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第65話:「開いた瞼の向こう側」怖さ:☆☆☆☆☆
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眠れない日々が続いている。
最初は単純な不眠症だと思っていた。仕事のストレス、人間関係の悩み、現代人なら誰でも経験する程度の睡眠障害。
しかし三週間が過ぎても、一睡もできない。
病院で検査を受けたが、身体的な異常は何も見つからなかった。睡眠薬も効かない。医師は首をかしげて、「精神的なものかもしれません」と曖昧な診断を下すだけだった。
四週間目に入った頃、奇妙なことが起こり始めた。
目を閉じても眠れないのは変わらないが、目を閉じた時に見える景色が、いつもの闇ではなくなった。
何かが見える。
最初は光の点だった。瞼の裏に、小さな光がちらちらと点滅している。眼科で検査してもらったが、「疲れ目による残像現象」と説明された。
しかし光は日に日に大きくなり、やがて形を持つようになった。
人の顔だった。
瞼を閉じると、そこに知らない人の顔が浮かんでいる。男性や女性、子供や老人。様々な顔が入れ替わり立ち替わり現れる。
みんな眠っているようだった。穏やかな寝顔で、規則正しく呼吸している。
気味が悪いが、実害はない。単なる幻覚だろうと思っていた。
しかし五週間目、状況が変わった。
瞼を閉じると、今度は自分の部屋が見えた。ベッドに横たわる自分の姿が、上から見下ろすように映っている。
まるで天井にカメラが設置されているかのような視点だった。
目を開けると現実の部屋に戻る。目を閉じると、俯瞰視点の部屋が見える。
試しに手を動かしてみると、瞼の裏に見える自分も同じように手を動かした。リアルタイムで自分を監視されているような感覚で、背筋が寒くなった。
六週間目、さらに異常な現象が起こった。
瞼を閉じた時に見える視点が、部屋の外に出るようになったのだ。
廊下、玄関、建物の外、街角。まるで幽体離脱しているかのように、様々な場所を移動して見ることができる。
最初は面白半分で楽しんでいた。眠れない代わりに、こんな特殊能力を手に入れたのかもしれない。
しかし、ある夜のことだった。
瞼を閉じて街中を「移動」していると、見覚えのある家の前に着いた。同僚の田村の家だ。
なぜか彼の寝室まで入っていけた。田村は妻と一緒にベッドで眠っている。
その時、田村が目を開けた。
そして私の方を見て、こう言った。
「また来たんですね」
私は驚いて目を開けた。現実の自分の部屋に戻っている。
翌日、田村に会った時に恐る恐る聞いてみた。
「昨夜、変な夢を見なかった?」
「変な夢?ああ、最近よく見るんですよ。誰かに見られてる夢」
血の気が引いた。
「見られてるって?」
「天井から誰かが覗いてるんです。でも顔は見えない。ただ、毎晩同じ時間に現れるんです」
それは私が瞼を閉じる時間と一致していた。
その夜、私は実験してみた。瞼を閉じて、今度は別の同僚の家に行ってみる。
すると彼女も目を覚まして、天井を見上げた。
「また?いい加減にしてよ」
まるで私に話しかけているかのように。
私の「夢」は夢ではなかった。本当に他人の部屋を覗いているのだ。
七週間目、さらに恐ろしいことがわかった。
瞼を閉じて見える人たちが、実は全員眠っていないということに気づいたのだ。
最初に見えていた知らない人たちの寝顔。よく観察すると、彼らの目は微かに開いている。眠っているふりをしているだけだった。
そして気づいた時、彼らは一斉に目を見開いて、私を見た。
「やっと気づいたね」
その中の一人、老人が話しかけてきた。
「君も仲間だ。眠れない者たちの仲間」
「仲間って何のこと?」
「私たちは皆、眠ることができない。そして瞼を閉じた時、現実と違う世界を見る」
老人は立ち上がった。周りの人たちも同じように立ち上がる。
「この世界は、眠れない者たちが集まる場所。現実世界で眠っている人たちを、監視する場所」
「監視?なぜ?」
「私たちは死んでいるから」
老人の言葉に、私は絶句した。
「君もそうだ。君は二ヶ月前に死んだ。過労死で」
「そんな、私は生きてる」
