58 / 76
58「神波大成について」
しおりを挟む2017年、2月下旬、某日。
神波大成、ラストインタビュー。
-- よろしくお願いします。
「別にやり返す意味はないけど、なんか緊張してない?」
-- してます(笑)。
「あはは、やっぱり。なんで?」
-- 単独インタビューとしては今日が最後なので。後悔しないように、聞き逃す言葉がないように、色々整理して考えてたらパニックになりそうでした、昨日。
「最後って言われてもピンと来ないけどね。逆に実はもう終わってたんですよー、あとは編集だけなんですーって言われても、『あ、そうなんだ』ってなるし」
-- ひどい!
「なんで(笑)」
-- でも確かに、改めてお伺いしたい事などはもう特にありません。バンドの魅力、これまでの軌跡、これからの展望、メンバーの皆さん、そしてバイラル4の皆さんの人柄はこれでもかというぐらいお伺いする事が出来ましたから。
「そっか。大成功だった?」
-- 心の底からそう思います。
「良かったね。頑張ってたもんな。お疲れさまでした」
-- あー、ごめんなさい。…早いなー、早い。
「あはは」
-- 最後迷ったんですけど、やはり最初の順番通り、大成さん、翔太郎さん、竜二さん、そして繭子の順番で単独インタビューをお願いして、終わりにしたいと思っています。
「そうだったそうだった。メンバーで一番最初にインタビュー撮ったの俺なんだよね?」
-- そうです。焼肉デートでご一緒したのも大成さんが初めてです。
「ああ、そうだね。また行こうな」
-- ああ、もう、どうしましょう。
「今日いつにもまして涙腺崩壊してるね」
-- 昨日からこの調子です。いや、嘘です。これは涙ではありません、心の…。
「…パクんなよ(小声)」
-- ええ、ええーっと。涙は心の、…結露です。
「はい、普通。涙って言ってるしね」
-- あはは、何か良い例えないですかね。翔太郎さんへの言い訳。
「言葉を使って飯食ってんじゃないのかよ(笑)」
-- 面目ないです。
「そういうのは誠に聞くと良いよ。あいつはそういう切り返しの天才だからね」
-- ああ、なるほど!
「誠ともちゃんと話せた?」
-- はい、おかげさまで。大成さんの仰った通り、とても魅力的な方でした。
「そうだろ?」
-- はい。とは言え私惚れやすいタチなんで、繭子にも織江さんにもぞっこんです。
「色々聞いてるぞー。ますます疑惑が深まるな」
-- もうそれもアリかなと思えてきました。
「開き直った!」
-- (笑)、URGAさんもそうですし、素敵な人の側には素敵な人達が集まってくるものですよね。
「どうだろうね」
-- ご謙遜を。
「素敵な人っていうのがそもそも自分では分からないし意識した事ないよ。URGAさんはちょっと別格過ぎて話が違って来るけど」
-- やはり大成さんでもそうなんですね。URGAさんに対しては、皆さんそう仰います。
「それこそ出会いの…、なんて言うかさ、タイミングって言っていいと思うけど。時代であったり、それを共有した面子であったり、年齢であったり。全てが特別だった頃にポンと現れたんだよ、あの人は」
-- はい。
「もちろん歌声や、佇まいや、笑顔や、人柄、彼女の活動内容なんかを見ると本当に稀有な才能を持ったアーティストだと思うし、そこを愛してる気持ちも当然あるけどね」
-- 20年ですものね。デビュー当時からご存知なのだと伺いました。
「そうだね。10年とか20年とかっていう数字も何かしらの意味はあると思うけど、そこよりも今言ったみたいな、特に俺にとっては面子と年齢の話だよね。竜二がいて、マーとナベがいて、もちろん織江達もいて、でも今程近くに翔太郎とアキラの姿はなくて。…何か、いつもフワフワと、常に自分の居場所を確認しながら前に進もうとしてた頼りない時間を、側で支えてくれるような歌をあのURGAって人は歌い続けてたんだよね」
-- 特別な人なんですね。
「うん。恩人だと勝手に思ってるし、永遠にこの距離は埋めようがないよ、俺は」
-- 今、びっくりですね(笑)。
「あはは。うん、なんか、はは、うん。…ちょっと泣いたもん俺」
-- ああ…。
「竜二から電話受けてさ。…あいつ珍しくちょっと震えた声だったんだ。どうしていいか分からないような様子で、『いいかな』って聞くんだ。俺泣けて泣けて仕方なくて、…もちろん嬉しくてだよ。嫉妬とかじゃなくて」
-- はい。
「40オーバーのおっさんが何を言ってるんだって話にしか聞こえないけどね」
-- 私にはもうそのようには聞こえませんね。
「そうだね(笑)。…うん、びっくりはしたけどね。急だったし、竜二自身そういう素振りを見せて来なかったし。でも、俺は嬉しかったね」
-- 私もです。
「改めて話もしたけどさ、お互いがこれで良かったんだろうなって思える関係だし、色々あって当たり前だもんな。だからあそこ二人はホント不思議だよ。並んで立ってる姿は今まで何度も見て来たはずなのに、これまでと何かが違うんだよな」
-- 素敵ですよね。
「まあ、別に竜二なんてどうってことないけど」
-- あはは!なんでそんな事仰るんですか(笑)!
