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第63話:「雨の日の手紙」怖さ:☆☆☆☆☆
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雨の日にだけ届く手紙がある。
最初に気づいたのは、梅雨入りした六月のことだった。朝起きると、玄関のポストにびしょ濡れの封筒が入っている。差出人の欄には私の名前、宛先にも私の住所と名前。つまり、私が私宛てに出した手紙ということになる。
しかし、私にはその手紙を書いた記憶がない。
封筒を開けると、中から便箋が出てきた。それも水に濡れて、インクが滲んでいる。しかし文字は読める。確かに私の字だった。
『今日、雨宮さんが死ぬ』
たった一行だけ書かれていた。
雨宮さんというのは、同じアパートの隣の部屋に住む独身女性だ。たまに廊下で会釈する程度の関係。特に親しいわけでもない。
馬鹿馬鹿しい、と思った。きっと誰かのいたずらだろう。私の字に似せて書いたのか、それとも私が寝ぼけて書いたのか。とにかく、そんな不吉な手紙は破って捨てた。
その日の夕方、救急車のサイレンが聞こえてきた。窓から見ると、アパートの前に救急車が停まっている。担架に乗せられて運ばれていくのは、雨宮さんだった。
翌日の朝刊に小さく載っていた。『女性、自宅で心筋梗塞により死亡』
偶然だ、と自分に言い聞かせた。しかし、心の奥で小さな恐怖が芽生えていた。
二週間後、また雨の日がやってきた。そして再び、ポストにびしょ濡れの手紙が入っていた。
『今日、田中先生が事故に遭う』
田中先生は、私が通っている歯科医院の医師だ。昨日、虫歯の治療を受けたばかり。
今度は手紙を破らずに取っておいた。そして夕方のニュースを注意深く見ていると、交通事故のニュースが流れた。被害者の名前は報道されなかったが、職業は歯科医師となっていた。
翌日、歯科医院に電話をかけると、「院長が事故に遭われまして、しばらく休診とさせていただきます」という録音メッセージが流れた。
偶然ではない。この手紙は、確実に未来を予言している。
そして手紙の字は、間違いなく私の字だった。
三度目の雨の日、私は一日中ポストを見張っていた。しかし誰も手紙を入れに来ない。夕方になって確認すると、いつの間にか手紙が入っていた。
『今日、私が真実を知る』
今度は自分のことが書かれていた。
慌てて部屋に戻り、手紙を机の上に置いた。どういう意味だろう。私が知る真実とは何なのか。
その時、インターホンが鳴った。
「宅配便です」
玄関に向かうと、濡れた制服を着た配達員が立っていた。雨は降っていないのに。
「川島結菜様でしょうか」
「はい」
「お荷物です。差出人は、川島結菜様となっております」
また私が私に送った荷物らしい。しかし、そんな覚えはない。
受け取った箱は、水に濡れていた。部屋に戻って開けてみると、中から日記帳が出てきた。私が中学生の頃に書いていた日記だ。しかし、とっくに捨てたはずのものだった。
ページをめくると、見覚えのない記述があった。私の字で書かれているが、私の記憶にない内容だった。
『今日、お母さんが嘘をついた。お父さんは出張じゃない。お父さんは死んでいる』
『お母さんは、お父さんが事故で死んだことを隠している。私が悲しまないように』
『でも私は知っている。お父さんは、もう帰ってこない』
記憶が蘇ってきた。中学二年の秋、父は出張に行くと言って家を出た。しかし、その後一度も帰ってこなかった。母は「お父さんは海外に転勤になった」と説明した。手紙も電話もないのは、忙しいからだと。
でも本当は。
母を問い詰めると、母は泣きながら真実を話してくれた。父は出張先で交通事故に遭い、即死だったと。私がショックを受けることを恐れて、ずっと嘘をついていたと。
日記の続きを読んだ。
『私は、未来が見える。雨の日にだけ、手紙が届く。それは未来の私が、過去の私に送っている手紙』
『お父さんの死も、雨宮さんの死も、田中先生の事故も、全部知っていた。でも止められない』
『なぜなら、それはもう起こってしまったことだから』
最後のページに、こう書かれていた。
『今日、私は真実を知る。私は未来から過去に手紙を送り続けている。死んだ人たちのことを、過去の自分に教えるために』
