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第3章:因果債務・再起編
第45話 再起の貸借対照表
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風が、湿った土の匂いを運んできた。
琥珀色に固定されていた空は消え、そこには今にも泣き出しそうな、不機嫌で、けれど生命感に溢れた「灰色の空」が広がっている。
ソラは街道脇に転がった折れた車輪に腰を下ろし、深く息を吐き出した。記述者としての全能感を失った身体はひどく重く、肺に吸い込む空気の冷たささえ、今は新鮮な刺激として脳を叩く。
「……最悪の目覚めだな。世界が動き出した途端、これか」
視界の先では、アラスに焼き払われた村の跡地で、人々が呆然と立ち尽くしていた。
多幸感という名の麻薬を奪われた彼らは、焼け焦げた農具を握りしめ、あるいは泥にまみれた大地をただ見つめている。幸福パルスという「夢」が去り、突きつけられたのは、あまりに過酷な現実の継続だった。
「ソラ様、いつまで座っているんですか。ほら、あそこ。また『余計な負債』が近づいてきていますよ」
ミィナが、使い込まれた剣を杖代わりにしながら声をかける。
彼女の装備もかつての輝きを失い、傷だらけの無骨な業物に戻っていたが、その瞳にはソラを現実に繋ぎ止める確かな意志が宿っていた。
「……分かっているよ。エリーゼ、周囲の因果を走査しろ。広域じゃなくていい、俺の見える範囲だけで十分だ」
「……はぁ。かつては宇宙全域を秒速で処理していた私に、こんなド田舎の『ゴミ拾い』をさせるのですか? 効率が悪すぎて、私の計算人格がストライキを起こしそうですよ」
空中に漂うエリーゼの姿は、以前よりも少し透けて見える。
彼女もまた、基幹システムという巨大な演算リソースから切り離され、今はソラの傍らに辛うじて存在を維持している状態だ。だが、その口の悪さが戻っていることに、ソラはどこか安堵していた。
「文句を言うな。……それで、あいつらは?」
「近隣の領主が派遣した、自称・徴収官の『マラク』とその一味です。令状の魔力波形が極めて不自然……。ええ、三流の偽造品ですね」
ソラは重い腰を上げると、村の入り口へと歩き出した。
そこでは、汚れた外套を纏い、やたらと立派な口ひげを蓄えた男が、数人の兵士を連れて村の長老を怒鳴りつけていた。
「いいか! 今までこの村は『管理外』の無法地帯だったが、今日からはこのマラク様が法だ! 街道の使用料、および安全保障税として、村にある食糧の半分を差し出せ!」
「そ、そんな無体な……。ようやく夢から覚めて、これから土を耕そうという時に……半分も持っていかれては、冬を越せません……」
震える長老の前に、ソラがひょいと割り込んだ。
「よお、旦那。随分と景気のいい見積もりだが、その計算……ちょっと『桁』が違わないか?」
「あぁ? なんだお前は。……見たところ、ただのしがない流れ者のようだが」
徴収官マラクが、指先で自分の髭をいじりながらソラを蔑むように一瞥する。
ソラは笑みを浮かべたまま、片目の単眼鏡(モノクル)の焦点を合わせた。かつての神の眼ではない。だが、膨大な情報を処理し続けてきたソラの魂には、数字の嘘を嗅ぎ取る直感がこびりついている。
単眼鏡の奥で、マラクが掲げる令状の端が、不快な赤色に明滅した。
「その令状……。発行日が三年前なのは百歩譲るとしても、魔力刻印の主がアラスに滅ぼされたはずの旧領主のままだ。専門用語で言えば、これは**『不渡りになった古い債権の使い回し』**……。つまり、ただの詐欺だ」
「な、貴様……何をデタラメを! 法は法だ! 領主様の名において、徴収は正当な権利だ!」
「法を語るなら、市場のルールも知っておくべきだ。……ミィナ、頼めるか?」
「はい!」
ミィナが聖剣を抜くと、その切っ先が放つ微かな光が、マラクの持つ令状を正確に焼き払った。
令状は灰となり、そこから真っ黒な「嘘の因果」が霧となって消えていく。
「お、おい! 貴様ら、何を……! 兵ども、この無頼漢を捕らえろ!」
兵士たちが槍を構える。だが、ソラは動じない。
