ヴァルネラブル

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第十四章 溺死者の回顧録(2)

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 【断章】

 これは〈私〉の愚かしい「回顧録」だ。〈私〉は〈私〉の無残な過去をシンプルに回顧する。けれど同時にある時間軸上の超越的な一点に立ち、現時点でいうところの未来をも回顧している。そう、未だ訪れぬ時の回顧だ――フィクションの特権を感じるね? しかし、気をつけてほしい。私小説に書かれていることが全て事実というわけではないのだから、その逆もまた然りだ。つまり、これが虚構のテクストだからといって、全てを嘘や妄想だと捉えるのはあまりに貧しい発想だと〈私〉は思うし、それに関してはきっと〈君〉も同意してくれるだろう。
 ところで、〈君〉は〈君〉というものを何処まで把握していると考えているのだろうか。
 人は誰しも、自分にだけは決して届かぬ「自己」をその内部に抱えている。自らの死体を見ることができる者がいないように、そして死体にならない者がいないように、〈君〉の中にもまた、〈君〉の眼球が決して捉えることのできない〈君〉自身の「死体」がひっそりと横たわり、虚ろな目を開いたまま、〈君〉以外の誰かによって発見され葬られる、あるいは遺棄される日を待っている。その「死体」に触れられるのは「他者」だけだ。別に、無意識とは他者のディスクールである、などというセピア色のフレーズを引用しているわけではないよ。もっと単純で素朴な話だ。それに精神分析は原因を過去の中に探すわけだが、〈私〉はそれを未来に対し求めるのだからね。――ああ、話が逸れてしまった。とにかく、〈君〉がいかに自己完結的に生きようと、その心身が何ものにも侵犯しえぬ聖域を抱え込んでいようと、「他者」は〈君〉の知らない〈君〉を知ってしまうし、それは避けられないことなのだ。
 しかし〈君〉は、〈私〉に介入されることによって、本来知るはずのないものであった自分自身の「死体」を見てしまった。その光景はあまりにもおぞましい。まるで〈君〉の書く文章のように。
 鏡の前に立った〈君〉は、相変わらず破滅的に美しい〈君〉の「死体」を見つめる。あるいはそれは、美しく破滅した〈君〉の「死体」なのかもしれない。前者と後者の違いは〈私〉にとっては非常に意義深いものなのだが、しかし〈君〉には決して理解できないだろう。だが我々は片割れ同士でもなければ互いが互いの半身というわけでもなく、ただの異物と異物に過ぎないのだから、解り合う必要も相容れるべき理由もない。けれどこのままではあまりに茫漠としているから、ひとまずこれだけは書いておこうか。
『〈私〉は誰よりも完璧な、〈君〉の「他者」になった』
 ――さあ、これはいったい未来の回顧だろうか。それとも過去?

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・「無意識は他者のディスクールである」…ジャック・ラカン
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