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第28話「天井を見つめる少女」怖さ:☆☆
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入院生活が始まって三日目、俺は初めて同室の患者に気がついた。
盲腸の手術で入院した俺のベッドは窓際だったが、隣のベッドには小学生くらいの女の子が寝ていた。
長い黒髪を枕に広げて、天井をじっと見つめている。
瞬きもしないで、ただひたすら天井を見つめ続けている。
「こんにちは」
俺は声をかけてみたが、女の子は反応しなかった。
目は開いているが、俺の方を見ようともしない。
看護師に聞いてみた。
「隣の女の子、大丈夫なんですか?」
「ああ、みゆちゃんですね。交通事故で頭を打ったんです。意識はあるんですが、まだ反応が鈍くて……」
「いつも天井を見てますけど」
「そうなんです。起きている間はずっと。お医者様も首をかしげていらっしゃって」
その夜、俺は眠れずにいた。
手術の傷が痛むこともあったが、隣の女の子が気になった。
午前二時頃、ふと隣を見ると、女の子がまだ天井を見つめていた。
暗闇の中でも、その大きな目だけがぼんやりと光って見えた。
俺も何となく天井を見上げてみた。
白い天井に、蛍光灯の薄い明かりが反射している。特に変わったものは見えない。
しかし、よく見ると、天井の一角に小さなシミのようなものがあった。
最初は汚れだと思ったが、じっと見ているとそれが少しずつ大きくなっているような気がした。
翌日、女の子の様子を観察していると、彼女の視線の先には確実にそのシミがあった。
俺は看護師に聞いてみた。
「天井のシミ、前からあったんですか?」
看護師は首をかしげた。
「シミ? どこにありますか?」
俺は指差したが、看護師には見えないようだった。
「特に汚れは見当たりませんが……。気になるようでしたら清掃に連絡しますか?」
「いえ、大丈夫です」
三日目の夜、俺は目を覚ました。
時計を見ると午前三時。隣の女の子は、やはり天井を見つめていた。
俺も天井を見上げた。
シミは明らかに大きくなっていた。最初は手のひら大だったのが、今では顔ほどの大きさになっている。
そして、そのシミの中に何かが動いているような気がした。
まるで、シミの向こうに誰かがいるような。
四日目の朝、女の子に変化があった。
彼女が初めて口を開いたのだ。
「おねえちゃん……」
か細い声で、天井に向かって呟いた。
「おねえちゃん、そこにいるの?」
俺は慌てて天井を見上げた。
シミはさらに大きくなり、もはや人の顔のような形になっていた。
そして、その中に確かに女性の顔らしきものが浮かんでいた。
長い髪の、若い女性の顔だった。
俺は看護師を呼んだ。
「みゆちゃんが話してます!」
看護師は駆けつけてきたが、女の子はもう口を閉じていた。
「何か言っていましたか?」
「『おねえちゃん』って……」
看護師は悲しそうな顔をした。
「みゆちゃんのお姉さんは、同じ事故で亡くなったんです。きっと、お姉さんを探しているのね」
その夜、俺は寝たふりをして女の子の様子を見ていた。
午前二時を過ぎた頃、女の子がまた口を開いた。
「おねえちゃん、みゆのこと、むかえにきてくれたの?」
天井のシミが、わずかに動いたような気がした。
まるで、うなずいているかのように。
「みゆも、いっしょにいきたい……」
女の子がそう呟いた瞬間、天井のシミから何かが垂れ下がってきた。
最初は髪の毛のような細い糸に見えたが、よく見ると女性の腕だった。
天井から伸びた白い腕が、女の子に向かって手を差し伸べている。
女の子は嬉しそうに微笑んで、その手に自分の手を重ねた。
その瞬間、女の子の体がふわりと浮き上がった。
俺は息を呑んだ。
女の子は天井に向かって、ゆっくりと引き上げられていく。
まるで重力が存在しないかのように。
「みゆちゃん!」
俺は声を上げて手を伸ばしたが、女の子には届かない。
女の子は振り返って、俺に微笑みかけた。