『でも本当の真実は、私自身も、もう死んでいるということ』
手が震えた。
『私は十年前の雨の日に死んだ。お父さんの死を知ったショックで、階段から転落して』
『それ以来、私は死んだ世界で生きている。死んだ人たちを見送るために』
『今日、過去の私がこの真実を知る。そして、ようやく私は成仏できる』
その瞬間、部屋の温度が急激に下がった。鏡を見ると、そこに映った私の顔は青白く、まるで死人のようだった。
そして気づいた。私の体に体温がないことに。脈がないことに。呼吸をしていないことに。
私は十年間、自分が死んでいることに気づかずに生きていた。いや、死んでいた。
携帯電話を手に取って、母に電話をかけた。
「お母さん、私」
「結菜?どうしたの、こんな夜中に」
「私、もしかして」
「何?聞こえないわ」
母には私の声が聞こえていない。きっと十年間、ずっと聞こえていなかったのだろう。
私は幽霊だった。自分が死んでいることに気づかない幽霊だった。
窓の外を見ると、雨が降り始めていた。最後の雨だった。
机の上の手紙が光っている。新しい手紙が現れていた。
『さようなら、私。ありがとう、私』
自分で自分に書いた、最後の手紙だった。
私の体が透明になっていく。ようやく、本当の死を迎えることができる。
十年間、私は誰にも気づかれることなく、死んだ人たちを見送り続けてきた。雨の日に届く手紙で、過去の自分に死を予告しながら。
それが私の役目だった。死んでいることに気づかない幽霊の、最後の仕事だった。
そして今、その仕事が終わった。
私は微笑んだ。十年ぶりに、本当の微笑みを浮かべることができた。
雨の音が子守歌のように聞こえる。
私は永い眠りに就く。今度こそ、本当の死の世界へ。
翌日、大家さんが私の部屋の前に立っていた。
「おかしいわね。十年前から誰も住んでいないはずなのに、昨夜は電気がついていたような」
でも扉を開けると、そこには誰もいない。ただ古いカレンダーが、十年前の日付で止まったまま壁にかかっているだけだった。
そして机の上に、一通の手紙が置かれていた。びしょ濡れの、誰宛でもない手紙が。
『ありがとう。私は、やっと帰ることができました』
最初に気づいたのは、梅雨入りした六月のことだった。朝起きると、玄関のポストにびしょ濡れの封筒が入っている。差出人の欄には私の名前、宛先にも私の住所と名前。つまり、私が私宛てに出した手紙ということになる。
しかし、私にはその手紙を書いた記憶がない。
封筒を開けると、中から便箋が出てきた。それも水に濡れて、インクが滲んでいる。しかし文字は読める。確かに私の字だった。
『今日、雨宮さんが死ぬ』
たった一行だけ書かれていた。
雨宮さんというのは、同じアパートの隣の部屋に住む独身女性だ。たまに廊下で会釈する程度の関係。特に親しいわけでもない。
馬鹿馬鹿しい、と思った。きっと誰かのいたずらだろう。私の字に似せて書いたのか、それとも私が寝ぼけて書いたのか。とにかく、そんな不吉な手紙は破って捨てた。
その日の夕方、救急車のサイレンが聞こえてきた。窓から見ると、アパートの前に救急車が停まっている。担架に乗せられて運ばれていくのは、雨宮さんだった。
翌日の朝刊に小さく載っていた。『女性、自宅で心筋梗塞により死亡』
偶然だ、と自分に言い聞かせた。しかし、心の奥で小さな恐怖が芽生えていた。
二週間後、また雨の日がやってきた。そして再び、ポストにびしょ濡れの手紙が入っていた。
『今日、田中先生が事故に遭う』
田中先生は、私が通っている歯科医院の医師だ。昨日、虫歯の治療を受けたばかり。
今度は手紙を破らずに取っておいた。そして夕方のニュースを注意深く見ていると、交通事故のニュースが流れた。被害者の名前は報道されなかったが、職業は歯科医師となっていた。
翌日、歯科医院に電話をかけると、「院長が事故に遭われまして、しばらく休診とさせていただきます」という録音メッセージが流れた。
偶然ではない。この手紙は、確実に未来を予言している。
そして手紙の字は、間違いなく私の字だった。
三度目の雨の日、私は一日中ポストを見張っていた。しかし誰も手紙を入れに来ない。夕方になって確認すると、いつの間にか手紙が入っていた。
