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第64話:「埋められた声」怖さ:☆☆☆☆☆
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古い花瓶から声が聞こえるようになったのは、祖母の家を片付けている時だった。
祖母が亡くなって三ヶ月。遺品整理で実家を訪れた私は、蔵の奥で見つけた花瓶に興味を引かれた。青い陶器で作られた、背の高い花瓶。しかし花を生けた形跡はなく、中は完全に乾いている。
なぜか、その花瓶に耳を近づけてみたくなった。
そして聞こえてきた。
「助けて」
微かだが、確かに人の声だった。女性の声で、とても苦しそうに聞こえる。
「誰かいるの?」
花瓶の中を覗いてみたが、当然何も見えない。ただの空っぽの花瓶だ。
しかし声は続く。
「ここから出して。お願い」
気味が悪くなって、花瓶を元の場所に戻した。きっと風の音が偶然そう聞こえただけだろう。
でも、その夜から気になって眠れなくなった。
翌日、再び蔵を訪れると、花瓶は昨日と同じ場所にあった。恐る恐る耳を近づけてみる。
「まだそこにいるの?お願い、助けて」
今度ははっきりと聞こえた。間違いなく、人の声だ。
「あなたは誰なの?」
「私は…私の名前は…」
声が途切れる。まるで何かに邪魔されているかのように。
「名前が言えないの?」
「言えない。でも、私はここにいる。ずっと、ずっと」
私は花瓶を持ち上げてみた。普通の重さだ。中に何かが入っているようには感じられない。
「どうやってその中に入ったの?」
「覚えてない。気がついたら、ここにいた」
声の主は泣いているようだった。
「暗くて、狭くて、動けない」
私は決心した。この花瓶を家に持ち帰って、詳しく調べてみよう。
自宅に戻って、花瓶をあらゆる角度から調べた。ヒビもなければ、隠し扉のようなものもない。ただの、普通の花瓶だった。
「まだ聞こえる?」
花瓶に話しかけると、すぐに返事があった。
「ありがとう。連れてきてくれて」
「でも、どうやって助ければいいのかわからない」
「壊して」
声は即座に答えた。
「この花瓶を壊して。そうすれば、私は出られる」
しかし、それは祖母の遺品だ。勝手に壊すわけにはいかない。
「他に方法はないの?」
「ない。壊すしか」
声はだんだん弱くなっていく。
「お願い。このままじゃ、私は消えてしまう」
翌日、私は家族に相談してみた。花瓶の話は言わずに、「祖母の古い花瓶を処分したい」と。
すると母が言った。
「あの青い花瓶?あれはお婆ちゃんが大切にしてたのよ。絶対に壊してはいけないって」
「どうして?」
「昔、お婆ちゃんの妹さんが行方不明になったことがあったの。その時、霊媒師に相談したら、『魂がどこかに閉じ込められている。それを壊すと魂が成仏できない』って言われたの」
背筋が寒くなった。
「その妹さんって」
「美智子おばさん。まだ二十歳だったのに、ある日突然いなくなった。もう五十年も前の話よ」
その夜、花瓶に話しかけた。
「あなたの名前は、美智子?」
長い沈黙の後、声が震えながら答えた。
「そう。私は美智子。でも、どうして私の名前を」
「あなたは、私の祖母の妹よ」
声が止まった。しばらくして、すすり泣きが聞こえてきた。
「姉さんは、もう」
「三ヶ月前に亡くなった」
「そう…もう、私を探してくれる人はいない」
私は泣きそうになった。五十年間、この狭い花瓶の中で、美智子おばさんは助けを待っていたのだ。
「どうして花瓶の中に?」
「覚えてない。ただ、気がついたらここにいた。最初は必死に叫んだ。でも誰にも聞こえない。年月が経つにつれて、声も小さくなった」
「でも私には聞こえる」
「あなたが初めて。五十年で初めて、私の声を聞いてくれた人」
美智子おばさんの声は、もうほとんど聞こえないくらい小さくなっていた。
「壊して。お願い。もう疲れた」
私は決心した。母には内緒で、花瓶を壊そう。
次の日、金槌を用意した。でも、いざ花瓶を前にすると手が震える。
「本当に大丈夫?壊したら、あなたはどうなるの?」
「わからない。でも、今のままよりはいい」
私は目を閉じて、金槌を振り下ろした。
パリン。
花瓶は真っ二つに割れた。その瞬間、部屋の温度が急激に下がり、白い霧のようなものが立ち上った。
「ありがとう」
美智子おばさんの声が、今度は花瓶からではなく、部屋全体に響いた。
「やっと、自由になれる」
霧はゆっくりと消えていく。そして静寂が戻った。
割れた花瓶を見ると、中から小さな紙切れが出てきた。古い写真だった。若い女性が笑っている。きっと美智子おばさんだろう。
でも写真をよく見ると、恐ろしいことに気づいた。写真の端に、日付が書かれている。
『昭和47年8月15日』
それは美智子おばさんが行方不明になった日の、前日だった。
そして写真の背景を見ると、見覚えのある場所だった。祖母の家の庭。花瓶が置かれていた蔵の前で撮影されている。
写真を裏返すと、文字が書かれていた。
『美智子、花瓶に入る練習』
練習?
