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第三十章 崩壊途上のサンクチュアリ
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靴底が階段を叩く、規則正しい十六分音符の連続。
自分以外の足音が聞こえないことを確かめながら、彼は足早に階段を上がっていく。
不意に、スラックスのポケットが震える。そこには携帯電話が入っている。これが今日何十回目の着信になるのか、数えることは既に放棄してしまった。薄い唇が苛立ったように噛み締められる。それでも歩調は乱れない。ポケットに指を伸ばしながら、一階から二階へ、二階から三階へ。
彼はもう、エレベーターに乗ることができない。
最初の着信は、退院した翌日、日付が変わってすぐだった。
パソコンの画面をただ黙って見つめていた彼は、充電器に繋がれた小さな機械へ、無造作に視線を放った。警察以外なら、無視するつもりだった。しかしディスプレイに表示された一文字きりの名前に視線をやった彼は、暫くその文字を眺めてからボタンを押した。
「――もしもし」
返事はなかった。聞こえてきたのは、荒い呼吸音だった。そこに時折、呻き声のようなものが混じる。言葉はない。
獣のようだ、と彼は思った。
「……姉さん」
その小さな呟きは、呼びかけよりも独り言に似ていた。しかし口にした瞬間、電話の向こうから聞こえてくる雑音は、啜り泣きに変わった。
姉は何か話そうとしているようだった。単語らしきものが切れ切れに聞こえる。しかし意味のある文章にはなっていなかった。唯一、義兄の名だけが辛うじて聞き取れた。
「義兄さんが、どうかしたの」
返事は、やはりなかった。電話の向こうからは、文字化できない音声が間断なく聞こえてくる。そんな状態が三分ほど続き、彼は頭痛と耳鳴りが悪化するのを感じた。
「……ごめん、少し疲れてるんだ。落ち着いたら、また電話して」
由比は電話を切った。そして液晶画面が忍耐強く提示し続けている、作りかけの資料に視線を戻した。睫が静かに上下する。やがて細い指先がマウスを動かした。カーソルが右上へ移動し、プログラムが閉じられる。次いでシャットダウンをクリックする。彼はパソコンを音もなく畳む。プラグを抜く。そしてぼんやりと宙に視線を漂わせる。
パソコンを開いて三時間以上が経過していた。が、結局彼は今夜一度も、上書き保存をしなかった。一文字も書けなかったのだ。
その後も約一時間おきに着信があった。こもった啜り泣き、原型を留めない言葉、繰り返される名前。しかし携帯電話の電源を切ることはできなかった。警察から連絡があるかもしれないのだ。着信を無視するという選択肢もなかった。そうしたところで根本的な解決にはならないことを、彼はよく知っている。
姉はいつ眠っているのだろう。自分はいつ眠るのだろう。他人事のように、そう思った。
この数日間で、進展が全くなかったわけではない。しかし新たな情報は、別の火種の存在を示唆するものだった。
アパートのエントランスに設置された防犯カメラには、マスクとサングラスをつけた不審人物の姿が映っていた。その人物は、紙切れを全てのレターボックスに突っ込むと、更に壁やオートロックの扉に貼りつけ、残りを床にばら撒いていた。
「体型や髪型を見る限り、女である可能性が高いでしょう」
刑事は神経質そうな手つきでネクタイの結び目を直しながら言った。
「女……」
呟いた由比に、刑事は薄く微笑んでみせる。
「心当たりはありますか」
迷ってから、彼は肯いた。
「断言はできませんが、知り合いに似ている気がします」
不鮮明な映像ではあるが、細身の身体とボブヘアーを掻き上げる仕種には、見覚えがあった。
「名前は?」
「……鹿島冴子」
「その女性とは、何かトラブルが?」
由比は記憶を辿った。以前彼女に、ホテルのベッドに押し倒されたことがある。不能だと告げたところ、泣きながら部屋を飛び出していった。それきり鹿島とは会っていない。確か九月のことであったように思う。
淡々と説明すると、刑事はなるほどと言った。
「確かに女は勃起しない男と性交できませんからね。男と違って」
由比は中指を握り締めた。何か言おうと思ったが、言葉が出てこなかった。