「素敵と言えばさ、話戻っちゃうけど、誠や繭子なんかも今時枝さんから見れば素敵に見えると思うんだけど、初めのうちは全然そんな事なかったし、素敵な人間が集まったっていう表現はだから違うと思うんだよね。もちろん俺達なんてほんとただのボンクラだったし」
-- いやいや(笑)。
「ほんとほんと、今でもそうだしね。だからきっと、…あの二人に関して言えば素敵な人間になっていったんだろうね。それは努力だよね」
-- ああ、なるほど。
「ごめんな、なんか全然音楽の話にならないけど」
-- いえいえ、音楽の話題ならこの一年十分すぎるほどお伺いしましたから。
「あはは、編集者がバンドマンに言うセリフじゃないな」
-- 面目ないです。
「うん、だから誠はねえ。…まあ、誠の話はいいか。俺が語るのも変だしね」
-- あはは、そういう所も大成さんらしくて好きです。
「なんだよ(笑)。…なんか、年越してからがめちゃくちゃ速くてさ。毎日同じように練習して、レコーディングして、レコ発用の取材なんかもちょこちょこ受けたりとか、向こう(アメリカ)での事も色々全体会議したりなんだりで、びっくりするぐらいアッと言う間。誠が戻って来たのだって、もう3か月ぐらい前だって織江から聞いてさ。ウソ!?って」
-- あはは、目まぐるしい毎日ですものね。せっかくのご休憩や休日もこうして私が出しゃばってましたし。
「本当に」
-- あはは、それも今日で最後です。
「あ、やっと今ちょっと寂しいって思えたよ」
-- やったぁ! 厳密に言うと顔だけは毎日出しますけどね(笑)。
「だろうね! でも、うちはなんだかんだ毎年色々あるけど、去年はここ数年で一番濃かったと思う」
-- 一年を通してずーっと何かしら忙しくされてましたものね。
「忙しさの種類が今までと違ったかな。おかげで全然ライブやれてないよ」
-- 確かに。ライブバンドなのに(笑)。でもここからですよね。ここからドッカンドッカン行くわけですから。
「そうだね」
-- 大成さんは、ほんっとに男前ですよね。
「なははは!急だなー、そういう感じで来るか、今日」
-- あはは。
「誠とか繭子にガンガン言ってるの見てるから、そういう言葉を普通にさらりと日常会話で混ぜて来る人なんだってのはもう分かってるけど、時枝さんは真面目だから俺達に対してはそういう無意味な発言は極力控えてたように思うんだけどな」
-- はい、それはそうですね。
「なのに今日いきなりそれ言うんだ」
-- もう最後ですから、全部言っておこうと思って。
「言わなくていいよ(笑)」
-- あのー。私この一年大成さんと話をしてみてはっきりと思う事があって。
「ふふ、うん」
-- 大成さんてルックスで逆に損してるなって。
「(爆笑)」
-- いや、笑いごとじゃないんですよ、私にしてみたら。なんか、歯痒いと言いますか。男前過ぎてそこに目が行きがち、そこに惚れがちになるという人多い気がするんですよね。でも私大成さんの魅力って全然そこじゃないなって思っていて。
「ありがとう」
-- もちろん男前なのは良い事ですよ。デメリットでは全然ないし、いい面も一杯言えますけどね。でも本当の良い所より目立ってしまっている部分もきっとあって、ご自身としても不満はおありなんじゃないかなって。
「もう何を言ってんのか全然意味が分からないけど」
-- あはは。以前誠さんとお話した時に、出会う人皆に顔の話されて辛いって仰ってました。それに近い感じじゃないかなって。
「ああ、なるほどね。誠はそうだろうね」
-- 誠さん、は?
「あいつの場合、職業柄そこを褒めて来る相手にそもそも悪気はないんじゃないかと思うね。でも俺の場合バンドマンだし、見てくれをどうこう言う必要なんか本当はないし、言われたいとも思わないから」
-- そうですよね。
「それに個人的には音源とライブが全てだと思ってるから、人間的な内面を見てくれよっていう誠が悩むような問題も俺には関係ないしね」
-- でも人気商売である以上、内面の魅力も重要だと私は思いますよ。
「でも例えばすごい良い人でも、全然面白くないバンドの音源なんか聞きたい?」
-- まあ、それは(笑)。
「じゃあ男として、みたいな話だとしてもさ、俺はもう織江がいるから本当にルックスどうこうで思い悩んだ記憶が全くないんだよ。格好良いとか格好悪いの話じゃなくて、そこを意識し始める頃にはもう織江と出会ってるから、俺」
-- ああ、幸せ者って事だ。
「いやいや、え?」
-- 異性を意識して自分の外見や内面に思い悩む必要がなかったんですよね、この人だって決めた方と早々に出会う事が出来たんですから!
