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file.2 資産家の死
14.心の在り方
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「緑叔母さん」
静かな三人目の声が執務室に響く。
慈の背後、出入り口から姿を現したのは、当事者でもある紡だった。
いつも溌剌とした笑みを浮かべる彼女の顔に、その面影はない。正しく能面のようで、痛ましいことだと慈は目を伏せた。
紡が悲痛に満ちた面持ちで、座り込む叔母に目を向ける。
「…………そんなにも、お金が大事でしたか」
問う紡の声は震えていた。その頰には幾筋もの涙が弧を描いている。
「何が言いたいのよ」
「言いたいんじゃありません。わからないから聞いているんです。おばあちゃんの死を、あなたの母の死を悲しむよりも、遺産を継ぐことの方が大事でしたか」
祖母の葬式の時、たった一瞬だけでも叔父叔母が死を悼んでくれたなら。
その上で、相続を希望していたなら。
せめて、話し合うことができていたのなら。
今とは違う未来があったかもしれないのに。
そんな後悔とも言えない思いが紡の胸中に蟠る。
女は、答えなかった。ぼんやりと中身のない目で虚空を見つめ、ずるずると背の執務机にもたれかかっている。
幽鬼さながらに変わり果てた叔母の姿に、紡は大粒の涙を一つ零し、濡れた目元を服の袖で強引に拭った。
力なく震えていた唇はキュッときつく引き結ばれ、双黒の瞳には力強い光が輝いている。
「これで、お別れですね。ーーさようなら、緑叔母さん」
心に残っていた全ての敬意を込めて、紡が最敬礼をした。
不意に、手の内の携帯端末が着信を知らせる。画面には愛すべき従兄からメールが届いたという通知。
躊躇いなく開いて確認すれば、あちらでも同じく不法侵入していたという紡の叔父を現行犯逮捕したと書かれていた。どうやら慈の推測は的中してしまっていたらしい。
これで、紡は本当に身内を失ってしまうのか。
そう思うと、何故彼女ばかりが不遇に見舞われねばならないのかと行き先のない怒りが胸込み上げる。
いつの時代も、人間は呆気なく道を踏み外してしまう。
けれど、それをただ感情に任せるでもなく、悲嘆に暮れるでもなく、未来を見据え決意を抱いた友人。彼女のその精神をこそ尊ぼう。
慈は静かに、友人の凜然たる姿を目に焼き付ける。
得難い友を得たことを心から誇り、慈はまた穏やかで美しい笑みを取り戻した。
静かな三人目の声が執務室に響く。
慈の背後、出入り口から姿を現したのは、当事者でもある紡だった。
いつも溌剌とした笑みを浮かべる彼女の顔に、その面影はない。正しく能面のようで、痛ましいことだと慈は目を伏せた。
紡が悲痛に満ちた面持ちで、座り込む叔母に目を向ける。
「…………そんなにも、お金が大事でしたか」
問う紡の声は震えていた。その頰には幾筋もの涙が弧を描いている。
「何が言いたいのよ」
「言いたいんじゃありません。わからないから聞いているんです。おばあちゃんの死を、あなたの母の死を悲しむよりも、遺産を継ぐことの方が大事でしたか」
祖母の葬式の時、たった一瞬だけでも叔父叔母が死を悼んでくれたなら。
その上で、相続を希望していたなら。
せめて、話し合うことができていたのなら。
今とは違う未来があったかもしれないのに。
そんな後悔とも言えない思いが紡の胸中に蟠る。
女は、答えなかった。ぼんやりと中身のない目で虚空を見つめ、ずるずると背の執務机にもたれかかっている。
幽鬼さながらに変わり果てた叔母の姿に、紡は大粒の涙を一つ零し、濡れた目元を服の袖で強引に拭った。
力なく震えていた唇はキュッときつく引き結ばれ、双黒の瞳には力強い光が輝いている。
「これで、お別れですね。ーーさようなら、緑叔母さん」
心に残っていた全ての敬意を込めて、紡が最敬礼をした。
不意に、手の内の携帯端末が着信を知らせる。画面には愛すべき従兄からメールが届いたという通知。
躊躇いなく開いて確認すれば、あちらでも同じく不法侵入していたという紡の叔父を現行犯逮捕したと書かれていた。どうやら慈の推測は的中してしまっていたらしい。
これで、紡は本当に身内を失ってしまうのか。
そう思うと、何故彼女ばかりが不遇に見舞われねばならないのかと行き先のない怒りが胸込み上げる。
いつの時代も、人間は呆気なく道を踏み外してしまう。
けれど、それをただ感情に任せるでもなく、悲嘆に暮れるでもなく、未来を見据え決意を抱いた友人。彼女のその精神をこそ尊ぼう。
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