー・ギアン様に恋をした。
 恵まれない生い立ち故に孤高に生きる彼の、その言葉や行い全てに私の心は奪われた。
 彼に恋する日々は、私に毎日の小さな幸福をもたらしてくれるようだった。
 寂しい日々を、辛い出来事を、優しく包み込むような温かさを感じていた。

(今思うと……あれは憧れの気持ちも強かったのかもしれない)

 大好きな人のように、強くなりたいって。
 そうして私に力をくれた彼にも、幸せになってもらいたいと、心から願っていた。

(まさか、その気持ちが本当に通じてしまうなんて思ってもいなかったけれど……)

 ある日ミュトラスと呼ばれる神様のような存在の、その使いがやってきて、私の願いを叶えてくれた。
 私の願い、それは……サース様の姿が見たい、というもの。

(新規スチルが見たいって言う欲望いっぱいの願望だったはずなのだけど……)

 ミュトラスの使いは、現実の私の部屋の押入れと、ゲームの世界を繋げてしまった。
 そうして私は……本物の彼と出会うことが出来てしまった。

(だけどそこは、本当はゲームの世界ではなかったんだ――)

 ミューラーは双子世界だと言っていたけれど。
 二つの世界はとても良く似ていて、でもこっちの世界にはない魔法が向こうの世界には存在していて……。ゲームなんかじゃない、どこか違う世界にある、確かに生きている彼が存在する別の世界だった。

(後から分かるのだけど、私がやった乙女ゲームはサースの家の子孫が夢の影響で作ったもので、私はそのゲームに導かれるようにもう一つの世界へと行っていたんだ……)

 そしてそのゲームも……子孫の夢も……結局は、もう一人のサースの願いから作られたものだった。

 “もう一人のサース”――

 一度滅びた……孤独なまま死んで魔王と呼ばれる存在となった、永遠に独りぼっちのもう一人のサースが最後に願った、とても綺麗な願いの想い。

 それは世界を再構築すること……。

 “彼”が居なかったら、私とサースは出会うこともなかったんだ――

 暗闇の中に閉じ込められるように生きる彼を思い出すだけで、胸が締め付けられるように痛くなる。
 じわっと涙が浮かんで、ふと思う。

(私のサースも、もし“彼”と同じ魔王になってしまったとしたら……)

 もしも、私たちが世界が滅びることを止めるのを間に合わなかったときには……サースのことだから、またとても綺麗な想いで願うのかもしれないなって思う。

 あの人は気が付いていないけれど、いつだって自分を捨てて他者の為に願える人なんだ。
 きっと何度でも繰り返し、同じ願い事をするんだろうと思う。

 ――この哀しみを世界に与えないで欲しい、と――

 だけど……。
 もしもそうなったとしても。

(もう一度世界がやり直されることがあったとしても……何も出来なかった私は、きっともう、次のサースには出会えないんだろうな……)

 なんとなくそう感じていた。
 だって、世界を構築し直そうとして、最適なパーツとして呼ばれた私が何も出来なかったとしたら、それは、必要がない存在だったということ……。

 だけど、本当はやり直しと言われてもよく分からなかった。

 今生きて感じている、この瞬間も全て無かったことにされてしまうのかな……。
 双子世界であるこっちの世界もやり直されるのかな。
 ……あれ?
 そういえば双子ってなんなんだろう。
 よく似ている世界だってミューラーが言っていたことがあったけれど……。
 双子なのに、もう一つの世界が滅びてもこっちの世界だけで存続し続けることは出来るの?

「……っ」

 考えてはいけないことを思いついてしまった気がして心臓がドキドキとしていた。

(考えれば考える程わけが分からないよ~~~)

 足りない頭を自覚している私は、ガクリとうなだれ、後はサースに聞いてみようと思った。
 私が一人で考えて答えに辿り着けたことなんて一度もないんだから。

(夏休みは出来るだけサースのところに行きたいな……)

 プールだ、花火だ、バイトだ、デートだ、合コンだ、と騒がしい友達たちの会話を小耳に挟みながら、私はそんなことを思う。

(皆とは少しだけ違うけれど……私の夏休みは大変なことがあっても、きっと幸せなんだ)

 彼の側に居られること以上に幸せなことなんてないなって、ずっと思ってる。

 そうして友達と夏休みの予定を少しだけ話し合って、街で久しぶりにランチを友達と一緒に食べてから、私は帰宅した。








 お昼過ぎに帰宅して、自分の部屋からサースに連絡をすると、まだみんなと一緒に王宮に居るとのことだった。

『そこに飛んでいいの?』
『ああ』

 皆の前に出るなら今日は抱きつくのは自重しよう……と、私は少しだけ遠い場所にいるサースを思い浮かべてから魔法で飛んだ。

 ぱちくりと目を開けると、そこは昨日と同じ王宮の豪華な応接間のような部屋だった。

 サラリ……と艶やかな黒髪が輝いている。私の数歩手前にサースの後ろ姿が見える。
 皆はソファーに座って話し合いをしているみたいだった。

(薄々気が付いていたけれど……限りなく狙った場所に正確に飛んで来れたんだな……)

 つまり今までずっと狙いを外さずサースの胸の中に飛び込んでいたということなんだけど。
 後悔はしていない、むしろそんな自分を褒め称えたいけれど、でもやっぱり……すっごくめちゃくちゃ恥ずかしい……。

 振り返ったサースは、赤面している私を少しだけ不思議そうに見下ろした。

「砂里……?」

 そう言うとサースは私の元に歩いてきて、その長い腕で私を強く抱きしめた。

(ひえ~~~~~~?)