「あはは、そういう事だね。じゃあ、自分で言うのも変だけど、時枝さんの思う俺の良い所って何なの?」
-- ベースです。
「うわ、…響いた。嬉しい」
-- もう、本当にそう思います。
「へえ。今さ、このバンドにおいて男前担当みたいなポジショニングされる事は心外だねって言おうと思ってたから、グサッと入って来た。それは嬉しいな」
-- そうですそうです、こうしてお話をお伺いする前は私も違和感なく、ハンサムガイとか平気で記事で使ってましたし、実際めちゃくちゃ男前だと今も思ってますけど、…なんか、ちょっと悔しくなってきて。
「悔しい?なんで?」
-- ドーンハンマーにおいて大成さんが担ってるものをちゃんと伝えていかなきゃいけない立場としては、もうそこはいいから早くこっち来い!とか思って。大成さんが男前なのはもう見たら分かるだろ、そこじゃないもっとこっちだ!ここ見ろ!ベースを聞け!って。
「本当にそんな事思ってんだ? 本気で面白い人だよね、時枝さんは飽きないね」
-- あははは!あ、すみません馬鹿笑いしちゃいました。ありがとうございます。
「じゃあ最後だし、時枝さんのそんな気持ちに答えて真面目な話するとさ」
-- はい。
「…これは別に卑屈になってるって話でもなんでもなくて、自然とそう思って受け入れてる所から来る本音なんだけど、バンドにおける立ち位置で言うと自然と一歩引いてる気持ちもあって、そこは割と自分の中で大事にしてるんだよな」
-- どういう意味でしょうか?
「そのまま。竜二と翔太郎が凄すぎてさ」
-- ええ!?
「そんなに変?」
-- はい。
「あはは。いや、でも俺としてはそうなんだよ。何でかって言うと、竜二も翔太郎も、結局一人で成立するミュージシャンなんだよね。竜二はもう絶対そうだし、翔太郎だって今すぐドーンハンマーがなくなったって、あいつを欲しがってるバンドは世界中にいるわけだからね。そこへ来て俺はって言うと、なんとか作曲という役割でバンドに貢献してはいるけど、本当の事言えば俺も演奏家としても張り合いたいわけだよ。でも俺自身それを嫉妬だとは考えてなくて、あいつらの努力や思い描く完成図に俺らしい音で報いたいという感じでさ。食らい付いてくだけでも一苦労な奴らと一緒にやってるのは誇りでもあるし、俺のベースマンとしての根幹だからやりがいあるよね。だから今ここへ来て自分の音をちゃんと聞いてる人がいるっていうのを聞けて、ほんと嬉しいんだよ」
-- 最後の最後で超意外な話が飛び出てびっくり仰天ですよ。でもきっとそれって大成さんにしか分かりえないお気持ちなんでしょうね。
「なんで? 割と普通の事だと思うけど」
-- ええ?
「そうそう、なんか誤解されてるんじゃないかと思って言ってみたんだけど、やっぱりええってなるんだね」
-- きっと竜二さんや翔太郎さんは否定なさると思うので。
「否定って?」
-- 一歩引いた立ち位置にいると仰った事です。
「そんなわけねえじゃんって? まあ…言うだろうね(笑)」
-- 私ですらそう思ってますからね。
「歴戦の雑誌記者である時枝さんですら?」
-- 真面目なお話なので真面目にお答えしますけど(笑)、全然理解出来ないぐらい大成さんのプレイは心底凄いと思っていますし。
「あはは、ありがとう」
-- ドーンハンマー程アグレッシブな演奏をされてるバンドは日本に他にいないと思っています。
「そうかもね」
-- 竜二さんと翔太郎さんがミュージシャンとして抜きん出ているという意見を否定するつもりはありません。ですがそのお二人と同じバンドで、同じ土俵でプレイなさっている事をご自身でも評価されるべきだと思います。
「あはは、慰められてる」
-- だって!
「だってじゃない。高校生みたいな反応するな(笑)」
-- なはは。真ん中の竜二さんを翔太郎さんとで挟み込んで、ダウンピッキングで信じられないぐらいの速度でリフを弾き飛ばしている方には、一歩引いてるなんて発言はやはり似合いませんよ。
「バランスで言うとさ、ベースという楽器自体が一番前に出る音ではないのは間違いないんだよ。まあ、バンドによって違うかもしれないけど、うちはね、絶対そうで。かと言って他のパートの引き立て役だと思ってるわけじゃないし、なんなら俺はギター・ドラムと横並びのボリュームで音圧掛けてるから卑屈になる理由は全くないんだけどね。俺はベースが好きだし、俺にしか出せない音や、あいつらの出す音に対するアプローチの仕方ってものにも自信を持ってるから、そういう意味でのバランスは丁度いいと思ってるんだけど」
-- けど?
「やっぱりあの二人は凄いんだよ」
-- うーむ。そうなんですけど、でもちょっと納得いかないですね。
「あはは、自己評価が低いって思ってる?」
-- 大成さん優しすぎますよ。
「そういう問題か?」
-- もともと別の楽器ですから勝った負けたはないはずですよね。大成さんは自分が前に出る事よりあの二人の実力を引き出す事で役割を果たそうとお考えになっているのだと思います。ですがあの二人をあそこまで押し出せるのは大成さんだけだと思いますし、そういう意味で言えば、世界最強のベースマンとも言えるわけです。
「ふふ、うん。だから音で、一歩引いてるつもりは全くないんだ。スタイルの問題かな。そもそも翔太郎の完璧なプレイをリズムで揺さぶって遊ぶのが好きなくらいだし、ちょっとでも隙間があれば自分の音をねじ込むしね。そういう面白さとか楽しさは人より理解してるつもりだから、ベースとしての存在意義とか役割っていう話で言えば、全然負けてるとも引いてるとも思ってないよ。じゃあ何をって話だけどさ、でもそれってよくよく考えてみれば、さっき時枝さんが言ったようにあの二人がいるから俺はここまでやってるんだなって思うわけだよ」
-- もし別の誰かと組んでいたら、ここまで弾けていない、と?
