白い魔女と小さな魔女

ノムラユーリ

文字の大きさ
49 / 58
ごにんめ

第9回

しおりを挟む
 夢魔はじっと見つめるように真奈ちゃんに顔(だと思う)を向けており、私が扉を開けたことに気が付くと、ゆっくりとした動作でこちらに頭をあげた。

 ただの黒い影のはずなのに、そこにはちゃんとした顔があって、無表情でこちらを見ているような、そんな気持ち悪い、怖しい感覚。

 私は逃げることもできなくて、ただその場にじっとしていることしかできなかった。

 どうしよう、助けを呼びたいのに、声が出ない。

 逃げ出してしまいたいのに、足も動かない。

 真奈ちゃんは瞼を閉じて、すうすうと寝息を立てていた。

 アリスさんも、そんな真奈ちゃんの足元に突っ伏し、ぴくりとも動かない。

 もしかして、アリスさんは、この夢魔に襲われて――

 そんな恐ろしい妄想が頭に浮かぶ。

 しばらく視線(だと思う)が交わり、やがて一歩、夢魔が足を踏み出した。

 まるで猫のような足の動き。

 足音もなく、夢魔は動けない私との距離を詰めてくる。

 私は思わず悲鳴をあげようと口を開いて。

「――静かに」

 夢魔が数歩手前で手を動かし、宙に横線を引くようにして、私の口を無理矢理閉じた。

 魔法使いが、人を黙らせるために使っている魔法だ。

「んんっ! んんん――っ!」

 まるでファスナーで閉じられたように、私の口は開かなくなる。

 私は焦り、両手で口を覆った。

 これでは何もできない。助けも呼べない。

 一気に恐怖が押し寄せ、目に涙が浮かぶ。

 そんな私の目の前に佇む、夢魔。

「静かに」

 夢魔の見えない口が、聞き覚えのある声で再びそう言った。

 真帆さんだ。

 真帆さんの声で、夢魔が喋っているのだ。

 かつて、夢の中で真帆さんに擬態して私たちを襲った、あの時のように。

 夢魔は小さくため息(それが本当にため息なのか、私にはわからない)を吐くと、
「……危害を加えるつもりは、ない」
 そう口にした。

 そんなの、信じられるはずもない。

 あちら側でジャバウォックをひと飲みにしてしまったほどの化け物だ。

 私なんて、ひとたまりもないだろう。

 そんな化け物の言うことなんて、信じられない。

「なら、これならどうだ」

 夢魔が口にした途端、その身体がするすると収縮していった。

 それまで人の形をしていた影が、途端に小さな黒い猫へと姿を変えたのだ。

 黄色い瞳に、ピンと尖った三角の耳。足元は白い靴下を履いているかのようで、ちょこんと座り、私を見上げる。

「――これなら、怖くないだろう」

 その声は、低い、男性のものになっていた。

「え、あ、あぁ……」

 変なうめき声が、私の口から漏れた。

 なんて答えればいいのか、わからなかった。

 見た目の上でいえば、確かに怖くはなくなったかもしれない。

 けれど、だからと言って、この存在が夢魔であることに変わりはない。

 いつまた襲ってくるかわからないのに、猫に擬態したところで、怖くなくなる、なんてこと、あるわけがない。

「落ち着け」

 再び夢魔が、その猫の形で口を開いた。

 それからすっと真奈ちゃんの方に顔を向けて、
「真奈なら、無事だ。あの白い女にも、何もしていない」

 真奈ちゃんは相変わらず静かに寝息を立てており、アリスさんもよくよく見れば、背中が静かに上下し、ちゃんと息をしているようだった。

 それに安堵していいのかどうか、私にはわからなかったけれども。

 夢魔は再びこちらに顔を向けると、
「真奈を守るためには、その心を覆うしかなかったんだ」

「心を、覆う――あっ」

 いつの間にか、私にかけられていた魔法が解けていた。

 今なら、叫ぶことも、助けを呼ぶこともできるだろう。

 だけど、夢魔にじっと見つめられて、私にはそんなことをする勇気が出なかった。

 夢魔は続けた。

「ワタシが真奈の心を覆ってしまえば、真奈は記憶を失わずにすむからな。助けがくるまで、ワタシはただ、真奈を守るために注力していたんだ」

「……なんで、そんなことを」

 すると夢魔は少し考えるような仕草をして、
「子を思う親の心、というやつだ」

「お、親……?」

「ワタシは、ずっと真奈の母親……真帆の中にいた。真帆が成長するにつれて、ワタシという存在には、やがて自我が芽生えた。かつてのワタシは、ただそこに存在する為だけに魔力を貪る獣だった。だが、今は違う。ワタシは真帆を介して、この世界について、社会について、生命体について、人について、様々なことを学んでいった。ワタシもその中の、魔力から新たに生まれた、ある種の生命体的存在なのだと認識するようになっていった。これは、非常に興味深かった。ワタシの学んだ限り、魔力から直接新たな生命体が生まれたという記録はなかった」