「おじちゃん、ありがとう。みゆ、おねえちゃんとおそらにいくの」
そして、女の子は天井のシミの中に消えていった。
シミも同時に消え、天井は元の白い状態に戻った。
俺は慌ててナースコールを押した。
「みゆちゃんが! みゆちゃんが消えました!」
看護師が駆けつけてきた。
隣のベッドを見ると、女の子はそこで静かに眠っていた。
安らかな顔で、深い眠りについている。
「みゆちゃんは、ちゃんとここにいますよ。どうかされましたか?」
俺は混乱した。確かに、女の子は天井に消えたはずなのに。
看護師が女の子の様子を確認している間、俺は天井を見上げた。
何もない、普通の白い天井だった。
翌朝、俺は医師から説明を受けた。
「みゆちゃんは昨夜、安らかに息を引き取りました」
「え?」
「脳の損傷が思ったより深刻で……。でも、最後は苦しまずに済んだようです」
俺は愕然とした。
あの時、女の子は本当に天井に消えたのだ。
お姉さんに迎えられて、空の向こうに旅立ったのだ。
しかし、その後も奇妙なことが続いた。
新しく入院してきた患者たちが、同じように天井を見つめ始めたのだ。
最初は老人だった。
天井をじっと見つめて、「母さん……」と呟いていた。
次は中年の男性。
「おやじ、迎えに来てくれたのか……」
そして、彼らも皆、同じように天井に消えていった。
俺だけが、その光景を目撃していた。
看護師たちは、彼らが安らかに亡くなったとしか報告しない。
でも俺には分かる。
この病室の天井は、向こうの世界への扉なのだ。
死期の近い人だけが見ることができる、特別な扉。
そして、向こうの世界から迎えに来る人たちの姿。
俺の手術は成功し、一週間後には退院することになった。
最後の夜、俺は天井を見上げた。
何も見えない。きっと、俺にはまだ早いのだろう。
でも、いつかは俺も、あの天井の向こうを見ることになる。
その時は、誰が迎えに来てくれるのだろうか。
俺は目を閉じて、深い眠りについた。
天井の向こうから、かすかに子守歌が聞こえてくるような気がした。
みゆちゃんとお姉さんが、一緒に歌っているような。
優しい、とても優しい歌声だった。
盲腸の手術で入院した俺のベッドは窓際だったが、隣のベッドには小学生くらいの女の子が寝ていた。
長い黒髪を枕に広げて、天井をじっと見つめている。
瞬きもしないで、ただひたすら天井を見つめ続けている。
「こんにちは」
俺は声をかけてみたが、女の子は反応しなかった。
目は開いているが、俺の方を見ようともしない。
看護師に聞いてみた。
「隣の女の子、大丈夫なんですか?」
「ああ、みゆちゃんですね。交通事故で頭を打ったんです。意識はあるんですが、まだ反応が鈍くて……」
「いつも天井を見てますけど」
「そうなんです。起きている間はずっと。お医者様も首をかしげていらっしゃって」
その夜、俺は眠れずにいた。
手術の傷が痛むこともあったが、隣の女の子が気になった。
午前二時頃、ふと隣を見ると、女の子がまだ天井を見つめていた。
暗闇の中でも、その大きな目だけがぼんやりと光って見えた。
俺も何となく天井を見上げてみた。
白い天井に、蛍光灯の薄い明かりが反射している。特に変わったものは見えない。
しかし、よく見ると、天井の一角に小さなシミのようなものがあった。
最初は汚れだと思ったが、じっと見ているとそれが少しずつ大きくなっているような気がした。
翌日、女の子の様子を観察していると、彼女の視線の先には確実にそのシミがあった。
俺は看護師に聞いてみた。
「天井のシミ、前からあったんですか?」
看護師は首をかしげた。
「シミ? どこにありますか?」
俺は指差したが、看護師には見えないようだった。
「特に汚れは見当たりませんが……。気になるようでしたら清掃に連絡しますか?」
「いえ、大丈夫です」
三日目の夜、俺は目を覚ました。
時計を見ると午前三時。隣の女の子は、やはり天井を見つめていた。
俺も天井を見上げた。
シミは明らかに大きくなっていた。最初は手のひら大だったのが、今では顔ほどの大きさになっている。