「本当に?君の体を触ってみなさい」
言われて自分の手首を触ってみた。脈がない。体温もない。
「君が毎日行っている職場、同僚たちは君を見ているかい?君に話しかけているかい?」
思い返してみると、確かに最近、誰も私に話しかけてこない。田村との会話も、彼は私を見ずに、独り言を言っているだけだった。
「君は死んでから二ヶ月間、自分が生きていると思い込んでいた。でも体が限界に来ている。だから眠れない。死人は眠らないから」
私はその場に崩れ落ちた。
「でも安心したまえ。ここには仲間がたくさんいる。みんな、自分の死に気づくまで時間がかかった」
周りの人たちが頷いている。
「私たちの仕事は、生きている人たちを見守ること。彼らが安らかに眠れるように」
「見守るって」
「私たちが見ているから、生きている人たちは悪夢を見ない。私たちが代わりに悪夢を引き受けているから」
老人は微笑んだ。
「君の同僚たちが『見られている夢』を見るのは、君がまだ仕事に慣れていないから。もう少し練習すれば、彼らに気づかれずに見守ることができるようになる」
「でも、私は」
「君は死んでいる。それは変わらない事実だ。しかし、死んでからも役に立つことがある」
私は目を開けた。現実の部屋に戻っている。しかし、もうここが現実ではないことがわかった。
私の体は、とっくに冷たくなっているのだろう。誰かに発見されるのを待っている状態で。
でも意識だけは、この死者の世界で活動を続けている。
再び目を閉じると、老人たちがまだそこにいた。
「決心はついたかい?」
私は頷いた。
「私たちと一緒に、生きている人たちを見守ろう。彼らが平和に眠れるように」
八週間目の夜から、私は正式に「見守り」の仕事を始めた。
瞼を閉じて、眠っている人たちの部屋を訪れる。悪夢が侵入してこないように、部屋の周りを巡回する。
時々、眠っている人が寝返りを打つと、安心する。生きている証拠だから。
私は死んだ。でも、死んでからも続けられる仕事がある。
生きている人たちが、今夜も良い夢を見られるように。
私たち死者が、闇の中で見守り続ける。
永遠に、眠ることなく。
それが、眠れない者たちの使命だから。
目を閉じた瞼の向こう側で、今夜も仕事が始まる。
最初は単純な不眠症だと思っていた。仕事のストレス、人間関係の悩み、現代人なら誰でも経験する程度の睡眠障害。
しかし三週間が過ぎても、一睡もできない。
病院で検査を受けたが、身体的な異常は何も見つからなかった。睡眠薬も効かない。医師は首をかしげて、「精神的なものかもしれません」と曖昧な診断を下すだけだった。
四週間目に入った頃、奇妙なことが起こり始めた。
目を閉じても眠れないのは変わらないが、目を閉じた時に見える景色が、いつもの闇ではなくなった。
何かが見える。
最初は光の点だった。瞼の裏に、小さな光がちらちらと点滅している。眼科で検査してもらったが、「疲れ目による残像現象」と説明された。
しかし光は日に日に大きくなり、やがて形を持つようになった。
人の顔だった。
瞼を閉じると、そこに知らない人の顔が浮かんでいる。男性や女性、子供や老人。様々な顔が入れ替わり立ち替わり現れる。
みんな眠っているようだった。穏やかな寝顔で、規則正しく呼吸している。
気味が悪いが、実害はない。単なる幻覚だろうと思っていた。
しかし五週間目、状況が変わった。
瞼を閉じると、今度は自分の部屋が見えた。ベッドに横たわる自分の姿が、上から見下ろすように映っている。
まるで天井にカメラが設置されているかのような視点だった。
目を開けると現実の部屋に戻る。目を閉じると、俯瞰視点の部屋が見える。
試しに手を動かしてみると、瞼の裏に見える自分も同じように手を動かした。リアルタイムで自分を監視されているような感覚で、背筋が寒くなった。
六週間目、さらに異常な現象が起こった。
瞼を閉じた時に見える視点が、部屋の外に出るようになったのだ。
廊下、玄関、建物の外、街角。まるで幽体離脱しているかのように、様々な場所を移動して見ることができる。
最初は面白半分で楽しんでいた。眠れない代わりに、こんな特殊能力を手に入れたのかもしれない。
しかし、ある夜のことだった。
瞼を閉じて街中を「移動」していると、見覚えのある家の前に着いた。同僚の田村の家だ。
