二等辺三角形プラス

蒲公英

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十八歳

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 ともあれ、年が変わって数日間の登校のあと、授業がなくなった。駅前に一軒だけある進学塾のガラスには、進路の実績が貼りだされはじめ、ほどなく実施されたセンター試験で足切りを免れた僕も、やっと志望校の特性を考えて第一志望を決めた有様だった。自由登校期間も、ユーキは毎日学校にいたらしい。図書室の古い赤本を開き、弁当を食べ、気分転換に音楽など聴いて。それは卒業式が終わった後に、村井先生が言っておられたことだった。
 結果的にユーキは合格し、関東圏の大学の法学部に行くことになった。僕がまだ試験前だったから気を使ったのか、ユーキは僕から連絡してはじめて、それを僕とオガサーラに言った。この期に及んで数時間のロスなんてどうでもいいと、僕とオガサーラはユーキのアルバイト先の中華料理屋で、ラーメンとギョーザを奢った。店主がレバニラ炒めをサービスしてくれ、コップの水で乾杯した。
「寮はまだ決まってないの。でも決まったら、研修があるからすぐに行く。先に原付の免許を取らなくちゃ」
「卒業式まではいるんだろ?」
 側の声は慌てていたろう。
「行くところが決まらなくちゃ、行けないよ。なるべく学校に近いといいなあ」
 ユーキはとても嬉しそうだった。育った場所や家族と離れなくてはならないのに。そして僕とも。
「連絡先くらい、わかるようにしといて。もっとも俺も、行ってから電話を引くようだけど」
 オガサーラが苦笑いする。
「私も多分、呼び出し電話になると思う。とりあえず住所が決まったら言うよ。マッシモはアパート借りるんでしょ? アナクロだけど文通でもしようか」
 ユーキは陽気に言ったが、バラバラになってしまうのだと、三人が三様に急に自覚したみたいだ。やけにしんみりとした空気になり、お祝いのはずのレバニラ炒めが冷めてしまった。

 僕は僕なりに受験に忙しく、第一志望の大学には落ちて、第二志望に決まったのは二月の終わりだった。その間ユーキからは連絡はなく、ユーキの家に電話をしても誰も出なかった。アルバイト先まで行って進路が決まったことを告げると。ユーキはとでも喜んでくれた。
「マッシモって、すっごく順当な道を歩きそう。ときどき舗装工事中の箇所があっても、途切れてないみたいな」
「なんかバカにされてる気がする」
「してないよ。マッシモのそういうところ、安心する。オガサーラにも言っておくね」
「会ってるの?」
 ユーキとオガサーラが、僕の知らない場所でふたりで会っている! その可能性について、考えたことがないわけじゃなかった。顔も身体もゴツゴツしたオガサーラは、丸いはっきりした目を細めて笑うと人好きする顔になり、女子からも結構人気があった。
「昼間、宅配センターで仕分けのアルバイトしてるの。オガサーラは昼から夜だけど、休憩室で顔を合わせる」
 電話に出ないわけがわかった。家にいなかったのだ。
「そんなに働いてるんだ?」
「学費は奨学金で賄えても、テキストだけですっごいお金が出ていくんだよ。それに入学式のスーツもいるし」
 ユーキのアルバイト先から住まいまで、自転車を押して歩いた。

 玄関扉のベニヤが剥がれかけた、古い木造の公営住宅。僕はユーキの住まいをはじめて知った。
「寄ってく? 寒いけど」
 もう二十一時を過ぎていた。
「こんな時間に、おうちの人に悪いよ」
「私しか住んでないよ。おかあさんは、もう何か月も帰ってきてないから」
 驚くようなことを、ユーキは口にした。
「家賃と光熱費払ってくれただけ、マシかもね。引き落としの口座変えるの、忘れてるだけだと思うけど。あのひと、私に関心ないから」
「帰ってきてないって」
「男の家」
 言い捨てたユーキは、見たことのない顔をしている。お邪魔した部屋の中の暖房器具は炬燵だけで、鴨居にユーキの制服が掛かっていた。
「私が進学することも知らないんだよ、あのひと。書類には勝手に名前書かせてもらったけど、扶養義務を怠ったんだから、それくらい許されると思う」
 小説の中の話を聞いているようだった。
「なんで今まで言わなかったの?」
 つい、口から出た。
「マッシモが真っ当な家の子供だから。変に思われたくないじゃない。マッシモの耳には入ってなかったかも知れないけど、私の家庭環境を悪く言う人はいっぱいいたし、男の教師と寝て試験問題を流してもらってるなんて面と向かって言われたよ。だから私は全教科で、トップでいなくちゃならなかった。模試の成績なんて誤魔化しようのないもので点数が取れていれば、濡れ衣は重くならないから」
 ユーキはマグカップをふたつ出してインスタントコーヒーの粉を入れ、炬燵の上のポットから湯を注いだ。
「なーんてね。もうじき会えなくなるから、種明かし。ユーキは頭が良いんじゃなくて、肩肘張ったガリ勉でしたの」
 炬燵の向かい側に見える小さい顔は、ちょっときまり悪そうな笑いを浮かべていた。

「僕、何も知らなくて」
 恵まれた環境で育ってきた僕に、何が言えたろう。
「知らないでいてくれて、良かったよ。マッシモとオガサーラのおかげで、私は高校生らしい高校生でいられたんだもん。部活動の実績残して、同級生とおしゃべりして。放課後のために学校に行ってたようなもんだ。まあ、少々やっかみは増えたけどね。マッシモもオガサーラも、女の子に人気あったし」
「オガサーラはそうだけどさ、僕は違うだろ?」
「マッシモを気にしてたのは、おとなしい子ばっかりだったよ。少女漫画とかで、見てるだけでいいのって設定があるじゃない。ああいうの」
「信じられないね」
 ユーキの切れ長の瞳が、いたずらっ子のように光った。
「家の中で誰かと喋るのが、久しぶり。こういう距離感って、なかなか得難い」
 家族の食卓に慣れすぎて、母の噂話や妹のアニメの話題にうんざりしていた僕には、その言葉こそ新鮮だった。おそらくそのときから僕は、ユーキと食卓を囲む未来を考え始めたのだと思う。

「進学しても、たまには会えるのかなあ」
 僕がそう言うと、ユーキは小さく首を傾げた。
「休日はあるみたいだけど、新聞って基本毎日配るものだよね。寮に入るわけだし、おそらくあんまり遠出できないと思う」
「帰省もなし?」
 迂闊な言葉が出たのは、自分のパターンと同じように、長い休みに実家に帰るのは当然だと思っていたからだ。
「帰省? どこに?」
 ユーキは皮肉に笑う。
「マッシモはやっぱり、真っ当な家の子だね。私もマッシモになりたかった」
 こんな日々を僕たちに対してさえ愚痴もこぼさず、ただひとりの夜を過ごしてきたユーキの強さ。それは片手で掴んでパキリと折れる、曼殊沙華の茎に似ていた。
「私の故郷はマッシモとオガサーラの中にあるんだ」
 炬燵の天板の端を見つめながらそう言ったユーキの表情を、僕が忘れることはなかった。
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