破れ鍋の使い道

蒲公英

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 まだ八時だよなと思っていたところで、呼び出しのメッセージが来た。同棲している彼女が夜勤だから、これから来いという。近所なので気軽に行けるアパートだ。
 冷蔵庫を覗いて、冷やしてあった炭酸水と冷凍の唐揚げを持ち出そうとすると、どこに行くんだと母親に質問された。
「蜂谷ん家。炭酸とツマミ持ってきてって」
「それは梅シロップを割る用。唐揚げは母のお弁当のおかずだから、持ってかないで。コンビニで調達してけばいいでしょうが」
「給料日、明日なのに。三千円しかない」
「それは母のせいじゃない。とにかく置いてって」
 手の中のものを取り上げられ、仕方がないのでコンビニで調達することにする。うるさく言われるのが嫌なら、早く独立すれば良いようなものだが、まず元手がない。
 貯金しないとなーと呟きながらも、月初に決意した貯める分は月末に消えている。別に高価なものを買っているわけでもないのに、何故なくなるのかは本人にも謎だ。

「来たよー」
 勝手知ったるなんとやらで、友達の家の食器棚からグラスを出す。友達は友達で、ゲームの画面から目を離さずに挨拶をする。一緒に住んでいる彼女は介護職だから、週に二度ほど夜にいない日があるらしい。そうすると手持ち無沙汰になるらしく、健太にお呼びがかかる。さすがにフルとは言わないが、外に飲みに行くのも億劫なので、部屋着のまま歩いて行ける場所があるのは嬉しい。
 彼女がいないときに部屋に入って怒られないのか、と母に訊かれたことはある。いないんだからいいじゃん、と答えた記憶はある。ふーん、私は知らないうちに家に人が入ったら、嫌だけどね。蜂谷の彼女は気にしないみたいよ。そんな会話だったと思う。

 持ち込んだスナック菓子を開け、健太もゲームの画面を見た。黙ってウイスキーをグラスに入れ、炭酸水で割るだけだ。別に何の話をするわけでもなく、夜が更けてゆく。
「田口の結婚式、今日だったんだよな」
「高校入学直後からつきあってたよな。お互い、他に目が行かなかったのかな」
 女の子と長続きしない健太には、相手がひとりしか知らないって状態が、よくわからない。
「目は行くよ。隙あらばってのも思う。だけど彼女と別れるってのとセットで考えると、見てるだけにしとく」
「向こうから寄ってくるかも。田口じゃナイか」
「彼女がいるの知ってて寄ってくる女なんて、はじめっから地雷じゃん」
「彼女と別れないことが前提なんだな」
「別れるつもりがあれば、女なんかいなくたって別れるだろ」
 あくまでも決まった相手がいる人間の意見だ。目の前に出されたものを食うのは、腹が満たされていないからか。
「俺も彼女、欲しいなあ」
 好きな子なんて、ここ何年もできていない気がする。

 適当に酔っぱらって家に帰れば、ジーンズだけ脱いでベッドに転がってしまう。蜂谷の家で使ったグラスを、洗ったかどうかは覚えていない。
 まだ中学生のころ、好きな子がいた。ソフトボール部のレギュラーで、陸上部だった健太は、校庭で彼女が練習しているのを見るのが楽しみだった。わりとハッキリした性格で、教室の中でも男子と対等に喋る子なのに、一度だけ泣いているのを見たことがある。何かの採決で意見が割れたとき、どういう弾みか彼女が槍玉に上がった。いわゆる女叩きの発言が飛び交って、彼女が泣きだすと、誰かが勝ち誇ったように言う。女は感情的になって、すぐ泣く。女の意見なんて、そんなもんだ。
 庇いたかったのに、好きだと噂になるのが嫌で、健太は黙って横を向いていた。
 苦い記憶が蘇って、健太は寝返りを打つ。あの子、元気で可愛かったんだよなあ。あの『好き』は、胸が大きいとかセックスができるとか、そんなんじゃなかった。


 こう見えても、宅地建物取引士である。莉乃の説明を薄ら笑いで聞いているおじさんに、説明を受けたって判は押させた。
「ではご理解いただいたということで、契約書にもう一度お目通しいただきまして」
「川島さんは? 俺の担当は川島さんじゃないの?」
「部長の川島は工事が担当ですので、契約後から本打ち合わせになります。本日は契約担当の私が、承ります」
「姉ちゃんの話だけじゃ、頼りなくってなあ。川島さん呼んでよ」
「さようですか。経験不足で申し訳ございません。少々お待ちいただけますか」
 後ろを向いた莉乃は思いっきり下唇を突き出したあと、内線で川島部長を呼んだ。こんなことは、別に珍しくない。

 無事に契約が終わって客が帰ったあと、盆の上に茶碗を乗せながら、莉乃は文句たらたらだ。
「だから最初から立ち会ってくれって言ったじゃないですか。結局二回も同じ話させられて」
「まあまあ。マンション一室って言っても、客には高い買い物なんだから」
 大きな金額が動くからこそ、毎回念入りに書類を作り金融機関に打診をして、客に損失が出ないように自社に不利益が出ないように、細心の注意を払うのだ。それなのに、客はそんなことは知ったこっちゃない。
「私、インテリアコーディネーターの募集で入社したんですけど」
「仕方ないでしょ、宅建士が辞めちゃったんだから」
 莉乃が入社したときに、事務方にはベテランの宅建士がいた。押し出しの良い中年の男性だったが、家庭の事情で辞めてしまい、まだ入社したての莉乃が有資格者だと後任に据えられた。
 好きなことを仕事にしようと、インテリアを学んだのだ。建設会社に就職するなら持っていた方が有利だと言われて取った資格は、あまり嬉しくない職種の移動にしかならなかった。
「あのおじさんの部屋のリフォームで、インテリアの仕事、ありません?」
「壁紙と水回りだけだ。まあ、何かあったら頼むわ」
 ふうと溜息を吐くが、この会社はこの会社で良いところがあるからと、自分を納得させる。機会を待って、飛び込む先を探そうとは思っている。

 受付カウンターでファイルを纏めていると、何やらここのところ、やけに頻繁に見る顔が入ってきた。
「コンニチハー」
「いらっしゃいませ。川島は外出中ですが、お約束でしょうか」
「約束じゃありません。これ、みなさんで」
 スナック菓子がいくつも入っている袋を出し、健太はニコニコしている。
「近くを通ったから、富田がいるかなーって」
「いるわよ、内勤なんだから。何か用?」
「用じゃないけど、SNSが素っ気ないから」
「なんであんたの機嫌取らなきゃならないわけ?」
「えー、だって何かの縁じゃん」
 なんか、懐かれてしまったらしい。
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