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第6話 悪役令嬢
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そうしてベルンハルト王子と仲良くお友達になったと思ったら、次の試練が待ち受けていた。
「あら、レディ・シルヴィアのバッグが湖にでも飛び込んだみたい……!」
心配そうな声で言うのはアントワネット。
そう、アントワネットである。旧アントワネットではなく、水島さんが体を乗っ取った新アントワネットが、水浸しになった私の基本書を見て眉尻を下げているのである。
どこからどう見ても嫌がらせとしか思えない私の基本書の有様に、クラスメイトが騒然としている。そんな彼らの代表のごとく前に立ち、アントワネットはそっと私の顔を覗きこむのだ。
「お可哀想に、どなたの仕業かしら。許せないわ、私の親友にこんなことをするなんて」
お前だろアントワネット……! 雑魚キャラみたいな捨て台詞を吐いていったくせに「親友」とか言うその口、その端が僅かに吊り上がっているのを私が見逃すとでも思ったか。
アントワネットの嫌がらせは、その捨て台詞の次の日あたりから始まった。なんとも幼稚でベタなことに、机上に落書きをしてみたり、物を隠してみたり、ちょっと陰口を叩いてみたり、庭園を歩いているところに頭上から水をかけてみたりしてくるのである。今回はどうやら私が席を外した隙に魔法で基本書を水浸しにしたらしい。
「ねえ皆さん、そう思わない? 誰か犯人を見ていないかしら?」
おい犯人、白々しいぞ。
「心配しないで、アントワネット。すぐに渇かせるわ」
しかしアントワネット、奇娘と呼ばれるほど魔法に傾倒していた私をナメるなよ。
水の魔法を応用し、基本書から水分を抜く。おお、とクラスメイトの感嘆の声を集めながら、シャボン玉のようにふよふよと浮く水玉をそのまま庭に放り投げた。
「ね。これで元通りでしょ?」
笑顔を向けると、アントワネットは「そ、そうね……よかったわ……」と顔を引きつらせた。
アントワネットが何をしようが、旧アントワネットに崖から突き落とされそうになったことに比べれば子供の悪戯よりちょろいのなんの。所詮お前は令和の常識的な日本人、できる嫌がらせも程度が知れてるんだよ。旧アントワネットは私の命を奪うことも厭わなかったからな。
ちなみに犯人がアントワネットであることは、イジメの内容で明らかである。陰湿で地味な嫌がらせは平成の日本人のものに他ならない。この世界の生粋の貴族の辞書に嫌がらせなどという文字はない、あるのは社会的抹殺または物理的抹殺である。
というのは半分冗談で、魔法には痕跡が残るので、魔法で物を隠したり水浸しにしたりしては犯人だと自白するようなものなのだ。特に旧アントワネットからは文字通り嫌というほど魔法での嫌がらせもされているのだ、お陰で机上を見たときは驚くより先に「ああ、同じ痕跡だな」と頷いてしまった。もちろんアントワネットの取り巻きの子達も仲良く痕跡を残している。
しかし、アントワネットは邪魔である。クラス内での嫌がらせに少々動揺を隠せないお貴族坊ちゃまお嬢様たちを後目に、そんな端的かつ過激な感想を抱かざるを得ない。この学院と言わずこの国、私の前からいなくなってほしいものだ。銀城に失恋したときと異なり、明確に私への害意を持つヤツを許すほど私の心は広くない。
「……シルヴィア、大丈夫? こんな酷いこと、誰がするのかしらねえ?」
「大丈夫よ、なかったことにできたもの」
だがしかし、ここでアントワネットに嫌がらせをしてはアントワネットと同じ穴の狢というやつだ。犯人には気付いていないふりをして講義室を出ると「そ、そうね、シルヴィアが魔法に長けていてよかったわね!」と一緒についてきた。親友演技ご苦労様である。
「シルヴィア、教室が騒がしかったようだが、何があった」
「あら、ベルンハルト殿下」
廊下では、ベルンハルト殿下とロード・ルトガーが私達を待っている。私とベルンハルト殿下とは相変わらず仲良くお友達をやっていて、なんなら他のどの人よりも一緒に過ごす時間が多くなった。お陰様で、今となってはまるで旧知の間柄のようだ。
「こんにちは、レディ・シルヴィア。今日は一段とお美しい、庭園の鯉も恥じらって潜ってしまうでしょう」
ロード・ルトガーの誉め言葉はもはやギャグである。「空飛ぶ雁も落ちてきてくれませんかね?」と窓の外を見るふりをすると笑ってくれた。
