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鏡写しの亡霊
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白金の冷ややかな声が、シャンデリアの光に満ちた豪華なリビングに不協和音を響かせる。エマの心臓は早鐘を打っていたが、職業病とも言える冷静さが、脳の片隅で必死に状況を分析し始めていた。
「……社長、説明してください。この死体は何ですか。なぜ、私と同じ顔をしている?」
「君の仕事は『整理』することだ、エマ。質問に答えることではない」
白金はゆっくりと歩み寄り、ベッドの傍らに置かれた死亡診断書を指先でなぞった。
「この部屋にあるものはすべて、君の過去であり、君の正体だ。警察を呼ぶのも勝手だが、そうなれば君は『存在しない人間』として処理されることになる。戸籍も、記憶も、名前すらない君を、誰が守ってくれると思うかね?」
白金の言葉は、鋭いメスのようにエマの拠り所を切り裂いていく。三年前、土砂崩れの現場で拾い上げ、仕事を与えてくれた恩人の面影はどこにもなかった。
「明日の朝、六時。それまでにこの部屋を『完全』に消しなさい。ゴミ一つ、髪の毛一本残さずに。それができれば、君に次の人生を与えよう」
白金はそれだけ言い残し、エマに背を向けて玄関へと向かった。重厚な扉が閉まる音が、この世との決別のように響いた。
一人残されたエマは、深く呼吸を整えた。パニックは死を招く。プロのクリーナーとして、まずは目の前の「モノ」を観察することにした。
エマは腰のポーチから使い捨てのニトリル手袋を取り出し、装着する。まずはベッドの死体だ。
顔立ちは鏡を見るように自分と同じ。だが、遺品整理屋としての目は、解剖学的な違和感を逃さなかった。死体の左手中指の付け根に、硬いペン茧がある。
(……左利き?)
エマは自分自身の右手を見つめる。彼女は右利きだ。三年前の事故以前の記憶はないが、ペンを持つのも箸を使うのも、自然と右手が出る。
次にエマはキッチンへ向かった。そこには、彼女が愛飲しているブランドと同じアールグレイの紅茶缶が並んでいた。棚を開け、ハサミや包丁を確認する。すべて右利き用の仕様だ。 部屋全体の設えは「右利き」の人間向けに作られている。しかし、ベッドに横たわる「自分と同じ顔の女」は「左利き」だった。
エマは紅茶缶の一つを手に取った。ずっしりと重い。だが、蓋を開けた瞬間、彼女の眉がかすかに跳ねた。 中に入っていたのは、茶葉ではなかった。
「……砂?」
さらさらとした、無機質な灰色の砂。すべての缶を確認したが、中身はすべて同じ砂にすり替えられていた。高級ブランドの缶の中に、無価値な砂が詰まっている。この部屋そのものが、精巧に作られた「偽物」のように思えてきた。
エマはリビングに戻り、壁一面の写真をはがし始めた。自分の行動を記録した無数の写真。それを一枚ずつシュレッダーにかけていく。
作業を進めるうちに、彼女はある事実に気づいた。写真の中の自分は、常に「何か」を探しているような顔をしていた。そして、どの写真も特定の角度から撮られている。
カメラの設置場所を特定するため、エマは天井の火災報知器やコンセントの隙間を点検した。
「見つけた……」
クローゼットの奥、不自然な隙間に埋め込まれていたのは、最新式の小型金庫だった。テンキー式のロックがかかっている。
エマは指先を止めた。暗証番号。心当たりはない。だが、もしこの部屋の主が自分を模した存在、あるいは自分自身なのだとしたら。 彼女は、病院で決めた自分の「誕生日」——土砂崩れから救出されたあの日を打ち込んだ。
カチリ、と電子音がして、扉が開いた。
中には、分厚い一冊のファイルが収められていた。表紙には、見覚えのあるロゴマーク。白金が経営する『ホワイト・アーク』の親会社にあたる、巨大医療グループの紋章だ。
ファイルを開くと、そこには「神代エマ」という検体の記録がびっしりと記されていた。
【新型認知機能置換手術:経過報告書】
【被験者:クローン個体04号】
【目的:オリジナル人格のバックアップおよび、生活習慣による人格定着の実験】
ページをめくる手が震える。そこには、エマがこの三年間で「整理」してきた現場のリストまでが、実験データとして記載されていた。
エマが「死」に引かれ、凄惨な現場でも平然としていられたのは、彼女の性格のせいではなかった。そうなるように、脳を「整理」されていたのだ。
「私は……ただの、バックアップだったの?」
その時、足元でカサリと音がした。
ベッドの死体の手が、わずかに動いたように見えた。
エマは息を呑み、ゆっくりとベッドへ視線を戻す。死んでいたはずの「自分」の目が、薄らと開いていた。
だが、その瞳には光がない。死後硬直が始まっているはずの身体が、機械的な動きでエマの方を向く。