「しかしそうだとすると、田宮の事件や高校の事件と今回の件とは、無関係かもしれません」
そうかもしれない。由比自身も同じことを感じている。だが、チラシの文面と、高校に送られてきた文書は、最初の一節が一致していた。
最初の一節――『由比誓は淫売だ』。
犯人が鹿島だとすれば、彼女はいったいどうやって、由比が恒常的に不特定多数の男と寝る人間だということを知ったのだろう。探偵でも使って探ったのか。あるいは……。
「由比さん」
不意に耳許で声がして、由比は反射的に身体を引いた。斜め前方に座っていたはずの刑事が、何故か彼のすぐ隣にいた。
「由比さん、あなたは高校を卒業するまで、福岡に住んでいましたね」
彼は僅かに瞳孔を開いた。刑事は続けた。
「実はあなたのことを少し調べてみたんですが、地元にいた頃あなたがこの手の犯罪に巻き込まれたという記録は、一切ありませんでした。まるで定例行事みたいに性犯罪被害に遭うようになったのは、上京してからのことです」
「……それが何ですか」
「いえ。ただ、不思議に思っただけです。福岡時代には、こういうことは全くなかったんですか?」
由比は口を開かなかった。刑事は暫く由比の返事を待っているようだったが、相手に答える気がないのを見て取ると、止めたままの防犯カメラの映像に視線を移した。由比もまた画面を見た。
「あなたはいつも完璧な標準語を話しますね」
静止するモノクロームのカット。散乱するエクリチュール。レシの欠片。
「地方出身の方は、標準語を話していても、語彙やイントネーションに出身地の影響が出てくるものなのですが、由比さんにはそれが一切ない」
『由比誓は淫売だ』
あれはいったい誰が紡いだ言葉だろう。誰が織ったテクストだろう。
「もしかして、意識してそうなさっているんですか」
最早、誰のものでもないのかもしれない。
何故なら誰もが同じ言葉を口にする。同じ眼球で彼を見る。
「そんなこと……あなたに関係ないでしょう」
強いていうなら、世界の悪意が織ったテクスト。
そうだ、テクストとはそもそもそういうものなのだ。作者はいない。起源はない。ただひたすらに、引用の織物として立ち現れるもの。
「もう確認することがないのであれば、私は……私はこれで失礼します」
世界が悪意によって由比という存在を追い立てようとするのなら、彼には行く場所も帰る場所もない。足を止める場所すら与えられない。もう何処にも、いられない。
自動ドアが開いて一歩踏み出すと、空気の中にずっしりとした本の重みを感じた。象牙の塔。そんな言葉が、彼の頭にふと浮かぶ。
大学の付属図書館は、まるで何も起こらなかったかのように由比を出迎えた。事件のあと、大学の敷地内に入るのは今日が初めてだった。
彼が図書館を訪れたのは、次の研究発表の準備のためだった。本番は二月なのだが、来月プレ発表を行うことになっている。家にいても資料作成が捗らないのであれば、テクストをひたすら読むしかない。
入口近くのカウンターを通り過ぎようとしたとき、ふと彼は誰かの視線に気づいた。
カウンターの奥に、図書司書が立っていた。ワイシャツとスラックスの上に、エプロンをつけた男。浅越だ。
目が合うと、浅越は口許を歪めた。由比にはその表情の変化の意味が読み取れなかった。やがて浅越は由比に目礼すると、踵を返して奥に向かった。
由比はカウンターの前で立ち止まったまま、遠ざかる後ろ姿を見送った。すると不意に、小さく息を呑む音がした。視線をずらすと、女子学生が前方にいた。彼女は奇妙な表情を貼りつけていた。その顔があまりにいびつだったため、彼女が同じゼミの学生であると気づくのに、暫く時間がかかった。由比は口を開こうとした。しかし次の瞬間には、女子学生は足早に彼の脇を通り過ぎていった。
耳鳴りがまた、激しくなる。
彼は強く頭を振った。そして開架閲覧室に向かった。必要な本を揃え、空いた席に腰を下ろす。だが彼がテクストに集中しようとすると、決まってポケットの中の携帯電話が震えた。全て姉からだった。
聞こえてくるのは不明瞭な泣き声だけだということくらい、電話に出る前からわかっていた。それでも彼は、着信があるたびにトイレに行って、通話ボタンを押した。そして姉の泣き声を黙って聞いた。
トイレで四回目の電話を切ったあと、由比は席に置いたままの本を持って歩き出した。これ以上図書館にいても、何も進まないことは明白だった。