『今日、私が真実を知る』
今度は自分のことが書かれていた。
慌てて部屋に戻り、手紙を机の上に置いた。どういう意味だろう。私が知る真実とは何なのか。
その時、インターホンが鳴った。
「宅配便です」
玄関に向かうと、濡れた制服を着た配達員が立っていた。雨は降っていないのに。
「川島結菜様でしょうか」
「はい」
「お荷物です。差出人は、川島結菜様となっております」
また私が私に送った荷物らしい。しかし、そんな覚えはない。
受け取った箱は、水に濡れていた。部屋に戻って開けてみると、中から日記帳が出てきた。私が中学生の頃に書いていた日記だ。しかし、とっくに捨てたはずのものだった。
ページをめくると、見覚えのない記述があった。私の字で書かれているが、私の記憶にない内容だった。
『今日、お母さんが嘘をついた。お父さんは出張じゃない。お父さんは死んでいる』
『お母さんは、お父さんが事故で死んだことを隠している。私が悲しまないように』
『でも私は知っている。お父さんは、もう帰ってこない』
記憶が蘇ってきた。中学二年の秋、父は出張に行くと言って家を出た。しかし、その後一度も帰ってこなかった。母は「お父さんは海外に転勤になった」と説明した。手紙も電話もないのは、忙しいからだと。
でも本当は。
母を問い詰めると、母は泣きながら真実を話してくれた。父は出張先で交通事故に遭い、即死だったと。私がショックを受けることを恐れて、ずっと嘘をついていたと。
日記の続きを読んだ。
『私は、未来が見える。雨の日にだけ、手紙が届く。それは未来の私が、過去の私に送っている手紙』
『お父さんの死も、雨宮さんの死も、田中先生の事故も、全部知っていた。でも止められない』
『なぜなら、それはもう起こってしまったことだから』
最後のページに、こう書かれていた。
『今日、私は真実を知る。私は未来から過去に手紙を送り続けている。死んだ人たちのことを、過去の自分に教えるために』
『でも本当の真実は、私自身も、もう死んでいるということ』
手が震えた。
『私は十年前の雨の日に死んだ。お父さんの死を知ったショックで、階段から転落して』
『それ以来、私は死んだ世界で生きている。死んだ人たちを見送るために』
『今日、過去の私がこの真実を知る。そして、ようやく私は成仏できる』
その瞬間、部屋の温度が急激に下がった。鏡を見ると、そこに映った私の顔は青白く、まるで死人のようだった。
そして気づいた。私の体に体温がないことに。脈がないことに。呼吸をしていないことに。
私は十年間、自分が死んでいることに気づかずに生きていた。いや、死んでいた。
携帯電話を手に取って、母に電話をかけた。
「お母さん、私」
「結菜?どうしたの、こんな夜中に」
「私、もしかして」
「何?聞こえないわ」
母には私の声が聞こえていない。きっと十年間、ずっと聞こえていなかったのだろう。
私は幽霊だった。自分が死んでいることに気づかない幽霊だった。
窓の外を見ると、雨が降り始めていた。最後の雨だった。
机の上の手紙が光っている。新しい手紙が現れていた。
『さようなら、私。ありがとう、私』
自分で自分に書いた、最後の手紙だった。
私の体が透明になっていく。ようやく、本当の死を迎えることができる。
十年間、私は誰にも気づかれることなく、死んだ人たちを見送り続けてきた。雨の日に届く手紙で、過去の自分に死を予告しながら。
それが私の役目だった。死んでいることに気づかない幽霊の、最後の仕事だった。
そして今、その仕事が終わった。
私は微笑んだ。十年ぶりに、本当の微笑みを浮かべることができた。
雨の音が子守歌のように聞こえる。
私は永い眠りに就く。今度こそ、本当の死の世界へ。
翌日、大家さんが私の部屋の前に立っていた。
「おかしいわね。十年前から誰も住んでいないはずなのに、昨夜は電気がついていたような」
でも扉を開けると、そこには誰もいない。ただ古いカレンダーが、十年前の日付で止まったまま壁にかかっているだけだった。
そして机の上に、一通の手紙が置かれていた。びしょ濡れの、誰宛でもない手紙が。
『ありがとう。私は、やっと帰ることができました』
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