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第12話「午前二時のカーテン」怖さ:☆☆
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西園寺美月が新しいマンションに引っ越してきて最初に気になったのは、リビングのカーテンが午前二時になると必ず揺れることだった。
三階建ての角部屋。南向きのベランダは日当たりが良く、夜景も美しい。しかし午前二時になると、閉め切った窓の前でカーテンがゆらりと動き出す。
最初は空調の影響だと思っていた。しかしエアコンを切っても、扇風機を止めても、カーテンは規則正しく揺れ続ける。
美月は窓の隙間を確認したが、完全に閉まっている。外からの風が入る余地はない。
三日目の夜、美月は午前二時前からカーテンを見つめていた。
一時五十九分五十秒。
美月は秒針を数えた。
午前二時ちょうど。
カーテンが動いた。
まるで誰かが裏側から手で揺らしているように、左右に大きく振れる。風ではない。明らかに人為的な動きだ。
美月は恐る恐るカーテンに近づいた。裏側を確認しようと手を伸ばす。
その瞬間、カーテンが激しく波打った。まるで美月を拒絶するように。
美月は慌てて後ずさりした。
四日目、美月はベランダ側から確認してみることにした。午前一時五十分、外に出てベランダからリビングを覗く。
カーテンの向こうに、人影が見えた。
細い女性のシルエット。ロングヘアが肩まで流れている。美月と同じくらいの体型だが、どこか違和感がある。
午前二時になると、その人影がカーテンを揺らし始めた。内側から、規則正しいリズムで。
美月は戦慄した。誰かが部屋にいる。しかし美月は一人暮らしだ。鍵もかけている。
美月は急いで部屋に戻った。しかし室内には誰もいない。カーテンだけが、まだ微かに揺れている。
五日目、美月は不動産屋に連絡した。
「前の住人について教えてください」
「前の住人? ああ、イザベラさんね」
担当者は少し困ったような声になった。
「外国の方で、一年ほど住んでいたんですが……」
「どうかしたんですか?」
「実は……亡くなったんです。この部屋で」
美月の血の気が引いた。
「亡くなった?」
「孤独死でした。発見が遅れて……三日後に大家さんが見つけたんです」
美月は震え声で尋ねた。
「いつ頃の話ですか?」
「三か月前です。死亡推定時刻は……午前二時頃でした」
美月は電話を切った後、しばらく動けなかった。
カーテンを揺らしているのは、前の住人イザベラの霊なのか。
その夜、美月は午前二時を待った。今度は、逃げずに向き合ってみようと思った。
時刻が近づくと、室温が下がった気がした。息が白く見えるほどではないが、明らかに寒い。
午前二時。
カーテンが揺れ始めた。
美月は勇気を出して、カーテンに話しかけた。
「イザベラさんですか?」
カーテンの動きが止まった。
「もしそうなら、一回揺れてください」
カーテンが一度、大きく揺れた。
美月は涙が出てきた。
「寂しかったんですね」
カーテンがまた揺れる。今度は悲しそうに、ゆっくりと。
「私も最初はこの部屋で寂しかったです。新しい環境で、知り合いもいなくて」
美月は椅子に座り、カーテンに向かって話し続けた。
「でも少しずつ慣れました。近所の人とも挨拶するようになったし、会社でも友達ができました」
カーテンの動きが穏やかになった。
「あなたも一人だったんですよね。言葉の違う国で、きっと大変だったでしょう」
美月は想像した。異国の地で一人暮らしをするイザベラの気持ちを。
「でももう大丈夫。私がここにいるから、あなたは一人じゃありません」
その時、カーテンの向こうに人影が現れた。ベランダから見たのと同じシルエット。しかし今度は、はっきりと顔が見える。
金髪の美しい女性。青い瞳に、優しい微笑み。イザベラだった。
「ありがとう」
小さな声が聞こえた。かすかな外国訛りのある日本語。
「あなた……見えるの?」
美月は驚いた。
「少しだけ。でももうすぐ消えます」
イザベラの姿が薄くなり始めている。
「最後に……お願いがあります」
「何でも言って」
「私の国の家族に……手紙を……」
イザベラが指差した方向を見ると、テーブルの上に便箋とペンがあった。いつの間に置かれたのだろう。
美月は便箋を取り、イザベラの言葉を書き取った。
