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第14話「開けてはならない箱」怖さ:☆☆☆
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芹沢雫が祖母から小箱を受け取ったのは、祖母の葬儀の翌日だった。
手のひらほどの大きさの木製の箱。古い桐材で作られており、美しい蒔絵が施されている。しかし鍵がかかっていて、開ける方法が分からない。
「これは雫ちゃんに」
祖母の妹である叔母の三笠が、箱を雫の手に押し付けた。
「お祖母ちゃんが、雫ちゃんが二十歳になったら渡してって」
雫は今年、二十歳になったばかりだった。
「中に何が入ってるんですか?」
「分からない。でもお祖母ちゃんが言ってたの。『絶対に開けるな』って」
叔母の表情は真剣だった。
「鍵も一緒に捨ててしまったそうよ。開けられないようにって」
雫は困惑した。開けられない箱をもらっても、意味がないのではないか。
「でも、なぜ私に?」
「お祖母ちゃんが『雫なら大丈夫』って言ってたの。意味は分からないけど」
雫は箱を受け取った。軽いが、中で何かが動く音がする。固体ではなく、液体のような音だ。
家に帰って、雫は箱を詳しく調べた。
鍵穴はあるが、確かに鍵がない。金具部分も錆びついており、長い間開けられていないようだ。
箱を振ると、中から「ちゃぷ、ちゃぷ」という水音が聞こえる。液体が入っているのは間違いない。
雫は興味を抑えきれなくなった。祖母は「絶対に開けるな」と言ったが、理由が分からない。もしかしたら大切な思い出の品が入っているのかもしれない。
雫はインターネットで古い錠前の開け方を調べた。ヘアピンを使った方法、針金を使った方法。いくつか試してみたが、この箱の錠前は複雑で、素人には開けられそうにない。
一週間後、雫は鍵師に相談した。
「開けられますか?」
老練な鍵師は箱を見て首を振った。
「江戸時代の錠前ですね。非常に精巧で、鍵なしで開けるのは困難です」
「でも、不可能ではない?」
「時間をかければ……でも、本当に開けていいんですか?」
鍵師の表情が曇った。
「この手の箱は、開けない方がいいものが多いんです」
「どういうことですか?」
「昔の人は、封印の意味で箱に鍵をかけました。悪いものを閉じ込めるために」
雫は迷った。しかし好奇心が勝った。
「お願いします」
三日後、鍵師から連絡があった。
「開きました。でも……」
鍵師の声は震えていた。
「中身は見ない方がいいです。すぐに閉めて、二度と開けないでください」
雫は急いで鍵師の元に向かった。箱は開いているが、蓋は閉じられている。
「何が入っていたんですか?」
「見ちゃいけません。お代はいりません。早く持って帰って、封印してください」
鍵師は怯えていた。
雫は箱を持って帰った。しかし好奇心は抑えられない。
その夜、雫は箱の蓋を開けた。
中には黒い液体が入っていた。水ではない。もっと粘り気のある、油のような液体。
そして液体の表面に、小さな顔が浮かんでいた。
人間の顔。しかし普通の顔ではない。苦痛に歪み、口を大きく開けて叫んでいる顔。
雫が見つめていると、顔の数が増えた。一つ、二つ、十個、百個。無数の顔が液体の表面に現れる。
全ての顔が雫を見つめ、何かを叫んでいる。声は聞こえないが、口の動きで分かる。
「出して」
「助けて」
「苦しい」
雫は慌てて蓋を閉めた。しかし閉めた瞬間、箱が熱くなった。まるで中で火が燃えているように。
雫は箱を床に置いた。箱からは黒い煙が漏れ始めている。
そして雫の部屋に、人影が現れ始めた。
半透明の人影。男性、女性、子供、老人。様々な年代の人々が、雫の部屋を歩き回っている。
彼らの表情は皆、絶望に満ちていた。
一人の老婆が雫に近づいてきた。
「なぜ開けた……」
老婆の声は嘆きに満ちている。
「私たちは……封印されていたのに……」
「誰なんですか? あなたたちは?」
「この村で……昔……」
老婆の話は途切れ途切れだった。
「疫病で……死んだ人々……」
雫は理解し始めた。箱の中の液体は、疫病で死んだ人々の魂を封じ込めたものなのだ。
「なぜ封印されていたんですか?」
「怨念が……強すぎて……成仏できない……」
別の人影が答えた。
「だから……巫女が……封印した……」
「その巫女って……」
「お前の……先祖……」
雫は愕然とした。祖母の先祖が、この魂たちを封印したのだ。
「でも今……自由になった……」
人影たちの表情が変わった。絶望から、怒りへ。
「長い間……苦しんだ……」
「今度は……お前たちの番だ……」