 遠いところに着いた意味全くなかった??
 サースの胸に顔をむぎゅうとつぶされた私はあまりの良い匂いに殺されそうになる。
 サースは、対私の生物兵器になれると思うの……。

「待っていた……」

 サースのいつもの台詞も、皆の前で抱き締められながら言われると一味違う。今更だけど、これでも羞恥心というものが微かにだけどあるのだ。

 緩められた腕の間からそろりと顔を上げて視線を部屋の中に移したけれど、皆は特に私たちのことを気にしている様子もなく話し合いを続けていた。

(あれ……?普通……?平常運転……?)

 その方がいいんだろうけど、私は戸惑ってしまう。

 まさか慣れられてる、とか……?そんな馬鹿な……?と焦る思いでサースの顔を見上げると、彼は美しくも優しい微笑みを浮かべた。

「砂里……アランが協力してくれることになったよ」
「本当!?」
「ああ」

 アラン王子を振り返ると、ソファーに座っていた王子からぎこちない笑みが返された。
 見守っている皆の様子からも、和解出来ているようなのが伝わって来た。

「後で詳しく話すが……凄惨な歴史の積み重ねが今に繋がっている。俺たちはそれを終わらせるために手を組まなくてはならない」
「うん」
「君が俺たちを繋げてくれたんだよ……」

 そう言ってサースは極上の笑顔で私の頭を撫でてくれた。
 だけど私は人目を気にして焦るように部屋の中を見回す。でも誰も私たちを気にしている様子がなかった。

(お、おかしいな……)

 まさか本当に慣れられてるのでは……。
 恥ずかしいなんて感情を通り越してしまうのですけど。

「サース……」

 私としては非常にあり得ないことなのだけど、羞恥心に耐えきれず……もじもじとしながら少しだけサースの胸を押し返して離れようとした。
 するとサースは逃げられないようにと、私の手を掴んだ。

「少し席を外す。砂里に説明をしてくる」
「了解」
「ああ」
「分かった」

 二人きりになった方がなんぼか気持ちが楽になるので、私はサースに手を引かれるまま部屋を出た。

 私たちは王宮の長い廊下を歩き続ける。

 中庭からの日差しが白い壁や床を照らしていて、サラサラと揺れるサースの長い髪も宝石のように煌めかせていた。王宮と言う場所でも、違和感なく気品を溢れさせる私の大好きな美しい人は、今私の手を優しく繋いでいてくれる。





 気が付くと塔にたどり着き、サースに導かれるように私はそこを登った。

(ここにはサースが閉じ込められたり、ラザレスを助けに来たり……危険な場所だと思っていたけれど)

 この場所の魔法の無効化が私たちには適用されないようにしてもらってあるから、もう危険な場所ではないんだろうけれど……。
 それでも怖い場所のような気がしていた塔に、サースは躊躇することなく登って行く。

(私を連れて来てくれているんだから、きっと大丈夫なんだろうな……)

 私に対してちょっと過保護なところのあるサースが危ない場所に連れてくるとは思えない。

 塔を登り切ると、何度も来たその部屋の窓を開けて、サースは眼下の景色を見下ろした。

 とたんに通り抜けていく風が、勢いよくサースの髪をなびかせる。
 柔らかな太陽の日差しが、彼の全身を光の化身のように輝かせていた。

(綺麗……)

 サースは初めて出会った時から、髪も瞳も整った顔立ちも、そしてその精神も……何もかもが、この世のものとは思えないくらい研ぎ澄まされている美しい人に思えていた。

 見惚れている私をサースは振り返って言う。

「……なんだ?」
「どうしてサースはそんなに綺麗なんだろうなって……」

 思わず本音をそのまま言葉にしてしまう私を、サースは不思議そうな顔をして見下ろした。

「なんだそれは……」

 そうして可笑しそうに笑う。
 私の肩を抱き美しい顔を私に近づけるようにしてから、言った。

「砂里ほど綺麗な存在を俺は知らないが」
「ふ……ぇぇ」

 また変な声を出してしまった。
 サースは時々おかしなことを言い出すと思う。

「何も望まず、自分以外の者の幸福を願い続ける……そんな人間を俺は砂里以外に知らない」
「え……?」

 そんな人が……?
 え……砂里……私!?
 まさか……こんなに長く一緒に過ごしていたのに、サースはずっと私を間違った目で見ていたの……!?

 ドキドキする胸を押さえながら私は言う。

「誤解だよ……」

 私はサースの洋服の裾をぎゅっと掴みながら必死に彼の顔を見上げて言った。

「私の心は欲望ばかりだよ……っ」
「……」

 いつだって頭の中は紫色やピンクや黒色の欲望が渦を巻いているのを私は自覚している。

「毎日毎日サースの姿が見たくて、声を聞きたくて、温かさを感じたくて、匂いを嗅ぎたくて、ずっとずっと側に居たくて、それしか望んでなくて……。恥ずかしいくらい心の中が欲望だらけで……。もっとサースを全身で感じたくて、でもまだ五感で感じきれてないから物足りなくて……あれ、五感ってなんだっけ……?」

 五感って言うと、見て、聞いて、触って、嗅いで、あともう一個は……えっと。

「視覚・聴覚・触角・嗅覚……残りは味覚か」

 冷静なサースの台詞に、さすが頭がいい!と褒め称えそうになってハッとした。

(味覚……?)