机の間を抜けて、利用者が読み終えた本を回収するための、小さなスチール製の棚に近づく。手にした本をそこへ置こうとしたとき、彼はそのまま動けなくなった。
棚には既に、数冊の本が載せられていた。そのうちの一つが、由比の時間を止めた。
『溺死者の回顧録』
彼は逡巡したのち、それを手に取った。そして表紙を見つめる。
あの雨の夜、由比はこの本を鞄に入れて恵比寿の街を歩いていた。嫌な夜だった。今では随分昔のことのように感じる。
頭の奥では、依然として誰かがぼそぼそと喋っている。
空間の底意に触れてしまったかのような、じっとりと冷たい感覚。
彼は『溺死者の回顧録』を持って自動貸出機に向かった。機械にバーコードを読み取らせ、吐き出された紙片をページの間に挟むと、彼は本と荷物を抱えて図書館をあとにした。カウンターの中には、目を向けなかった。
――大丈夫。普段どおりにやればいい。何も変わってなどいない。
けれど自らにそう言い聞かせることが既に、自分が普段どおりではないことを証明しているのだと、由比にも解ってはいた。
講義中だからなのか、研究棟はひっそりとしていた。白い壁がいやに寒々しかった。彼は掲示板を眺めてから、研究室に行くことにした。研究室は四階にある。たいした距離ではない。階段を使おうと思ったが、しかし何故だかひどく身体が怠かった。それで彼はエレベーターのボタンを押した。ボタン上のディスプレイに表示された階数が、ゆっくりと減っていく。箱が降下しているのだ。由比はその数字を無心に眺めた。手にした本の重みを、意識の外に追いやるように。
やがて数字が1を示し、目の前の扉が左右に割れた。エレベーターが到着したのだ。乗り込もうと足を踏み出した彼は、一瞬目を見開いた。
エレベーターの奥に嵌め込まれた巨大な鏡の中に、由比と、もう一人別の人間が映っていた。
彼は動揺を押し殺して、箱の内部に乗り込んだ。そして鏡に背を預ける形で奥に立った。由比の後ろから乗り込んできた人間は、彼のすぐ隣に立った。それは学生風の男だった。男はボタンに手を伸ばさなかった。由比が迷っているうちに、ドアが閉まった。仕方なく、彼は操作盤に近寄ってボタンを押そうとした。
そのときだった。
突然後ろから二本の腕が伸びてきて、彼を押さえ込んだ。
「やめ……っ」
本とコートと鞄が、床に転がって鈍い音を立てる。彼が男の腕を振り解こうともがいたとき、耳許でざらついた声がした。
「なんで嫌がるんですか、由比さん。もうガキ共に死ぬほどヤられたあとなんだから、今更何されても変わんないでしょ」
誰だろう。聞き覚えのある声だ。
身をよじって抵抗すると、男は舌打ちして由比を鏡に押しつけようとした。鏡越しに、相手と視線が合う。だがそれでも誰なのか判らない。先刻逃げるように立ち去った女子学生とは別の、しかしそれ以上に捻じれた表情が、冷たい鏡面に浮かんでいる。
「あー、前から思ってたんですけど、やっぱ肌とかめっちゃ綺麗ですね。すっごいすべすべ。ふふ、そんな震えなくてもいいですよ。野郎のケツに突っ込むの、俺にはまだちょっとハードル高いし。ね、キスしましょっか」
嫌だと言う暇もなく、男は彼の唇に自分のそれを押しつけ、舌でその表面を舐め回した。
「うわ、柔らかい。ねえ、この口でちんぽ何十本しゃぶったんですか?」
冷たく荒れた掌が、服の下に潜り込んで素肌を犯していく。頬を舐める舌のぬるついた感触、整髪料の棘のある匂い。何もかもが不快だった。しかし身体をがっちりと固定されて、逃げることができない。懸命に押しのけようとしていると、硬いものが彼の腰に触れた。
「やばい、由比さんのおっぱい揉んでたら、勃ってきちゃった」
首筋に冷水を注がれたような気分だった。ぞっとする。吐き気がする。
「ね、これ、トイレで抜いてもらえません? 由比さんは淫売だから、ちんぽくらいタダで舐めてくれますよね」
「ふざけるな……放せっ」
怒鳴りつけると、不意に視界がずれた。後頭部に鈍い衝撃。ほんの一瞬、何もかもが闇に沈む。再び視覚が甦ったとき、目の前にはいびつな顔があった。その背後には、天上。
「そんな可愛くないこと言ってると、ここでしゃぶらせてケツに嵌めますよ」
床に押し倒されたのだと、そこでやっと気づく。
また俺は強姦されるのか?
また?
またなのか?
