レベル1のフリはやめた。貸した力を全回収

ソラ

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第3章:因果債務・再起編

第48話 交易の扉

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大金貨商会を追い払った噂は、街道を伝う風よりも早く近隣の町へと広がった。
かつての「死の村」は、いまや「凄腕の監査官と鉄の騎士が立て籠もる不落の要塞」として、怪しげな連中から警戒される場所になっていた。

「――楯を引くな! 重心は常に前だ。お前たちが一歩下がれば、背後の家族が死ぬと思え!」

レオンの怒声が、朝の冷たい空気の中を響き渡る。若者たちは重い木楯を構え、額に汗を浮かべながら泥を蹴る。昨日の勝利は彼らに、単なる安堵以上のもの……「自分の居場所は自分で守れる」という強烈な自負を植え付けていた。

「……あいつ、本当に休まないな」

ソラは村の広場で干していた薬草の束をひっくり返しながら、筋肉痛の残る腰を叩いた。神の権能を失った代償は、日々の労働による重い身体の痛みとなってソラに刻まれている。

「ソラ様、見てください。井戸の近くに生えていたこの雑草、ミィナさんが『いい匂いがする』って言っていたんですけど……」

村の少女が、小さな籠いっぱいに紫色の地味な草を摘んできた。ソラは何気なく単眼鏡(モノクル)を覗き、そのレンズを何度か拭い直した。

「エリーゼ、解析しろ。ただの雑草にしては、魔力波形の残響が深すぎる」

『……解析中。個体名:灰被り香草(アッシュ・ハーブ)。かつてアラスが倉庫を焼き払った際、蓄えられていた高級香料と土地の魔力が混ざり合い、この三年の沈黙の中で変異したものです。……ただし、現状の品質にはバラつきがあります。乾燥の工程次第では、ただの燃えカスになりますね』

「……不毛の地だと思っていたが、とんでもない『埋没資産』が眠っていたわけか」

ソラがニヤリと笑った、その時。
街道から、一台の古びた、けれど手入れの行き届いた馬車が静かに現れた。

「……これはこれは。噂の『監査官殿』に、まずはお目にかかれるとは光栄ですな」

馬車から降りてきたのは、使い込まれた茶色の外套を羽織った、白髭の柔和な老商人だった。ガルドのようなギラついた宝飾品はないが、その瞳には長年の商売で培われた「誠実な知性」が宿っている。

「名乗るほどの手合わせはないが。……あんたは、略奪に来た商会の一味じゃなさそうだな」

「私はバルナビー。あちこちの村を回る、しがない行商人ですよ。ガルド支部長が青い顔をして逃げ帰ったと聞きましてね。……どんな恐ろしい魔王が支配しているのかと思えば、なかなかどうして、活気に満ちたいい村だ」

バルナビーは、少女が摘んできた香草の籠に視線を釘付けにした。彼は籠を手に取り、その香りを深く吸い込むと、震える声で言った。

「これほどの香り……。監査官殿、これを一籠につき、金貨2枚でどうでしょう!」

村人たちがどよめいた。金貨2枚。冬を越すための食糧と、全員分の新しい長靴が買える大金だ。
ソラの指先が、わずかにピクリと動いた。今この瞬間に金貨を握れば、少なくとも明日の空腹からは解放される。冬の足音が聞こえるこの時期、それはあまりに魅力的な提案だった。

だが、ソラは一度目を閉じ、冷徹な監査官の意識を呼び戻した。

「……却下だ。バルナビーさん、あんたはいい商人だが、今の見積もりには『長期的なリスクヘッジ』が含まれていない」

「……と言いますと?」

「これを今すぐ全量売れば、確かに今日の腹は膨れる。だが、それはただの切り売りだ。……俺が提案するのは、『共同事業』だ」

ソラは手帳を取り出し、真っさらなページにペンを走らせる。

「この草を、あんたの販路で『灰から蘇った奇跡の香草』として王都に流せ。売上の3割を村の再建資金として還元し、代わりに俺たちは、この香草の独占供給権をあんたに預ける」

「3割……。それは少々欲張りすぎですな、監査官殿」

バルナビーの目が、鋭い商人のそれへと変わった。

「街道には盗賊が出る。天候が崩れれば香りは飛び、不作になれば私の損害は計り知れない。輸送リスクを考えれば、2割が限界ですな」

「ならば、輸送中の護衛をレオンたち騎士が担当しよう。品質管理も俺が監査する。不作時の損失は次期供給の優先権で補填する……これでどうだ?」

バルナビーはしばし沈黙し、ソラの手帳に刻まれた緻密な契約条項を読み込んだ。やがて、彼は愉快そうに大笑いした。

「……ははは! まさか、このド田舎で『保険条項』付きの交渉を吹っかけられるとは! あんたは監査官どころか、恐るべき投資家だ!」

老商人はソラが差し出した手を、力強く握り返した。
 
「いいでしょう。その契約、謹んで引き受けましょう。ただし、品質に妥協があれば即座に解約ですよ」

夕暮れ時。バルナビーの馬車には、丁寧に梱包された香草の袋が積み込まれた。代わりに、村の倉庫には、当面の食糧と新しい農具が運び込まれる。

それは神の奇跡による施しではない。自分たちの土地から見出した価値を、正当な契約で守り抜いた結果だった。

「これ、私たちが摘んだ草なんだよね……?」

村の子供たちが、運ばれてきた麦の袋を不思議そうに、けれど誇らしげに撫でている。
レオンは完成した柵の強度を確かめながら、ソラの方を向いて小さく、満足げに頷いた。

「……ソラ様。これでようやく、帳簿に『未来』が書き込めますね」

ミィナが手帳を覗き込み、晴れやかな顔で笑った。
ソラはペンを懐に収め、変わりゆく世界の匂いを楽しんだ。

『資産:特産品(灰被り香草)。収益:長期交易契約(初期納入分、計上完了)』

数字に熱が宿り、人々の顔に血色が戻る。
神様のような全能感はなくても、この泥臭い「商売」の手応えが、今のソラには何よりも心強かった。
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