1話5分でゾッと出来る話。短編ホラー集。短編怖い話は、そこにある

みにぶた🐽

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第13話「瞳に映る影」怖さ: 怖さ:☆

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# 第13話「瞳に映る影」

 大河内翼が鏡越しに自分の目を見詰めた時、そこに映ったのは誰もいないはずの背後の光景だった。

 十一月の夜。翼は洗面所で歯を磨きながら、何気なく鏡の中の自分の瞳を覗き込んだ。黒い瞳孔の奥に、小さく部屋の様子が反射して見える。

 しかし、そこに映っているのは現実の部屋とは違っていた。

 翼の背後には誰もいないはずなのに、瞳の中には人影が立っている。背の高い男性のシルエット。顔は見えないが、確実にそこにいる。

 翼は慌てて振り返った。

 背後には何もない。洗面所の扉があるだけだ。

 もう一度鏡を見ると、瞳の中の人影は消えていた。

「見間違いかな……」

 翼は首をかしげたが、気にしないことにした。

 翌日の朝、翼は駅のトイレで手を洗いながら鏡を見た。またしても、自分の瞳の中に人影が映っている。

 今度は女性のようだった。ロングヘアの細い体型。やはり背後に立っている。

 翼は振り返ったが、個室のドアがあるだけで誰もいない。

 会社でも同じことが起こった。給湯室の鏡、エレベーターの反射する壁、同僚のメガネ。あらゆる反射する表面で、翼の瞳の中に人影が映る。

 そして人影は日に日に増えていく。

 一人、二人、三人。一週間後には、十人以上の人影が翼の瞳の中に立っていた。

 翼は眼科を受診したが、視力も眼球の状態も正常だった。

「ストレスかもしれませんね」

 医師はそう診断したが、翼には心当たりがない。仕事も順調だし、人間関係にも問題はない。

 しかし人影は増え続けた。

 二週間後、翼の瞳の中は満員電車のような状態になっていた。無数の人影がひしめき合っている。

 そして翼は気づいた。人影たちが、こちらを見ていることを。

 瞳の中の小さな世界で、人影たちが翼を見上げている。まるで翼を観察しているように。

 ある夜、翼は勇気を出して鏡に向かって話しかけてみた。

「君たちは誰なの?」

 瞳の中の人影たちがざわめいた。口は見えないが、何かを話し合っているような動きをしている。

 そして一人の人影が前に出てきた。

 年配の男性のように見える。その人影が口を動かした。

「やっと気づいてくれた」

 声は聞こえなかったが、口の動きで言葉が分かった。

「僕たちは君の記憶の中の人たちだ」

 翼は困惑した。

「記憶?」

「そう。君が忘れてしまった人たちの記憶」

 別の人影が前に出てきた。今度は中年女性のようだ。

「君は昔から、人の顔を覚えるのが苦手だっただろう?」

 確かにその通りだった。翼は人の顔を覚えるのが非常に苦手で、何度会った人でも思い出せないことがよくある。

「僕たちは、君が忘れてしまった人たちだ」

 三人目の人影が説明する。

「電車で隣に座った人、コンビニの店員、道ですれ違った人。君は僕たちの顔を見ても、記憶に残せない」

「でも僕たちは確実に存在していた」

「君の瞳には映っていた」

「だから僕たちは、君の瞳の記憶の中に住んでいるんだ」

 翼は理解し始めた。自分が覚えていない無数の人々が、瞳の奥に蓄積されているのだ。

「なぜ今になって見えるようになったの?」

「君が僕たちを必要としているからだ」

 最初の人影が答えた。

「君は最近、孤独を感じているだろう?」

 翼は驚いた。確かに最近、一人でいることが多く、寂しさを感じていた。

「僕たちは君が出会った全ての人だ。君は一人じゃない」

「どんなに忘れっぽくても、僕たちは君の中にいる」

 人影たちが口々に話しかけてくる。

「あの時、電車で席を譲ってくれてありがとう」

「コンビニで笑顔で挨拶してくれて嬉しかった」

「道で困っている時、声をかけてくれたよね」

 翼は涙が出てきた。自分では忘れてしまったやり取りを、彼らは覚えていてくれる。

「君はとても優しい人だ」

「だから僕たちは君を見守っている」

「一人だと思わないで」

 それから翼の生活は変わった。

 人影たちが見えることを恐れるのではなく、彼らとのコミュニケーションを楽しむようになった。

 朝の鏡で「おはよう」と挨拶し、夜は「お疲れさま」と声をかける。

 人影たちも、翼の日常を一緒に過ごしてくれる。仕事で嫌なことがあった時は慰めてくれるし、嬉しいことがあった時は一緒に喜んでくれる。

 そして翼は、現実の人間関係も大切にするようになった。

 今まで覚えられなかった同僚の名前を、メモを取って覚える努力をした。コンビニの店員さんには積極的に挨拶をし、道ですれ違う人にも軽く会釈をするようになった。

 すると不思議なことが起こった。

 瞳の中の人影たちが、だんだん鮮明になってきたのだ。最初はぼんやりとしたシルエットだったが、次第に表情や服装が見えるようになった。

 そして翼は気づいた。人影の中に、現実で知っている人がいることを。

 同僚の田中さん、よく行くコンビニの店員さん、近所の散歩中のおじいさん。みんな翼の瞳の中にもいる。

 つまり、翼は彼らの顔を忘れていたわけではなかったのだ。記憶の奥にちゃんと残っていて、瞳の中で生き続けていた。

 半年後、翼の瞳の中の人影たちは完全にカラーで見えるようになった。そして彼らは翼に最後のメッセージを送った。

「もう大丈夫だね」

「君は僕たちを忘れなくなった」

「現実でも、ちゃんと人とつながれるようになった」

「だから僕たちは卒業するよ」

 翼は寂しくなった。

「いなくなっちゃうの?」

「いなくならない。今度は君の心の中にいる」

「瞳の中ではなく、記憶の中に」

「君が人と出会うたび、僕たちも一緒にいる」

 人影たちが手を振っている。

「ありがとう、翼」

「君に出会えて良かった」

「これからも、たくさんの人と出会ってね」

 光に包まれて、人影たちが消えていく。

 翼の瞳は、再び普通の瞳に戻った。

 しかし翼は一人ぼっちではない。

 心の中に、無数の出会いの記憶がある。

 そして今日も新しい人と出会い、新しい記憶を作っている。

 翼の瞳に映る世界は、愛に満ちている。

 忘れてしまいそうな小さな出会いも、すべて大切な思い出として、翼の心に刻まれている。

 人は一人では生きていけない。

 でも一人でもない。

 無数の出会いに支えられて、今日も翼は歩いていく。
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