その時、スマートフォンが鳴った。母からの電話だった。
「結菜?お婆ちゃんの日記が見つかったの」
「日記?」
「そこに、美智子おばさんのことが書いてある。ちょっと変なことが」
「どんな?」
「美智子おばさんは行方不明になったんじゃないって。お婆ちゃんが、魔術の実験で花瓶に閉じ込めたって」
血の気が引いた。
「魔術?」
「『妹の魂を花瓶に封印することに成功。これで妹は永遠に私のものになる』って書いてある」
私は震え上がった。祖母は、自分の妹を花瓶に閉じ込めたのだ。行方不明ではなく、監禁だった。
「でも最後に『罪悪感に耐えられない。いつか誰かが妹を解放してくれることを祈る』って」
つまり祖母は、美智子おばさんが助けを求めていることを知っていたのだ。五十年間、知っていながら放置していた。
電話を切って、割れた花瓶を見つめた。美智子おばさんの魂は解放されたが、真実はあまりにも残酷だった。
その時、蔵から音が聞こえてきた。何かが転がるような音。
急いで蔵に向かうと、床に別の花瓶が転がっていた。さっきまではなかった、黄色い花瓶。
恐る恐る耳を近づけると。
「助けて」
また別の声が聞こえてきた。今度は男性の声だった。
「私は太郎。美智子の恋人だった」
私は絶望した。祖母は一人だけではなく、複数の人を花瓶に閉じ込めていたのだ。
蔵を見回すと、棚の上に小さな花瓶がいくつも並んでいる。さっきまで気づかなかったが、全部で十個はありそうだ。
そして、それぞれから微かに声が聞こえてくる。
「助けて」「出して」「苦しい」
私は座り込んだ。十個の花瓶を全部壊すわけにはいかない。母や親戚に見つかってしまう。
でも、放置するわけにもいかない。
その時、美智子おばさんの声が再び聞こえてきた。今度は背後から。
「ありがとう、結菜。でも、まだ終わらない」
振り返ると、美智子おばさんの霊が立っていた。透明だが、確かにそこにいる。
「他のみんなも助けて。お願い」
「でも、どうやって」
「一つずつ、少しずつ。急がなくていい。でも、諦めないで」
美智子おばさんは微笑んだ。
「私は待ってる。みんなが自由になるまで、私は成仏しない」
そして彼女の姿は消えた。
私は立ち上がった。これから長い戦いが始まる。祖母の犯罪の後始末を、私がしなければならない。
十個の花瓶。十人の魂。
一つずつ、必ず解放してみせる。
たとえ一生かかっても。
祖母が亡くなって三ヶ月。遺品整理で実家を訪れた私は、蔵の奥で見つけた花瓶に興味を引かれた。青い陶器で作られた、背の高い花瓶。しかし花を生けた形跡はなく、中は完全に乾いている。
なぜか、その花瓶に耳を近づけてみたくなった。
そして聞こえてきた。
「助けて」
微かだが、確かに人の声だった。女性の声で、とても苦しそうに聞こえる。
「誰かいるの?」
花瓶の中を覗いてみたが、当然何も見えない。ただの空っぽの花瓶だ。
しかし声は続く。
「ここから出して。お願い」
気味が悪くなって、花瓶を元の場所に戻した。きっと風の音が偶然そう聞こえただけだろう。
でも、その夜から気になって眠れなくなった。
翌日、再び蔵を訪れると、花瓶は昨日と同じ場所にあった。恐る恐る耳を近づけてみる。
「まだそこにいるの?お願い、助けて」
今度ははっきりと聞こえた。間違いなく、人の声だ。
「あなたは誰なの?」
「私は…私の名前は…」
声が途切れる。まるで何かに邪魔されているかのように。
「名前が言えないの?」
「言えない。でも、私はここにいる。ずっと、ずっと」
私は花瓶を持ち上げてみた。普通の重さだ。中に何かが入っているようには感じられない。
「どうやってその中に入ったの?」
「覚えてない。気がついたら、ここにいた」
声の主は泣いているようだった。
「暗くて、狭くて、動けない」
私は決心した。この花瓶を家に持ち帰って、詳しく調べてみよう。
自宅に戻って、花瓶をあらゆる角度から調べた。ヒビもなければ、隠し扉のようなものもない。ただの、普通の花瓶だった。
「まだ聞こえる?」
花瓶に話しかけると、すぐに返事があった。
「ありがとう。連れてきてくれて」
「でも、どうやって助ければいいのかわからない」
「壊して」
声は即座に答えた。
「この花瓶を壊して。そうすれば、私は出られる」
しかし、それは祖母の遺品だ。勝手に壊すわけにはいかない。
「他に方法はないの?」
「ない。壊すしか」
声はだんだん弱くなっていく。
「お願い。このままじゃ、私は消えてしまう」
翌日、私は家族に相談してみた。花瓶の話は言わずに、「祖母の古い花瓶を処分したい」と。
すると母が言った。
「あの青い花瓶?あれはお婆ちゃんが大切にしてたのよ。絶対に壊してはいけないって」
「どうして?」