 冷や汗が出るような気持ちになりながらサースを見上げると、面白そうに口角を上げる彼の顔があった。

(あ……やばい……)

 こんな表情をしているサースは私をからかおうとするときなんだ。

「と、とにかく……。私は欲望の塊だから、私利私欲の為にしか願いを使っていないし、常日頃己の欲望を叶えることしか考えてないし、今だってサースに肩を抱かれて、ど、どきどきしているし……」

 声高に本人に伝えるにはあまりに恥ずかしい台詞に、段々と声が小さくなってしまう。

「隙あらば、いつだってサースの胸の中に飛び込もうとしてしまうし……」

 これは本当だ。

「寝ているサースの髪の毛をみつあみしたいって思っていたし……」
「……」
「シャツの乱れたサースの胸元の絵を描きたいと思っていたし……」
「……」
「むしろ動画を残しておきたいと思っていたこと、一回や二回じゃないし……」
「そうなのか……」

 あれ、暴露しすぎた……?

 不安になってサースを見上げると、変わらず楽しそうに微笑んでいるサースと目が合った。

「叶えればいいだろう?」
「ふぇ!?」
「やってはいけないことなど一つもなかっただろう」

(え……そうなの?)

 そうだったっけ?まずいものなかったっけ?あった気がするんだけど?
 頭の中をぐるぐると混乱させているとサースが言った。

「味覚は……どうやって叶えるんだ?」

(味覚!?)

 ぎょっとした私に距離を詰めるように体を近寄らせたサースは、私の瞳をまっすぐに見つめた。

(……逸らしたと思った話が戻されてるような?)

 視線をさまよわせながらも私はなんとか返事をひねり出す。

「そ、それはやってはいけないことかなーって……」

 掘った墓穴の埋め方が分からない……。

「いけないことなど一つもないだろう」

 どんどんと近づいて来る、整い過ぎた目鼻立ちにこれ以上もなく動揺する。

(顔……近いよ!)

「味覚とは舌で感じるものだろう?」

(し、舌!?)

「何を味わいたいんだ?」

(味わう~~~~~!?)

 その言葉のチョイスにびっくり仰天していると、もう目の前にサースの瞳があった。

(ひぃぃぃぃぃ…………)

「どこを舐めたいんだ?」

(な……っ)

 ……舐める?それはもしかして、汗とか髪とかを含んだ美しい殿方の体の部位のどこかを舐めさせていただけるということ……?あれ、妄想が止まらなくなりそうなんだけど……。いいの?舐めてもいいの?お許し出てるの?どこ……どこならいいの?私の貧困な想像力ではとても思考が追い付かない……。

 次第に頭が真っ白になってくると、私の表情を見つめていたサースは、急に吹き出すように笑い出す。

 楽しそうにひとしきり笑ってから、満足したように顔を上げた。

「……何も望まないな」
「望んでるってばー……っ」

 むしろ欲望が深すぎて、答えに辿り着けなかっただけだ……。

 サースは少しだけ真面目な顔つきになると私をじっと見つめた。

(な、なに……)

「俺は度々考えた」
「うん?」
「砂里は俺から身を引こうとしていたのではないかと……」
「え?」

(身を引く……?)

 急な話題に頭が付いて行かない。

「最初から、そもそも俺に接触するつもりもなかったんだろう。初めて出会った日のことを覚えているか?」

 初めてサースの姿を研究室で見たときは……確か感涙しながら絵を描いていた気がする。

「俺に見つかり慌てて逃げようとして、さすらいの絵かきと名乗っていたな……」

 サースは思わずと言うように吹き出して笑い出す。
 私は恥ずかし過ぎていたたまれない気持ちになる。

「その後も、邪魔になるようならもう来ないと言い出した。俺の幸福をあれだけ願い続けながら、いつでも離れられるようにしている君に……俺は明日の約束を繰り返すしかなかった」

 また明日ね、と、何度も繰り返したそれは、私にとってはとても幸福な約束だった。

「隠していたゲームの話をしたときも……砂里は俺に嫌われたらもう来ないつもりだっただろう」

 あの時は……確かにそうだったかもしれない。

「君自身の事は何も望まず、ただ俺が必要とする限りはと側にいてくれた。ささやかな自分の欲さえ叶えることを望まない……。それはとても綺麗なことだと俺は思う」

 サースの言っていることがよく分からない。
 私の胸の内の溢れる欲望をサースは知らないからそんなことを言えるのだと思う。
 誤解されていつか幻滅されるのも怖いので、私は慌てて言う。

「違うよ……さっきもどこにしようか、すっごくいっぱい考えていただけで……」
「そうか……」
「か、考えておくから!」
「……」
「欲望いっぱい考えておいて、全部を山ほど叶えるから!」
「……待っている」

 待っているってなんなんだと思いながら、顔を赤くさせてサースを睨むように見つめたのだけど、彼は楽しそうに笑っているだけだった。

(……おかしいな。どうしてこんな話になったんだろう)

 そう思う私の前で、サースは椅子を二つ窓際に並べはじめた。
 手を引き私を椅子に座らせると、彼も隣に座る。

 なにか、大事な話をするのかな、と私は思う。

「砂里……ここは俺が幼い頃を過ごした場所だが、それだけではないんだ」
「え?」

 窓からは心地良い風が吹き抜けて、サースの黒髪をなびかせる。
 美しい微笑みの彼は、けれど少しだけ暗い表情をして言った。

「ギアン家の幽閉場所として使われていただけではなかったんだ」
「そうなの?」

 サースは私の肩を抱きしめながら、優しく微笑んだ。

「王家は聖女を妃に迎えることが多い。聖女を……光の魔力を世界に増やすことは必要不可欠なことで、王家は長くその役割を担ってきた」

 そして……とサースは続けて言う。

「かつて、聖女を意図的に育てられないかと考えられていた時代があったと言う……」
「意図的?」
「ああ。聖女の遺伝子を継ぐ子供を……世俗から隔離させ無垢で清らかに育てたならば、聖女になるのではないか、と」