死体の口が、かすかに動いた。
「……おかえり、私」
それは、エマ自身の声よりも、ずっと深く、冷たい響きだった。
「……社長、説明してください。この死体は何ですか。なぜ、私と同じ顔をしている?」
「君の仕事は『整理』することだ、エマ。質問に答えることではない」
白金はゆっくりと歩み寄り、ベッドの傍らに置かれた死亡診断書を指先でなぞった。
「この部屋にあるものはすべて、君の過去であり、君の正体だ。警察を呼ぶのも勝手だが、そうなれば君は『存在しない人間』として処理されることになる。戸籍も、記憶も、名前すらない君を、誰が守ってくれると思うかね?」
白金の言葉は、鋭いメスのようにエマの拠り所を切り裂いていく。三年前、土砂崩れの現場で拾い上げ、仕事を与えてくれた恩人の面影はどこにもなかった。
「明日の朝、六時。それまでにこの部屋を『完全』に消しなさい。ゴミ一つ、髪の毛一本残さずに。それができれば、君に次の人生を与えよう」
白金はそれだけ言い残し、エマに背を向けて玄関へと向かった。重厚な扉が閉まる音が、この世との決別のように響いた。
一人残されたエマは、深く呼吸を整えた。パニックは死を招く。プロのクリーナーとして、まずは目の前の「モノ」を観察することにした。
エマは腰のポーチから使い捨てのニトリル手袋を取り出し、装着する。まずはベッドの死体だ。
顔立ちは鏡を見るように自分と同じ。だが、遺品整理屋としての目は、解剖学的な違和感を逃さなかった。死体の左手中指の付け根に、硬いペン茧がある。
(……左利き?)
エマは自分自身の右手を見つめる。彼女は右利きだ。三年前の事故以前の記憶はないが、ペンを持つのも箸を使うのも、自然と右手が出る。
次にエマはキッチンへ向かった。そこには、彼女が愛飲しているブランドと同じアールグレイの紅茶缶が並んでいた。棚を開け、ハサミや包丁を確認する。すべて右利き用の仕様だ。 部屋全体の設えは「右利き」の人間向けに作られている。しかし、ベッドに横たわる「自分と同じ顔の女」は「左利き」だった。
エマは紅茶缶の一つを手に取った。ずっしりと重い。だが、蓋を開けた瞬間、彼女の眉がかすかに跳ねた。 中に入っていたのは、茶葉ではなかった。
「……砂?」
さらさらとした、無機質な灰色の砂。すべての缶を確認したが、中身はすべて同じ砂にすり替えられていた。高級ブランドの缶の中に、無価値な砂が詰まっている。この部屋そのものが、精巧に作られた「偽物」のように思えてきた。
エマはリビングに戻り、壁一面の写真をはがし始めた。自分の行動を記録した無数の写真。それを一枚ずつシュレッダーにかけていく。
作業を進めるうちに、彼女はある事実に気づいた。写真の中の自分は、常に「何か」を探しているような顔をしていた。そして、どの写真も特定の角度から撮られている。
カメラの設置場所を特定するため、エマは天井の火災報知器やコンセントの隙間を点検した。
「見つけた……」
クローゼットの奥、不自然な隙間に埋め込まれていたのは、最新式の小型金庫だった。テンキー式のロックがかかっている。
エマは指先を止めた。暗証番号。心当たりはない。だが、もしこの部屋の主が自分を模した存在、あるいは自分自身なのだとしたら。 彼女は、病院で決めた自分の「誕生日」——土砂崩れから救出されたあの日を打ち込んだ。
カチリ、と電子音がして、扉が開いた。
中には、分厚い一冊のファイルが収められていた。表紙には、見覚えのあるロゴマーク。白金が経営する『ホワイト・アーク』の親会社にあたる、巨大医療グループの紋章だ。
ファイルを開くと、そこには「神代エマ」という検体の記録がびっしりと記されていた。
【新型認知機能置換手術:経過報告書】
【被験者:クローン個体04号】
【目的:オリジナル人格のバックアップおよび、生活習慣による人格定着の実験】
ページをめくる手が震える。そこには、エマがこの三年間で「整理」してきた現場のリストまでが、実験データとして記載されていた。
エマが「死」に引かれ、凄惨な現場でも平然としていられたのは、彼女の性格のせいではなかった。そうなるように、脳を「整理」されていたのだ。
「私は……ただの、バックアップだったの?」
その時、足元でカサリと音がした。
ベッドの死体の手が、わずかに動いたように見えた。
エマは息を呑み、ゆっくりとベッドへ視線を戻す。死んでいたはずの「自分」の目が、薄らと開いていた。
だが、その瞳には光がない。死後硬直が始まっているはずの身体が、機械的な動きでエマの方を向く。
死体の口が、かすかに動いた。
「……おかえり、私」
それは、エマ自身の声よりも、ずっと深く、冷たい響きだった。
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