 あまりに饒舌なものだから、私は呆気にとられるばかりだった。

 この猫は、この夢魔は、いったい何を言っているのだろうか。

 これは、何の話をしているのだろうか。

「ワタシはワタシを知らない。ゆえに、ワタシは真帆の中で、真帆と共に、ワタシという存在を見つけていくことにした。これまでの数十年、ワタシは真帆と共にあったのだ。しかし、ある時を境に、ワタシは真帆の娘――真奈の中にいた」

「そ、それは、どういうこと……?」

 わからん、と夢魔は首を振って、
「真帆が真奈を産んだ瞬間から、ワタシは真奈の中にいたのだ。或いは、真奈が優と真帆の複製であるように、ワタシもまた、真帆の身体から真奈の身体に複製された存在なのかもしれない。それを確かめたことはない。いずれにせよ、ワタシは真奈が生まれた時から今まで、ずっと真奈の中にいた。真奈を娘のように、ずっと見守っていたのだ」

 夢魔が、見守っていた? 真奈ちゃんを?

 とても信じられなかった。

 だって、かつて夢魔は、あれだけ私たちを襲っていたのに。

 多くの魔法使いたちの命を奪ってきたというのに。

 夢魔はもう一度真奈ちゃんの方に視線をやって、
「これまでワタシは、こちらの世界ではこのように実体化することができなかった。恐らく、真奈があちらの世界に迷い込んだことが関係しているのではないだろうか。あちらに漂っていた魔力が、ワタシという存在に、実体化させるほどの力を与えたのだ。そう考えて間違いないだろう」

「実体化……」

 確かに、夢魔はこれまで、夢の中かあちらの世界に行ったときにしか、その姿を現すことはなかった。

 けれど、そんな、そんなことって……

 夢魔は私に視線を戻すと、
「――お前たちがワタシを恨んでいること、憎んでいること、恐れていることは重々承知している。かつてのワタシは、魔力を貪るだけの獣だった。だが、信じてほしい。今のワタシに、そのような意思は微塵もない。それよりもワタシはただ、真奈が元気に育ってくれることを、心から願っているのだ」

 じっと私を見つめる夢魔の瞳は、とても真摯で、輝いていて。

 だけど。

「それを、信じろって言うの……?」

 夢魔は小さくため息を吐き、
「――まぁ、無理だろうな。ワタシがかつて魔法使いを死に至らしめていたのは、否定しようのない事実なのだから」

 だから、と夢魔は真奈ちゃんの方へ身体を向け、まるで本当の猫のように、トテトテと歩きながら、その小さなお尻としっぽを揺らして、

「これからのワタシを見ていてくれ。今は、それしか言うことはできない」

 言って、真奈ちゃんの眠るベッドにぴょんっと飛び乗った。

 一瞬、私は身を乗り出し、手を伸ばして夢魔を真奈ちゃんから引き離そうと試みたのだけれど、

「クルルル――」

 喉を鳴らしながら、真奈ちゃんの頬に頭を擦り付ける夢魔のその姿に、伸ばした手を再び下げた。

 夢魔の姿は、猫以外の何者でもなかった。

 そこには、かつて恐怖した夢魔の姿なんて、どこにもなかった。

 ただの猫が、いるだけだった。

「――んっ」

 真奈ちゃんが、ゆっくりと瞼を開いた。

 自分の頬に擦り寄ってくる猫に気付き、驚くような表情を浮かべてから、けれどすぐに笑顔になって、
「猫ちゃん、どこから来たの?」

 そんな真奈ちゃんの声に、アリスさんも「う……んんっ」と目を覚まして、上半身を起こした。何度も瞬きして、目を覚ました真奈ちゃんに、涙を浮かべる。

「ま、真奈ちゃん! 良かった! 真奈ちゃん!」
 アリスさんはぎゅっと真奈ちゃんの身体を抱きしめ、
「良かった! 目が覚めたのね! 大丈夫? 自分のお名前、わかる? ママの名前は? パパの名前は? 私の――名前は?」