人影たちが雫を囲み始めた。
その時、雫の携帯電話が鳴った。叔母からだった。
「雫ちゃん、箱を開けちゃダメよ!」
「もう……開けちゃいました」
「なんですって! すぐに封印しなさい!」
「どうやって?」
「お祖母ちゃんが残したお経があるの。今から持って行く!」
電話が切れた。
人影たちが雫に迫ってくる。雫は必死に抵抗したが、霊的な存在には物理的な攻撃は効かない。
三十分後、叔母が駆けつけた。手には古い巻物を持っている。
「これよ! お祖母ちゃんが代々受け継いできた封印の経文!」
叔母は巻物を広げ、読み上げ始めた。
古い漢文のようだが、意味は分からない。しかし経文を読むと、人影たちの動きが鈍くなった。
「南無阿弥陀仏……」
経文の最後に、念仏が続く。
「あなたたちは長い間苦しんできました。もう怨念を手放して、安らかに成仏してください」
叔母の声は優しかった。
「この世への執着を捨てて、光の世界へ向かってください」
人影たちの表情が変わった。怒りが薄れ、悲しみに変わる。
「私たちは……」
老婆が涙を流していた。
「ずっと……苦しかった……でも……」
「もう大丈夫です」叔母が微笑む。「安らかにお眠りください」
光が差し込んできた。人影たちが光に包まれていく。
「ありがとう……」
老婆が最後に言った。
「やっと……楽になれる……」
すべての人影が消えた。箱からの煙も止まった。
叔母は箱を閉じ、新しい鍵をかけた。
「これで大丈夫。魂たちは成仏したから、もう危険はないわ」
雫は深く息をついた。
「祖母は、これを知っていたんですね」
「そうよ。代々、この箱を守ってきたの。いつか魂たちを救うために」
「それで私に?」
「あなたが一番優しいから。魂たちを恨まずに、救ってくれると信じてたの」
雫は箱を見つめた。もう黒い液体も、人影も、何も感じない。ただの古い木箱に戻っている。
「これからどうするんですか?」
「もう役目は終わったから、お寺に納めましょう。魂たちのための供養も一緒に」
翌日、雫と叔母は箱を古いお寺に納めた。住職は事情を理解してくれ、丁寧に供養してくれた。
雫は安らぎを感じていた。
祖母が残した最後の仕事を、ちゃんと果たせたのだから。
箱は開けてはならないものだった。
でも開けたからこそ、救えた魂たちがいた。
時には、禁忌を破ることが、愛になることもあるのだ。
雫は祖母の墓前で報告した。
「みんな、無事に成仏しました」
風が吹いて、墓前の花が揺れた。
祖母からの「ありがとう」だった。
手のひらほどの大きさの木製の箱。古い桐材で作られており、美しい蒔絵が施されている。しかし鍵がかかっていて、開ける方法が分からない。
「これは雫ちゃんに」
祖母の妹である叔母の三笠が、箱を雫の手に押し付けた。
「お祖母ちゃんが、雫ちゃんが二十歳になったら渡してって」
雫は今年、二十歳になったばかりだった。
「中に何が入ってるんですか?」
「分からない。でもお祖母ちゃんが言ってたの。『絶対に開けるな』って」
叔母の表情は真剣だった。
「鍵も一緒に捨ててしまったそうよ。開けられないようにって」
雫は困惑した。開けられない箱をもらっても、意味がないのではないか。
「でも、なぜ私に?」
「お祖母ちゃんが『雫なら大丈夫』って言ってたの。意味は分からないけど」
雫は箱を受け取った。軽いが、中で何かが動く音がする。固体ではなく、液体のような音だ。
家に帰って、雫は箱を詳しく調べた。
鍵穴はあるが、確かに鍵がない。金具部分も錆びついており、長い間開けられていないようだ。
箱を振ると、中から「ちゃぷ、ちゃぷ」という水音が聞こえる。液体が入っているのは間違いない。
雫は興味を抑えきれなくなった。祖母は「絶対に開けるな」と言ったが、理由が分からない。もしかしたら大切な思い出の品が入っているのかもしれない。
雫はインターネットで古い錠前の開け方を調べた。ヘアピンを使った方法、針金を使った方法。いくつか試してみたが、この箱の錠前は複雑で、素人には開けられそうにない。
一週間後、雫は鍵師に相談した。
「開けられますか?」
老練な鍵師は箱を見て首を振った。
「江戸時代の錠前ですね。非常に精巧で、鍵なしで開けるのは困難です」
「でも、不可能ではない?」
「時間をかければ……でも、本当に開けていいんですか?」
鍵師の表情が曇った。
「この手の箱は、開けない方がいいものが多いんです」
「どういうことですか?」
「昔の人は、封印の意味で箱に鍵をかけました。悪いものを閉じ込めるために」
雫は迷った。しかし好奇心が勝った。
「お願いします」
三日後、鍵師から連絡があった。
「開きました。でも……」