 私は思わず息を飲む。
 人間を不自然に育てるそれは……キラキラと虹色に輝く光の魔法とは真逆の物事に思えた。

「王族ですらこの塔や……他の施設に、聖女の血を引く子供たちを集めて育てていた時代があったそうだ。もう遠い……誰も知るものが残っていない昔のことだが」

 サースは私の頬にそっと触れながら、続けて言った。

「今の時代の俺たちが思うほど酷い施設ではなかったと、そう聞いてはいるが。宗教施設に近いそれは、飢えや差別などからはほど遠く、日々単純労働と祈りを繰り返して生活する場所だったという」

 だが……とサースは言う。

「誰も……誰一人として聖女になることはなかったそうだ。世俗の欲望とは隔離され、過度な苦しみを味わうことなく、祈りの為の適切な環境を与えられても、誰の心からも光は生み出されなかった……」

 魔力のことを言っているのだと思うのだけれど……。
 サースは、心から光が生み出されなかったと語る。

「光は生み出されないのに、ただ清らかに笑う人々の居る情景……そんな夢をアランは幼少期から見続けて来たらしい」

 サースが、アラン王子の話をしてくれようとしているのだと分かった。

「王家はまた“世界の脅威になるものが現われたときには封印する役目を持っている”。
 具体的には、最大の脅威は、闇の魔力の過剰な増加だ。
 差し迫る事態がやって来たときには、魔力の消化を強制することもやむを得ない。
 いずれそれが幾人かの人間の死に結び付くものだったとしても……。
 誰かがそうしなければ、世界は確実に終わるのだから。
 長い年月の間に人々が解決出来ず、次第に隠蔽されて行った世界の最大の脅威は、それを知るたったわずかな者達の肩に背負わされた。
 ……それが、俺の育った国の現状だ」

 サースはふっと笑って言う。

「王家の血を継ぐものとして、負の歴史を知り背負う、その重責はどれほどのものだっただろうか。何も知らず……恋にうつつを抜かす従兄をどう思っていただろうか……」

 サースは窓から眼下の街並みを見下ろして言う。

「そうして、その従兄が何も考える思考を持たぬまま世界を滅ぼしたとしたら、それは、どれほどの絶望が与えられたのだろうか……」

 サースは、一周目のサース様――魔王――が滅ぼした世界のことを言っているのかもしれない。

「……滅ぼさないよ」

 私の呟くように言った言葉にサースは微笑んでくれる。

「ああ」
「この先もずっと一緒に居るよ」
「ああ……」

 サースは私を抱きしめると、耳元で低い声を響かせた。

「その為に、俺は向き合わなければならないんだ。アランを一人では戦わせない。俺も一人では戦わない。君と、皆とともに、未来を切り開くために……」
「え?」

 向き合う?

「俺はきっと“彼”とも向き合わなければならないんだろう……」

 “彼”――
 それは魔王サース様を指す言葉。

「砂里、俺を待っていて欲しい……」

(待つ……?)

 言葉の意味を探ろうとして顔を上げると、漆黒の瞳がまっすぐに私を見つめていた。

「未来を切り開くために、どうか、危険な場所に一人で行くことを許して欲しい――」

 ――危険な場所に一人で行く――

 それはサースを一人にしないと私が宣言をしてから、一度もサースがしてこなかったことだった。
 ずっと約束を守ってくれていることで、彼が私に向けてくれている誠実な想いを確かに感じ取っていた。

 そんな彼が今、真剣な眼差しで、心から私の許しを待っている。

 私への絶対的な信頼と、愛情が、彼にその台詞を言わせているのだと思う。
 こんな時なのに彼から向けられるその想いに、全身が幸福に震えそうになる。

「俺は、俺自身の為、君の為、そして世界の為に、乗り越えなくてはいけないんだ……」
「……うん」

 私の気持ちも彼の気持ちも、全部を分かって言う彼の台詞を、止められる訳なんてなかった。

「待ってるよ」
「……砂里、俺はまだ詳細を何も話していない」
「うん……でも待ってる。サースが戻ってくるの待ってるよ」

 サースが、驚いたような表情で私を見下ろした。
 暫くしてから肩を揺すって笑い出した。
 いつもの、笑い上戸だ。

「……なんで笑うの」
「笑うだろう……」
「笑うところじゃないよ」
「そうか……?」

 笑い続けるサースの胸に顔を擦り付けるようにした私は、彼の体温をめいいっぱい全身で感じる。

(大好き……)

 いつだって一人で危険に飛び込んで消えてしまいそうだったサースが、今は待っていて欲しいと言ってくれる。
 それだけで、私には十分なことに思えた。

(そう思っていてくれるなら、きっと何があっても戻って来てくれる……)

 私を戻る場所だと思っていてくれている限りは――







 王宮の中に戻った私は、発売したばかりのゲームの内容を皆と一緒に説明してもらった。

「万能魔法!?」
「ああ」

 皆は驚いた顔でサースを見つめていたけれど、私にはいまいちピンと来なかった。

(万能……魔法?)