「絶対そう思うよ。他所に行けばエース級だなんてよく言うけどそんなのウソだからね。あの二人と、いやいや三人か(笑)、三人とだから俺はより高い次元に立ててると思うよ。だから嬉しいし、報いたいという気持ちになってるんだと思う。それこそ特に翔太郎なんかは、俺がベースを弾こうが誰が弾こうが、関係なく実力を発揮できる男だからね」
-- ご本人がそう仰る以上それが正解なのかもしれませんし、一介の雑誌記者が言うセリフではありませんが、いつからそんな風に一歩引いた目線をお持ちになられたんでしょうか。
「具体的な時期を挙げるとするなら、翔太郎が『Hanging my own』を書いた頃だね。
-- 3rdアルバムじゃないですか!結構前ですね。
「そうだけど、あいつがあの曲を初めて演奏した時衝撃だったんだよ。こいつマジでスゲエなってびっくりした。今回ベストにも入れるけどさ、未だに俺一番難しい曲だと思ってるんだよ、プレイするのが難しいって」
-- 繭子も以前そう言ってました。
「な、そうなんだよ。単純な速さとか手数の多さだけ言えば他にも幾つかあると思うけどさ、とにかく難解。初めてあいつの模範演奏を聞いた時に三人ともメロディを追いきれなかったんだよ。え、今どうなった?ひょっとして今翔太郎間違えた?って皆で顔見合わせてさ(笑)」
-- 分かります。ドーンハンマー史上イチニを争う程難解なメロディですよね。リフも、歌メロも。
「何度も聞けば譜面は覚えられるんだけど、実際弾いてみると『なんだこれ!気持ち悪!』ってなるんだよ。あれ聞いた時にこれはこいつモノが違うなって思ったんだよ。それは今まで何曲も書いて来たからこそ、余計に思ったと思うんだよ、こんなの俺書けないよって(笑)。そこは、俺としては同じバンドで飯食ってる以上張り合っても仕方ないって思ってるからさ。なかなか人を尊敬したり認めたりって出来ない性分だけど、あいつは子供の頃からそうだけど、いまだ底知れないというかね。素直に凄い。だからあの二人がどんどん前に行ってくれるから、俺は好き放題やりたいようにベース弾いてるよ。だからこそ拘れるというかね。そこでかえって俺をもっと前に出させろよみたいなスタイルを取るのは、ちょっとそれは違うなって思うし」
-- ははあ、なんとなく分かってきました。
「なんとなくかー(笑)」
-- 理由はどうあれ、回りまわって大成さんのベースプレイは今完全に花開いてますよね。もんの凄い格好良いですよ。そこをもっと皆に気付いてほしいくらいですから。
「あー、嬉しいね(笑)。あいつらの凄さにちゃんと報いる音を出せてるかな?」
-- 当たり前じゃないですか!大成さんにしか出来ない音を出してます!
「なんかね、俺のベースを聞けー!みたいな気持ちにはなった事がないんだけど、バンドとしてダサい音とか力負けした音になってるとしたらそれは絶対に嫌だと思ってんだよ。そこだよね、俺のこだわりは」
-- なるほど。まずは、大成さんが認めているお二人の演奏があって、そこをぐっと前に、更に前へ押し出すためのベースプレイであると。
「そういう事だね。まずはあの二人、音で言えば翔太郎の出す音を聞いてから俺の音は決まるから。それに見合うだけの質を求めて俺なりのプレイを心掛ける。引いてるっていうのはそういう意味だよ。楽器としてもプレイヤーとしても正しいと思わない?」
-- 人として最高です。
「あははは!そう来るか。楽しい人だな」
-- 繭子と二人で高速リフを反復練習される場面をよくお見掛けしました。
「二人でやってるやつ? 指のウォーミングアップ」
-- 『カオス・ランディング』という曲名が付いているそうですね。
「ああ」
-- どういう意味なんですか?