そして、そのシミの中に何かが動いているような気がした。
まるで、シミの向こうに誰かがいるような。
四日目の朝、女の子に変化があった。
彼女が初めて口を開いたのだ。
「おねえちゃん……」
か細い声で、天井に向かって呟いた。
「おねえちゃん、そこにいるの?」
俺は慌てて天井を見上げた。
シミはさらに大きくなり、もはや人の顔のような形になっていた。
そして、その中に確かに女性の顔らしきものが浮かんでいた。
長い髪の、若い女性の顔だった。
俺は看護師を呼んだ。
「みゆちゃんが話してます!」
看護師は駆けつけてきたが、女の子はもう口を閉じていた。
「何か言っていましたか?」
「『おねえちゃん』って……」
看護師は悲しそうな顔をした。
「みゆちゃんのお姉さんは、同じ事故で亡くなったんです。きっと、お姉さんを探しているのね」
その夜、俺は寝たふりをして女の子の様子を見ていた。
午前二時を過ぎた頃、女の子がまた口を開いた。
「おねえちゃん、みゆのこと、むかえにきてくれたの?」
天井のシミが、わずかに動いたような気がした。
まるで、うなずいているかのように。
「みゆも、いっしょにいきたい……」
女の子がそう呟いた瞬間、天井のシミから何かが垂れ下がってきた。
最初は髪の毛のような細い糸に見えたが、よく見ると女性の腕だった。
天井から伸びた白い腕が、女の子に向かって手を差し伸べている。
女の子は嬉しそうに微笑んで、その手に自分の手を重ねた。
その瞬間、女の子の体がふわりと浮き上がった。
俺は息を呑んだ。
女の子は天井に向かって、ゆっくりと引き上げられていく。
まるで重力が存在しないかのように。
「みゆちゃん!」
俺は声を上げて手を伸ばしたが、女の子には届かない。
女の子は振り返って、俺に微笑みかけた。
「おじちゃん、ありがとう。みゆ、おねえちゃんとおそらにいくの」
そして、女の子は天井のシミの中に消えていった。
シミも同時に消え、天井は元の白い状態に戻った。
俺は慌ててナースコールを押した。
「みゆちゃんが! みゆちゃんが消えました!」
看護師が駆けつけてきた。
隣のベッドを見ると、女の子はそこで静かに眠っていた。
安らかな顔で、深い眠りについている。
「みゆちゃんは、ちゃんとここにいますよ。どうかされましたか?」
俺は混乱した。確かに、女の子は天井に消えたはずなのに。
看護師が女の子の様子を確認している間、俺は天井を見上げた。
何もない、普通の白い天井だった。
翌朝、俺は医師から説明を受けた。
「みゆちゃんは昨夜、安らかに息を引き取りました」
「え?」
「脳の損傷が思ったより深刻で……。でも、最後は苦しまずに済んだようです」
俺は愕然とした。
あの時、女の子は本当に天井に消えたのだ。
お姉さんに迎えられて、空の向こうに旅立ったのだ。
しかし、その後も奇妙なことが続いた。
新しく入院してきた患者たちが、同じように天井を見つめ始めたのだ。
最初は老人だった。
天井をじっと見つめて、「母さん……」と呟いていた。
次は中年の男性。
「おやじ、迎えに来てくれたのか……」
そして、彼らも皆、同じように天井に消えていった。
俺だけが、その光景を目撃していた。
看護師たちは、彼らが安らかに亡くなったとしか報告しない。
でも俺には分かる。
この病室の天井は、向こうの世界への扉なのだ。
死期の近い人だけが見ることができる、特別な扉。
そして、向こうの世界から迎えに来る人たちの姿。
俺の手術は成功し、一週間後には退院することになった。
最後の夜、俺は天井を見上げた。
何も見えない。きっと、俺にはまだ早いのだろう。
でも、いつかは俺も、あの天井の向こうを見ることになる。
その時は、誰が迎えに来てくれるのだろうか。
俺は目を閉じて、深い眠りについた。
天井の向こうから、かすかに子守歌が聞こえてくるような気がした。
みゆちゃんとお姉さんが、一緒に歌っているような。
優しい、とても優しい歌声だった。
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