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第3章:因果債務・再起編
第51話 伯爵の告白
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白亜の壁の裏側は、死臭に似たインクの匂いで満ちていた。
案内された廊下には、かつて名画が掛けられていたであろう場所に、色褪せた壁紙の跡が無残に残されている。調度品は運び出され、今や広大な屋敷は、声を上げれば虚しく響く巨大な洞窟と化していた。
ハンスが重厚な書斎の扉を、音を立てぬよう慎重に開く。
そこには、窓をすべて厚いカーテンで閉ざし、消えかけた一本のろうそくの明かりの中で、書類の山に埋もれている男がいた。
「……伯爵。監査官殿を、お連れしました」
ハンスの震える声。書類の影から幽霊のような男が顔を上げた。カレウス伯爵。かつては王国の屋台骨を支える有力貴族だったその男の頬はこけ、瞳には「破産」という名の深い闇が澱んでいた。
「……来てくれたか。……いや、呼び寄せてしまったと言うべきか」
伯爵の声は、掠れた紙が擦れるような乾いた音だった。
ソラは無言で部屋に入り、机の上に広げられた書類の一つを指先でなぞった。
その瞬間、部屋のろうそくが、風もないのに不自然に揺らぎ、消えかかった。
――沈黙。
ソラは何も言わず、ただ数秒間、その書類を凝視した。伯爵は耐えかねたように目を逸らし、ミィナは部屋を支配する重苦しい圧力に、思わず自分の肩を抱いた。
「カレウス伯爵。……ずいぶんと派手に『溶かした』な」
ソラの低い声が、静寂を切り裂く。
「宮廷への献金、勇者への過剰な軍資金援助。……そして、この実体のない『幻影都市計画』への投資。これらはすべて、あんたの意志か?」
「……最初は、そうだった。アステリアを救うための、高潔な義務だと……信じていたのだ」
伯爵が震える手で、山積みの書類の中から一通の、どす黒い魔力を放つ書状を取り出した。
それを見た瞬間、ソラの単眼鏡(モノクル)が激しい火花を散らす。
『因果連動型・債務契約書』。
羊皮紙に踊る文字は、まるで生き物のように蠢き、時折、耳障りな笑い声のような幻聴を響かせる。特に署名欄に刻まれた文字は異様に新しく、触れれば指先が凍りつくような冷気を放っていた。
『――ソラ様、警告! この契約書、署名した者の「存在確率」を直接担保にしています。……返済が滞るたびに、住民の「生きる意志」が天引きされ、債権者へと譲渡される。……文字通りの、魂の証券化です』
脳内に響くエリーゼの声に、ソラの瞳が冷徹な怒りで細まる。
「ヴァレリウス……。あの野郎、ついに『人間の尊厳』を市場に流しやがったか」
ソラは契約書の裏面、肉眼では決して見えない空白の端に刻まれた、日蝕の紋章を見つけた。
その隣には、勇者アラスのサイン。だが、ソラはそのサインの筆跡に、一瞬だけ視線を止めた。
(……不自然だな。アラスの署名と、ヴァレリウスの刻印。この『責任の境界線』だけが、妙に曖昧に描かれている)
「伯爵。……あんたは勇者の名前に釣られて、自分の魂を切り売りしたんだな」
「……アラス様は言ったのだ。……『これは必要経費だ、君の犠牲は黄金の果実になる』と。……それを仲介したのが、あのヴァレリウスだった」
伯爵は、力なく机に突っ伏した。
三日後。
カレウス領には『大回収(グランド・コレクション)』の日が訪れる。
その日に月が欠ける時、契約は最終段階へと移行し、この土地に住むすべての人間は「無価値な負債」として世界から抹消され、その存在確率はヴァレリウスの懐へと収束する。
「……ソラ様、こんなの清算できるわけがないわ! 物理的なお金じゃない、人の命をどうやって返せっていうの!?」
ミィナの叫びに、ソラは答えなかった。
彼はただ、ボロボロの手帳を取り出し、真っさらなページにペンを突き立てた。
「……伯爵。あんたの誇りも、領民の未来も、もうとっくに赤字だ。放っておけば、あと三日で、この領地は地図から消える。……あんたも含めて、全員が『無』に帰す」
「……わかっている。……だからこそ、お前を呼んだのだ」
ソラは伯爵の濁った瞳を、じっと見つめた。
かつて、自分も同じ奈落にいた。信じていた者たちに未来を奪われ、ゴミとして捨てられたあの日。
「……いいだろう。清算してやる」
ソラの口元に、冷たく、そして鋭い笑みが浮かんだ。
「ただし、伯爵。この帳簿を真っ白にするには、あんたがこれまで守ってきた『カレウス』という名前すら、削り落とすことになる。……その覚悟はあるか?」
伯爵はゆっくりと、だが確かな力で、ソラの目を射抜いた。
「……名前など、とうに腐り落ちている。……ただ、あの日の領民たちの……『温もり』だけは、返してやりたいのだ」
「……エリーゼ。計算を始めろ。……相手は『因果』を操る詐欺師だ。ならば、こっちは『虚偽』そのものを資産に変える、究極の粉飾(テクニック)で応えてやる」
ソラがペンを走らせると、手帳から青白い火花が飛び散った。
『第51次・緊急特殊監査。……これより、カレウス領の「価値」の暴落を開始する』。