 聞いたことがない言葉だった。万能ってなんだろう。

 サースはスマホ画面を見せながら話し続ける。

「一作目のゲームでは、聖女と他の攻略対象者が力を合わせ魔王を倒して終わるものばかりだったが、今回は根本的に違う。倒すのではなく、作り出した万能魔法で、魔王を救う……」

(魔王を救う……)

 それは私がずっと願って来ていたことだった。
 一作目のゲームでサース様に心を奪われたあの時からずっと、どうにかしてサース様の……出会ってからは目の前のサースの、魔王堕ちを止めさせたかった。

(ゲームの中のサース様は救われたの……?)

 思わずサースの服の裾をぎゅっと握りしめると、サースは柔らかく笑った。

「そうだ砂里……君と同じように考える者がいたんだ。前作の発売以降たくさんの反響が寄せられた。魔王を救って欲しいと……救うためのアイデアの提案も数多くあったらしい」

 私と同じように……サース様のことを思っていた人たちがいた――

「あまりに多かった反響を参考にして、新たなゲームの物語が組み立てられた……その内容は、まるで今の俺を救ってくれるものであるかのように」

 今のサースを救う内容……。

「聖女と攻略対象者全ての魔力を混ぜ合わせる……。それだけなら、ユズル達がこの間やって見せたそれと同じことだが、あれはただ一つの場所に閉じ込めただけだ。万能魔法は本質が違う。全ての属性の魔力を混ぜ合わせ、新たな性質の別の魔力に変質させるんだ。どんな魔力へも変換可能な……万能な魔力へと」

「万能な魔力……」

 アラン王子の呟きとともに、皆も顔を見合わせて騒つく。

「聖女と攻略対象者たちは力を合わせ、万能魔法を使い、魔王が爆発するように溢れさせる闇の魔法さえも飲み込み……万能な魔力へと変質させる。魔王と、そして世界を救うんだ」

 サースの説明で私たちは、続編のゲームでは魔王を倒す終わり方ではなく、救っていたのだと知る。

「……バッドエンドは?」

 谷口くんの言葉に、サースは少しだけ困ったように笑う。

「それは……様々な要因でその準備が整わなかった状況で起きているようだったが」
「サースの……バッドエンドは?」

 気になることを私は聞いた。
 ゲームはもう子孫たちの夢を参考にしているわけではないから……サースの未来に直接かかわることはないのだろうけれど、どうしても気になるんだ。

「聖女たちと心通わせられず、前作と同じように倒されて終わっていたな……」
「そう……」

 私はサースの腕にぎゅうっとしがみ付く。
 サースはもう片方の手を私の頭の上に置くと優しく撫でた。

「大丈夫だ、砂里……」
「うん……」

 信じるしかないと分かってる。

「万能魔法が実際に使用可能なのかどうかを、考えてみた」
「どうなんだ?」
「ユズルが魔力を混合させていた方法の応用だろうと思う」
「うん?」
「ユズルは強い魔力で強制的に全ての魔力を一つの場所にかき混ぜるようにして閉じ込めていた。万能魔法は恐らくその方法ではない」

 そう言うとサースは私の瞳をまっすぐに見つめた。

「聖女の願いが関わっているんだろう」
「願いで……魔力を変質させるの?」
「ああ」

 そんなこと可能なんだろうか。
 それに……私はギアン家の人を愛するおばあさまのことも知っている。
 聖女の願い一つで叶うようなことなら、とっくに行っていたんではないだろうか。

「あ!」

(思い出した!こんな時こそ、聞けばいいんだ!)

 奇声を上げた私を皆は驚いたように見つめる。
 慌てて私は説明する。

「あの……えっと。私は聖女になったときから、ミュトラスの使いと話が出来るようになってるんだけど、使いはミューラーって名前で……分からないことがあったときはなんでも案内してくれるって約束してくれてるの」

 あ、ちょっと違うかな。なんでも教えてくれるわけでもないから……。

「運命を変えないことなら、可能な限り教えてくれるみたいなの……。でも、私はサースの運命を変えたかったから、あんまり教えて貰えなかったんだけど……」
「……すごいな」
「え?神の使い?」
「まためちゃくちゃな」
「そんなことが……」

 あれ?思ったより皆驚いてるみたい?
 リアクションに戸惑っているとサースが言った。

「……それで?砂里」
「あのね。ミューラーに聞いてみるね?万能魔法のこと」
「……ああ」

 急にシンとするような空気になった中、皆に見つめられて緊張する気持ちになりながら、ミューラーに呼び掛けた。

「ミューラー……」
『なんだい、サリーナ』

 空から降ってくるような声が部屋に響き渡る。

「わっ」
「本当に……」
「神の使い……」
「そんな……」

 そう言えば、他の聖女たちもミューラーと頻繁に話している人は居なかったけれど、話せるのって特別なことだったのかな。

「……ミューラーは私にだけ話してくれるの?」
『僕をナビにしたいなんて言いだしたのは君だけだったからね。大抵の聖女は、僕たちの声を聞いただけで怯えるように恐縮してしまう』

 あれ……なんか褒められてる感じが全くしない返事が返って来たけれど……。

『異世界からやってきた君は、全てが規格外だよ。毎日ミュトラスの力を使っては、聖女の願いを量産して行く。そんな人間は今までに居なかった。神の使いに物おじしなければ、ほとんど何も願わない。何をしているのかと思えば魔王となる運命の者のかたわらで毎日満足そうにしているだけだ』

