肩越しの青空

蒲公英

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熊には乗ってみよ 2

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 先輩とお酒を飲みに行ったのは、その後のことだ。先輩の勤め先には男の保育士さんが何人かいるみたいだけれど、仕事を離れてお酒を飲むことはあまりないと言う。
「保育士同士って、お酒の席でどんな話するの?」
「普通だよ。仕事の話とバカ話、半々。男同士だとシモネタに走るし」
「ロリコンの保育士とかっていないの?」
「産婦人科医が助平だと思うか?」
 確かにそうですね、失礼しました。

 あたしはお酒が結構強い。色が白いのが幸いして、顔が上気すると周りの人は酔っていると思ってくれるから、あんまり無理強いされないお得なタイプだ。だから普段なら、潰れることも記憶をなくすこともない。先輩がどういうタイプの酔い方をするのか、じっくり観察してやろうと思う。

 土曜の晩に待ち合わせて、居酒屋に行く。気を張る相手じゃないし地元だしで、ジーンズ着用だ。スポーツクラブで汗だらけの顔を見せてるのに、めかしこんだって無駄でしょう。
「なんだ、この前みたいに女の子っぽい格好じゃないんだ」
 ああ、柏倉と待ち合わせしてた時のことか。自覚している通り、女の子っぽい服は似合うんだ。そうすればそうするほど、中身と乖離していくけど。
「先輩と会うのに、おしゃれなんかしません。普段ジャージで歩いているような場所だし」
 ちょっとがっかりしてるかな。でも先輩だって、Tシャツにジーンズじゃない。先輩が気張っててあたしが普段着なら申し訳ないけど、釣り合いは取れてるでしょう。

 途中で顔馴染みとばったり会ったり、知らない店ができてるなんて言い合ったりで、地元のお気楽ムード満載。これでデート仕様じゃ、却っておかしいんじゃないかと思う。共通の知り合いがいたら、合流しかねない勢い。
 チェーンの居酒屋に腰を落ち着け、まずはビールで乾杯。
「何に乾杯?」
「とりあえず、はじめて一緒に酒を飲むってことに」
 メニューを広げた先輩は、あたしの食べる量の三倍くらいを、一度にオーダーした。サラダから揚げ物まで、テーブルの広さが気になるくらいの量だと言っていい。
「まずは、こんなとこかな」
「え? 余るくらい頼んだじゃない」
「篠田の倍の身体を維持するんだぞ。しかも、ガキ相手の肉体労働だ」

 あたしの弟も、あたしに較べれば食べる量は格段に多い。(大きくならなかったけど)会社の宴会では誰が何を食べてるかなんて知らないけど、男の子とご飯を食べに行っても、よく食べるなーくらいの感慨はある。だけどこれは……うーん。次々と運ばれる料理を見ながら、驚嘆する。身体の大きさが違うって、使うエネルギーも違うってことだ。
「篠田、ずいぶん食が細いな」
「あたし、熊じゃないもん」
 ビールからチューハイに切り替えた先輩は、機嫌良く笑った。

 よく食べて飲む人だ。酔ってくると口数が減って、にこにこするだけの人になるらしい。機嫌の良い酔っぱらいは好きだ。絡むでもなくくどくなるわけでもなく、ただ淡々と飲んで食べて、あたしの話を聞き流してる。
 最後に甘いものでも食べちゃおうかなあ、なんてメニューを検討して、顔を上げると目が合った。
「言ったことあったっけ?」
「何を?」
「篠田って、可愛いよね」
 はい?なんですか?他の男から聞いたことはあっても、先輩からは聞いたことのない言葉ですが。

「酔ってます?」
「ちょーっとね(と、親指と人差し指で尺を示してみせた。オヤジくさい)。でも、いつも可愛いぞ」
 これはちょっと、調子が狂う。
「何が可愛いって、その向こうっ気の強さとか待ったなしの性格とか」
 そっ……それは普段、欠点として並べられているものなんですが。
「先輩、潰れないでくださいね。あたし、先輩は担げませんから」
「潰れるほど酔ってない。大丈夫だ、無事に送って行くくらいの理性は残ってるから」
 あの、あたしの家、歩くとたっぷり30分はかかるんですけど。

「タクシーで帰るから、送ってもらわなくても。遠いし」
「いや、送る。酔い覚ましがてら歩こう」
「遠いってば」
「山超えるわけじゃないだろ?送らせろ」
 ああ、先輩の中では決定事項なわけだ。いや、送らせるのは構わないんだけどさ、実家だから無理矢理部屋に入って来られるわけじゃなし、途中に物騒な空き地や植込みのある道順じゃなし。
「今日、スニーカーじゃないし」
「疲れたら、背負ってってやる」
 何を言っても無駄ですか? 決めちゃってるんですね? あたし、サンダルで30分歩くのが決定なんですね? 足、だるそう。

 仕方なく一緒に歩く夜の道。あたしの家とは方向の違う先輩は、多分往復1時間以上。
「先輩だって、帰りが遅くなるばっかりじゃない」
「遅くなるより、名残惜しい方が上」
 ご機嫌さんな声だなあ。延々と歩く道は、大きな通りから少しそれると、長閑な住宅街になる。歩いている人なんて、もうほとんどいない。

「篠田」
 ふいに立ち止まった先輩が、いきなり呼ぶ。ん? と振り仰ぐと、顔がびっくりするほど近くにあった。
「本当に不便だな、不意打ちもできない」
 両頬を手で挟まれて、熊があたしの高さに屈む。いいよ、少なくともイヤじゃないから。唇に何度も触れるだけ、きっとこっちが受け入れ準備の合図をしなければ、この人は踏み込んで来ない。キスしながら背中に回った掌は、どっしりした安定感だ。
「名前で呼ばせろ、静音」
 拒否しないことが肯定の返事だって、先輩はわかっているかしらん。

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