「昔、お婆ちゃんの妹さんが行方不明になったことがあったの。その時、霊媒師に相談したら、『魂がどこかに閉じ込められている。それを壊すと魂が成仏できない』って言われたの」
背筋が寒くなった。
「その妹さんって」
「美智子おばさん。まだ二十歳だったのに、ある日突然いなくなった。もう五十年も前の話よ」
その夜、花瓶に話しかけた。
「あなたの名前は、美智子?」
長い沈黙の後、声が震えながら答えた。
「そう。私は美智子。でも、どうして私の名前を」
「あなたは、私の祖母の妹よ」
声が止まった。しばらくして、すすり泣きが聞こえてきた。
「姉さんは、もう」
「三ヶ月前に亡くなった」
「そう…もう、私を探してくれる人はいない」
私は泣きそうになった。五十年間、この狭い花瓶の中で、美智子おばさんは助けを待っていたのだ。
「どうして花瓶の中に?」
「覚えてない。ただ、気がついたらここにいた。最初は必死に叫んだ。でも誰にも聞こえない。年月が経つにつれて、声も小さくなった」
「でも私には聞こえる」
「あなたが初めて。五十年で初めて、私の声を聞いてくれた人」
美智子おばさんの声は、もうほとんど聞こえないくらい小さくなっていた。
「壊して。お願い。もう疲れた」
私は決心した。母には内緒で、花瓶を壊そう。
次の日、金槌を用意した。でも、いざ花瓶を前にすると手が震える。
「本当に大丈夫?壊したら、あなたはどうなるの?」
「わからない。でも、今のままよりはいい」
私は目を閉じて、金槌を振り下ろした。
パリン。
花瓶は真っ二つに割れた。その瞬間、部屋の温度が急激に下がり、白い霧のようなものが立ち上った。
「ありがとう」
美智子おばさんの声が、今度は花瓶からではなく、部屋全体に響いた。
「やっと、自由になれる」
霧はゆっくりと消えていく。そして静寂が戻った。
割れた花瓶を見ると、中から小さな紙切れが出てきた。古い写真だった。若い女性が笑っている。きっと美智子おばさんだろう。
でも写真をよく見ると、恐ろしいことに気づいた。写真の端に、日付が書かれている。
『昭和47年8月15日』
それは美智子おばさんが行方不明になった日の、前日だった。
そして写真の背景を見ると、見覚えのある場所だった。祖母の家の庭。花瓶が置かれていた蔵の前で撮影されている。
写真を裏返すと、文字が書かれていた。
『美智子、花瓶に入る練習』
練習?
その時、スマートフォンが鳴った。母からの電話だった。
「結菜?お婆ちゃんの日記が見つかったの」
「日記?」
「そこに、美智子おばさんのことが書いてある。ちょっと変なことが」
「どんな?」
「美智子おばさんは行方不明になったんじゃないって。お婆ちゃんが、魔術の実験で花瓶に閉じ込めたって」
血の気が引いた。
「魔術?」
「『妹の魂を花瓶に封印することに成功。これで妹は永遠に私のものになる』って書いてある」
私は震え上がった。祖母は、自分の妹を花瓶に閉じ込めたのだ。行方不明ではなく、監禁だった。
「でも最後に『罪悪感に耐えられない。いつか誰かが妹を解放してくれることを祈る』って」
つまり祖母は、美智子おばさんが助けを求めていることを知っていたのだ。五十年間、知っていながら放置していた。
電話を切って、割れた花瓶を見つめた。美智子おばさんの魂は解放されたが、真実はあまりにも残酷だった。
その時、蔵から音が聞こえてきた。何かが転がるような音。
急いで蔵に向かうと、床に別の花瓶が転がっていた。さっきまではなかった、黄色い花瓶。
恐る恐る耳を近づけると。
「助けて」
また別の声が聞こえてきた。今度は男性の声だった。
「私は太郎。美智子の恋人だった」
私は絶望した。祖母は一人だけではなく、複数の人を花瓶に閉じ込めていたのだ。
蔵を見回すと、棚の上に小さな花瓶がいくつも並んでいる。さっきまで気づかなかったが、全部で十個はありそうだ。
そして、それぞれから微かに声が聞こえてくる。
「助けて」「出して」「苦しい」
私は座り込んだ。十個の花瓶を全部壊すわけにはいかない。母や親戚に見つかってしまう。
でも、放置するわけにもいかない。
その時、美智子おばさんの声が再び聞こえてきた。今度は背後から。
「ありがとう、結菜。でも、まだ終わらない」
振り返ると、美智子おばさんの霊が立っていた。透明だが、確かにそこにいる。
「他のみんなも助けて。お願い」
「でも、どうやって」
「一つずつ、少しずつ。急がなくていい。でも、諦めないで」
美智子おばさんは微笑んだ。
「私は待ってる。みんなが自由になるまで、私は成仏しない」
そして彼女の姿は消えた。
私は立ち上がった。これから長い戦いが始まる。祖母の犯罪の後始末を、私がしなければならない。
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