【一話完結】あなたの心を少しだけ動かす、掌の中の物語

ソラ

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鉄の男と、桃色の攻略対象

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その男が路地裏に入っていくのを見た者は、誰もが「いよいよか」と息を呑んだ。  
黒岩大吾。五十を過ぎたその顔面は、歴戦の猛者そのものだ。眉間の深い刻み皺、鋭すぎる眼光、そして右の頬に走る薄い傷跡。どこからどう見ても、カタギの人間には見えない。近所では「かつての伝説のヒットマン」だの「裏社会のフィクサー」だのと、物騒な噂が絶えなかった。

黒岩は周囲を威嚇するかのような殺気を放ちながら、雑居ビルの急な階段を上がっていく。目的地は、三階の一番奥。看板も出ていない、古びたドアの前で彼は足を止めた。  
懐に手を入れる。周囲にいた猫が、その殺気に当てられて逃げ出した。  
黒岩はドアを開け、地を這うような低い声で言った。

「……遅れた。始めてくれ」

そこは、取引の現場ではない。六畳ほどの小さな一室に、パステルカラーの毛糸が所狭しと並ぶ、超初心者向けの「編み物教室」である。

「あら黒岩さん、いらっしゃい。ちょうど『増し目』の説明を始めるところよ」

ふくよかな講師の女性が、朗らかに笑う。黒岩は無言でパイプ椅子に腰を下ろした。隣の席でパステルカラーのポーチを編んでいた主婦は、黒岩が座った瞬間の「ドサッ」という重苦しい音に、ビクッと肩を震わせて数センチほど椅子を遠ざけた。  黒岩はそんな周囲の動揺に気づく様子もなく、懐から愛用の「かぎ針」と、使い込まれた「編み図」を取り出した。そして、今まさに攻略中である「桃色の毛糸玉」を机に置いた。

「……よりによって、なぜこの色を選んだんです?」

準備を手伝いに来た講師が、ふと尋ねた。黒岩は一瞬だけ視線を泳がせ、それから獲物を狙うような目で毛糸玉を睨みつけた。

「……かつての俺なら、一番に排除した色だ。弱く、脆く、浮ついている」

地を這うような声で、彼は続ける。

「だが、今の俺にはこの色が、……世界で一番強く見える」

自分の「怖さ」に泣きついてこなかった三歳の孫娘が、初めて笑って欲しがった色。それは、黒岩がこれまでの人生で守ってきたどんな利権や縄張りよりも、侵しがたい「聖域」の色だった。

黒岩は極細のかぎ針を、ゴツゴツとした指先で驚くほど繊細に操り始めた。  
一目、二目。  
編み図を睨みつけるその表情は、爆弾の信管を抜く解体作業員のように真剣だ。噴き出す汗を、黒いスーツの袖で乱暴に拭う。  
黒岩が「増し目」に成功し、鼻から荒い息を吐き出した瞬間、隣の主婦は再び硬直した。だが、彼の手元で少しずつ形作られていく小さな桃色の塊と、それを「戦友」でも労うかのように見つめる黒岩の優しい眼差しに気づくと、彼女は小さく微笑んだ。彼女は自分のカバンからキャンディを一粒取り出すと、無言で黒岩の机の端にそっと置いた。黒岩は短く「……恩に切る」とだけ応じ、再び戦場へと意識を戻した。

「できた……」

一時間後。黒岩の手の中に、丸っこいウサギの「左耳」が完成していた。  
均一な編み目。完璧な曲線。それは、かつて彼が裏社会ではなく、建設現場のベテラン職人として培ってきた「ものづくり」の執念の結晶だった。

「完璧だわ、黒岩さん! 孫娘さんもきっと喜ぶわね」 

「……まだだ。右耳、そして胴体が残っている」

黒岩は満足げに、しかし緊張感を解かずに道具を片付けた。  
店を出たとき、カバンの隙間から、先ほど編み上げたピンクの「左耳」がひょっこりと顔を出した。それを見た通りすがりの女子高生が、「嘘、かわいい……」と声を漏らす。  
黒岩は一瞬、眉間にシワを寄せて彼女を振り返った。女子高生は「ひっ!」と悲鳴を上げて逃げ出したが、黒岩はただ、自分の作品が他者に認められたことに、内心で静かにガッツポーズを決めていた。

(よし。明日は『胴体』を攻略し、綿を詰めるフェーズへ移行する。……待っていろ、ひな。おじいちゃんが最強のウサギを届けてやるからな)

夕日に背を向け、黒岩は堂々と去っていく。  
そのカバンからは、ふわふわとしたピンクの耳が、まるで勝利の旗のように揺れていた。彼の心は、今、人生で一番、穏やかで「すっきり」としていた。
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