「レディ・アントワネットも、貴女の微笑みは千金に値する美しさですね」
「そんな、畏れ多いですわ」
そしてアントワネットはまるで金魚のフンのように私にくっついてきて、ロード・ルトガーと仲良くやっているのである。私に危害を加えないのであればどうぞご勝手に、だ。
「それでシルヴィア、なにかあったのか」
「飲み物を引っ繰り返して基本書が濡れてしまったのです。もう渇いているので問題はないですよ」
アントワネットを庇おうという善人面ではなく、下手に告げ口してアントワネットに報復でもされてはたまらないという小物面である。しかしアントワネットが私が犯人に気付いていないと勘違いしてくれるので一石二鳥だ。
「飲み物を引っ繰り返す、か……」
「ドジっ子なんです、意外と」
「そんなレディ・シルヴィアも可愛らしいですが、本当に意外ですね」
ベルンハルト殿下とロード・ルトガーが意味深に目配せをする。アントワネットが嫌がらせをしていると気付いてくれるとありがたいような気はするが、二人はこの世界屈指の権力者。その“お友達”の私に嫌がらせをしたとバレたら冗談でなくアントワネットの首が飛ぶ。それはさすがに可哀想だ、ただでさえアントワネットにとってベル王子は愛しの君なのに。
……ベル王子が愛しの君。
「……シルヴィア、元気がないな。どうした?」
アントワネットとロード・ルトガーが私達そっちのけでお喋りするのをじっと見ていると、ベルンハルト殿下の心配そうな眼差しが割り込んできた。
「いえ、むしろいま俄然元気が湧いてきました」
「そうか?」
そうです。強がりでもなんでもなく、ピンと閃いたアイディアに心の暗雲が瞬く間に晴れるのを感じる。
もしかしたら、アントワネットを国外追放できるかもしれない。そして二度とこの目に入らぬようにできる。ぐっと、拳を握りしめてしまった。
「あと……あと2ヶ月もしないうちに卒業! 考えただけで気分が明るくなってしまいました!」
「……やはりなにか辛いことがあるんじゃないか?」
眉を顰めながら直球で私のことを慮ってくれるベルンハルト殿下はやはりイケメンだ。それなのに愛する令嬢と死別して王族として政略結婚の覚悟を決めているなんて、健気過ぎて涙が出てしまうキャラ設定だ。
「いいえ、ベルンハルト殿下。貴方の設定ほど辛いことなんてありませんよ」
「生きている人間に設定などと言うな」
「これは失敬しました」
本当に失敬。心の中でたまに背景とか追加コンテンツ野郎とか呼んでたけれど、目の前にいる以上生きている人間なのだった。
「ところでシルヴィア、君もさきほど言ったが、卒業まで2ヶ月を切っている」
「そうですね。来月は『祈りの儀』ですし」
初期の頃にアントワネットから聞いたのだが、ヒロインが『聖女の涙』という最強の回復魔法を使えることが明らかになるのだそう。ヒロインとフレデリク殿下の関係に嫉妬したアントワネットが離宮焼き討ち事件を起こし、王族殺しの汚名まで着せられて一族郎党追放されるというアレだ。
で、それが何か。
「卒業までには返事をもらいたい」
「何のですか?」
「婚約以外にあるか?」
やっべ、忘れてた。思わずそのまま声に出しそうになり、慌てて口を押えるなんて間抜けなことをしてしまった。ベルンハルト殿下は、もちろん大層ご不満そうである。
「……シルヴィア。確かにお友達から始めると言ったが」
「いえ、はい、もちろん、覚えております。そうですね、その頃までには返事をさせていただきたく」
私とベルンハルト殿下が仲良くやっているのも、アントワネットが私に嫌がらせをしてくるのも、もとをただせばそのせいだった。しかし、ベルンハルト殿下とは“いいお友達”をやり過ぎて、うっかり忘れてしまう。
ちらとベルンハルト殿下を見遣ると、呆れたような、悲しいような、しかしどこか安心したような表情をしていた。王子との婚約を忘れる私に呆れ、しかし自身も政略結婚に気が進まないので断られても安心はするのだろう。
ただ、悲しいとはどういうことか。……まあ好きでなくとも女性にフラれて悲しくない男はいないに違いない。
「それより、その、ベルンハルト殿下、どうでしょう。昨日少し趣向を変えた焼き菓子を作ってみましたので、お茶でも。ロード・ルトガーも……アントワネットもぜひ」
「……いただこう」
「あら、いいわね」
「ありがとうございます、レディ・シルヴィア」