救うために、壊す。
神の力を捨てた監査官による、世界を敵に回した「清算」が、ついに火蓋を切った。
案内された廊下には、かつて名画が掛けられていたであろう場所に、色褪せた壁紙の跡が無残に残されている。調度品は運び出され、今や広大な屋敷は、声を上げれば虚しく響く巨大な洞窟と化していた。
ハンスが重厚な書斎の扉を、音を立てぬよう慎重に開く。
そこには、窓をすべて厚いカーテンで閉ざし、消えかけた一本のろうそくの明かりの中で、書類の山に埋もれている男がいた。
「……伯爵。監査官殿を、お連れしました」
ハンスの震える声。書類の影から幽霊のような男が顔を上げた。カレウス伯爵。かつては王国の屋台骨を支える有力貴族だったその男の頬はこけ、瞳には「破産」という名の深い闇が澱んでいた。
「……来てくれたか。……いや、呼び寄せてしまったと言うべきか」
伯爵の声は、掠れた紙が擦れるような乾いた音だった。
ソラは無言で部屋に入り、机の上に広げられた書類の一つを指先でなぞった。
その瞬間、部屋のろうそくが、風もないのに不自然に揺らぎ、消えかかった。
――沈黙。
ソラは何も言わず、ただ数秒間、その書類を凝視した。伯爵は耐えかねたように目を逸らし、ミィナは部屋を支配する重苦しい圧力に、思わず自分の肩を抱いた。
「カレウス伯爵。……ずいぶんと派手に『溶かした』な」
ソラの低い声が、静寂を切り裂く。
「宮廷への献金、勇者への過剰な軍資金援助。……そして、この実体のない『幻影都市計画』への投資。これらはすべて、あんたの意志か?」
「……最初は、そうだった。アステリアを救うための、高潔な義務だと……信じていたのだ」
伯爵が震える手で、山積みの書類の中から一通の、どす黒い魔力を放つ書状を取り出した。
それを見た瞬間、ソラの単眼鏡(モノクル)が激しい火花を散らす。
『因果連動型・債務契約書』。
羊皮紙に踊る文字は、まるで生き物のように蠢き、時折、耳障りな笑い声のような幻聴を響かせる。特に署名欄に刻まれた文字は異様に新しく、触れれば指先が凍りつくような冷気を放っていた。
『――ソラ様、警告! この契約書、署名した者の「存在確率」を直接担保にしています。……返済が滞るたびに、住民の「生きる意志」が天引きされ、債権者へと譲渡される。……文字通りの、魂の証券化です』
脳内に響くエリーゼの声に、ソラの瞳が冷徹な怒りで細まる。
「ヴァレリウス……。あの野郎、ついに『人間の尊厳』を市場に流しやがったか」
ソラは契約書の裏面、肉眼では決して見えない空白の端に刻まれた、日蝕の紋章を見つけた。
その隣には、勇者アラスのサイン。だが、ソラはそのサインの筆跡に、一瞬だけ視線を止めた。
(……不自然だな。アラスの署名と、ヴァレリウスの刻印。この『責任の境界線』だけが、妙に曖昧に描かれている)
「伯爵。……あんたは勇者の名前に釣られて、自分の魂を切り売りしたんだな」
「……アラス様は言ったのだ。……『これは必要経費だ、君の犠牲は黄金の果実になる』と。……それを仲介したのが、あのヴァレリウスだった」
伯爵は、力なく机に突っ伏した。
三日後。
カレウス領には『大回収(グランド・コレクション)』の日が訪れる。
その日に月が欠ける時、契約は最終段階へと移行し、この土地に住むすべての人間は「無価値な負債」として世界から抹消され、その存在確率はヴァレリウスの懐へと収束する。
「……ソラ様、こんなの清算できるわけがないわ! 物理的なお金じゃない、人の命をどうやって返せっていうの!?」
ミィナの叫びに、ソラは答えなかった。
彼はただ、ボロボロの手帳を取り出し、真っさらなページにペンを突き立てた。
「……伯爵。あんたの誇りも、領民の未来も、もうとっくに赤字だ。放っておけば、あと三日で、この領地は地図から消える。……あんたも含めて、全員が『無』に帰す」
「……わかっている。……だからこそ、お前を呼んだのだ」
ソラは伯爵の濁った瞳を、じっと見つめた。
かつて、自分も同じ奈落にいた。信じていた者たちに未来を奪われ、ゴミとして捨てられたあの日。
「……いいだろう。清算してやる」
ソラの口元に、冷たく、そして鋭い笑みが浮かんだ。
「ただし、伯爵。この帳簿を真っ白にするには、あんたがこれまで守ってきた『カレウス』という名前すら、削り落とすことになる。……その覚悟はあるか?」
伯爵はゆっくりと、だが確かな力で、ソラの目を射抜いた。
「……名前など、とうに腐り落ちている。……ただ、あの日の領民たちの……『温もり』だけは、返してやりたいのだ」
「……エリーゼ。計算を始めろ。……相手は『因果』を操る詐欺師だ。ならば、こっちは『虚偽』そのものを資産に変える、究極の粉飾(テクニック)で応えてやる」
ソラがペンを走らせると、手帳から青白い火花が飛び散った。
『第51次・緊急特殊監査。……これより、カレウス領の「価値」の暴落を開始する』。
救うために、壊す。
神の力を捨てた監査官による、世界を敵に回した「清算」が、ついに火蓋を切った。
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