「俺のベースが割とキーの高い位置から始まって、繭子が叩き始める頃には物凄い低い音になってるんだよ。空から振って来て、着地した瞬間からベースとドラムでそのまま走り出すようなイメージらしいよ。繭子が勝手に名付けた(笑)」
-- なるほど、イメージ通りのタイトルですね。お二人だけの練習曲だとお伺いしましたが。
「うん。毎回やってるわけではないけどね、翔太郎が来るまでの数分だけでも、指動かしてるだけで準備運動になるしね。その為の(曲)」
-- いつか一曲分の長さにして翔太郎さんにも弾いて欲しい、竜二さんにも歌って欲しいって言ってました。
「ん? それ多分俺があいつに言ったんだと思う。どうする、これで曲作る?って言ったら、いつかはそうしたいですね、凄い曲になると思いますって。でもその時は今以上の練習曲書いて下さいねって言うから、面倒臭いって(笑)」
-- ラブコール蹴ってるじゃないですか(笑)。
「あははは!」
-- その二人だけの練習中、大成さんはよく目を閉じていらっしゃるんですよね。今頭の中では翔太郎さんのギターが一緒に鳴ってるんだろうなと想像するんですが、聞こえてくる音はそれこそギターリフ並みに速い大成さんのフィンガーピッキングと繭子の超高速連打です。始める瞬間は顔を見合わせて無言で始まるんですが、すぐに大成さんは目を閉じます。まあ、サングラスをされてる事がほとんどなので、いつもかどうかは自信ありませんけど。
「ふふ、うん。それで?」
-- 大成さんがご存じなのかお聞きしたいんですけどね。お二人で高速連打と高速リフを練習された後、ドン!って曲が終わった瞬間、涼しい顔をしておられるあなたの横で繭子がスティックを握った手を肩まで上げて『ぶるるる』って武者震いする事があるんです。
「何それ、知らない(笑)」
-- そうなんですよ!ちゃんと大成さんを見てるんですけどね、大成さんはほんと、ケロっとした顔で汗一つかかないんです。そんなあなたを繭子はとても嬉しそうな顔で盗み見ていますよ。
「あははは!」
-- やはり私は、大成さんは物凄いプレイヤーなんだと思います。
「ありがとう。よく分からない話の流れだけど、嬉しいよ」
-- 一年を通して何度もスタジオ練習をお伺いしました。その中で新曲が作られる大変貴重な過程を見せていただく事もあったわけですが、当初思い描いてたよりも幾分和やかで、大人しい印象を受けたのは今でも変わらないないですね。
「もっとガンガン揉めながら作ってると思ってたんだよね」
-- はい。怒号が飛び交う中、『何やってんだお前!』とか『違う違う、全然分かってねえな』と罵りあうような、そんな鬼気迫る現場だと思っていましたが、実際骨組みに血肉を付けていく過程ではそんな事一切ないんですよね。
「怒号が飛び交う現場って何だよ(笑)。イライラカリカリする奴らはいるかもしれないけど、そんな声荒げて揉めるくらいならやめちまえって思うよ」
-- でもありましたよ。さっきまで普通に話してたのに、急に立ち上がってドアばん!って開けて出て行って、そのまま帰って来ない人とか。
「なんで、喧嘩で?」
-- そうですね。でもそういう分かりやすい理由なら良いですけど、本当よく分からない人達にも一杯出会いましたから。
「そうなんだ。うちは制作に関してはとりあず過剰なまでに血肉を付けて、演奏を繰り返すうちに削ぎ落してくやり方だからね。組み立ての段階で揉める事はまずないし、傍から見れば物凄くスムーズに曲が出来上がってるように見えるみたいだね。だけど実際は繰り返す演奏量が半端ないのと、拘るポイントが細かすぎてお互いが違うパートに対してお任せになっちゃう部分が多いんだよ。信頼もあるしね」
-- そのようですね。
「互いの音の摺り寄せとかは二言三言言うだけで理解してもらえるし、実際やってるうちに自然とお互いのやろうとしてる事が分かってくるからね」
-- そこはベテランバンドの強みですものね。
「そうだね、それもあるし、やっぱり実際に演奏してみないと分からない事がほとんどなんだよ。曲自体もそうだし、物凄く速いフレーズを要求されたり、したりするし。あと手数が多いから口で説明されたってすぐには分からないしね。やってみて、なんだそれって大笑いする事は一杯あるけどね、付いて行けねえよと(笑)」
-- なるほど(笑)。あ、制作風景で言うと私、今でも印象に残ってるシーンがあって。
「うん?」
-- 翔太郎さんと大成さんがボリュームを落としてAメロのラインをひたすら反復して、それに合わせて竜二さんが歌メロを当てていく作業なんですけど、ちょっと嘘みたいな速度で曲が出来ていく過程を見て『これ絶対からかわれてる、こんなわけない』って信じられなくて。
「あはは、まあ、そんなセッションみたいな作り方するのは、気の短い俺達ならではだろうね」
-- そこで完成させるわけじゃない、基本形を組み上げるだけだというのは今は理解していますが、初めはそれこそ度肝を抜かれました。リハか何かかなって思ってたら普通にそうやって全曲制作してますものね。
「歌当てを優先しないバンドも珍しいって言ってたね。どんどん音だけ先行で出来ていくって」
-- 竜二さん程の人でも曲に合わせるじゃないですか。セッションを得意とするバンドは割と多いですけど、あなた方はちょっと異端です(笑)。レベルが違います。
「そうかな? 合わせるって言っても、あいつはあいつで無茶苦茶やってるよ」
-- 知ってます。ですがほぼほぼ、あの方が自分の我を通す事はないですよね。大成さんなり翔太郎さんなりが用意した音の中で、これでもかと暴れ倒す人ですけど。
「あははは、なるほど、そうかもしれないね」
-- ですがその過程の中で特に印象深いのが、まだ出来上がっていない曲に対して翔太郎さんが竜二さんにこう質問するんです。『えっと、その部分て本番も伸ばす? ジャストで切る?(タイミングを合わせて歌い終える?)』って。
「あー」
-- 制作途中なんですよ。でもそれを受けて竜二さんが一瞬考えて『あー、伸ばしちゃうかもしれないなぁ』って答えるんです。そしたら翔太郎さん全部分かったような顔で『そっかー。了解ー』って。
「あははは!ほんっとに良く見てんね、普通そんな所気にも留めないと思うけど?」
-- いやいやいや、だって、ここ本当に凄いなって私皆さんの才能に震えた瞬間でしたから。
「作ってる最中にどれだけ本番のイメージが出来上がってるんだって事だよな。まあね、慣れたけど、凄い話ではあるよね」
-- 本当にそうですよね。どれだけ細部に神経使ってるんだとも思いましたし、尋常じゃないスピードで曲を構築して、すぐ演奏して、すぐレコーディングして、すぐに壊す。その繰り返しでどんどんどんどん音圧が上がっていくのが分かるんです。曲が固まって完成していく様が見えるというか。完成というか、形になっていく瞬間ですね。
「熟練職人みたいだってURGAさんも言ってたね」
-- 鬼畜だとも仰ってましたね(笑)。
「ああ、言ってた」
-- 実際運動量というか、頭も体もフルタイムで動かしながら目まぐるしく制作していく様は確かに、鬼気迫る何かがありますよね。そこにはちゃんとお互いの顔を見ながら話をする時間も、冗談を言う時間も含まれているのに、やはりピリっとした本気の空気がいつも漂っていました。
「嬉しいね、なんかそういう風に言ってもらえるのは」
-- そうなんですか?
