婚約破棄された「無能」聖女、拾った子犬が伝説の神獣だったので、辺境で極上もふもふライフを満喫します。~捨てた国が滅びそう?知りません~

ソラ

文字の大きさ
4 / 4

初めての来客と、神獣様の嫉妬

しおりを挟む
「……なんだ、これは。俺は、夢でも見ているのか?」

辺境の村で村長を務めるガストンは、自分の目を疑い、何度も瞼を擦った。 
目の前にあるのは、昨日まで誰もが近づくことさえ恐れた「死の森」だ。一歩足を踏み入れれば、瘴気によって肺が焼かれ、狂暴な魔獣に食い殺される。そんな呪われた地のはずだった。

だが、今ガストンの視界に広がっているのは、そんな不吉な名前を嘲笑うかのような光景だ。 
境界線でも引かれたかのように、冬の銀世界の向こう側に「常春の楽園」が広がっている。 
真っ白な雪は消え、青々とした柔らかな芝生がどこまでも続き、宝石のように輝く花々が咲き乱れていた。 ガストンがその目に見えない「線」を一歩越えた、その瞬間。 
身体中の古傷が熱を帯びた。長年の戦いで患い、もう治ることはないと諦めていた足の痛みが、その土地を踏んだだけで、嘘のようにスッと引いていったのだ。

(王都の神殿など、比べるのも烏滸がましいほどだ……)

恐ろしいほどの清浄。ガストンは震える足で、その聖域へとさらに一歩を踏み出した。 
中央には琥珀色に輝く美しいログハウス。そのテラスから、柔らかなプラチナブロンドを揺らして一人の少女が姿を現した。

「あら。お客様……でしょうか?」

鈴の鳴るような、透き通った声だった。 
少女――エリアナは、簡素な服を着ているが、その立ち振る舞いには隠しようのない気品がある。 
ガストンは反射的に、騎士としての礼をとりそうになるのを必死に抑えた。

「あ……いや。俺はこの先の村で村長をやっている、ガストンという者だ。この森に、あまりに妙な異変が起きたもので、調査に……」

ガストンがたどたどしく答えると、エリアナはぱっと顔を輝かせた。

「村長様でしたか! ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私、エリアナと申します。事情があって、こちらでお世話になることになりました」

彼女が微笑んだ瞬間、ガストンの背筋に、冷や水を浴びせられたような戦慄が走った。 
エリアナの後ろから、一匹の小さな黒い子犬が姿を現したからだ。 
掌に乗るほどの小ささ。愛くるしい瞳。だが、その子犬がガストンを射抜いた瞬間。

――理解した瞬間、ガストンの思考が止まった。

逃げ場のない、圧倒的な「死」の気配。 
それは、かつて戦場で対峙したどんな存在よりも、遥かに高く、深い力の塊だった。 
あの子犬は、エリアナの足元に体を擦り付けながら、一切の感情を排した金の瞳をガストンへ向けた。

その瞳が、ガストンを完全に視界から消した。

まるで羽虫か石ころでも見るかのような、絶対的な無関心。だがそこには、一歩でも主への不敬を働けば、この世界ごと消滅させるという静かな宣告が込められていた。

「よしよし、ラピス。村長様を怖がらせちゃダメよ? とっても優しそうな方なんだから」

エリアナが屈み込み、その「世界の終わり」のような気配を放つ子犬を軽々と抱き上げた。 
すると、あの子犬は先ほどまでの冷酷な眼差しをどこへやら、とろけるような顔でエリアナの胸に顔を埋めたのだ。 「きゅうん」と甘えた声を出し、彼女の服の裾を小さく噛んで、必死に自分への注意を引こうとしている。

「ふふ、ごめんなさい。この子、ちょっと人見知りで。……あ、そうだ。せっかくですから、お茶でもいかがですか? ちょうど淹れたところなんです」

「い、いや、そんな……滅相もない……」

断ろうとしたガストンだったが、エリアナがテーブルに置いたカップから漂う香りを嗅いだ瞬間、理性が吹き飛んだ。 香りを嗅いだだけで、脳の奥が洗われるような感覚。 

「さあ、どうぞ。お口に合うか分かりませんが、田舎は水が綺麗ですから、それなりに美味しいと思うんです」

ガストンは震える手でそれを受け取り、一口含んだ。 
その瞬間、ガストンの体内で劇的な変化が起きた。 
魔力の中毒症状で黒ずんでいた指先が、見る間に健康的な色を取り戻していく。

これは茶ではない。奇跡そのものだ。

ガストンは、目から熱いものが溢れるのを止められなかった。 
長年自分を苛んでいた痛みが、闇が、たった一口のお茶で浄化されていく。

「……あ、あの。エリアナ様。失礼ながら……あなた様は、もしや王都の……」

ガストンが問いかけようとした、その時。 
膝の上にいたラピスが、エリアナの首筋に顔を寄せて、わざとらしく彼女の視線を遮った。 
そして、ガストンを再びその鋭い瞳で捉えた。 
今度は「消去」ではなく「追放」の拒絶。これ以上、我が主に言葉をかけるなという、傲慢なまでの独占欲。

「あらあら、どうしたのラピス? ごめんなさいね、村長様。この子、本当に甘えん坊で……。今日はもう、ラピスが寂しがっているので、この辺りで失礼してもいいでしょうか?」

エリアナは申し訳なさそうに、だがラピスを愛おしそうに抱きしめ直した。 
ガストンに、不満など微塵もなかった。

「あ、ああ……。突然押しかけてすまなかった。……エリアナ様。もし、何か困ったことがあれば、いつでも村を頼ってくれ。俺たちは、あなた様を全力で歓迎する」

ガストンは深く、かつての王へ捧げたものよりも誠実な礼をした。 
彼は確信していた。 
この少女こそが、この国が見放した、だが絶対に手放してはいけなかった本物の救いなのだと。

                  *

ガストンが震えながら森を去った後。 
王都の会議室では、ジークフリート王子が絶叫していた。

「なぜだ! なぜこれほどの騎士団を送って、たった一羽の鳥すら仕留められんのだ!」

「殿下……申し上げにくいのですが、兵たちの魔力が著しく減退しております。まるで、国全体の『活力』がどこかへ吸い取られているかのような……」

その言葉を、誰も否定できなかった。 
王子の足元には、贅を尽くしたはずの豪勢な絨毯が、いつの間にか埃っぽく色褪せていた。 
かつてエリアナが浄化し続けていたこの国は、今や急速に腐敗し、その輝きを失い続けている。

そんな王都の惨状など、今のエリアナには、冬の終わりの記憶よりも薄いものだった。 
彼女は今、自分の首筋に顔を埋めて離れないラピスの、柔らかい耳の後ろを優しく撫でている。

「ふふ、もう、ラピス。そんなに甘えられたら、何もできないわ」

ラピスは満足げに、エリアナの鎖骨に鼻先を押し当て、深い眠りにつく。 
彼にとっては、世界が滅びようが、隣の国が焼け野原になろうが、どうでもよかった。 
ただ、この温かな腕の中が自分だけの場所であれば、それでよかったのだ。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。 了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。 テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。 それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。 やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには? 100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。 200話で完結しました。 今回はあとがきは無しです。

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

処理中です...