行き場のない感情が、思考を淀ませていく。きっと悪い兆候だ。だから彼は声を張った。
「馬鹿なことを言うな。ここはエレベーターだ。誰かがボタンを押せば、お前は終わりだ」
すると男は朗らかな笑い声を立てた。
「ははは、それはないですよ。だって由比さんが淫売だってことは、もう皆知ってますからね。俺がエレベーターの中で由比さんにちんぽ咥えさせてたって、見た人は由比さんが男に飢えて後輩を襲ったとしか思わないだろうし、何言っても信じてもらえませんよ」
笑いながら男は由比の胸に跨ると、自身の性器を取り出した。
「ほーら、由比さんの大好きなおちんぽですよー。ミルクごっくんしましょうねー」
もしも口の中に突っ込まれたら、噛みついてやるつもりだった。しかし性器の先端が彼の唇に触れる直前、箱が揺れた。視界の隅で淡く光る数字が、エレベーターの上昇を告げていた。
「あ、残念」
男は呟くと、取り出した性器をしまおうとする。由比は全力で男を突き飛ばした。
「いたっ」
がたんと音を立て、エレベーターが大きく横に揺れる。壁に叩きつけられた男は、奇妙な表情のまま笑った。
「危ないなあ、何かあったらどうするんですか」
由比は何も聞いていなかった。エレベーターが止まると、開いた扉から外に飛び出す。するとそこには、大量のポスターを抱えた教務課の職員がいた。エレベーターを動かしたのは、この職員らしい。
「すみません、今この男に襲われて……」
見覚えのある顔に安堵して被害を訴えようとしたとき、職員の顔が変わった。否、実際に変わったのは、表情だけであるはずだった。しかし表情が変わった途端、由比には職員の顔が判らなくなった。職員であるかどうかすら、判らなくなった。
絶句する彼を一瞥しただけで、その人間は箱に乗り込んでいった。由比が振り返ったとき、エレベーターの扉は既に閉まっていた。代わりに彼を襲った男が立っている。彼のコートと鞄、そしてあの本を手にして。
「ほらね」
男はそう言って笑った。その顔を見てもやはり、由比には相手が誰なのか判らなかった。
「あー、待ってくださいよ、由比さーん」
間延びした呼びかけを無視して、彼は廊下を走った。すると彼の前方で、廊下を挟んで並ぶいくつもの扉の一つが開いた。
「由比君」
扉から、男が出てくる。由比は相手のもつれた頭髪を認めた。
「い……けうち、先生」
「話がある。入りなさい」
池内の表情は、ひどく平坦ではあるもののよじれてはいなかった。由比は池内のあとを追って相手の部屋に入った。以前、由比が男に狙われやすいことを心配していたこの指導教員なら、話が通じる気がした。
「由比君。今週末の研究会のことなんだが」
「すみません、池内先生、実はさっき……」
池内が椅子を勧めなかったので、由比は立ったまま話し始めた。
「たぶんうちの学生だと思うんですが、男に襲われて……」
「司会者が急用で参加できなくなってね」
「あの、池内先生……?」
爪先から、指先から。
体温が、感覚が。
「君に司会の代役をお願いしたいんだ」
僅かずつ、しかし確実に。
「……池内……先生……」
薄れていく。
「タイムテーブルと発表者のプロフィールは、あとでメール送信する」
由比は唇を動かした。しかし声帯が動かなかった。
そのとき何の前触れもなく、背後でドアが開いた。
「失礼しまーす。あ、やっぱりここにいた」
由比は振り返らなかった。振り返ることができなかった。
「ほら、さっき由比さんが色々落としていったから、持ってきてあげたんですよ」
由比は首を垂れて、静かに息を吐いた。それから俯いたままドアに向かうと、男の顔を見ずにその手から荷物を引ったくり、開いたままのドアから駆け出した。後ろは見なかった。そのまま階段を駆け下りてエントランスを抜ける。彼は駅まで何も考えずに走り続けた。そうしていないと、自分の血液の冷たさに凍りついてしまいそうだった。
エレベーターに乗れない靴底は、くすんだアパートの階段を叩き続ける。
手にはコートと鞄、そして一冊の本。スラックスのポケットの中で震える機械を、もう片方の手で探り出し、二階から三階へ。
「――もしもし」
そう、あれも確か、秋の終わりだった。
『ち……ちか、く……』
――チカ君。
『……よ……した……か……さ…………が……っ』
あのときも、やはり姉は泣いていた。
けれど言葉ははっきりとしていた。
――チカ君、お願いがあるの。