 そんなアリスさんの様子に、真奈ちゃんは眼を大きく見開いて、戸惑いの表情を浮かべてから、

「な、なに、どうしたのアリスさん! えっ? ええっ?」

「良かった! 私の名前、ちゃんと言えるのね! ママの名前は? パパの名前は?」

「え、ええぇ! なになに? マホとユウでしょ? それが何? どういうこと?」

 ……この様子なら、たぶん、大丈夫なんじゃないだろうか。

 夢魔は満足げに尻尾を揺らしながら、アリスさんと真奈ちゃんのふたりを見つめていた。

 今もまだ夢魔の言っていたことを信じてよいものかわからないけれど、今はとにかく、みんなに真奈ちゃんが意識を取り戻したことを知らせるべきだろう。

 私は寝室に背を向けると、今だ話し合いの声が聞こえる、応接間へ向かったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界召喚は7回目…って、いい加減にしろよ‼︎

アノマロカリス
ファンタジー
『おぉ、勇者達よ! 良くぞ来てくれた‼︎』 見知らぬ城の中、床には魔法陣、王族の服装は中世の時代を感じさせる衣装… 俺こと不知火 朔夜(しらぬい さくや)は、クラスメートの4人と一緒に異世界に召喚された。 突然の事で戸惑うクラスメート達… だが俺はうんざりした顔で深い溜息を吐いた。 「またか…」 王族達の話では、定番中の定番の魔王が世界を支配しているから倒してくれという話だ。 そして儀式により…イケメンの正義は【勇者】を、ギャルっぽい美紅は【聖戦士】を、クラス委員長の真美は【聖女】を、秀才の悠斗は【賢者】になった。 そして俺はというと…? 『おぉ、伝承にある通り…異世界から召喚された者には、素晴らしい加護が与えられた!』 「それよりも不知火君は何を得たんだ?」 イケメンの正義は爽やかな笑顔で聞いてきた。 俺は儀式の札を見ると、【アンノウン】と書かれていた。 その場にいた者達は、俺の加護を見ると… 「正体不明で気味が悪い」とか、「得体が知れない」とか好き放題言っていた。 『ふむ…朔夜殿だけ分からずじまいか。だが、異世界から来た者達よ、期待しておるぞ!』 王族も前の4人が上位のジョブを引いた物だから、俺の事はどうでも良いらしい。 まぁ、その方が気楽で良い。 そして正義は、リーダーとして皆に言った。 「魔王を倒して元の世界に帰ろう!」 正義の言葉に3人は頷いたが、俺は正義に言った。 「魔王を倒すという志は立派だが、まずは魔物と戦って勝利をしてから言え!」 「僕達には素晴らしい加護の恩恵があるから…」 「肩書きがどんなに立派でも、魔物を前にしたら思う様には動けないんだ。現実を知れ!」 「何よ偉そうに…アンタだったら出来るというの?」 「良いか…殴り合いの喧嘩もしたことがない奴が、いきなり魔物に勝てる訳が無いんだ。お前達は、ゲーム感覚でいるみたいだが現実はそんなに甘く無いぞ!」 「ずいぶん知ったような口を聞くね。不知火は経験があるのか?」 「あるよ、異世界召喚は今回が初めてでは無いからな…」 俺は右手を上げると、頭上から光に照らされて黄金の甲冑と二振の聖剣を手にした。 「その…鎧と剣は?」 「これが証拠だ。この鎧と剣は、今迄の世界を救った報酬として貰った。」 「今迄って…今回が2回目では無いのか?」 「今回で7回目だ!マジでいい加減にして欲しいよ。」 俺はうんざりしながら答えた。 そう…今回の異世界召喚で7回目なのだ。 いずれの世界も救って来た。 そして今度の世界は…? 6月22日 HOTランキングで6位になりました! 6月23日 HOTランキングで4位になりました! 昼過ぎには3位になっていました.°(ಗдಗ。)°. 6月24日 HOTランキングで2位になりました! 皆様、応援有り難う御座いますm(_ _)m

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

異世界宇宙SFの建艦記 ――最強の宇宙戦艦を建造せよ――

黒鯛の刺身♪
SF
主人公の飯富晴信(16)はしがない高校生。 ある朝目覚めると、そこは見たことのない工場の中だった。 この工場は宇宙船を作るための設備であり、材料さえあれば巨大な宇宙船を造ることもできた。 未知の世界を開拓しながら、主人公は現地の生物達とも交流。 そして時には、戦乱にも巻き込まれ……。

処理中です...