トクソウ最前線

蒲公英

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平和とは

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 日報を書いたあとに由美さんはすぐに帰宅し、モップや雑巾を洗っている洗濯機が止まるまで自分があるからと、他の人にも帰ってもらった。別に予定はないし、自分が一番体力があるのだからと、自然にそう思ったのだ。早く終わらないかなーとスマホを弄り、ぐーっと伸びをしていたら、竹田さんが帰ってきた。
「あれ、まだいたの?」
「洗濯機の終わり待ちです」
 竹田さんはもう私服になっているから、工事終了の報告にだけ来たのだろう。
「なんか大荷物だな」
 和香の膨らんだトートバッグを見て、竹田さんが言った。
「あ、舘岡中のアンズです。竹田さんも欲しい?」
 ビニール袋を引っぱり出して分けようとすると、いらないよと苦笑する。
「ちょっと副社長に報告だけしてくるから、疲れたお兄さんにコーヒー淹れといてくれない?」
 言葉の途中で、洗濯終了のブザーが鳴った。
「あ、終わったか。じゃ、いいや」
 簡単に言い捨てて、部屋を出ていく。疲れたお兄さんは、腰が軽い。

 洗濯物を干し終わっても、竹田さんは戻って来なかった。日報はまだ書いていなかったから、副社長の部屋からまっすぐ帰宅することはないはずだ。別に待っているような用事はないけれど、戻ってこないなと、なんとなーくドアを気にしてしまう。もう着替えも帰り支度も終わっているのだから、そのまま部屋を出て帰れば良いのに、また席に座ってスマホを弄りはじめる。
 かちゃりと音がしてドアが開いて、和香がスマホから顔を上げると、竹田さんの目が大きく開いた。
「あれ、まだいる!」
「どうせヒマですから、疲れたお兄さんにコーヒー淹れてから帰ろうかと思って」
 立ち上がってドアを開け、会社のキッチン(個別の給湯室なんて上等なものはない)で竹田さんのカップにインスタントコーヒーを作る。いつも加糖の缶コーヒーだから砂糖とミルクも入れるんだろうなと見当をつけ、適当な分量だ。

 部屋に戻ると、竹田さんは日報を書いていた。口頭での報告は済んでいるので、施工内容と時間だけの簡単なもののようだ。
「お、サンキュ。悪いな、こんな時間に」
「……帰っても何があるわけじゃありませんし」
「何もないって、平和だぞ。投げた茶筒の蓋が開いて台所がお茶っ葉だらけになってるとか、壁殴ってコンパネ割って骨組みが見えるとかって事態だと、帰って休憩ってわけじゃない」
 淡々とした言葉だけど、それがごく一部の日常だとしたら、和香には想像もできない。黙って下を向いてしまうと、日報に向かったまま竹田さんが言葉を繋いだ。
「まあ助けてくれる制度は使えるだけ使ってるし、俺も早い時間に帰れるから。今は入院させてるから、平和だ。お袋が疲れちゃってるからな」
 明るい声で言っているが、内容はヘビーだ。大変ですねなんて労いじゃ、あまりにも上滑りになる。

「内装屋さんに戻りたいですか」
 昼間に学校で作業していたときの竹田さんは、和香から見たら羨ましくなるくらい楽しそうだった。
「ああ、まあ焦りは確かにあるわな。だけど家のほうもあのまんまにはできないし、しょうがねえわ。聞いてるかも知れないけど、親父が施設に入れるようになったら、俺は抜けるからな。でも、清掃業も勉強になるよ」
 そこで書き終わった日報をパタンと閉じ、竹田さんはコーヒーを一気に飲んだ。
「日常清掃で勉強って、メンタルが鍛えられるってことですか」
 実際、和香は高齢者相手に指導するたびに、メンタルがすり減る気がする。
「榎本じゃあるまいし、豆腐じゃないよ。メンテナンス性とかって前は重視してなかったけど、日常的に清掃しやすい形がどうとか考えるようになった」
「え、職人さんって図面通りに工事するんですよね?」
 まさか現場で、こっちの方が清掃しやすいとかって変えるわけがない。
「あのね、清掃業が全員現場に出てるんじゃないでしょ。内装は内装だけど、俺はデザイナーだよ?」
「嘘! 似合わない!」
 つい言葉に出てしまい、和香は口を押えた。
「おまえ、ほんっとーに何気に失礼だな。駅の手前の雑貨屋、壁からレイアウトまで俺だよ。帰りに見てけ」

 お疲れさまでした、と会社を出た。竹田さんがいなくなるのは確定で、あの口ぶりだとそんなに遠い未来じゃない。そのときに和香はどう動けば良いのか。時間はまだあり、考えるのはひとりじゃなくて相談相手がいる。相談相手がいるのだ。
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