「Dear family, I am happy now. Thank you for everything. Please don’t worry about me. Love, Isabella.」
美月の手が勝手に動いて、英語の文章を書いていく。イザベラが美月の手を通して、最後のメッセージを綴っているのだ。
手紙を書き終えると、イザベラの姿がより鮮明になった。
「ありがとう。これで安心して……」
「待って。宛先は?」
イザベラが微笑んだ。
「大丈夫。あなたが心を込めて書いてくれたから、きっと届きます」
イザベラの姿が光に包まれていく。
「この部屋を……大切にしてください」
「約束します」
光が消えると、イザベラの姿も消えていた。
カーテンは静かに垂れ下がり、もう揺れることはなかった。
翌日、美月は手紙をどうすべきか考えた。宛先が分からないのに、どうやって送れるのか。
しかし午後、美月の元に不動産屋から連絡があった。
「イザベラさんのご家族から連絡がありました。遺品整理でまだ受け取っていないものがあるかもしれないので、確認したいそうです」
美月は驚いた。
「それでは、お渡ししたいものがあります」
数日後、イザベラの兄がドイツから来日した。美月は手紙を渡した。
兄は手紙を読んで涙を流した。
「これは確かにイザベラの文字です。でも、彼女は亡くなる前に手紙を書ける状態ではなかったはず……」
美月は事情を説明するわけにはいかなかった。しかし兄は満足そうだった。
「妹が最後に家族のことを思ってくれていたなんて。ありがとうございます」
兄が帰国した後、美月は部屋で一人になった。
午前二時になっても、カーテンは揺れない。イザベラは安らかに旅立ったのだろう。
しかし美月は寂しくなかった。
この部屋には、イザベラの温かい思い出が残っている。孤独だった彼女が、最後に愛を感じられた場所として。
美月は毎晩、イザベラのために小さな花を飾るようになった。
そして時々、カーテンが微かに揺れることがある。風のない夜に、ほんの少しだけ。
それはイザベラからの「ありがとう」の合図だと、美月は信じている。
午前二時のカーテンは、もう恐怖ではない。
愛する人を思う気持ちの表れなのだから。
美月はこの部屋を愛している。
イザベラと過ごした短い時間も含めて、すべてを大切にしながら。
そして今夜も、静かなカーテンが美月の眠りを見守っている。
三階建ての角部屋。南向きのベランダは日当たりが良く、夜景も美しい。しかし午前二時になると、閉め切った窓の前でカーテンがゆらりと動き出す。
最初は空調の影響だと思っていた。しかしエアコンを切っても、扇風機を止めても、カーテンは規則正しく揺れ続ける。
美月は窓の隙間を確認したが、完全に閉まっている。外からの風が入る余地はない。
三日目の夜、美月は午前二時前からカーテンを見つめていた。
一時五十九分五十秒。
美月は秒針を数えた。
午前二時ちょうど。
カーテンが動いた。
まるで誰かが裏側から手で揺らしているように、左右に大きく振れる。風ではない。明らかに人為的な動きだ。
美月は恐る恐るカーテンに近づいた。裏側を確認しようと手を伸ばす。
その瞬間、カーテンが激しく波打った。まるで美月を拒絶するように。
美月は慌てて後ずさりした。
四日目、美月はベランダ側から確認してみることにした。午前一時五十分、外に出てベランダからリビングを覗く。
カーテンの向こうに、人影が見えた。
細い女性のシルエット。ロングヘアが肩まで流れている。美月と同じくらいの体型だが、どこか違和感がある。
午前二時になると、その人影がカーテンを揺らし始めた。内側から、規則正しいリズムで。
美月は戦慄した。誰かが部屋にいる。しかし美月は一人暮らしだ。鍵もかけている。
美月は急いで部屋に戻った。しかし室内には誰もいない。カーテンだけが、まだ微かに揺れている。
五日目、美月は不動産屋に連絡した。
「前の住人について教えてください」
「前の住人? ああ、イザベラさんね」
担当者は少し困ったような声になった。
「外国の方で、一年ほど住んでいたんですが……」
「どうかしたんですか?」
「実は……亡くなったんです。この部屋で」
美月の血の気が引いた。
「亡くなった?」
「孤独死でした。発見が遅れて……三日後に大家さんが見つけたんです」
美月は震え声で尋ねた。
「いつ頃の話ですか?」
「三か月前です。死亡推定時刻は……午前二時頃でした」
美月は電話を切った後、しばらく動けなかった。
