芙蓉の宴

蒲公英

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戻り霜の降りる枝 6

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 空いてしまった休日を持て余し、不安な気持ちを落ち着けるために、一日中パソコンに向かっていた。頭の中の物語を吐き出している時間は、他のことを考えなくて済む。つまり私はやはり、物書きなのだ。他人が認めようが認めまいが、私自身がそう思っていれば正解なのだと改めて思う。そうして週末の二日間のうちに短編を仕上げ、依頼が来たとき用のストックのフォルダに入れた。
 急用ができて、と彼女は言った。何か切迫した話しぶりで、事情は聞かなかったが一週間延ばすことに否やはなかった。週のはじめに予約してある大学病院ですぐに検査するとしても、結果は来週中になんて出ない。今日も来週も、条件は同じようなものだ。それならば、このじくじくとした不安感に慣れて、多少なりとも開き直れそうな来週のほうが都合が良いかも知れない。
 怖くて、アルコールが飲めない。油気の強いものも辛い味付けのものも、摂取してはいけないような気がする。別に何の制限も受けていないのに、勝手に自分の脳がストップをかける。こんな不安が続くくらいなら、いっそのこと今ガンだと宣言してくれ。
 今時、ガンは死に至る病ではないと、報道でも散々言われているにも関わらず、それでも不安なのだ。これはおそらく、未知の病への不安だ。もしくは、腹に刃物を入れるというイメージへの不安。
 食事が喉を上手く通らないし、今まで自覚症状などなかったのに、消化中に胃が痛むような気がする。いっそのこと診断確定すれば、このビクビクした感情は落ち着くのか。

 検査結果が出るのは、二週間後だという。そんなに時間が掛かるのかと驚きながら、次はどうなるのかと医師に質問する。
「念のために生検の結果より先に、大腸の内視鏡もしておきましょう。受付で予約してください。もしもの話はできませんので、出揃ってから相談しましょう」
 時間を引き延ばされたように感じながら、週末は彼女に会えると思う。家の近所の梅はそろそろ花を散らしはじめてしまっているが、出先はどうだろう。何種類か植えてあるのならば、実を採るために植えてある林よりも花期が長いかも知れない。
「今週は土曜日がお休みの週なんです。先生はいかがですか」
 伝えてきた彼女の声は明るかった。私自身は土曜日は休みなので、遠出をするのならばそちらのほうが有難い。出歩くのも翌日の疲れを考えるような年齢になってしまった。まして今は、普通じゃない。心も、認めたくないが身体も、曇りなく健康とは言い難いのだ。
「面倒事があって、少し鬱屈しているんです。だから花を見ながら散歩すれば、癒されそうな気がして」
「何かありましたか」
「お会いしたら、愚痴が出るかも知れません。あまり気持ちの良い話ではなくて」
「存分に愚痴って結構ですよ。もの言わざるは腹ふくるるわざ、なんて言いますから」
「先生も何か、おっしゃってください。私の気ばかり済ませても」
「では、こちらも存分に。覚悟しておいてください」
「いやだ、怖い」
 相手の声が明るいと、こちらの気分も晴れる。病は気からとは、よく言ったものだ。泣こうが笑おうが検査結果が変わらないのであれば、少しでも快く過ごした方がいい。
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