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第3章:因果債務・再起編
第50話 粉飾の記念碑
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領都カレウス。
かつてアステリア王国でも指折りの「穀倉地帯の心臓」と呼ばれたその街は、遠目には未だ、白く美しい城壁を誇らしげにそびえ立たせていた。
だが、街道を進むソラの鼻を突いたのは、芳醇な小麦の香りではない。
それは、鼻を刺すような埃と、手入れの行き届かない石材が放つ湿った拒絶の匂い。そして――かつてソラがアステリアの王都で、すべてを奪われ、捨てられたあの日にも嗅いだ、**「死にゆく国家」**特有の饐えた匂いだった。
「……また、この匂いか。帳簿が砕け散る直前の、嫌な匂いだ」
ソラは泥に汚れたブーツで、ひび割れた石畳を踏みしめた。
城門の前に並ぶのは、豪華な鎧を纏った門番たち。だが、単眼鏡(モノクル)の奥でソラが見たのは、騎士としての誇りではない。鎧の継ぎ目に打たれた鋲は安物に差し替えられ、剣の鞘は担保として差し押さえられたことを示す、不気味な赤い封蝋で縛られていた。
「止まれ、旅人! 入都には『都心維持特別税』として、銀貨三枚を支払え!」
門番が威圧的に槍を突き出す。だがその手は微かに震え、視線は街道の先にある「逃げ道」を無意識に探している。ソラの背後では、入都を諦めた行商人が「もう終わりだ、この街の紙幣はただのゴミだ」と吐き捨て、荷車を返していた。
『――ソラ様。この門番たち、既に三ヶ月の給与が未払いです。それどころか、市内の商店では領内手形(紙幣)の受け取りが拒否され、パン一つが金貨一袋で取引されているという異常なインフレが始まっています。……爆発まで、もう時間がありません』
エリーゼの声は、冷徹な秒読みのようだった。
「……あいつに、勇者アラスにすべてを注ぎ込んだ末路がこれか。……おい、門番。あんたが今やるべきなのは、俺から小銭を毟(むし)り取ることじゃない。自分の鎧が競売にかけられる前に、この書状を上へ通すことだ」
ソラは懐から伯爵の書状を突きつけた。門番は書状の重厚な紋章と、ソラの射抜くような眼光に気圧され、言葉を失った。
開かれた門の向こう側は、外見以上の地獄だった。
目抜き通りの貴族御用達の店は、一見すれば華やかだが、陳列棚はすべて「絵」や「ハリボテ」で埋め尽くされている。一方で、広場の中央には、不自然なほど新しく、周囲の荒廃から浮き立つように聳え立つ巨大な石碑があった。
『勇者アラス。我らが救世主の不滅の功績をここに記す』
金箔で彩られたその記念碑の足元で、民は泥水をすすり、虚ろな瞳で石碑を仰いでいた。
「……美しい石碑ね。中身が空っぽの街によく似合っているわ」
ミィナが、聖剣の柄を握る手に力を込めた。彼女の視線の先では、伯爵家の徴税役人が、泣き叫ぶ老婆から最後の一枚の「本物の金貨」を奪い取っていた。
「……ミィナ、あれは石碑じゃない。ただの**『負債の墓標』**だ」
ソラが単眼鏡の焦点を絞る。石碑の土台に刻まれた、微かな、だが決定的な違和感。
「エリーゼ、あの石碑の署名欄。彫られている名前の裏に、別の印(サイン)が隠されていないか?」
『……スキャン完了。……これは……! 表向きは伯爵の名ですが、隠された魔力刻印には別の名が……。「日蝕の商人、ヴァレリウス」。……ソラ様、これは単なる放漫経営ではありません。この領地は、最初から誰かに“食い潰される”ように仕組まれています』
その名を聞いた瞬間、ソラの奥歯が微かに鳴った。
ヴァレリウス。かつて王都の帳簿を汚し、ソラを奈落へ突き落とした黒幕の一人。
「……毒のある帳簿(ポイズン・レジャー)。……そうか、あいつがここに絡んでいるのか」
ソラは手帳を懐に収め、眼前にある、白亜の仮面を被った伯爵邸を見上げた。
壁のひび割れを隠すための厚い漆喰が、今にも剥がれ落ちようとしている。
屋敷の入り口で待っていたのは、白髪を几帳面すぎるほどに整えた、老執事ハンスだった。
「……お待ちしておりました、監査官殿。……私は当家の執事、ハンスと申します」
ハンスの瞳には、かつてのレオンと同じ深い諦念と、そして――逃れられない死刑台に上がる直前の覚悟が宿っていた。
「……ハンス。……あんたの主は、まだ生きているか?」
「……ええ。……ですが、この屋敷の『真実』を見れば、あるいは死んでいる方がマシだったと思うかもしれません。……どうぞ、奥へ。……地獄の帳簿が、貴方を待っております」
ハンスが重厚な扉を開くと、中からは焦げた紙と、隠蔽された嘘の匂いが、暴力的なまでの重圧を伴って溢れ出してきた。
ソラは無言で足を踏み入れた。