「うん」
-- 何故ですか?
「何故? 何故だろうね。なんか嬉しかったんだよ今」
-- あはは。
「やっぱりうちは、気持ち悪い言い方するけど家族みたいなもんなんだよ。そういうメンツで作ってる物って身内受けで終わるんじゃないかっていう怖さも実はあって」
-- ああ、分かるような気はします。
「俺達だけがさ、格好良い連呼して盛り上がってるだけでさ、蓋開けてみれば誰からも見向きもされないんじゃないかっていう不安は常にあるよ」
-- 杞憂ですがね。
「いやいや、作り手である以上これは死ぬまで消えないと思うよ。なんならさ、今日だってずっと竜二はすげえ翔太郎はすげえって言ってるけど、この日本にだって上には上がいるだろうし、世界を見れば俺達なんて吹けば飛ぶような存在なんだよ」
-- 褌を締めて掛かるべきだと、常に。
「誰か一人くらいはそう思ってないとね、うちは皆自信家ばっかりだから」
-- あははは!あー、また馬鹿笑いしちゃった、すみません。
「構わないよ、そんな事」
-- 大成さんが頼られる理由はそこですね。大胆な面をお持ちなのに、やはり芯がしっかりと立っておられる。
「大袈裟だよ。だからさ、スタジオでもどこでも、仕事をしてる間はちゃんとしてたいなって思ってるから、時枝さんから見てピリッとした現場だなとか、URGAさんから見て鬼畜だなって言われる事は俺達にとってはありがたい意見だと思って」
-- なるほど。でも皆さん4人ともそこは本気で心配になるぐらい大真面目ですよね。
「うん。だから今俺が言った事は実は4人とも思ってるはずだよね。そこは本当に同じ方向向いてると思う」
-- 勇ましいお言葉ですね。
「ただまあ、これから先はもっと自分達自身の事に目を向けるのも必要じゃないかなって、思う時もあるよ」
-- 音楽以外の部分でという事ですか?
「そう」
-- これまでがちょっと疎かすぎましたよね。
「あははは、はっきり言うなあ」
-- すみません。
「いや、いいよ。でも疎かにしてきたと思って言ってるわけじゃないけどね。何度も言うように、やりたい事やりたいようにやって生きて来たからね。何かを犠牲にしたつもりもないし。ただようやく、思い描いた絵の一枚目が完成するなと思って」
-- はい。
「そこから先は、別に俺達4人の絵じゃなくたって、それぞれが思い描いた絵があってもいいんじゃないかと思って」
-- 解散するみたいな話に聞こえるんでやめてください。
「確かに(笑)。いや、何ってさ、色んな角度からバンドを見れた方が良いよなってのは、前々から思ってるしね。去年バンド活動と並行して色々やったけど、最後には全部ドーンハンマーに帰ってくるし、単純に面白いからね」
-- そうですね。
「竜二も翔太郎も繭子も、もっと欲張って欲しいしね。せっかく環境も変わって刺激も多いだろうから、そういう楽しみもあるよなって言う話」
-- なるほど、よく分かります。個人の生活を豊かにする事によって、全てがバンドの糧となって帰ってくると。
「そうだと思うけどね」
-- 夢が広がりますね。
「40超えたおっさんが夢を語るなってね」
-- 何を枯れた事仰ってるんですか(笑)。
「でも何より俺は、ようやく世界を獲りに行く姿を見せられる事が嬉しいよ」
-- はい。…え、織江さんとかですか?