素肌にフローリングが、冷たかった。
――お願い、チカ君。
ぬるい液体が脚の間でべとついて、血の匂いがした。
――ありがとう……チカ君。
十年。
「姉さん」
あれから十年、間違えずに生きてきた。
そう信じていた。
『……ちか……くん……』
だが、もしあのとき既に間違えていたのだとしたら。
「――姉さん、切るよ」
由比誓という人生は、いったい何だったのだろう。
死んだ機械を握り締めて、三階から、四階へ。
自分以外の足音が聞こえないことを確かめながら、彼は足早に階段を上がっていく。
不意に、スラックスのポケットが震える。そこには携帯電話が入っている。これが今日何十回目の着信になるのか、数えることは既に放棄してしまった。薄い唇が苛立ったように噛み締められる。それでも歩調は乱れない。ポケットに指を伸ばしながら、一階から二階へ、二階から三階へ。
彼はもう、エレベーターに乗ることができない。
最初の着信は、退院した翌日、日付が変わってすぐだった。
パソコンの画面をただ黙って見つめていた彼は、充電器に繋がれた小さな機械へ、無造作に視線を放った。警察以外なら、無視するつもりだった。しかしディスプレイに表示された一文字きりの名前に視線をやった彼は、暫くその文字を眺めてからボタンを押した。
「――もしもし」
返事はなかった。聞こえてきたのは、荒い呼吸音だった。そこに時折、呻き声のようなものが混じる。言葉はない。
獣のようだ、と彼は思った。
「……姉さん」
その小さな呟きは、呼びかけよりも独り言に似ていた。しかし口にした瞬間、電話の向こうから聞こえてくる雑音は、啜り泣きに変わった。
姉は何か話そうとしているようだった。単語らしきものが切れ切れに聞こえる。しかし意味のある文章にはなっていなかった。唯一、義兄の名だけが辛うじて聞き取れた。
「義兄さんが、どうかしたの」
返事は、やはりなかった。電話の向こうからは、文字化できない音声が間断なく聞こえてくる。そんな状態が三分ほど続き、彼は頭痛と耳鳴りが悪化するのを感じた。
「……ごめん、少し疲れてるんだ。落ち着いたら、また電話して」
由比は電話を切った。そして液晶画面が忍耐強く提示し続けている、作りかけの資料に視線を戻した。睫が静かに上下する。やがて細い指先がマウスを動かした。カーソルが右上へ移動し、プログラムが閉じられる。次いでシャットダウンをクリックする。彼はパソコンを音もなく畳む。プラグを抜く。そしてぼんやりと宙に視線を漂わせる。
パソコンを開いて三時間以上が経過していた。が、結局彼は今夜一度も、上書き保存をしなかった。一文字も書けなかったのだ。
その後も約一時間おきに着信があった。こもった啜り泣き、原型を留めない言葉、繰り返される名前。しかし携帯電話の電源を切ることはできなかった。警察から連絡があるかもしれないのだ。着信を無視するという選択肢もなかった。そうしたところで根本的な解決にはならないことを、彼はよく知っている。
姉はいつ眠っているのだろう。自分はいつ眠るのだろう。他人事のように、そう思った。
この数日間で、進展が全くなかったわけではない。しかし新たな情報は、別の火種の存在を示唆するものだった。
アパートのエントランスに設置された防犯カメラには、マスクとサングラスをつけた不審人物の姿が映っていた。その人物は、紙切れを全てのレターボックスに突っ込むと、更に壁やオートロックの扉に貼りつけ、残りを床にばら撒いていた。
「体型や髪型を見る限り、女である可能性が高いでしょう」
刑事は神経質そうな手つきでネクタイの結び目を直しながら言った。
「女……」
呟いた由比に、刑事は薄く微笑んでみせる。
「心当たりはありますか」
迷ってから、彼は肯いた。
「断言はできませんが、知り合いに似ている気がします」
不鮮明な映像ではあるが、細身の身体とボブヘアーを掻き上げる仕種には、見覚えがあった。
「名前は?」
「……鹿島冴子」
「その女性とは、何かトラブルが?」
由比は記憶を辿った。以前彼女に、ホテルのベッドに押し倒されたことがある。不能だと告げたところ、泣きながら部屋を飛び出していった。それきり鹿島とは会っていない。確か九月のことであったように思う。
淡々と説明すると、刑事はなるほどと言った。
「確かに女は勃起しない男と性交できませんからね。男と違って」