それよりなにより、ちょっとばかり気になることがある。その疑惑を確信に変えるべく、私はその日も二人(と流れでアントワネットも仕方なく)をお茶会に招待した。
「あら、レディ・シルヴィアのバッグが湖にでも飛び込んだみたい……!」
心配そうな声で言うのはアントワネット。
そう、アントワネットである。旧アントワネットではなく、水島さんが体を乗っ取った新アントワネットが、水浸しになった私の基本書を見て眉尻を下げているのである。
どこからどう見ても嫌がらせとしか思えない私の基本書の有様に、クラスメイトが騒然としている。そんな彼らの代表のごとく前に立ち、アントワネットはそっと私の顔を覗きこむのだ。
「お可哀想に、どなたの仕業かしら。許せないわ、私の親友にこんなことをするなんて」
お前だろアントワネット……! 雑魚キャラみたいな捨て台詞を吐いていったくせに「親友」とか言うその口、その端が僅かに吊り上がっているのを私が見逃すとでも思ったか。
アントワネットの嫌がらせは、その捨て台詞の次の日あたりから始まった。なんとも幼稚でベタなことに、机上に落書きをしてみたり、物を隠してみたり、ちょっと陰口を叩いてみたり、庭園を歩いているところに頭上から水をかけてみたりしてくるのである。今回はどうやら私が席を外した隙に魔法で基本書を水浸しにしたらしい。
「ねえ皆さん、そう思わない? 誰か犯人を見ていないかしら?」
おい犯人、白々しいぞ。
「心配しないで、アントワネット。すぐに渇かせるわ」
しかしアントワネット、奇娘と呼ばれるほど魔法に傾倒していた私をナメるなよ。
水の魔法を応用し、基本書から水分を抜く。おお、とクラスメイトの感嘆の声を集めながら、シャボン玉のようにふよふよと浮く水玉をそのまま庭に放り投げた。
「ね。これで元通りでしょ?」
笑顔を向けると、アントワネットは「そ、そうね……よかったわ……」と顔を引きつらせた。
アントワネットが何をしようが、旧アントワネットに崖から突き落とされそうになったことに比べれば子供の悪戯よりちょろいのなんの。所詮お前は令和の常識的な日本人、できる嫌がらせも程度が知れてるんだよ。旧アントワネットは私の命を奪うことも厭わなかったからな。
ちなみに犯人がアントワネットであることは、イジメの内容で明らかである。陰湿で地味な嫌がらせは平成の日本人のものに他ならない。この世界の生粋の貴族の辞書に嫌がらせなどという文字はない、あるのは社会的抹殺または物理的抹殺である。
というのは半分冗談で、魔法には痕跡が残るので、魔法で物を隠したり水浸しにしたりしては犯人だと自白するようなものなのだ。特に旧アントワネットからは文字通り嫌というほど魔法での嫌がらせもされているのだ、お陰で机上を見たときは驚くより先に「ああ、同じ痕跡だな」と頷いてしまった。もちろんアントワネットの取り巻きの子達も仲良く痕跡を残している。
しかし、アントワネットは邪魔である。クラス内での嫌がらせに少々動揺を隠せないお貴族坊ちゃまお嬢様たちを後目に、そんな端的かつ過激な感想を抱かざるを得ない。この学院と言わずこの国、私の前からいなくなってほしいものだ。銀城に失恋したときと異なり、明確に私への害意を持つヤツを許すほど私の心は広くない。
「……シルヴィア、大丈夫? こんな酷いこと、誰がするのかしらねえ?」
「大丈夫よ、なかったことにできたもの」
だがしかし、ここでアントワネットに嫌がらせをしてはアントワネットと同じ穴の狢というやつだ。犯人には気付いていないふりをして講義室を出ると「そ、そうね、シルヴィアが魔法に長けていてよかったわね!」と一緒についてきた。親友演技ご苦労様である。
「シルヴィア、教室が騒がしかったようだが、何があった」
「あら、ベルンハルト殿下」
廊下では、ベルンハルト殿下とロード・ルトガーが私達を待っている。私とベルンハルト殿下とは相変わらず仲良くお友達をやっていて、なんなら他のどの人よりも一緒に過ごす時間が多くなった。お陰様で、今となってはまるで旧知の間柄のようだ。
「こんにちは、レディ・シルヴィア。今日は一段とお美しい、庭園の鯉も恥じらって潜ってしまうでしょう」
ロード・ルトガーの誉め言葉はもはやギャグである。「空飛ぶ雁も落ちてきてくれませんかね?」と窓の外を見るふりをすると笑ってくれた。
「レディ・アントワネットも、貴女の微笑みは千金に値する美しさですね」
「そんな、畏れ多いですわ」
