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第67話:「記憶の移植」怖さ:☆☆☆☆☆
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私が目を覚ますと、病院のベッドの上にいた。
白い天井、消毒薬の匂い、機械的なビープ音。典型的な病室の光景だった。
「気がつきましたね」
看護師が私の顔を覗き込んだ。
「ここは?」
「聖マリア総合病院です。あなたは三日前から意識不明でした」
記憶が曖昧だった。なぜ私がここにいるのか、何が起こったのか、全く思い出せない。
「事故に遭われたんです。脳に軽い損傷がありましたが、幸い命に別状はありません」
医師が説明してくれた。しかし、私には事故の記憶がなかった。それどころか、事故以前の記憶も断片的にしか思い出せない。
「記憶障害の可能性がありますが、時間が経てば回復することが多いです」
医師は安心させようとしてくれたが、私の不安は消えなかった。
その夜、隣のベッドの患者と話をした。中年の女性で、名前は佐藤恵子さんといった。
「私も記憶を失ったことがあるの」恵子さんは優しく言った。「でも大丈夫。少しずつ戻ってくるから」
「本当ですか?」
「ええ。私の場合は、他の人の記憶まで戻ってきちゃったけど」
奇妙なことを言う人だった。
「他の人の記憶?」
「そう。私の記憶じゃない記憶が、頭の中にあるの」
恵子さんは窓の外を見ながら続けた。
「例えば、行ったことのない旅行の記憶とか、会ったことのない人との会話の記憶とか」
「それって、想像や夢じゃないんですか?」
「最初はそう思ったの。でも、その記憶の中に出てくる場所に実際に行ってみたら、記憶通りの景色があった」
背筋が寒くなった。
「まあ、あなたは大丈夫よ。私みたいな変なことは起こらないから」
恵子さんは笑って言ったが、その笑顔がどこか不自然に見えた。
翌日、私の記憶は少しずつ戻り始めた。しかし、戻ってきた記憶の中に、確かに身に覚えのないものが混じっていた。
小学校の運動会で一等賞を取った記憶。しかし、私は運動が苦手で、徒競走でビリになった記憶しかない。
高校の文化祭で演劇をした記憶。しかし、私は人前に出るのが嫌いで、裏方の仕事しかしたことがない。
大学で恋人と付き合っていた記憶。しかし、私は大学時代、一度も恋人ができたことがない。
これらの記憶は鮮明で、まるで本当に体験したかのようにリアルだった。しかし、確実に私の記憶ではない。
恵子さんに相談してみた。
「やっぱりね」恵子さんは困った顔をした。「あなたにも起こってしまった」
「これは一体何なんですか?」
「この病院の秘密よ」
恵子さんは声を潜めた。
「ここでは、記憶の移植実験が行われているの」
「記憶の移植?」
「死んだ患者の記憶を、生きている患者に移植する実験」
信じられない話だった。
「最初は認知症の治療として始まったの。失った記憶を補うために、他の人の記憶を移植する」
「そんなことが可能なんですか?」
「技術的には可能になったの。脳の特定の部位に電気刺激を与えることで、記憶を抽出して、別の脳に移植できる」
恵子さんは自分の頭を指した。
「私の頭の中には、少なくとも五人分の記憶が入っている」
「五人分?」
「この病院で死んだ患者たちの記憶よ。医師たちは、その記憶を無駄にしたくないから、生きている患者に移植している」
私は混乱した。
「でも、なぜそんなことを?」
「表向きは医学の発展のため。でも本当の理由は別にある」
恵子さんは周りを見回してから、さらに声を潜めた。
「死んだ患者たちの記憶には、この病院の闇が記録されているの。医療ミス、薬の不正使用、患者の虐待。それらの証拠を隠滅するために、記憶を別の人に移植して、混乱させているの」
「じゃあ、私の中にある記憶も」
「そう。あなたの中にあるのは、死んだ患者の記憶よ。きっとその人たちは、この病院で何か恐ろしいことを見たのね」
その夜、私は自分の記憶を整理してみた。本当の記憶と、移植された記憶を分けてみようとした。
すると、移植された記憶の中に、恐ろしいものを発見した。
手術室で、意識のある患者に麻酔なしで手術をしている光景。
薬物実験で、患者に未承認の薬を投与している光景。
「治療の必要なし」と診断された患者を、密かに安楽死させている光景。
これらは全て、この病院で実際に行われていることだった。死んだ患者たちが最期に見た、病院の真の姿だった。
私は恵子さんに報告した。
「やっぱりね」恵子さんは悲しそうに言った。「私の記憶の中にも、同じような光景があるの」
「警察に通報しましょう」
「無駄よ。私たちの証言は『記憶障害による妄想』として片付けられる。それに」
恵子さんは立ち上がった。
「私たちの記憶は、もう本物と偽物の区別がつかない。何が真実で、何が嘘なのか、自分でもわからなくなってる」
確かにその通りだった。私の中にある恐ろしい記憶が、本当に死んだ患者のものなのか、それとも私の妄想なのか、判断できない。