 まるでサースと同じようなことをミューラーも言う……。
 そう思いながらサースを見上げると、彼も同じことを思っていたんだろう、軽く微笑んでくれた。

『僕を呼び出すこともまれにしかしない』
「そんなことないと思うけれど……」

 あえて言うならば、呼び出しても何を聞いていいのか分からなかっただけだ。
 だけど、今日は聞きたいことがある。

「万能魔法……全ての属性の魔力を混ぜ合わせて……万能な魔力に変質させることは可能なの?」
『方法に寄るね』

 その返事に、皆は息を飲むような表情をした。

「……どうしたらいいの?」
『方法は教えられないよ』

 くっ……。いつものミューラーの煙に巻く答えを返されてしまった。
 ラザレスたちが「なるほど……」「神様っぽい」などと呟いているのが聞こえてくる。

「俺の質問にも答えて貰えるのか?」

 サースがそう言うと、ミューラーはすぐに返事をする。

『サリーナと共に居て、彼女が望む限りは』
「望んでるよ!」

 めちゃくちゃ望んでますとも。
 そもそも私と話しても会話が成り立たないから、本当はずっとサースと話して貰いたかったんだ。

「万能な魔力を作り出す……万能魔法は存在するのか?」
『するよ』

 ミューラーの返事に皆で顔を見合わせる。

「その存在を俺に教えてくれた新しいゲームには……聖女の願いが反映されているのか?」
『されているよ』

(え……?)

 どういうこと?聖女ってだれ?

「異世界のどこかにいる、俺の知らない聖女の願いなのか?」
『そうだよ。でもその願いは一人だけのものではなかったよ。思っていたよりもたくさんの同じ願いが込められていたよ』

 知らない誰かが、聖女になって願いを使っていたってこと……?
 それは反響を寄せて来たという人たちや、ゲームをプレイして来た人たちってこと?

「そうか……」

 サースはとても穏やかな笑みを浮かべた。

「遠い世界の見知らぬ誰かの願いが、俺を生かすのか……」

 呟くような台詞は空気に溶けるように響くようだった。

「万能魔法を作り出すには、各属性の適合者が必要なんだろう?」
『そうだよ』

 適合者?
 私はきょとんとサースを見守る。

「俺の肉体は、闇の魔力に親しい。それと同じように各属性の魔力に肉体が適合しやすい人間が存在している。学園にいた、ゲームの中で攻略対象者とされていた人物たちは皆、特別にそれぞれの得意の魔力に対して、肉体が適合しやすい……そうだろう?」
『その通りだよ』

 どういうことなんだろう?
 頭の上にはてなを浮かべていると、サースが説明してくれた。

「魔力は、肉体を通して初めて魔法として変換される。魔力に対して肉体が適合しやすく、親和性が高いと、より強い魔法が使えるんだ」

 そして……とサースは続ける。

「あの学園に居た攻略対象は皆それぞれの属性の魔力の適合者だった。ラザレスは火の魔力、ロデリックは水の魔力、アランは土の魔力、ダレンは風の魔力、そして俺は闇の魔力、聖女は光の魔力だな」

 そうだ、暗闇の中で出会ったサース様も言っていた。
 攻略対象たちは特別な存在なんだって。
 ゲームの中の攻略対象者は、それぞれ意味のある人物が描かれていたってことなんだろうか。

「親和性の高い魔力を、いくらでも肉体を通して耐えられる……それだけのことが出来る適合者は、俺たち以外に他にはいないんだろう。一番の問題は俺だ。飽和している闇の魔力の量は膨大だ。恐らく今の俺では耐えられない……」

 そうだ。ギアン家の人たちはそうやって命を落として行ったと言っていた……。

「しかしそれさえ可能ならば……俺たち適合者が揃えば、飽和している過剰な魔力を、万能な魔力へと変質させることも可能なのだろう?」
『可能だね』

 そうか、ミューラーは、イエスかノーか、そういう単純な問いにははっきりと答えてくれるのか、と私はやっと気づく。

「俺たちの肉体を通した魔力は、俺たちの意思と、聖女の願いによる光の魔力と合わさり……変質する」
『そうだよ。それで万能魔力は出来るね』
「願いは一度でいいのか?」
『一度に一つだね』
「そうか……」

 サースは少し考えるようにしてから、続けて言った。

「魔王が生み出されるとき……魔王が生み出されないための手段も、同じだけ用意されていたということなのだろうか?」
『それを決めるのは僕でもミュトラスでもないよ』
「人だとでも言うのか……」
『生き物が勝手に生み出していく、力も流れも、僕らには干渉できないんだ。“運命”そのものを動かすことも出来ない。それを作っているのは僕らじゃないんだよ』

 神のような存在の……ミュトラスが干渉できない運命そのものは、生き物が勝手に生み出しているのだと言う――

『最後の魔王を生み出したのは今に至るまでの世界そのものだよ』
「……」

 世界が、魔王を生み出した――

 サースは長い睫毛を一度伏せ、暫く考えるようにしてから瞼を上げ言った。

「よく分かった……ミュトラスの使い、感謝する」
『サリーナ、もういい?』
「う、うん……ありがとう」

 ミューラーの声が途絶えて、私はほっとするような気持ちになりながらサースにもたれかかった。

 とても大事な話をミューラーとしていたと思う。
 私は理解して聞けていたんだろうか……。

 気が付くと皆の視線がサースに注がれていた。
 私は慌てて体を起こして、サースの顔を見上げる。
 するとサースは深く思考の底に沈んでいる時の表情をしていたけれど、決心したような瞳を上げると、皆を見つめて言った。

「闇の魔力をこの身に通せるように……俺は、俺自身と向き合わなくてはならない。鍵は、この肉体だ。俺自身が、魔力を通すための障害を作っている。適合はあるはずなのにだ。今夜向き合う時間を取りたい。危険を冒すつもりはないが何かがあったら俺を……止めて欲しい」
「それは大丈夫なのか?」
「え?危険なの?」
「どうしたらいいんだ?」
「泊る部屋を用意しよう」

