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第一章 エトランゼ

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 ヴェスターの姿が消える。

 そう見えたのは、姿勢を低くしての飛び込みに、カナタの目が追いつかなかったからだ。

 一瞬にしてエレオノーラの目の前までやってくると、振り上げた剣を真一文字に振り下ろす。

 甲高い剣撃の音が闇の中に響き、火花が散る。

 間一髪で飛び込んだトウヤが、その斬撃を横にした剣で受け止めていた。


「いきなりこっちを狙うなんて……!」

「嬢ちゃんも坊やも呆けてるからよ。だけどよかったぜ、手を出したってことはお前さんもやる気ってことでいいんだよな!?」


 力任せにヴェスターが剣を振るうと、それに抗えずトウヤは振り回されて姿勢を崩す。

 無防備になった腹に蹴りがめり込み、トウヤの身体は吹き飛んで草むらの中を転がっていく。


「このぉ!」


 背後からのカナタの奇襲にも、ヴェスターはなんなく対応する。

 振り向きざまに縦に構えた剣でカナタの斬撃を防ぐと、トウヤと同じようにそれを巻き込んで振り回した。


「うわわっ!」

「こっちに来たばっかか、嬢ちゃん? 戦い方が全くなってねえぞ!」


 そのまま腕を取られ、カナタの身体が無造作に放り投げられる。

 空中で一回転してから、背中から落ちて、カナタは咳き込みながらも気合いで立ち上がる。

 トウヤも同じように立ち上がっており、お互いに目配せをしてから同時に地面を蹴って、ヴェスターに迫る。


「いいぜ! 二人係で来いよ、相手してやるからよ!」


 剣を構えてヴェスターが立ちはだかる。

 至近距離まで詰めながらも、カナタは一度立ち止まり、手の中に極光を集めてそれを拳ほどの大きさで固める。


「あん?」


 放り投げられたカナタのギフトによる極光は、頼りない機動を描きながらもヴェスターに吸い込まれていった。


「飛び道具かよ!?」


 流石に得体の知れないものに触れるのを嫌がったのか、剣で打ち払う。

 その隙にもう一つ投擲するが、それも難なく避けられてしまった。


「それが嬢ちゃんのギフトか!? 面白そうな力だが、いったい何なんだ?」

「よそ見してんな! 俺もいるんだぞ!」


 接近したトウヤの刃がヴェスターを襲う。

 一撃目こそ軽くいなされたものの、そのまま勢いに任せて何度も攻撃を叩き込んでいった。

 その剣捌きは素人のものとは程遠く、それこそがトウヤの持つギフトの力だった。


「へぇ、やるじゃねえか! で、お前さんのギフトは何だよ!?」

「今見せてやるよ!」


 トウヤの剣が焦熱し、鍔競り合ったままヴェスターの魔剣を焼き切ろうとする。


「……ああ、成程な。いいじゃねえか! だが、生憎と俺の剣は丈夫なんでな!」


 剣が弾かれ、トウヤは片手で炎を放ちながら前進していく。

 攻撃をしているのはトウヤなのに、次第にその太刀筋には焦りが生まれていった。

 何度叩きこもうと、ヴェスターは崩れない。上に下に、左右に攻撃を散らしても、まるで見えているかのようにそれらを容易く捌いてくる。

 そればかりか炎を用いての遠距離攻撃すらも容易く弾いて見せるのだ、この男は。

 そして決着を焦ったトウヤが大振りな動きをした瞬間、ヴェスターは反撃に出た。


「まだまだお子様だな」


 掌底がトウヤの肩を打ち抜き、態勢を崩させる。

 続く斬撃をどうにか剣で防ごうとするが、その勢いを殺しきることはできず、トウヤの剣が宙を舞って地面に転がった。


「ギフトを過信するんじゃねえぞ。ちょっとばかし人より上手くできても、上には上がいるんだからよ」

「トウヤ君!」

「ハッ! 見え見えだ!」


 回転するように薙ぎ払われた剣が、トウヤとカナタの両方を切り裂く。カナタの介入により致命傷こそ避けられたものの、傷つけられた個所が焼けるような痛みを放ち、二人は立っていることもできなくなってその場に蹲った。


「なん……で…。これっぽっちの……傷なのに……!」


 カナタは腕、トウヤは首筋を抑えて、そこから発する熱と痛みに耐えきれず、立ち上がることすらままならない。

 これで一段落と、ヴェスターは剣を肩に担ぎなおし、それから二人とエレオノーラを眺める。


「言ったろ、魔剣だってな。本来ならこいつは持ち主に力を与える代わりに、相手から受ける傷の痛みが何倍にも増幅されるっていう欠点を持ってる。それが克服されて、むしろ俺の助けになるのが《魔剣使い》のギフトってわけだ」