一人の監査官として。あるいは、かつてすべてを奪われた復讐者として。
白亜の破産。
粉飾という名の砦。
その最深部にある、毒された真実を暴くために。
かつてアステリア王国でも指折りの「穀倉地帯の心臓」と呼ばれたその街は、遠目には未だ、白く美しい城壁を誇らしげにそびえ立たせていた。
だが、街道を進むソラの鼻を突いたのは、芳醇な小麦の香りではない。
それは、鼻を刺すような埃と、手入れの行き届かない石材が放つ湿った拒絶の匂い。そして――かつてソラがアステリアの王都で、すべてを奪われ、捨てられたあの日にも嗅いだ、**「死にゆく国家」**特有の饐えた匂いだった。
「……また、この匂いか。帳簿が砕け散る直前の、嫌な匂いだ」
ソラは泥に汚れたブーツで、ひび割れた石畳を踏みしめた。
城門の前に並ぶのは、豪華な鎧を纏った門番たち。だが、単眼鏡(モノクル)の奥でソラが見たのは、騎士としての誇りではない。鎧の継ぎ目に打たれた鋲は安物に差し替えられ、剣の鞘は担保として差し押さえられたことを示す、不気味な赤い封蝋で縛られていた。
「止まれ、旅人! 入都には『都心維持特別税』として、銀貨三枚を支払え!」
門番が威圧的に槍を突き出す。だがその手は微かに震え、視線は街道の先にある「逃げ道」を無意識に探している。ソラの背後では、入都を諦めた行商人が「もう終わりだ、この街の紙幣はただのゴミだ」と吐き捨て、荷車を返していた。
『――ソラ様。この門番たち、既に三ヶ月の給与が未払いです。それどころか、市内の商店では領内手形(紙幣)の受け取りが拒否され、パン一つが金貨一袋で取引されているという異常なインフレが始まっています。……爆発まで、もう時間がありません』
エリーゼの声は、冷徹な秒読みのようだった。
「……あいつに、勇者アラスにすべてを注ぎ込んだ末路がこれか。……おい、門番。あんたが今やるべきなのは、俺から小銭を毟(むし)り取ることじゃない。自分の鎧が競売にかけられる前に、この書状を上へ通すことだ」
ソラは懐から伯爵の書状を突きつけた。門番は書状の重厚な紋章と、ソラの射抜くような眼光に気圧され、言葉を失った。
開かれた門の向こう側は、外見以上の地獄だった。
目抜き通りの貴族御用達の店は、一見すれば華やかだが、陳列棚はすべて「絵」や「ハリボテ」で埋め尽くされている。一方で、広場の中央には、不自然なほど新しく、周囲の荒廃から浮き立つように聳え立つ巨大な石碑があった。
『勇者アラス。我らが救世主の不滅の功績をここに記す』
金箔で彩られたその記念碑の足元で、民は泥水をすすり、虚ろな瞳で石碑を仰いでいた。
「……美しい石碑ね。中身が空っぽの街によく似合っているわ」
ミィナが、聖剣の柄を握る手に力を込めた。彼女の視線の先では、伯爵家の徴税役人が、泣き叫ぶ老婆から最後の一枚の「本物の金貨」を奪い取っていた。
「……ミィナ、あれは石碑じゃない。ただの**『負債の墓標』**だ」
ソラが単眼鏡の焦点を絞る。石碑の土台に刻まれた、微かな、だが決定的な違和感。
「エリーゼ、あの石碑の署名欄。彫られている名前の裏に、別の印(サイン)が隠されていないか?」
『……スキャン完了。……これは……! 表向きは伯爵の名ですが、隠された魔力刻印には別の名が……。「日蝕の商人、ヴァレリウス」。……ソラ様、これは単なる放漫経営ではありません。この領地は、最初から誰かに“食い潰される”ように仕組まれています』
その名を聞いた瞬間、ソラの奥歯が微かに鳴った。
ヴァレリウス。かつて王都の帳簿を汚し、ソラを奈落へ突き落とした黒幕の一人。
「……毒のある帳簿(ポイズン・レジャー)。……そうか、あいつがここに絡んでいるのか」
ソラは手帳を懐に収め、眼前にある、白亜の仮面を被った伯爵邸を見上げた。
壁のひび割れを隠すための厚い漆喰が、今にも剥がれ落ちようとしている。
屋敷の入り口で待っていたのは、白髪を几帳面すぎるほどに整えた、老執事ハンスだった。
「……お待ちしておりました、監査官殿。……私は当家の執事、ハンスと申します」
ハンスの瞳には、かつてのレオンと同じ深い諦念と、そして――逃れられない死刑台に上がる直前の覚悟が宿っていた。
「……ハンス。……あんたの主は、まだ生きているか?」
「……ええ。……ですが、この屋敷の『真実』を見れば、あるいは死んでいる方がマシだったと思うかもしれません。……どうぞ、奥へ。……地獄の帳簿が、貴方を待っております」
ハンスが重厚な扉を開くと、中からは焦げた紙と、隠蔽された嘘の匂いが、暴力的なまでの重圧を伴って溢れ出してきた。
ソラは無言で足を踏み入れた。
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