 次々と掛けられる言葉にサースは微笑んで答える。

「俺の……俺自身の肉体と向き合う時間が取りたいだけだ。精神を肉体の底に一時的に沈める。危険が訪れる前に戻ってくるつもりだ。だが、万が一異変を感じたら手助けをして欲しい」

 そう言うとサースは私を見つめた。

「砂里……出来るなら君に側に居て欲しい。何があっても君になら、俺を、肉体に戻せるだろう」
「うん」

 もう一度顔を上げると、サースは皆に今夜のことを説明した。
 意識を無くしている間に何かあった際に、砂里ならば止められる、止められなかった場合には砂里を助けて欲しい、と。
 こんな時でもサースは人の事ばかり心配する人なんだなって思ってしまう。

 そうして今夜は王宮に皆で泊まって、サースの様子を見ていてくれることになった。








 夕食後、私は一度家に帰った。
 明日から夏休みとは言え、泊まりになるって言っていないので、寝る用意をして両親に挨拶をしてから、パジャマ姿でもう一度戻ることにしたのだ。

 戻ってくるとそこは王宮に用意された客間のベッドの上で……サースはもう横になっていた。
 つまり私は、サースの上に覆いかぶさるように飛んできてしまっていた。

「うぎゃう!?」

 襲ってる側が上げる悲鳴ではないと思うのだけど、横たわる美しい肢体の上に勢いよく伸し掛かる私はまさに荒ぶる獣のよう。
 ベッドの上にはサースの艶やかな黒髪が乱れるように流れている。
 彼は魅惑的な笑みを浮かべて私を受け止めた。

「砂里……一緒に寝たいのか?」
「ち、違うってば……」

 いや、別に違くないと言えば違くないかもしれないけれど……。
 私はなんとも言えない気持ちになりながら、そっとサースの上から降りて彼の脇に座った。

「ロデリックたちは、続き部屋で寝て貰っている」

 サースはそう言うと小さな扉がある方を見つめた。

「同じ部屋じゃなくてもいいの?」
「ああ、異変があるとすれば……俺の肉体の異常か、闇の魔力の増加か……この場に居なくても気が付ける」
「私は側に居てもいいの?」
「ああ、俺に何かあったときに、起こしてくれればそれだけいい」
「サースは寝るのとは違うの……?」

 私は疑問をぶつける。

「違うな。この間砂里が“彼”に会いに行ったときと同じ状態になる。身体はここに眠ったまま、心だけが離れる。その間、俺の様子を見ていて欲しい」
「うん」
「眠っても構わない。触れあっていれば、異変があればきっと気が付くだろう」
「うん……?」

 サースの隣で眠っていても構わないってこと?
 それならば、と、私はベッドの上を移動すると、サースの胸に手を回して横になった。

「じゃあ隣で眠ってるね」
「……」

 サースは少し驚いたように至近距離で私の顔を見つめてから笑い出した。

「な、なんでいきなり笑うんですか……」
「いや、心が離れるのが残念だと思っただけだ……」

 サースはちょっと笑い過ぎだと思うんだよね。
 最近ことあるごとに笑っている気がするよ。

「サース……」
「なんだ?」
「戻って来てね……」

 いつでも一人で消えてしまいそうだったサース。危険が迫ったときにはきっと一人で背負おうとしてしまうんだろう。
 だけど、今は待っていて欲しいと言ってくれている。その言葉はまるで、私と彼を繋ぐ道しるべのようだった。

「待ってるからね」
「ああ」

 返事だけは良いこの人は、言葉と裏腹の行動をいつもするけれど……。

「サース、私ね……」

 この人をこの世界に縛り付けるには一体どうしたらいいんだろうなって思う。

「本当はずっとね、私なんかが側に居てもいいのかなって分からなかったの」

 だって私は、違う世界に住む、ただの普通の女の子なのだ。
 メアリー様やローザ様のように綺麗でも、ゲーム中に描かれるような特別な存在でもない。
 そして、そもそも、この世界の人間じゃない……。
 側に居てもサースに助けてもらってばかりで、いつだって何一つ自分一人では出来なかった。

 それなのに私は、この人を縛り付ける、唯一の人間になりたいと願う。
 この人の瞳に映るのも、望まれるのも、帰りたいと願われるのも、私でありたいと思う。
 サースは、私の中に渦巻くどろどろの欲望をきっと知らない。

「でもね……」

 魔王サース様が言っていた。私が唯一の聖女だと。横入りした訳でも選択肢を奪った訳でもない、と――

「私がサースのただ一人の人になりたい。誰にも代わられたくない。私が世界で一番サースの近くに寄り添いたい。誰にも譲りたくない」 

 私の恋心と、愛情と、彼を求める気持ちの全てを伝えたら、何かが変わるんだろうか。

「私ね、ずっと、ずっとね……サースのことがね……」
「砂里――」

 サースは慌てるように半身を起こすと、肩ひじを付つように私に覆いかぶさり、両手で私の頬を挟んだ。
 まっすぐに私と目線を合わせるとサースは言った。

「砂里、聞いて……」
「サース……」

 私の頬を撫でるようにしながら、サースが強い口調で言う。

「愛してる」

 一瞬、なんて言われたのか分からなかった。

「君を……心から愛している」

 漆黒の瞳が私だけを見つめている。

「初めての恋も、愛を知ったのも、君だけだ……」

 それは、いつでも危険に身を捧げようとするサースが、決して言うはずはなかった告白だった。

「俺を人にしてくれたのも、ただの男にしてくれたのも、砂里だけだ」

 美しい唇が、私の目の前で愛を語っている。
 これは本当に現実なのだろうかと、ぼんやりと思う。

「俺のただ一人の女の為に――必ず、戻って来る。替えなど利かないこの世界で、君とともに幸せを掴むために、俺は俺自身の全てを賭ける覚悟を決めている。俺にはもう、他に望むことなど本当に何もないんだ……」
「……」

