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第3章:因果債務・再起編
第49話 領主の招聘
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村の入り口では、一人の若者がレオンに言われる前に、防衛柵の杭の角度を自ら修正していた。
「……よし。これなら、北からの突風にも耐えられるはずだ」
若者が誇らしげに杭を叩く。かつては絶望で座り込んでいた彼らが、いまや自発的に「自分たちの資産」を守ろうとしている。その光景を、レオンは怒鳴ることもなく、ただ一言「……次は基礎だ」と短く頷くだけで返した。指導者と労働者の間に、言葉を越えた信頼という名の「見えない資本」が積み上がりつつあった。
ソラは、村の広場に置かれた粗末な机で、ボロボロの帳簿を睨んでいた。
「……よし。香草の予約金によるキャッシュインで、ようやく『現金の枯渇(ショート)』は免れたな」
「満足そうですね、ソラ様。かつては銀河の予算を握っていたお方が、今は麦の買い付け資金が残っただけで、そんなに口角を上げて」
ミィナが、磨き上げられた聖剣を鞘に納めながら隣に座った。
「満足などしていない。これは『安定』ではなく、単なる『延命』だ。……だが、不渡りの恐怖に怯えずに眠れる夜がこれほど貴重だとはな。神の座では、支払期限に追われる焦燥感など、データ上のノイズでしかなかったからな」
ソラが皮肉めいた、けれど確かな充足感の混じった笑みを浮かべた、その時だった。
完成しつつある柵の向こうから、激しい蹄の音が近づいてきた。
現れたのは、格式高いカレウス伯爵家の家紋を纏った伝令官。彼はレオンの鋭い制止を浴びると、ひどく顔を強張らせ、一通の書状を掲げた。
「……『監査官ソラ』殿とお見受けする! カレウス伯爵様よりの招聘に参った!」
ソラは無言で立ち上がり、書状を受け取った。羊皮紙の質は良いが、封蝋の金が一部剥げ、隠し切れない「困窮」が指先に伝わってくる。単眼鏡(モノクル)を覗くと、その裏側に潜む「悲鳴」が、ソラの網膜を焼いた。
『――ソラ様。この家計、地獄そのものです。勇者軍への過剰な軍資金供出、さらに宮廷内での体面を保つための無理な借入……。ええ、典型的な「虚飾による破綻」ですね。香草の利権を担保に、新たな融資を引き出そうという魂胆も見えます』
脳内のエリーゼの声が、冷徹な現実を暴き出す。
「……招聘、か。歓迎の宴の招待状じゃないな。……破綻を隠し通せなくなった銀行が、最後の帳尻合わせを外部監査に押し付けようとしている。そんな、嫌な匂いがする」
「ソラ様、行くんですか? せっかくこの村の資金繰りが改善してきたのに」
ミィナの問いに、ソラは即答しなかった。彼は無言でペンを取り出し、手帳の端にいくつかの数値を書き込んだ。
村の残存食糧:60日分。
レオンによる防衛維持率:92%。
外部勢力による侵攻確率:低。
一方で、領主カレウス伯爵が完全にデフォルト(債務不履行)に陥った場合――。
「……領主が倒れれば、この村の土地所有権は競売にかけられる。そうなれば、レオンが築いた柵も、俺たちが育てた香草の利権も、すべては紙屑として他国に買い叩かれるだろう。……リスクの天秤は、もう傾いている」
ソラは伝令官に向き直り、静かに頷いた。
「いいだろう。……その招聘、引き受けよう。案内しろ」
ソラはレオンを呼び寄せた。
騎士は汗を拭い、ソラの決意を察したように、その分厚い掌をソラの肩に置いた。
「レオン。……留守の間、この村を頼む。お前はこの村の『最後の防衛線』だ」
「……ああ。お前こそ気をつけろ。貴族の帳簿は、魔物の住処よりタチが悪い」
レオンは一瞬、かつての勇者アラスの背中を追っていた頃の、苦い後悔を瞳に宿して続けた。
「……俺も、貴族という名の『見栄』に人生を狂わされた一人だ。……連中は、自分たちが無価値であることを認めるくらいなら、平気で領民を薪(まき)にして燃やす。……ソラ、お前の眼で、その帳簿を真っ二つに割ってこい」
二人の間に、言葉にならない信頼が通い合う。
荷造りは数分で終わった。ソラとミィナは、かつての神の力もなく、ただ二人の足を支える頑丈なブーツを履いて、村の入り口に立った。
「行ってきます、みんな。……ミィナ、準備はいいか?」
「ええ。……どんなにひどい帳簿でも、私たちが真っ白に清算してあげましょう!」
見送る村人たちの声を背に、二人は街道へと踏み出した。
遠くに見える領都カレウスの城壁。
単眼鏡の端で、書状に込められた赤い魔力が、再び不吉に明滅を繰り返している。
「……ソラ様。……嫌な匂いがしますね。焦げた紙と、隠蔽された嘘の匂いが」