由比は中指を握り締めた。何か言おうと思ったが、言葉が出てこなかった。
「しかしそうだとすると、田宮の事件や高校の事件と今回の件とは、無関係かもしれません」
そうかもしれない。由比自身も同じことを感じている。だが、チラシの文面と、高校に送られてきた文書は、最初の一節が一致していた。
最初の一節――『由比誓は淫売だ』。
犯人が鹿島だとすれば、彼女はいったいどうやって、由比が恒常的に不特定多数の男と寝る人間だということを知ったのだろう。探偵でも使って探ったのか。あるいは……。
「由比さん」
不意に耳許で声がして、由比は反射的に身体を引いた。斜め前方に座っていたはずの刑事が、何故か彼のすぐ隣にいた。
「由比さん、あなたは高校を卒業するまで、福岡に住んでいましたね」
彼は僅かに瞳孔を開いた。刑事は続けた。
「実はあなたのことを少し調べてみたんですが、地元にいた頃あなたがこの手の犯罪に巻き込まれたという記録は、一切ありませんでした。まるで定例行事みたいに性犯罪被害に遭うようになったのは、上京してからのことです」
「……それが何ですか」
「いえ。ただ、不思議に思っただけです。福岡時代には、こういうことは全くなかったんですか?」
由比は口を開かなかった。刑事は暫く由比の返事を待っているようだったが、相手に答える気がないのを見て取ると、止めたままの防犯カメラの映像に視線を移した。由比もまた画面を見た。
「あなたはいつも完璧な標準語を話しますね」
静止するモノクロームのカット。散乱するエクリチュール。レシの欠片。
「地方出身の方は、標準語を話していても、語彙やイントネーションに出身地の影響が出てくるものなのですが、由比さんにはそれが一切ない」
『由比誓は淫売だ』
あれはいったい誰が紡いだ言葉だろう。誰が織ったテクストだろう。
「もしかして、意識してそうなさっているんですか」
最早、誰のものでもないのかもしれない。
何故なら誰もが同じ言葉を口にする。同じ眼球で彼を見る。
「そんなこと……あなたに関係ないでしょう」
強いていうなら、世界の悪意が織ったテクスト。
そうだ、テクストとはそもそもそういうものなのだ。作者はいない。起源はない。ただひたすらに、引用の織物として立ち現れるもの。
「もう確認することがないのであれば、私は……私はこれで失礼します」
世界が悪意によって由比という存在を追い立てようとするのなら、彼には行く場所も帰る場所もない。足を止める場所すら与えられない。もう何処にも、いられない。
自動ドアが開いて一歩踏み出すと、空気の中にずっしりとした本の重みを感じた。象牙の塔。そんな言葉が、彼の頭にふと浮かぶ。
大学の付属図書館は、まるで何も起こらなかったかのように由比を出迎えた。事件のあと、大学の敷地内に入るのは今日が初めてだった。
彼が図書館を訪れたのは、次の研究発表の準備のためだった。本番は二月なのだが、来月プレ発表を行うことになっている。家にいても資料作成が捗らないのであれば、テクストをひたすら読むしかない。
入口近くのカウンターを通り過ぎようとしたとき、ふと彼は誰かの視線に気づいた。
カウンターの奥に、図書司書が立っていた。ワイシャツとスラックスの上に、エプロンをつけた男。浅越だ。
目が合うと、浅越は口許を歪めた。由比にはその表情の変化の意味が読み取れなかった。やがて浅越は由比に目礼すると、踵を返して奥に向かった。
由比はカウンターの前で立ち止まったまま、遠ざかる後ろ姿を見送った。すると不意に、小さく息を呑む音がした。視線をずらすと、女子学生が前方にいた。彼女は奇妙な表情を貼りつけていた。その顔があまりにいびつだったため、彼女が同じゼミの学生であると気づくのに、暫く時間がかかった。由比は口を開こうとした。しかし次の瞬間には、女子学生は足早に彼の脇を通り過ぎていった。
耳鳴りがまた、激しくなる。
彼は強く頭を振った。そして開架閲覧室に向かった。必要な本を揃え、空いた席に腰を下ろす。だが彼がテクストに集中しようとすると、決まってポケットの中の携帯電話が震えた。全て姉からだった。
聞こえてくるのは不明瞭な泣き声だけだということくらい、電話に出る前からわかっていた。それでも彼は、着信があるたびにトイレに行って、通話ボタンを押した。そして姉の泣き声を黙って聞いた。
