レベル1のフリはやめた。貸した力を全回収

ソラ

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第2章:多次元市場編

第43話 堕ちた勇者の最終監査

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掴んだ胸元の甲冑が、ソラの指先から放たれる因果の圧力によって、飴細工のように無残に歪む。

「……離せ! 離しやがれ、このバケモノがぁ!」

アラスが至近距離から漆黒の聖剣を振り回し、ソラの脇腹を抉ろうと死に物狂いで暴れる。だが、その刃がソラの肌に触れる寸前、空間に「検閲(ログ・チェック)」という不吉な赤い文字が浮かび上がり、剣は質量を失ったかのように空を切った。

「暴れるな、アラス。……これより、お前の全生涯に対する強制監査を開始する」

ソラの声は、静かな地鳴りのようにアビスの底まで響き渡った。

基幹演算室では、エリーゼが震える手でキーを叩いている。彼女の瞳には数億のコードが走り、アラスという個体に紐付けられた膨大な過去の断片が、虚空へと次々に投影されていく。それは、彼がこれまで隠し通してきた『英雄譚』の裏側に眠る、薄汚れた帳簿の開示だった。

「第1次遠征、魔獣ケルベロスの討伐。……お前は一騎打ちでこれを倒したと吹聴し、王の信頼を勝ち得た。だが、真実は違う。お前は背後の魔導師団に全負債(ダメージ)を肩代わりさせ、その代償として彼らの寿命を削った。手柄だけを横領したこの功績は、会計上『粉飾』と断定する」

ソラがペンを虚空に一閃させると、アラスの甲冑に刻まれた誇り高き紋章が一つ、パリンと乾いた音を立てて砕け散った。同時に、アラスの身体を支えていた魔力が目に見えて抜けていく。

「ま、待て! あれは王国の士気を維持するために必要な……演出だったんだ! 誰かが英雄にならなきゃ、あの国は保たなかった!」

「黙れ。次だ」

ソラは言い訳を許さず、冷徹に次なるページをめくった。
投影される映像は、かつてソラが捨てられた場所、アステリア王国の繁栄の記録へと移り変わる。

「アステリア王国の再興。お前がやったのは、民の信仰という名の『高利貸し』だ。未来の希望を質に入れ、今この瞬間の虚飾を買い叩いただけの、空気で膨らませた繁栄に過ぎない。……再評価の結果、この資産価値はゼロ。むしろ、莫大な債務(ツケ)だけが残っている」

宣言と同時に、アラスの身体を包んでいた漆黒のオーラが急速に色褪せ、異臭を放つ黒い煙へと変わっていく。  彼がこれまで『勇者の力』だと言い張ってきたものは、彼自身が踏み台にしてきた人々の絶望そのものだった。

監査とは、光を当てることだ。
ソラの冷徹な数字によって、アラスが纏っていた輝きは、ただの泥水と借用書へと書き換えられていく。

「アラス。お前の人生に、裏付けのある功績は一つもない。お前が持っているのは、踏み倒し続けた他者の犠牲という名の、膨大な未払金だけだ」

ソラの瞳に宿る光が、一際激しく燃え上がる。それはかつてアステリア王国の路地裏で、アラスの取り巻きに泥を投げつけられた少年が見せた、執念の輝きだった。
ソラは、自分の手がかすかに震えていることに気づいていた。それは恐怖ではなく、何年もの間、冷たく凍りついていた「怒り」という感情が、今この瞬間、猛烈な熱を持って溶け出している証だった。

「清算の時間だ。お前の『存在権』を全額没収し、お前が踏みにじった者たちへの返済に充当する。……名前も残せなかった兵士たち、焼き払われた名もなき村、その全てにな」

「待て、ソラ! 悪かった、謝る! お前の力を認めよう、俺が悪かったんだ! ……頼む、俺はただ、勇者でいたかっただけなんだ! あの頃の、無能で誰にも見向きもされなかった俺にだけは、戻りたくなかったんだ……!」

初めて混じったアラスの本音。
プライドも虚飾も剥ぎ取られたその声には、ただの哀れな人間の弱さが透けていた。

その瞬間、ソラの指先が、わずかに止まった。

謝罪に、あるいは「勇者でいたかった」という卑小な願望に、かつての自分自身の残響を見たのかもしれない。  だが、その迷いは一瞬だった。ソラは冷たく、かつての情念を自らの手で握り潰す。

「……謝罪は、私の帳簿には計上できない」

ソラがペンをアラスの胸に突き立てる。

執行――『全資産凍結、及び強制解体』。

アラスの叫びが、アビスの曇天を切り裂いた。
彼の身体から黄金の粒子と漆黒の怨念が凄まじい勢いで放出され、かつて彼が奪った「正当な持ち主」たちへと還元されていく。
アビスの住人たちは、空から降り注ぐその光の粒子を、呆然として見つめていた。それは、奪われた記憶であり、奪われた運命の欠片だった。

勇者の名声、奪ってきた力、不当に積み上げた因果。
それら全てを剥ぎ取られたアラスの身体は、見る間に干からび、ただの醜い抜け殻へと変わっていった。

やがて光が収まった時、そこに転がっていたのは、震える手で自らの痩せ細った身体を抱きしめる、卑小な一人の男だけだった。
ソラは彼から「他人の輝き」をすべて奪い、彼が最も恐れていた「何者でもない自分」という現実の中に、永遠に閉じ込めたのだ。

ソラは一歩、後退した。
やり遂げたはずの胸の内に、期待していたような爽快感はない。
ただ、石のように冷たく重い、一つの「事実」が沈殿しているだけだった。

脳を焼くような情報の奔流は去り、代わりにじわじわと、かつて捨てたはずの「苦しみ」が戻ってくる。
人を裁くことの重み。一人の人間の人生を無(ゼロ)に書き換えることの、耐え難いほどの感触。

「……ソラ様」

駆け寄るミィナが、ソラの震える右手を両手で強く握りしめた。その温もりが、記述者という装置になりかけていた男の中に、人間としての境界線を引き戻していく。
ソラはゆっくりとミィナを見つめ、掠れた声で呟いた。

「……私は、正しいことをしたか?」
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