「いいか、よく考えろ。この村は今、再建の途中で帳簿上は『完全な赤字』だ。投資(労働)も回収(収穫)も始まっていない場所に、無理やり税を課せば、この村の『将来価値』はゼロになる。それはお前の領主にとっても、ただの損失だ」
「う、うるさい! 今この場で取れるものを取るのが俺の仕事だ!」
「それは監査官(オレ)が許さない。……お前が今やるべきなのは、徴収ではなく『損切』だ。ここで退けば、詐欺罪は見逃してやる」
ソラは手帳を取り出し、さらさらとペンを走らせる。
書き込んだのは、「不当請求の却下、および現存資産の保護」。
ソラが最後の一線を引いた瞬間、村の地面から微かな振動が伝わった。
焼け落ちた家々の柱が、まるで自らの「構造」を思い出したかのように、軋んだ音を立てて力強く直立する。それは神の奇跡のような魔法ではない。ソラがこの場所の価値を記述し、因果を整えたことで、土地そのものが持つ再生力が呼び覚まされたのだ。
「ひ、ひいぃ……! 化け物め、覚えてろよ!」
マラクたちは、ソラの背後に潜むエリーゼとガイウスの「影」が放つ圧倒的な威圧感に気圧され、転げるように去っていった。
「……助かりました。ですが、旅の御方。令状が偽物でも、私たちは明日食べるものさえ……」
膝をつく長老に、ソラは腰をかがめて視線を合わせた。
「安心しろ。……さっき令状を焼いた時に、あいつらの持ち物から『慰謝料』を強制的に引き落としておいた」
ソラが手を開くと、そこには数枚の金貨と、一袋の麦の種が握られていた。
「これは施しじゃない。あいつらがこの村の時間を奪おうとしたことに対する、正当な対価だ。……さあ、村を立て直すぞ。まずは、この赤字続きの帳簿に、『最初の一行』を書き込むところからだ」
村人たちが、おずおずと、しかし確かに顔を上げ始める。
ミィナがソラの隣に並び、晴れやかな顔で笑った。
「やっぱり、ソラ様はこっちの方が似合っていますね」
「……金にならない仕事ばかり増えて、胃が痛くなりそうだけどな」
ソラはそうぼやきながら、懐のボロボロの手帳にペンを置いた。
『負債:絶望、および空腹。資産:再生への意志』。
神のような全能感はない。だが、一文字ごとに伝わるペンの抵抗が、今のソラには何よりも愛おしかった。
世界を再建するための、再起の貸借対照表。その最初の一歩は、この泥だらけの村から始まる。
琥珀色に固定されていた空は消え、そこには今にも泣き出しそうな、不機嫌で、けれど生命感に溢れた「灰色の空」が広がっている。
ソラは街道脇に転がった折れた車輪に腰を下ろし、深く息を吐き出した。記述者としての全能感を失った身体はひどく重く、肺に吸い込む空気の冷たささえ、今は新鮮な刺激として脳を叩く。
「……最悪の目覚めだな。世界が動き出した途端、これか」
視界の先では、アラスに焼き払われた村の跡地で、人々が呆然と立ち尽くしていた。
多幸感という名の麻薬を奪われた彼らは、焼け焦げた農具を握りしめ、あるいは泥にまみれた大地をただ見つめている。幸福パルスという「夢」が去り、突きつけられたのは、あまりに過酷な現実の継続だった。
「ソラ様、いつまで座っているんですか。ほら、あそこ。また『余計な負債』が近づいてきていますよ」
ミィナが、使い込まれた剣を杖代わりにしながら声をかける。
彼女の装備もかつての輝きを失い、傷だらけの無骨な業物に戻っていたが、その瞳にはソラを現実に繋ぎ止める確かな意志が宿っていた。
「……分かっているよ。エリーゼ、周囲の因果を走査しろ。広域じゃなくていい、俺の見える範囲だけで十分だ」
「……はぁ。かつては宇宙全域を秒速で処理していた私に、こんなド田舎の『ゴミ拾い』をさせるのですか? 効率が悪すぎて、私の計算人格がストライキを起こしそうですよ」
空中に漂うエリーゼの姿は、以前よりも少し透けて見える。
彼女もまた、基幹システムという巨大な演算リソースから切り離され、今はソラの傍らに辛うじて存在を維持している状態だ。だが、その口の悪さが戻っていることに、ソラはどこか安堵していた。
「文句を言うな。……それで、あいつらは?」
「近隣の領主が派遣した、自称・徴収官の『マラク』とその一味です。令状の魔力波形が極めて不自然……。ええ、三流の偽造品ですね」
ソラは重い腰を上げると、村の入り口へと歩き出した。