カーテンを揺らしているのは、前の住人イザベラの霊なのか。
その夜、美月は午前二時を待った。今度は、逃げずに向き合ってみようと思った。
時刻が近づくと、室温が下がった気がした。息が白く見えるほどではないが、明らかに寒い。
午前二時。
カーテンが揺れ始めた。
美月は勇気を出して、カーテンに話しかけた。
「イザベラさんですか?」
カーテンの動きが止まった。
「もしそうなら、一回揺れてください」
カーテンが一度、大きく揺れた。
美月は涙が出てきた。
「寂しかったんですね」
カーテンがまた揺れる。今度は悲しそうに、ゆっくりと。
「私も最初はこの部屋で寂しかったです。新しい環境で、知り合いもいなくて」
美月は椅子に座り、カーテンに向かって話し続けた。
「でも少しずつ慣れました。近所の人とも挨拶するようになったし、会社でも友達ができました」
カーテンの動きが穏やかになった。
「あなたも一人だったんですよね。言葉の違う国で、きっと大変だったでしょう」
美月は想像した。異国の地で一人暮らしをするイザベラの気持ちを。
「でももう大丈夫。私がここにいるから、あなたは一人じゃありません」
その時、カーテンの向こうに人影が現れた。ベランダから見たのと同じシルエット。しかし今度は、はっきりと顔が見える。
金髪の美しい女性。青い瞳に、優しい微笑み。イザベラだった。
「ありがとう」
小さな声が聞こえた。かすかな外国訛りのある日本語。
「あなた……見えるの?」
美月は驚いた。
「少しだけ。でももうすぐ消えます」
イザベラの姿が薄くなり始めている。
「最後に……お願いがあります」
「何でも言って」
「私の国の家族に……手紙を……」
イザベラが指差した方向を見ると、テーブルの上に便箋とペンがあった。いつの間に置かれたのだろう。
美月は便箋を取り、イザベラの言葉を書き取った。
「Dear family, I am happy now. Thank you for everything. Please don’t worry about me. Love, Isabella.」
美月の手が勝手に動いて、英語の文章を書いていく。イザベラが美月の手を通して、最後のメッセージを綴っているのだ。
手紙を書き終えると、イザベラの姿がより鮮明になった。
「ありがとう。これで安心して……」
「待って。宛先は?」
イザベラが微笑んだ。
「大丈夫。あなたが心を込めて書いてくれたから、きっと届きます」
イザベラの姿が光に包まれていく。
「この部屋を……大切にしてください」
「約束します」
光が消えると、イザベラの姿も消えていた。
カーテンは静かに垂れ下がり、もう揺れることはなかった。
翌日、美月は手紙をどうすべきか考えた。宛先が分からないのに、どうやって送れるのか。
しかし午後、美月の元に不動産屋から連絡があった。
「イザベラさんのご家族から連絡がありました。遺品整理でまだ受け取っていないものがあるかもしれないので、確認したいそうです」
美月は驚いた。
「それでは、お渡ししたいものがあります」
数日後、イザベラの兄がドイツから来日した。美月は手紙を渡した。
兄は手紙を読んで涙を流した。
「これは確かにイザベラの文字です。でも、彼女は亡くなる前に手紙を書ける状態ではなかったはず……」
美月は事情を説明するわけにはいかなかった。しかし兄は満足そうだった。
「妹が最後に家族のことを思ってくれていたなんて。ありがとうございます」
兄が帰国した後、美月は部屋で一人になった。
午前二時になっても、カーテンは揺れない。イザベラは安らかに旅立ったのだろう。
しかし美月は寂しくなかった。
この部屋には、イザベラの温かい思い出が残っている。孤独だった彼女が、最後に愛を感じられた場所として。
美月は毎晩、イザベラのために小さな花を飾るようになった。
そして時々、カーテンが微かに揺れることがある。風のない夜に、ほんの少しだけ。
それはイザベラからの「ありがとう」の合図だと、美月は信じている。
午前二時のカーテンは、もう恐怖ではない。
愛する人を思う気持ちの表れなのだから。
美月はこの部屋を愛している。
イザベラと過ごした短い時間も含めて、すべてを大切にしながら。
そして今夜も、静かなカーテンが美月の眠りを見守っている。
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