 私は、サースの言ってくれた言葉を頭の中で反芻していた。

 愛してる――
 君を……心から愛している――

「わ、わたしも……」

 大好きだよ、と言おうとして涙がぼろりと溢れ出す。

「ふぅ……っ」
「砂里……」

 溢れる涙にしゃべれなくなった私を、サースが抱き抱えるようにして横になった。

「待っていてくれ」
「うん……」
「砂里を一人にはしない……」
「うん」

 優しく撫でてくれるサースの手が温かくて、私は心から安心して彼の腕の中で泣きじゃくる。

 待っていて欲しいと言ってくれた。
 私を愛していると言ってくれた。
 もう、何も残さず一人で行ってしまおうとするサースはいない――

「大好き……大好き……」
「ああ……」

 サースの低い声が耳のすぐ側から響いて来る。

「俺もだよ。砂里……」

 顔を上げるとすぐ目の前に美しい顔があって、まっすぐに私を見つめる瞳がこれは夢ではないのだと教えてくれた。

「大好き……世界で一番サースが好き」
「ああ……」

 知っているよ……とサースが低い声で囁く。
 その答えが嬉しくて、私は思わず笑ってしまう。

 釣られたように笑うサースと暫く微笑みあった後、彼はその長い指で私の涙を拭いながら言った。

「……味覚を感じても?」

 ん……?

「お互いの味覚を……感じ合ってもいいか?砂里」

 味覚を感じ合う……とは。

「え?」

 味覚は確か、舌で感じるものだって、さっきサースが言っていたような。

 気が付くとサースの顔が私に近づいて来ていて、今にもキスしそうな位置に美しいお顔があるのを見つめた。

 ――それはつまりお互いの舌でお互いの味覚を確かめ合うと言う――

「ふ、ふぇ!?」

 思わず大きな声を上げ、サースの腕の中から抜け出してしまう。
 急に半身を起こした私を、サースはびっくりしたような顔をして見つめた。

「え?そういう……?」

 本当にそういう?
 自意識過剰?

 ドキドキとしながらサースを見つめたのだけれど、彼の瞳は蕩けるように色っぽく私を見つめているだけだった。

「砂里……」

 サースの手が私の腕を掴んだ。

「五感で感じ切れてなくて、物足りないんじゃなかったのか……?」

 そ、そんなこと言いましたっけ?
 嗚呼、言いました!思ってました!何ひとつ間違ってません!

「あ、あの……」

 しどろもどろになって、なんて答えたらいいのか分からない私は視線をさまよわせる。
 よく考えたら、こんな状況は願ったり叶ったりなんじゃないのかな……。
 何をためらう必要があるのかと!自分を問い詰めたい!

「……」

 それなのに……サースの震えるほどの色っぽい気配を感じるだけで気が遠くなりそうなのに、味覚を味わうなんて今の私の精神状態で耐えられるとは思えなかった。
 きっと間違いなく気を失う。心臓が止まるかもしれない。

「隣で眠って待っていられなくなっちゃうから……だから……今度お願いします……」

 嘘じゃない。
 本当に頭が真っ白になってしまう自信がある……。
 逃げじゃない……きっとない……たぶんない……。

 私の台詞にサースが声を出して笑い出した。

「ハッ……ハハッ」

 明るい笑い声は、笑い上戸なサースでも珍しいものに思えた。
 私から顔を背けて、体を揺すって本気で笑っている。
 きっと続き部屋の皆にも聞こえてる。何やってるんだと思われてるんだろうか……。
 サースは呼吸を落ち着かせてから、楽しそうに私を見つめて言った。

「そうだな。また、ゆっくりとだな……」

 ゆっくりとかそういう問題なのか分からなかったけれど、とにかくそれでお願いします、と思いながら私は何度も首を縦に振った。

「待っていてくれ砂里」
「うん」

 サースの隣に体を横たわらせて、彼の腕に頭をもたれかける。

「待ってるよ……」
「ああ……」

 そういうとサースは目を瞑り、そうしてしばらくすると寝息のような深い呼吸をし出した。

 私は彼の隣で、ずっとサースの寝顔を見ていた。

「大好き」

 心の声は、もう隠さなくていいんだって思う。

「大好き……」

 これからは彼に聞かれてしまっても、きっと微笑んで答えてくれるんだろう。
 私の気持ちを受け止めてくれたこと。彼の気持ちを伝えてくれたこと。
 それは、彼が私を決して置き去りにしないという意思のあらわれに思えていた。

(彼が彼自身を受け止めて、戻ってくるまで待ってる……)

 滅びた世界に一人取り残されるサースを生み出さないために。
 私を一人残したりしないために。
 彼は戦おうとしている。だから。

(待ってるね……)

 サースの身体を抱き締めながら、私も気が付くと眠ってしまっていた。
 眠るときに微かに思い出していた。

 暗闇の中で輝く宝石のようだったサース様――






(そうして私は、自分の意思とは関係のないところで、またしても闇に堕ちる)
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