 勝利を確信しきった顔で、ヴェスターはそう説明する。


「それだけじゃなく、傷は段々と深くなり最終的には呪いになる。さっさと傷口を抉るか切り取るかしねえと大変なことになるぜ」

「も、もうよい!」


 エレオノーラの悲痛な叫びが、戦場に響いた。


「妾の負けだ! 妾の首ならば持って行け! だから、その者達を助けてやってくれ!」

「……いい覚悟だって言ってやりたいが。ちょっと遅かったな。残念だが俺が治す方法を知ってるわけじゃねえ」

「……そんな……!」

「だいたいムシが良すぎんだろ。だったら最初っから降参しとけって話だよ。てめえが判断を誤った分だけ、余計な犠牲が増えるだけなんだぜ?」


 言いながら、ヴェスターはエレオノーラを捕まえるために一歩踏み出す。


「……駄、目……」


 余りにもか細く、それでもはっきりと耳に届いたその声を聞いて、ヴェスターは立ち止る。

 背後を振り返れば、痛みに全力で耐えながら、震える足で立ち上がる少女がいた。


「駄目、だよ……。姫様は、こんなところで諦めちゃ駄目」

「……なんでそう思う?」


 先程まで戦っていた男とは思えないほど穏やかな声色で、ヴェスターが問いかける。

 じくじくと痛みを上げる傷口を手で押さえながら、カナタはその目で自分よりも遥かに大きく強い男を睨みつける。


「理由なんかない。何も判らないまま、他の誰かの都合で殺されちゃうなんて……そんなの許されていいわけないよ! ボクは、そんなの絶対に嫌だから、認めない!」

「――ああ、そうかい」


 息を吐いて、ヴェスターは剣を構える。

 その目は穏やかで、ここで立ち上がったカナタのことを称賛すらしているようだった。


「お前みたいな奴、嫌いじゃないがね。でも残念だったな。世の中ってのはお前さんが思ってるより残酷だ」


 ヴェスターは前進し、カナタを自らの間合いの中に入れる。


「よせ!」


 エレオノーラの叫びも空しく木霊する。

 ヴェスターは確かに、目の前の少女に感心していた。だからこそ、介錯を務めようと判断した。

 きっとこいつは、この世界を生きていくには優しすぎる。

 その心が曇る前に、自らの手で終わらせてやるのがせめてもの情けだった。


 ヴェスターのせめてもの慈悲をもって、無慈悲に振り上げられた魔剣。

 それが振り下ろされる寸前に突如飛来した何かを、ヴェスターは驚異的な反応速度で叩き落とす。

 飛んできたのは瓶だった。

 ヴェスターに叩き割られたそれは、中に入っていた液体を存分にその身体にぶちまける。


「ぶわぁ! なんだこりゃ!?」

「可燃性の強い油だ。火達磨になりたくなければさっさとここから消えろ、ヴェスター」


 闇の中に、何かが光る。

 それは長身のバレルの銃だった。この世界ではまだ僅かにしか流通しておらず、彼が持っているようなある種完成された形の物は、滅多に見ることができない。

そして、その真っ直ぐに伸びた砲身はヴェスターを捉えている。

 その武器を構える人物に、カナタは覚えがあった。


「ヨハンさん!」「てめえ、ヨハン!」


 二人が叫んだのは同時だった。それから間抜けなことに、お互いに顔を見合わせる。


「久しぶりだな、ヴェスター」

「ちっ。引きこもってるって噂は聞いてたが、なんでこんなところにいやがる?」

「積もる話もあるだろうが、今はそんな事態ではない。状況を見れば判ると思うが、俺はお前の敵側だ」


 正直な話、ヴェスターの腕を持ってすれば、ヨハンの持っている武器から放たれる弾丸を避けて彼に攻撃することも、不可能ではない。

 それができたとしても、今ここで彼と相対することは躊躇われる。それだけ、面倒な相手としてヴェスターの中でヨハンは認識されていた。


「仕方ねえ」

 剣を鞘にしまって、戦意がないことをアピールすると、ヨハンもそれに呼応して武器を下ろした。


「ったく。お気に入りを汚しやがって。クリーニング代請求するぞ」

「俺の弟子を痛めつけてくれた慰謝料で相殺してやる。さっさと消えろ」

「へいへい。おう、チビッ子」


 カナタは返事する余裕もない。痛みで朦朧としてきた意識を繋ぎ止めて、何とかヴェスターを見上げていた。


「なかなか度胸あるじゃねえか。気に入ったぜ。もうちょっと強くなったらまた相手してやるよ」


 ぽんと、子供にするように頭に掌を乗せてから、ヴェスターは闇の中へと消えていく。


「な、何者だ……?」


 エレオノーラの声には答えず、ヨハンはカナタとトウヤの元に向かい、魔剣の呪いを掛けられた傷口に布を被せ、その個所を包帯で巻いていった。


「怪我の治療が終わったらこの場を離れる。逃げる先は……」


 視線がエレオノーラを見る。

 厄介なことになったものだと、内心で語っていた。


「……妾のことはどうでもいい。この者達には多大な迷惑を掛けた身だ。ここに放っておきたくば……」

「事情は察しかねますが、そんなことをすれば進んで『迷惑』を被ったこいつらの意志が無駄になる」


 懐から取り出した瓶の中身を、カナタとトウヤにそれぞれ無遠慮に振りまける。


「うわっ」「わぷっ。もうちょっと優しくしてよ!」

「命があっただけマシと思え。取り敢えずは俺の家に避難する。今ので痛みが消えたはずだが、どうだ?」


 二人は同時に頷いた。


「後は激しく動かなければ、明日には傷口も塞がっている。一応、化膿を防ぐために家に戻ったら消毒ぐらいはしておいた方がいいがな」


 簡潔にそれだけを告げると、ヨハンは踵を返す。


「帰るぞ。色々と、面倒なことが起こりそうだ」
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