翌日、医師が回診に来た。
「調子はいかがですか?」
「記憶が戻ってきました」
「それは良かった。変な記憶はありませんか?他人の記憶のようなものは?」
医師の目が、一瞬鋭くなった。
「いえ、特には」
私は嘘をついた。本当のことを言えば、さらに恐ろしいことが起こりそうな気がしたから。
「そうですか。それでは、もう少し様子を見て、問題なければ退院できます」
医師が去った後、恵子さんが私の元に来た。
「嘘をついたのね」
「どうして分かるんですか?」
「私も同じことをしたから。でも、もう手遅れよ」
「手遅れって?」
「あなたの記憶の中に、病院の秘密があることを、医師たちは知っている」
恵子さんの顔が青ざめていた。
「だから、あなたも私と同じ運命をたどることになる」
「どういう意味ですか?」
「永遠にここから出られない。記憶の実験台として、生き続けることになる」
その時、複数の足音が廊下から聞こえてきた。医師と看護師たちが、私たちの病室に向かってくる。
「逃げましょう」
恵子さんが手を伸ばしてきたが、もう遅かった。
医師たちが病室に入ってきて、私たちを取り囲んだ。
「佐藤さん、また患者さんに変なことを吹き込んでますね」
「私は真実を話しただけよ」
「真実?あなたの記憶は、もう何が真実なのかわからないでしょう」
医師は冷たく笑った。
「それに、川島さんも同じです。あなたたちの記憶は、私たちがコントロールしています」
看護師たちが注射器を取り出した。
「新しい記憶を移植する時間です。今度は、より従順な人格の記憶を」
「やめて」
私は抵抗したが、すぐに取り押さえられた。
注射針が腕に刺さる。意識がぼんやりしてくる。
「大丈夫です。痛みはありません。新しい記憶が定着したら、あなたは私たちに協力的になります」
医師の声が遠くなっていく。
私の最後の本当の記憶は、恵子さんの悲しそうな顔だった。
そして気がつくと、私は医師に微笑みかけていた。
「先生、ありがとうございます。治療のお手伝いをさせてください」
私の口が勝手に動いている。私の意思ではなく。
移植された記憶が、私の人格を支配している。
本当の私は、意識の奥底に閉じ込められて、偽りの私が表面に現れている。
私は立ち上がって、新しく運ばれてきた患者の元に向かった。記憶移植の手伝いをするために。
私の手で、別の患者の記憶を奪い、偽りの記憶を植え付ける。
私は被害者から加害者になった。
でも、意識の奥底で、本当の私は叫び続けている。
「助けて、本当の私を返して」
しかし、その声は誰にも届かない。
永遠に。
白い天井、消毒薬の匂い、機械的なビープ音。典型的な病室の光景だった。
「気がつきましたね」
看護師が私の顔を覗き込んだ。
「ここは?」
「聖マリア総合病院です。あなたは三日前から意識不明でした」
記憶が曖昧だった。なぜ私がここにいるのか、何が起こったのか、全く思い出せない。
「事故に遭われたんです。脳に軽い損傷がありましたが、幸い命に別状はありません」
医師が説明してくれた。しかし、私には事故の記憶がなかった。それどころか、事故以前の記憶も断片的にしか思い出せない。
「記憶障害の可能性がありますが、時間が経てば回復することが多いです」
医師は安心させようとしてくれたが、私の不安は消えなかった。
その夜、隣のベッドの患者と話をした。中年の女性で、名前は佐藤恵子さんといった。
「私も記憶を失ったことがあるの」恵子さんは優しく言った。「でも大丈夫。少しずつ戻ってくるから」
「本当ですか?」
「ええ。私の場合は、他の人の記憶まで戻ってきちゃったけど」
奇妙なことを言う人だった。
「他の人の記憶?」
「そう。私の記憶じゃない記憶が、頭の中にあるの」
恵子さんは窓の外を見ながら続けた。
「例えば、行ったことのない旅行の記憶とか、会ったことのない人との会話の記憶とか」
「それって、想像や夢じゃないんですか?」
「最初はそう思ったの。でも、その記憶の中に出てくる場所に実際に行ってみたら、記憶通りの景色があった」
背筋が寒くなった。
「まあ、あなたは大丈夫よ。私みたいな変なことは起こらないから」
恵子さんは笑って言ったが、その笑顔がどこか不自然に見えた。
翌日、私の記憶は少しずつ戻り始めた。しかし、戻ってきた記憶の中に、確かに身に覚えのないものが混じっていた。
小学校の運動会で一等賞を取った記憶。しかし、私は運動が苦手で、徒競走でビリになった記憶しかない。
高校の文化祭で演劇をした記憶。しかし、私は人前に出るのが嫌いで、裏方の仕事しかしたことがない。
大学で恋人と付き合っていた記憶。しかし、私は大学時代、一度も恋人ができたことがない。
これらの記憶は鮮明で、まるで本当に体験したかのようにリアルだった。しかし、確実に私の記憶ではない。
恵子さんに相談してみた。
「やっぱりね」恵子さんは困った顔をした。「あなたにも起こってしまった」
「これは一体何なんですか?」
「この病院の秘密よ」
恵子さんは声を潜めた。