トイレで四回目の電話を切ったあと、由比は席に置いたままの本を持って歩き出した。これ以上図書館にいても、何も進まないことは明白だった。
机の間を抜けて、利用者が読み終えた本を回収するための、小さなスチール製の棚に近づく。手にした本をそこへ置こうとしたとき、彼はそのまま動けなくなった。
棚には既に、数冊の本が載せられていた。そのうちの一つが、由比の時間を止めた。
『溺死者の回顧録』
彼は逡巡したのち、それを手に取った。そして表紙を見つめる。
あの雨の夜、由比はこの本を鞄に入れて恵比寿の街を歩いていた。嫌な夜だった。今では随分昔のことのように感じる。
頭の奥では、依然として誰かがぼそぼそと喋っている。
空間の底意に触れてしまったかのような、じっとりと冷たい感覚。
彼は『溺死者の回顧録』を持って自動貸出機に向かった。機械にバーコードを読み取らせ、吐き出された紙片をページの間に挟むと、彼は本と荷物を抱えて図書館をあとにした。カウンターの中には、目を向けなかった。
――大丈夫。普段どおりにやればいい。何も変わってなどいない。
けれど自らにそう言い聞かせることが既に、自分が普段どおりではないことを証明しているのだと、由比にも解ってはいた。
講義中だからなのか、研究棟はひっそりとしていた。白い壁がいやに寒々しかった。彼は掲示板を眺めてから、研究室に行くことにした。研究室は四階にある。たいした距離ではない。階段を使おうと思ったが、しかし何故だかひどく身体が怠かった。それで彼はエレベーターのボタンを押した。ボタン上のディスプレイに表示された階数が、ゆっくりと減っていく。箱が降下しているのだ。由比はその数字を無心に眺めた。手にした本の重みを、意識の外に追いやるように。
やがて数字が1を示し、目の前の扉が左右に割れた。エレベーターが到着したのだ。乗り込もうと足を踏み出した彼は、一瞬目を見開いた。
エレベーターの奥に嵌め込まれた巨大な鏡の中に、由比と、もう一人別の人間が映っていた。
彼は動揺を押し殺して、箱の内部に乗り込んだ。そして鏡に背を預ける形で奥に立った。由比の後ろから乗り込んできた人間は、彼のすぐ隣に立った。それは学生風の男だった。男はボタンに手を伸ばさなかった。由比が迷っているうちに、ドアが閉まった。仕方なく、彼は操作盤に近寄ってボタンを押そうとした。
そのときだった。
突然後ろから二本の腕が伸びてきて、彼を押さえ込んだ。
「やめ……っ」
本とコートと鞄が、床に転がって鈍い音を立てる。彼が男の腕を振り解こうともがいたとき、耳許でざらついた声がした。
「なんで嫌がるんですか、由比さん。もうガキ共に死ぬほどヤられたあとなんだから、今更何されても変わんないでしょ」
誰だろう。聞き覚えのある声だ。
身をよじって抵抗すると、男は舌打ちして由比を鏡に押しつけようとした。鏡越しに、相手と視線が合う。だがそれでも誰なのか判らない。先刻逃げるように立ち去った女子学生とは別の、しかしそれ以上に捻じれた表情が、冷たい鏡面に浮かんでいる。
「あー、前から思ってたんですけど、やっぱ肌とかめっちゃ綺麗ですね。すっごいすべすべ。ふふ、そんな震えなくてもいいですよ。野郎のケツに突っ込むの、俺にはまだちょっとハードル高いし。ね、キスしましょっか」
嫌だと言う暇もなく、男は彼の唇に自分のそれを押しつけ、舌でその表面を舐め回した。
「うわ、柔らかい。ねえ、この口でちんぽ何十本しゃぶったんですか?」
冷たく荒れた掌が、服の下に潜り込んで素肌を犯していく。頬を舐める舌のぬるついた感触、整髪料の棘のある匂い。何もかもが不快だった。しかし身体をがっちりと固定されて、逃げることができない。懸命に押しのけようとしていると、硬いものが彼の腰に触れた。
「やばい、由比さんのおっぱい揉んでたら、勃ってきちゃった」
首筋に冷水を注がれたような気分だった。ぞっとする。吐き気がする。
「ね、これ、トイレで抜いてもらえません? 由比さんは淫売だから、ちんぽくらいタダで舐めてくれますよね」
「ふざけるな……放せっ」
怒鳴りつけると、不意に視界がずれた。後頭部に鈍い衝撃。ほんの一瞬、何もかもが闇に沈む。再び視覚が甦ったとき、目の前にはいびつな顔があった。その背後には、天上。
「そんな可愛くないこと言ってると、ここでしゃぶらせてケツに嵌めますよ」
床に押し倒されたのだと、そこでやっと気づく。
また俺は強姦されるのか?
また?
またなのか?