鍵師の声は震えていた。
「中身は見ない方がいいです。すぐに閉めて、二度と開けないでください」
雫は急いで鍵師の元に向かった。箱は開いているが、蓋は閉じられている。
「何が入っていたんですか?」
「見ちゃいけません。お代はいりません。早く持って帰って、封印してください」
鍵師は怯えていた。
雫は箱を持って帰った。しかし好奇心は抑えられない。
その夜、雫は箱の蓋を開けた。
中には黒い液体が入っていた。水ではない。もっと粘り気のある、油のような液体。
そして液体の表面に、小さな顔が浮かんでいた。
人間の顔。しかし普通の顔ではない。苦痛に歪み、口を大きく開けて叫んでいる顔。
雫が見つめていると、顔の数が増えた。一つ、二つ、十個、百個。無数の顔が液体の表面に現れる。
全ての顔が雫を見つめ、何かを叫んでいる。声は聞こえないが、口の動きで分かる。
「出して」
「助けて」
「苦しい」
雫は慌てて蓋を閉めた。しかし閉めた瞬間、箱が熱くなった。まるで中で火が燃えているように。
雫は箱を床に置いた。箱からは黒い煙が漏れ始めている。
そして雫の部屋に、人影が現れ始めた。
半透明の人影。男性、女性、子供、老人。様々な年代の人々が、雫の部屋を歩き回っている。
彼らの表情は皆、絶望に満ちていた。
一人の老婆が雫に近づいてきた。
「なぜ開けた……」
老婆の声は嘆きに満ちている。
「私たちは……封印されていたのに……」
「誰なんですか? あなたたちは?」
「この村で……昔……」
老婆の話は途切れ途切れだった。
「疫病で……死んだ人々……」
雫は理解し始めた。箱の中の液体は、疫病で死んだ人々の魂を封じ込めたものなのだ。
「なぜ封印されていたんですか?」
「怨念が……強すぎて……成仏できない……」
別の人影が答えた。
「だから……巫女が……封印した……」
「その巫女って……」
「お前の……先祖……」
雫は愕然とした。祖母の先祖が、この魂たちを封印したのだ。
「でも今……自由になった……」
人影たちの表情が変わった。絶望から、怒りへ。
「長い間……苦しんだ……」
「今度は……お前たちの番だ……」
人影たちが雫を囲み始めた。
その時、雫の携帯電話が鳴った。叔母からだった。
「雫ちゃん、箱を開けちゃダメよ!」
「もう……開けちゃいました」
「なんですって! すぐに封印しなさい!」
「どうやって?」
「お祖母ちゃんが残したお経があるの。今から持って行く!」
電話が切れた。
人影たちが雫に迫ってくる。雫は必死に抵抗したが、霊的な存在には物理的な攻撃は効かない。
三十分後、叔母が駆けつけた。手には古い巻物を持っている。
「これよ! お祖母ちゃんが代々受け継いできた封印の経文!」
叔母は巻物を広げ、読み上げ始めた。
古い漢文のようだが、意味は分からない。しかし経文を読むと、人影たちの動きが鈍くなった。
「南無阿弥陀仏……」
経文の最後に、念仏が続く。
「あなたたちは長い間苦しんできました。もう怨念を手放して、安らかに成仏してください」
叔母の声は優しかった。
「この世への執着を捨てて、光の世界へ向かってください」
人影たちの表情が変わった。怒りが薄れ、悲しみに変わる。
「私たちは……」
老婆が涙を流していた。
「ずっと……苦しかった……でも……」
「もう大丈夫です」叔母が微笑む。「安らかにお眠りください」
光が差し込んできた。人影たちが光に包まれていく。
「ありがとう……」
老婆が最後に言った。
「やっと……楽になれる……」
すべての人影が消えた。箱からの煙も止まった。
叔母は箱を閉じ、新しい鍵をかけた。
「これで大丈夫。魂たちは成仏したから、もう危険はないわ」
雫は深く息をついた。
「祖母は、これを知っていたんですね」
「そうよ。代々、この箱を守ってきたの。いつか魂たちを救うために」
「それで私に?」
「あなたが一番優しいから。魂たちを恨まずに、救ってくれると信じてたの」
雫は箱を見つめた。もう黒い液体も、人影も、何も感じない。ただの古い木箱に戻っている。
「これからどうするんですか?」
「もう役目は終わったから、お寺に納めましょう。魂たちのための供養も一緒に」
翌日、雫と叔母は箱を古いお寺に納めた。住職は事情を理解してくれ、丁寧に供養してくれた。
雫は安らぎを感じていた。
祖母が残した最後の仕事を、ちゃんと果たせたのだから。
箱は開けてはならないものだった。
でも開けたからこそ、救えた魂たちがいた。
時には、禁忌を破ることが、愛になることもあるのだ。
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