「そうだね。織江もそうだし、アキラにも、カオリにも、ノイにもね」
-- お父様にも。
「そうか、そうだね。ああ、織江と言えばさ。何切っ掛けでそうなったのかちょっと忘れちゃったけど、このスタジオの話を二人でしてて」
-- はい。
「感極まって泣いちゃったわけ、あいつがね」
-- そうなんですか。それは、ここを離れる事に対する…。
「そう。まさに」
-- ああ、それはやはり、やっぱり寂しいですよね。
「寂しさももちろんあるし、あいつの話を聞いてると怒りも少し含まれてるように感じてね。ちょっと、俺自身傷ついたというかさ。…あって」
-- どこへ向けられた怒りでしょうか。
「あいつがこのスタジオを手に入れるために奮闘した経緯なんかを、俺は全部知ってるからね。俺達が世界を目指して必ずそこへ行くって事は確定事項だったけど、まさかこのスタジオを始めてたった10年で手放す事になるとは思ってもみなかったって、言うわけ。手放すって言うと正確には違うんだけど、生活とか活動の拠点を移すわけだからそういう感覚にもなるのは分かるし。この10年はとても濃密で、そこへ至るまでの道のりだって平坦じゃなかったんだよ」
-- それと同じだけの思い出がこのスタジオにはありますものね。
「だね。…先月実家に帰った時竜雄さんと話をしただろ? そん時、なんで日本じゃ駄目なんだって言われて、何言ってんだって反抗する気持ちで聞いてたけどさ、ここへ来て俺達はとんでもない大馬鹿野郎になってやしないかって、なんかそう思わざるを得ないんだよね」
-- アメリカ行きを、少し躊躇ってしまいますね。
「例えばじゃあ、分かったよ織江、アメリカには行かないよって俺が言ったとするだろ。でもあいつはそれを喜びはしないし、俺にそう言わせて『何言ってんのよ、そんなわけにいきますか』って答える事で心のバランスを取るような、そういう人間でもないわけ。相手に何かを望んで嘆いたり、泣いたりするような奴じゃないからさ。応えようがない分俺の方が参っちゃってね」
-- なるほど、そうでしたか。
「それにあいつ自身が、だからどうしてほしいって思ってるわけでもないってのは分かってるからね。もともとが、世界でプレイするっていう事を前提に組んだバンドだし、その為の努力の10年だったわけだよね。その結果が実を結んだわけだし、やめたいとかやめようとかそういう発想にはなりようもない。だけど織江がこのスタジオに込めた思いだって、相当なものを背負ってるし抱えてるんだよ。だからただ、ただ単純に涙が出るくらい寂しくて辛いんだってのが伝わって来て、俺は何をやってるんだろうなって、ちょっと思った。竜雄さんが何度聞いても理解出来ねえっていう意味も少し分かるなって。だって、そこに傷つく誰かや悲しむ誰か、寂しいと感じる誰かがいる事が分かってるのにさ、いいのかなって」
-- その問いかけに対して私は正解を持っていませんが、私が見て来たこの一年での話をすれば、やはり皆さんはアメリカへ行くべきなんだと思います。
「うん。…そうだと俺も思うよ」
-- そこにどうこう言いたいわけでは、織江さんもきっとないですよね。
「うん、違うと思う」
-- あまりクローズアップされる事を望まない方ですから、あえて話題に上らせはしませんでしたけど、織江さんて本当このスタジオ好きですもんね。皆さんが使用されていない合間に、スタジオの色んな場所に椅子を置いてくつろいでいらっしゃる姿をよくお見掛けしました。応接セットではなく敢えて別の椅子を持ち込んでみたり、竜二さんのポジションに立ってみたり、PAブースで座ってみたり。お相手は大成さんなり、繭子なり、私だったりでその都度違いましたけど、色々とお話をされているお姿はとても穏やかで、幸せそうな笑顔だったのを強く覚えています。
「うん。それは時枝さんがいるいないに関わらず、織江はずっとそうだからね。忙しい彼女なりの、それが息抜きなんだよ」
-- はい。あー、なんで泣けてくるのかな(笑)。以前、何故社長室がないんですかって聞いた事があるんです。名前はなんであれ、彼女が一人で仕事をする部屋がないのは何故だろうなって。すると織江さんはこう仰いました。
『この建物全てが私の居場所だから、特別部屋を設ける必要なんてないじゃない? 楽屋でもいいし、会議室だっていいし、別に階段でも構わない。机と椅子があれば書類整理は出来るし、今はパソコン一台、スマホひとつで何だって出来ちゃうしね。この建物の全ての空間に思い出を作りたいから、決まった部屋は欲しくないの』
-- その言葉を聞いた時、無欲で面白い発想をされる方だなという印象しか抱かなかったのですが、こうして大成さんから聞いた彼女の涙を思うと、胸が詰まります。
「そうだね。…このスタジオが完成した時にさ、皆でレコーディングした事があるんだって、前に織江が言ってたの覚えてる?」
-- はい。
「あれって織江が言い出した事なんだよ」
-- そうだったんですか。
「うん。織江は別に歌う事が好きとか、歌が最高に上手いとかそういう事ではないんだけど、本当にきちんとした人間だから、物事の節目を大切に考えてるんだよね。皆の誕生日だって全員分覚えて、毎年何かしらのプレゼントを渡してる。記念日や、本人がそうと自覚していない日にだって、あいつは自分から話しかけて、今日は何々の日だねって言って周りを驚かせてる。単純にそういう事をするのが好きなんだってあいつは笑うけど、でもやっぱりそれって凄い事だなって思うんだよ。好きだからって言うけどさ、そこを好きだって思える織江の人間性は俺からすれば、誰もが持ってる感覚と同じ物ではないと思うしね。ただイベント事が好きだとか、そういう目に見えるハッピーが好きなんじゃなくて、きっとあいつは自分の目に映る相手を本当に大切に考えてるんだと思うんだ。だから忙しい中イベントを立てて、…なんで泣くんだよ(笑)」
-- 分かりません(笑)。こういう所が私駄目なんですよね。
「そら翔太郎も変だって言うわっ」
-- あははは。
「うん。笑ってなよ、あんたはその方がきっと良い」
-- ううー、もー。
「あはは。それでさ、このスタジオが出来た時にも率先して、普段そんな事しないのに自分からレコーディングブース入ってあれこれ聞いてくるわけだよ。これは何?これはどこに繋がってるの?今これもう音録れるの?マーやナベなんかが嬉しそうにそれに応えてさ」
-- 目に浮かぶようです。
「そうだろ。そういう時のさ、あいつのキラキラした眼とか笑顔とか、本当格好いいよな」
-- ふぁい。
「なんだよ(笑)。それに時代的な話をすると、まだ当時はアキラを失った心の穴とか傷とか、そういうものが全然塞がり切ってない頃なんだ。なんとか皆前を向いてやっていこうなっていうこれからの時期に、このスタジオは完成した。織江の笑顔は今ももちろん素敵だけど、当時はリーダーシップすら感じる程力強かったんだ」
-- はい。
「俺の口から言うような事でもないんだけど、当時やっぱり誠がガタガタでさ。あいつは若い時にノイと出会ってるから、立て続けに大好きで憧れた人間を3人亡くすわけだよ。その前には自分の両親だってな。もうそんなのはさ、誠じゃなくたってボロボロになるよね。心が持たないと思うよ。そういう時代、そういう最悪の空気、それでも織江は一人歯を食いしばって、このスタジオをスタートさせたんだ。『泣いてばかりでは前に進めない。生きてる限り絶対に負けないから、見てて』って、あいつ俺に言ってたよ。凄いだろ?」
-- (言葉が出ない)
「本当言うと、誠はこのスタジオが出来たからと言って、今みたいにワー!って遊びに来れるような精神状態じゃなかったんだよ。それでも織江はじっくりあいつと話をして、何とかここへ呼んで。その時にさ、皆で記念に一曲録音して残そうかって言い出したんだ。びっくりはしたけどね、そこは織江の気持ちを知ってる俺達がワザとらしく盛り上げて」
-- (俯いてしまう)
「なんだよー、急に喋んなくなっちゃったなあ」
-- ええーっと。ええ、バンドの曲ですか?