なぜか彼の寝室まで入っていけた。田村は妻と一緒にベッドで眠っている。
その時、田村が目を開けた。
そして私の方を見て、こう言った。
「また来たんですね」
私は驚いて目を開けた。現実の自分の部屋に戻っている。
翌日、田村に会った時に恐る恐る聞いてみた。
「昨夜、変な夢を見なかった?」
「変な夢?ああ、最近よく見るんですよ。誰かに見られてる夢」
血の気が引いた。
「見られてるって?」
「天井から誰かが覗いてるんです。でも顔は見えない。ただ、毎晩同じ時間に現れるんです」
それは私が瞼を閉じる時間と一致していた。
その夜、私は実験してみた。瞼を閉じて、今度は別の同僚の家に行ってみる。
すると彼女も目を覚まして、天井を見上げた。
「また?いい加減にしてよ」
まるで私に話しかけているかのように。
私の「夢」は夢ではなかった。本当に他人の部屋を覗いているのだ。
七週間目、さらに恐ろしいことがわかった。
瞼を閉じて見える人たちが、実は全員眠っていないということに気づいたのだ。
最初に見えていた知らない人たちの寝顔。よく観察すると、彼らの目は微かに開いている。眠っているふりをしているだけだった。
そして気づいた時、彼らは一斉に目を見開いて、私を見た。
「やっと気づいたね」
その中の一人、老人が話しかけてきた。
「君も仲間だ。眠れない者たちの仲間」
「仲間って何のこと?」
「私たちは皆、眠ることができない。そして瞼を閉じた時、現実と違う世界を見る」
老人は立ち上がった。周りの人たちも同じように立ち上がる。
「この世界は、眠れない者たちが集まる場所。現実世界で眠っている人たちを、監視する場所」
「監視?なぜ?」
「私たちは死んでいるから」
老人の言葉に、私は絶句した。
「君もそうだ。君は二ヶ月前に死んだ。過労死で」
「そんな、私は生きてる」
「本当に?君の体を触ってみなさい」
言われて自分の手首を触ってみた。脈がない。体温もない。
「君が毎日行っている職場、同僚たちは君を見ているかい?君に話しかけているかい?」
思い返してみると、確かに最近、誰も私に話しかけてこない。田村との会話も、彼は私を見ずに、独り言を言っているだけだった。
「君は死んでから二ヶ月間、自分が生きていると思い込んでいた。でも体が限界に来ている。だから眠れない。死人は眠らないから」
私はその場に崩れ落ちた。
「でも安心したまえ。ここには仲間がたくさんいる。みんな、自分の死に気づくまで時間がかかった」
周りの人たちが頷いている。
「私たちの仕事は、生きている人たちを見守ること。彼らが安らかに眠れるように」
「見守るって」
「私たちが見ているから、生きている人たちは悪夢を見ない。私たちが代わりに悪夢を引き受けているから」
老人は微笑んだ。
「君の同僚たちが『見られている夢』を見るのは、君がまだ仕事に慣れていないから。もう少し練習すれば、彼らに気づかれずに見守ることができるようになる」
「でも、私は」
「君は死んでいる。それは変わらない事実だ。しかし、死んでからも役に立つことがある」
私は目を開けた。現実の部屋に戻っている。しかし、もうここが現実ではないことがわかった。
私の体は、とっくに冷たくなっているのだろう。誰かに発見されるのを待っている状態で。
でも意識だけは、この死者の世界で活動を続けている。
再び目を閉じると、老人たちがまだそこにいた。
「決心はついたかい?」
私は頷いた。
「私たちと一緒に、生きている人たちを見守ろう。彼らが平和に眠れるように」
八週間目の夜から、私は正式に「見守り」の仕事を始めた。
瞼を閉じて、眠っている人たちの部屋を訪れる。悪夢が侵入してこないように、部屋の周りを巡回する。
時々、眠っている人が寝返りを打つと、安心する。生きている証拠だから。
私は死んだ。でも、死んでからも続けられる仕事がある。
生きている人たちが、今夜も良い夢を見られるように。
私たち死者が、闇の中で見守り続ける。
永遠に、眠ることなく。
それが、眠れない者たちの使命だから。
目を閉じた瞼の向こう側で、今夜も仕事が始まる。
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