「ここでは、記憶の移植実験が行われているの」
「記憶の移植?」
「死んだ患者の記憶を、生きている患者に移植する実験」
信じられない話だった。
「最初は認知症の治療として始まったの。失った記憶を補うために、他の人の記憶を移植する」
「そんなことが可能なんですか?」
「技術的には可能になったの。脳の特定の部位に電気刺激を与えることで、記憶を抽出して、別の脳に移植できる」
恵子さんは自分の頭を指した。
「私の頭の中には、少なくとも五人分の記憶が入っている」
「五人分?」
「この病院で死んだ患者たちの記憶よ。医師たちは、その記憶を無駄にしたくないから、生きている患者に移植している」
私は混乱した。
「でも、なぜそんなことを?」
「表向きは医学の発展のため。でも本当の理由は別にある」
恵子さんは周りを見回してから、さらに声を潜めた。
「死んだ患者たちの記憶には、この病院の闇が記録されているの。医療ミス、薬の不正使用、患者の虐待。それらの証拠を隠滅するために、記憶を別の人に移植して、混乱させているの」
「じゃあ、私の中にある記憶も」
「そう。あなたの中にあるのは、死んだ患者の記憶よ。きっとその人たちは、この病院で何か恐ろしいことを見たのね」
その夜、私は自分の記憶を整理してみた。本当の記憶と、移植された記憶を分けてみようとした。
すると、移植された記憶の中に、恐ろしいものを発見した。
手術室で、意識のある患者に麻酔なしで手術をしている光景。
薬物実験で、患者に未承認の薬を投与している光景。
「治療の必要なし」と診断された患者を、密かに安楽死させている光景。
これらは全て、この病院で実際に行われていることだった。死んだ患者たちが最期に見た、病院の真の姿だった。
私は恵子さんに報告した。
「やっぱりね」恵子さんは悲しそうに言った。「私の記憶の中にも、同じような光景があるの」
「警察に通報しましょう」
「無駄よ。私たちの証言は『記憶障害による妄想』として片付けられる。それに」
恵子さんは立ち上がった。
「私たちの記憶は、もう本物と偽物の区別がつかない。何が真実で、何が嘘なのか、自分でもわからなくなってる」
確かにその通りだった。私の中にある恐ろしい記憶が、本当に死んだ患者のものなのか、それとも私の妄想なのか、判断できない。
翌日、医師が回診に来た。
「調子はいかがですか?」
「記憶が戻ってきました」
「それは良かった。変な記憶はありませんか?他人の記憶のようなものは?」
医師の目が、一瞬鋭くなった。
「いえ、特には」
私は嘘をついた。本当のことを言えば、さらに恐ろしいことが起こりそうな気がしたから。
「そうですか。それでは、もう少し様子を見て、問題なければ退院できます」
医師が去った後、恵子さんが私の元に来た。
「嘘をついたのね」
「どうして分かるんですか?」
「私も同じことをしたから。でも、もう手遅れよ」
「手遅れって?」
「あなたの記憶の中に、病院の秘密があることを、医師たちは知っている」
恵子さんの顔が青ざめていた。
「だから、あなたも私と同じ運命をたどることになる」
「どういう意味ですか?」
「永遠にここから出られない。記憶の実験台として、生き続けることになる」
その時、複数の足音が廊下から聞こえてきた。医師と看護師たちが、私たちの病室に向かってくる。
「逃げましょう」
恵子さんが手を伸ばしてきたが、もう遅かった。
医師たちが病室に入ってきて、私たちを取り囲んだ。
「佐藤さん、また患者さんに変なことを吹き込んでますね」
「私は真実を話しただけよ」
「真実?あなたの記憶は、もう何が真実なのかわからないでしょう」
医師は冷たく笑った。
「それに、川島さんも同じです。あなたたちの記憶は、私たちがコントロールしています」
看護師たちが注射器を取り出した。
「新しい記憶を移植する時間です。今度は、より従順な人格の記憶を」
「やめて」
私は抵抗したが、すぐに取り押さえられた。
注射針が腕に刺さる。意識がぼんやりしてくる。
「大丈夫です。痛みはありません。新しい記憶が定着したら、あなたは私たちに協力的になります」
医師の声が遠くなっていく。
私の最後の本当の記憶は、恵子さんの悲しそうな顔だった。
そして気がつくと、私は医師に微笑みかけていた。
「先生、ありがとうございます。治療のお手伝いをさせてください」
私の口が勝手に動いている。私の意思ではなく。
移植された記憶が、私の人格を支配している。
本当の私は、意識の奥底に閉じ込められて、偽りの私が表面に現れている。
私は立ち上がって、新しく運ばれてきた患者の元に向かった。記憶移植の手伝いをするために。
私の手で、別の患者の記憶を奪い、偽りの記憶を植え付ける。
私は被害者から加害者になった。
でも、意識の奥底で、本当の私は叫び続けている。
「助けて、本当の私を返して」
しかし、その声は誰にも届かない。
永遠に。
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