エリーゼが囁く。
ソラは答えず、ただ泥に汚れた手帳を強く握りしめた。
記述者としての全能を捨てた監査官が、初めて対峙する巨大な「負の遺産」。
その清算が、今、始まろうとしていた。
「……よし。これなら、北からの突風にも耐えられるはずだ」
若者が誇らしげに杭を叩く。かつては絶望で座り込んでいた彼らが、いまや自発的に「自分たちの資産」を守ろうとしている。その光景を、レオンは怒鳴ることもなく、ただ一言「……次は基礎だ」と短く頷くだけで返した。指導者と労働者の間に、言葉を越えた信頼という名の「見えない資本」が積み上がりつつあった。
ソラは、村の広場に置かれた粗末な机で、ボロボロの帳簿を睨んでいた。
「……よし。香草の予約金によるキャッシュインで、ようやく『現金の枯渇(ショート)』は免れたな」
「満足そうですね、ソラ様。かつては銀河の予算を握っていたお方が、今は麦の買い付け資金が残っただけで、そんなに口角を上げて」
ミィナが、磨き上げられた聖剣を鞘に納めながら隣に座った。
「満足などしていない。これは『安定』ではなく、単なる『延命』だ。……だが、不渡りの恐怖に怯えずに眠れる夜がこれほど貴重だとはな。神の座では、支払期限に追われる焦燥感など、データ上のノイズでしかなかったからな」
ソラが皮肉めいた、けれど確かな充足感の混じった笑みを浮かべた、その時だった。
完成しつつある柵の向こうから、激しい蹄の音が近づいてきた。
現れたのは、格式高いカレウス伯爵家の家紋を纏った伝令官。彼はレオンの鋭い制止を浴びると、ひどく顔を強張らせ、一通の書状を掲げた。
「……『監査官ソラ』殿とお見受けする! カレウス伯爵様よりの招聘に参った!」
ソラは無言で立ち上がり、書状を受け取った。羊皮紙の質は良いが、封蝋の金が一部剥げ、隠し切れない「困窮」が指先に伝わってくる。単眼鏡(モノクル)を覗くと、その裏側に潜む「悲鳴」が、ソラの網膜を焼いた。
『――ソラ様。この家計、地獄そのものです。勇者軍への過剰な軍資金供出、さらに宮廷内での体面を保つための無理な借入……。ええ、典型的な「虚飾による破綻」ですね。香草の利権を担保に、新たな融資を引き出そうという魂胆も見えます』
脳内のエリーゼの声が、冷徹な現実を暴き出す。
「……招聘、か。歓迎の宴の招待状じゃないな。……破綻を隠し通せなくなった銀行が、最後の帳尻合わせを外部監査に押し付けようとしている。そんな、嫌な匂いがする」
「ソラ様、行くんですか? せっかくこの村の資金繰りが改善してきたのに」
ミィナの問いに、ソラは即答しなかった。彼は無言でペンを取り出し、手帳の端にいくつかの数値を書き込んだ。
村の残存食糧:60日分。
レオンによる防衛維持率:92%。
外部勢力による侵攻確率:低。
一方で、領主カレウス伯爵が完全にデフォルト(債務不履行)に陥った場合――。
「……領主が倒れれば、この村の土地所有権は競売にかけられる。そうなれば、レオンが築いた柵も、俺たちが育てた香草の利権も、すべては紙屑として他国に買い叩かれるだろう。……リスクの天秤は、もう傾いている」
ソラは伝令官に向き直り、静かに頷いた。
「いいだろう。……その招聘、引き受けよう。案内しろ」
ソラはレオンを呼び寄せた。
騎士は汗を拭い、ソラの決意を察したように、その分厚い掌をソラの肩に置いた。
「レオン。……留守の間、この村を頼む。お前はこの村の『最後の防衛線』だ」
「……ああ。お前こそ気をつけろ。貴族の帳簿は、魔物の住処よりタチが悪い」
レオンは一瞬、かつての勇者アラスの背中を追っていた頃の、苦い後悔を瞳に宿して続けた。
「……俺も、貴族という名の『見栄』に人生を狂わされた一人だ。……連中は、自分たちが無価値であることを認めるくらいなら、平気で領民を薪(まき)にして燃やす。……ソラ、お前の眼で、その帳簿を真っ二つに割ってこい」
二人の間に、言葉にならない信頼が通い合う。
荷造りは数分で終わった。ソラとミィナは、かつての神の力もなく、ただ二人の足を支える頑丈なブーツを履いて、村の入り口に立った。
「行ってきます、みんな。……ミィナ、準備はいいか?」
「ええ。……どんなにひどい帳簿でも、私たちが真っ白に清算してあげましょう!」
見送る村人たちの声を背に、二人は街道へと踏み出した。
遠くに見える領都カレウスの城壁。
単眼鏡の端で、書状に込められた赤い魔力が、再び不吉に明滅を繰り返している。
「……ソラ様。……嫌な匂いがしますね。焦げた紙と、隠蔽された嘘の匂いが」
エリーゼが囁く。
ソラは答えず、ただ泥に汚れた手帳を強く握りしめた。
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