そこでは、汚れた外套を纏い、やたらと立派な口ひげを蓄えた男が、数人の兵士を連れて村の長老を怒鳴りつけていた。
「いいか! 今までこの村は『管理外』の無法地帯だったが、今日からはこのマラク様が法だ! 街道の使用料、および安全保障税として、村にある食糧の半分を差し出せ!」
「そ、そんな無体な……。ようやく夢から覚めて、これから土を耕そうという時に……半分も持っていかれては、冬を越せません……」
震える長老の前に、ソラがひょいと割り込んだ。
「よお、旦那。随分と景気のいい見積もりだが、その計算……ちょっと『桁』が違わないか?」
「あぁ? なんだお前は。……見たところ、ただのしがない流れ者のようだが」
徴収官マラクが、指先で自分の髭をいじりながらソラを蔑むように一瞥する。
ソラは笑みを浮かべたまま、片目の単眼鏡(モノクル)の焦点を合わせた。かつての神の眼ではない。だが、膨大な情報を処理し続けてきたソラの魂には、数字の嘘を嗅ぎ取る直感がこびりついている。
単眼鏡の奥で、マラクが掲げる令状の端が、不快な赤色に明滅した。
「その令状……。発行日が三年前なのは百歩譲るとしても、魔力刻印の主がアラスに滅ぼされたはずの旧領主のままだ。専門用語で言えば、これは**『不渡りになった古い債権の使い回し』**……。つまり、ただの詐欺だ」
「な、貴様……何をデタラメを! 法は法だ! 領主様の名において、徴収は正当な権利だ!」
「法を語るなら、市場のルールも知っておくべきだ。……ミィナ、頼めるか?」
「はい!」
ミィナが聖剣を抜くと、その切っ先が放つ微かな光が、マラクの持つ令状を正確に焼き払った。
令状は灰となり、そこから真っ黒な「嘘の因果」が霧となって消えていく。
「お、おい! 貴様ら、何を……! 兵ども、この無頼漢を捕らえろ!」
兵士たちが槍を構える。だが、ソラは動じない。
「いいか、よく考えろ。この村は今、再建の途中で帳簿上は『完全な赤字』だ。投資(労働)も回収(収穫)も始まっていない場所に、無理やり税を課せば、この村の『将来価値』はゼロになる。それはお前の領主にとっても、ただの損失だ」
「う、うるさい! 今この場で取れるものを取るのが俺の仕事だ!」
「それは監査官(オレ)が許さない。……お前が今やるべきなのは、徴収ではなく『損切』だ。ここで退けば、詐欺罪は見逃してやる」
ソラは手帳を取り出し、さらさらとペンを走らせる。
書き込んだのは、「不当請求の却下、および現存資産の保護」。
ソラが最後の一線を引いた瞬間、村の地面から微かな振動が伝わった。
焼け落ちた家々の柱が、まるで自らの「構造」を思い出したかのように、軋んだ音を立てて力強く直立する。それは神の奇跡のような魔法ではない。ソラがこの場所の価値を記述し、因果を整えたことで、土地そのものが持つ再生力が呼び覚まされたのだ。
「ひ、ひいぃ……! 化け物め、覚えてろよ!」
マラクたちは、ソラの背後に潜むエリーゼとガイウスの「影」が放つ圧倒的な威圧感に気圧され、転げるように去っていった。
「……助かりました。ですが、旅の御方。令状が偽物でも、私たちは明日食べるものさえ……」
膝をつく長老に、ソラは腰をかがめて視線を合わせた。
「安心しろ。……さっき令状を焼いた時に、あいつらの持ち物から『慰謝料』を強制的に引き落としておいた」
ソラが手を開くと、そこには数枚の金貨と、一袋の麦の種が握られていた。
「これは施しじゃない。あいつらがこの村の時間を奪おうとしたことに対する、正当な対価だ。……さあ、村を立て直すぞ。まずは、この赤字続きの帳簿に、『最初の一行』を書き込むところからだ」
村人たちが、おずおずと、しかし確かに顔を上げ始める。
ミィナがソラの隣に並び、晴れやかな顔で笑った。
「やっぱり、ソラ様はこっちの方が似合っていますね」
「……金にならない仕事ばかり増えて、胃が痛くなりそうだけどな」
ソラはそうぼやきながら、懐のボロボロの手帳にペンを置いた。
『負債:絶望、および空腹。資産:再生への意志』。
神のような全能感はない。だが、一文字ごとに伝わるペンの抵抗が、今のソラには何よりも愛おしかった。
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