行き場のない感情が、思考を淀ませていく。きっと悪い兆候だ。だから彼は声を張った。
「馬鹿なことを言うな。ここはエレベーターだ。誰かがボタンを押せば、お前は終わりだ」
すると男は朗らかな笑い声を立てた。
「ははは、それはないですよ。だって由比さんが淫売だってことは、もう皆知ってますからね。俺がエレベーターの中で由比さんにちんぽ咥えさせてたって、見た人は由比さんが男に飢えて後輩を襲ったとしか思わないだろうし、何言っても信じてもらえませんよ」
笑いながら男は由比の胸に跨ると、自身の性器を取り出した。
「ほーら、由比さんの大好きなおちんぽですよー。ミルクごっくんしましょうねー」
もしも口の中に突っ込まれたら、噛みついてやるつもりだった。しかし性器の先端が彼の唇に触れる直前、箱が揺れた。視界の隅で淡く光る数字が、エレベーターの上昇を告げていた。
「あ、残念」
男は呟くと、取り出した性器をしまおうとする。由比は全力で男を突き飛ばした。
「いたっ」
がたんと音を立て、エレベーターが大きく横に揺れる。壁に叩きつけられた男は、奇妙な表情のまま笑った。
「危ないなあ、何かあったらどうするんですか」
由比は何も聞いていなかった。エレベーターが止まると、開いた扉から外に飛び出す。するとそこには、大量のポスターを抱えた教務課の職員がいた。エレベーターを動かしたのは、この職員らしい。
「すみません、今この男に襲われて……」
見覚えのある顔に安堵して被害を訴えようとしたとき、職員の顔が変わった。否、実際に変わったのは、表情だけであるはずだった。しかし表情が変わった途端、由比には職員の顔が判らなくなった。職員であるかどうかすら、判らなくなった。
絶句する彼を一瞥しただけで、その人間は箱に乗り込んでいった。由比が振り返ったとき、エレベーターの扉は既に閉まっていた。代わりに彼を襲った男が立っている。彼のコートと鞄、そしてあの本を手にして。
「ほらね」
男はそう言って笑った。その顔を見てもやはり、由比には相手が誰なのか判らなかった。
「あー、待ってくださいよ、由比さーん」
間延びした呼びかけを無視して、彼は廊下を走った。すると彼の前方で、廊下を挟んで並ぶいくつもの扉の一つが開いた。
「由比君」
扉から、男が出てくる。由比は相手のもつれた頭髪を認めた。
「い……けうち、先生」
「話がある。入りなさい」
池内の表情は、ひどく平坦ではあるもののよじれてはいなかった。由比は池内のあとを追って相手の部屋に入った。以前、由比が男に狙われやすいことを心配していたこの指導教員なら、話が通じる気がした。
「由比君。今週末の研究会のことなんだが」
「すみません、池内先生、実はさっき……」
池内が椅子を勧めなかったので、由比は立ったまま話し始めた。
「たぶんうちの学生だと思うんですが、男に襲われて……」
「司会者が急用で参加できなくなってね」
「あの、池内先生……?」
爪先から、指先から。
体温が、感覚が。
「君に司会の代役をお願いしたいんだ」
僅かずつ、しかし確実に。
「……池内……先生……」
薄れていく。
「タイムテーブルと発表者のプロフィールは、あとでメール送信する」
由比は唇を動かした。しかし声帯が動かなかった。
そのとき何の前触れもなく、背後でドアが開いた。
「失礼しまーす。あ、やっぱりここにいた」
由比は振り返らなかった。振り返ることができなかった。
「ほら、さっき由比さんが色々落としていったから、持ってきてあげたんですよ」
由比は首を垂れて、静かに息を吐いた。それから俯いたままドアに向かうと、男の顔を見ずにその手から荷物を引ったくり、開いたままのドアから駆け出した。後ろは見なかった。そのまま階段を駆け下りてエントランスを抜ける。彼は駅まで何も考えずに走り続けた。そうしていないと、自分の血液の冷たさに凍りついてしまいそうだった。
エレベーターに乗れない靴底は、くすんだアパートの階段を叩き続ける。
手にはコートと鞄、そして一冊の本。スラックスのポケットの中で震える機械を、もう片方の手で探り出し、二階から三階へ。
「――もしもし」
そう、あれも確か、秋の終わりだった。
『ち……ちか、く……』
――チカ君。
『……よ……した……か……さ…………が……っ』
あのときも、やはり姉は泣いていた。
けれど言葉ははっきりとしていた。
――チカ君、お願いがあるの。
素肌にフローリングが、冷たかった。
――お願い、チカ君。
ぬるい液体が脚の間でべとついて、血の匂いがした。
――ありがとう……チカ君。
十年。
「姉さん」
あれから十年、間違えずに生きてきた。
そう信じていた。
『……ちか……くん……』
だが、もしあのとき既に間違えていたのだとしたら。
「――姉さん、切るよ」
由比誓という人生は、いったい何だったのだろう。
死んだ機械を握り締めて、三階から、四階へ。
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