そしてアントワネットはまるで金魚のフンのように私にくっついてきて、ロード・ルトガーと仲良くやっているのである。私に危害を加えないのであればどうぞご勝手に、だ。
「それでシルヴィア、なにかあったのか」
「飲み物を引っ繰り返して基本書が濡れてしまったのです。もう渇いているので問題はないですよ」
アントワネットを庇おうという善人面ではなく、下手に告げ口してアントワネットに報復でもされてはたまらないという小物面である。しかしアントワネットが私が犯人に気付いていないと勘違いしてくれるので一石二鳥だ。
「飲み物を引っ繰り返す、か……」
「ドジっ子なんです、意外と」
「そんなレディ・シルヴィアも可愛らしいですが、本当に意外ですね」
ベルンハルト殿下とロード・ルトガーが意味深に目配せをする。アントワネットが嫌がらせをしていると気付いてくれるとありがたいような気はするが、二人はこの世界屈指の権力者。その“お友達”の私に嫌がらせをしたとバレたら冗談でなくアントワネットの首が飛ぶ。それはさすがに可哀想だ、ただでさえアントワネットにとってベル王子は愛しの君なのに。
……ベル王子が愛しの君。
「……シルヴィア、元気がないな。どうした?」
アントワネットとロード・ルトガーが私達そっちのけでお喋りするのをじっと見ていると、ベルンハルト殿下の心配そうな眼差しが割り込んできた。
「いえ、むしろいま俄然元気が湧いてきました」
「そうか?」
そうです。強がりでもなんでもなく、ピンと閃いたアイディアに心の暗雲が瞬く間に晴れるのを感じる。
もしかしたら、アントワネットを国外追放できるかもしれない。そして二度とこの目に入らぬようにできる。ぐっと、拳を握りしめてしまった。
「あと……あと2ヶ月もしないうちに卒業! 考えただけで気分が明るくなってしまいました!」
「……やはりなにか辛いことがあるんじゃないか?」
眉を顰めながら直球で私のことを慮ってくれるベルンハルト殿下はやはりイケメンだ。それなのに愛する令嬢と死別して王族として政略結婚の覚悟を決めているなんて、健気過ぎて涙が出てしまうキャラ設定だ。
「いいえ、ベルンハルト殿下。貴方の設定ほど辛いことなんてありませんよ」
「生きている人間に設定などと言うな」
「これは失敬しました」
本当に失敬。心の中でたまに背景とか追加コンテンツ野郎とか呼んでたけれど、目の前にいる以上生きている人間なのだった。
「ところでシルヴィア、君もさきほど言ったが、卒業まで2ヶ月を切っている」
「そうですね。来月は『祈りの儀』ですし」
初期の頃にアントワネットから聞いたのだが、ヒロインが『聖女の涙』という最強の回復魔法を使えることが明らかになるのだそう。ヒロインとフレデリク殿下の関係に嫉妬したアントワネットが離宮焼き討ち事件を起こし、王族殺しの汚名まで着せられて一族郎党追放されるというアレだ。
で、それが何か。
「卒業までには返事をもらいたい」
「何のですか?」
「婚約以外にあるか?」
やっべ、忘れてた。思わずそのまま声に出しそうになり、慌てて口を押えるなんて間抜けなことをしてしまった。ベルンハルト殿下は、もちろん大層ご不満そうである。
「……シルヴィア。確かにお友達から始めると言ったが」
「いえ、はい、もちろん、覚えております。そうですね、その頃までには返事をさせていただきたく」
私とベルンハルト殿下が仲良くやっているのも、アントワネットが私に嫌がらせをしてくるのも、もとをただせばそのせいだった。しかし、ベルンハルト殿下とは“いいお友達”をやり過ぎて、うっかり忘れてしまう。
ちらとベルンハルト殿下を見遣ると、呆れたような、悲しいような、しかしどこか安心したような表情をしていた。王子との婚約を忘れる私に呆れ、しかし自身も政略結婚に気が進まないので断られても安心はするのだろう。
ただ、悲しいとはどういうことか。……まあ好きでなくとも女性にフラれて悲しくない男はいないに違いない。
「それより、その、ベルンハルト殿下、どうでしょう。昨日少し趣向を変えた焼き菓子を作ってみましたので、お茶でも。ロード・ルトガーも……アントワネットもぜひ」
「……いただこう」
「あら、いいわね」
「ありがとうございます、レディ・シルヴィア」
それよりなにより、ちょっとばかり気になることがある。その疑惑を確信に変えるべく、私はその日も二人(と流れでアントワネットも仕方なく)をお茶会に招待した。
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