「ううん。ぜーんぜん。なんでこの曲?って思うだろうね」
-- 私が聞いても分からないような曲という事でしょうか。
「どうだろ。年代的には知らないかもしれないけど、ジャンルは時枝さんの専門だよ」
-- 誰ですか?
「『U.D.O』の『アズラエル』っていう曲」
-- あ、え、知ってますよ!名曲じゃないですか!…え、アズラエル?
「そうなるよな(笑)。なんで?って。でもたまたまなんだよ。その時まだきちんと音を録れるようなセッティングなんかも出来てないし、機材の搬入自体完了してなくて。だから音源があれば歌録りぐらいは出来るよって程度でさ。翔太郎が車に積んでたCD持ってきて、そこから選んだのが『U.D.O』で」
-- なるほど。皆さんで歌われたんですか?
「そう。帰りに聞いて帰ってもいいけど、音源よりはビデオで見た方が面白いと思うよ」
-- 映像があるんですか!それはぜひ拝見したいですね。
「そういう所も織江っぽいだろ。もしかしたら録音失敗するかもしれないから、ビデオも回しておこうかって」
-- あはは!確かに!では『still singing this !』のような事を10年前にも一度されていたんですね。
「あー、近いかもね。メインボーカルは竜二だし、テツとかマー達は参加してないけどね。誠は『アズラエル』どころか『U.D.O』自体知らないからその場でサビだけ覚えてね」
-- 楽しいですよね、そういうの。確か女性コーラスのある曲ですよね。
「そうそう。でも門出で歌う曲ではないよね。お前の命を奪うぞぐらいな感じだよ確か(笑)。そこらへんに頓着しない感覚が面白いんだけど。記念って言ってもさ、この面子で何かやろうよって言う軽い気持ちでしかないしね、レックレベルも御粗末だし外に出せるような代物では到底ないんだけど、妙にワクワクする気持ちというのが、あの日のあの場には相応しいなって思った記憶が残ってるよ」
-- 織江さんの名プロデュースがあったわけですね。
「ホントそう。ただCD流して、それに合わせて俺達が歌ってるだけのカラオケ映像だけどね。その日ばかりは皆の笑顔が戻った気がする。ああいう事はきっと、竜二や翔太郎の口からは出ない発想だよな。俺も含めてね。さっきも言ったけど、織江は自分の目に映る人間の生活を大切にする人だから。ちゃんと前を向く為に顔を上げた記念に、ひとつここらで幸せな思い出でも作りましょうかねって言ってた。やっぱり、愛情を感じたよね」
-- なんて、凄い御人なんでしょうかね。
「そうだね。何をやるかというより、いつ、誰とやったかっていう事を大切にしてる気がするな」
-- あー、見たい、…見たい!
「あはは。俺も久し振りに見たいよ。10年前の俺達だもんね。…早いなあ」
-- しんみりしちゃいますね、やはり。
「時の流れは、って事だよ。毎年誕生日祝ってもらうだろ。気が付けば40だけど、自分の40歳の姿なんて全然想像してなかったし、織江が40になるなんて思いもしなかった」
-- それはタブーじゃないですかー?
「あいつだけじゃなくてね。この先バンドはどうなっていくのかなとか、考えた時にさ」
-- はい。
「俺個人としては、ここから先は未開の地なわけで。長く続けていけたらそれでいいんだけど、ただ同じ毎日を繰り返すなんて嫌だしね。さっき言ったみたいに何かしらまた面白い事見つけてバンドを続けていけたらいいけど、実際は、何も考えてこなかったからさ。10年前の俺は、俺達は、何を考えてたっけなーって思い返した時に浮かぶのは、俺はやっぱり繭子なんだよ」
-- …え!? びっくりした!
「あははは。…うん。…繭子なんだよね」
0
あなたにおすすめの小説
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語
kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。
率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。
一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。
己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。
が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。
志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。
遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。
その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。
しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる