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第一章 エトランゼ

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「モーリッツ様。ご報告があります」


 エレオノーラ達と交戦を経て、ソーズウェルの屋敷に戻ったモーリッツはそれから数日間を政務に追われ続けていた。

 指導者が変わったことで生まれる様々な問題を解決するのは、二日三日で事足りることはない。

 書類に埋もれて仕事をするモーリッツの頼れる相棒は、日に三回から五回に回数を増やしたおやつの時間だけであった。


「なんだ? 厄介事なら私は聞かぬぞ」

「いいえ。残念ながら。厄介事を聞くのがモーリッツ様の仕事ですので」

「ふむ、そうだったか?」


 などと惚けて見せても何の解決にもなりはしない。一度テーブルの前に山積みになった書類を退けることにより、ようやく小憎らしい副官の顔が見えた。

「税を払えなくなったことによるエトランゼの難民化。そして彼等が街を出ていったことで労働力が減り、各所で混乱が起きている。特に魔導装置を整備する職人などは、彼等でなければ替えが効かん。


 お前が持って来た案件はこれよりも厄介なことか?」


 魔法を動力源にして動く魔導装置。ソーズウェルを初めとする、ある一定以上の規模を持つ都市はそれらによって生活の基盤を支えている。

 街に明かりを灯すことや、家庭の火もそれにあやかっているので、それらが動かなければ不便この上ない。

 不思議なことにエトランゼという者達は、ギフトのあるなしに関わらずそれらの扱いに対して優れている者が多い。勿論、それ自体がエトランゼが開発したものだから当然といえば当然なのだが。


「はい。それよりも厄介なことです」


 手元にある果実を絞ったジュースをごくりと飲み干して、モーリッツは淡々とした副官の言葉を聞き続ける。


「カーステン卿の独断専行です。手勢を連れて橋の向こうへと向かったそうです」

「……なんだそんなことか。こう言ってしまってはなんだが、カーステン卿の力では彼等を捕縛することはできまい。特にあれだ、あれは厄介だぞ」


 先日の最後に出会った、ローブ姿の男を思い出す。

 彼が持っていた武器は銃と呼ばれるものだ。火薬を使って鉛の弾を打ち出す代物だが、非常に強力な武器である代わりに未だ数が出回っていない。

「それに調べたが、魔法道具屋の主人というではないか。面倒な道具を幾つも所持しているだろうな」


 傍にいる炎のギフトを持った少年もそれなりの手練れに見えた。何にせよ、カーステン一人で事を成せるほど簡単な事態ではない。

 だからこそ、モーリッツも無茶な追撃をやめてこうして自分の領地に戻ってきたのだ。面倒くさかっただけとも言えるが。


「いえ、それが。カーステン卿は教会に要請して、聖別騎士を派遣したそうです」

「……なんだと?」

「この事態に派遣される数は決して多くはないでしょうが、それでも彼が過剰な戦力を手にしたことは間違いないでしょう」

「そこまでの事態か、これは」

「恐らくですが、カーステン卿は姫様がエトランゼを扇動し、この国を脅かそうとせんと報告したのでしょうね」


 教会が誇る最強の騎士達の力は、先日モーリッツが繰り出した魔装兵をも上回る。それらが民や、戦う力のないエトランゼに対して振るわれたらどうなるかは想像に難くない。


「もともとカーステン卿は法王ともつながりが強かったようですね。思えば彼が持っていたあの聖別武器も、法王より預かったものなのでしょう」

「……成程、確かにこれは一歩間違えれば厄介なことになるかも知れん」


 中のジュースを飲みほし、空になったグラスを苛立たしげにテーブルに叩きつける。

 どうしてこうも彼等は面倒を引き起こしたがるのか。エトランゼに対して過剰に怯えることが弾圧に繋がり、そしてそれは間違いなく王国の寿命を縮めるであろう。


「まったく。厄介なことだ。余りにも度が過ぎれば、私とて方法を改めねばならんぞ」


 暗いその声を聞きながらも、モーリッツと使いの長い副官は淡々とグラスを片付けて、お代わりを持ってくるべく部屋を後にした。



 ▽



 目の前の光景が信じられずに、呆然とエレオノーラは立ち尽くしていた。

 田畑は広がっているが、そこには何もなかった。

この季節ならば一日では収穫しきれないほどの量の作物がなっていてもおかしくないだろうに、それらは無理矢理に踏み荒らされた跡と、もがれた跡が残るのみ。

フィノイ河の支流に作られたその村は、一目に見て充分な量の収穫が見込めるだけの規模の農場を持っていた。

 しかし、そこで働く人々の目に光はない。誰もが顔を伏せ、外部からの来客であるエレオノーラに対して一言も掛けようとしない。

子供に至っては怯えたような視線を向けるような有り様だ。

 それは村の中心部に行っても変わらなかった。転々と立ち並ぶ、一階建ての小さな家からは嫌な視線だけが突き刺さってくる。

 その中の一つ、比較的大きめの家屋の扉が開き、そこからヨハンが出てきたのを見てエレオノーラも無意識に安堵していた。


「ヨハン殿、どうか?」

「……一応は、何とか。ですがこれが限界だそうです」


 手に持った革袋に野菜と干し肉が詰め込まれているが、二人で消費すれば二日も持たないような量だった。


「そなた、資金はそれなりにあると言っていなかったか?」

「まさか、この事態でケチったりはしませんよ。どれだけ金を積まれてもこれが限界、だそうです。それ以上は村の人が食べる分がなくなるからと」

「……そんな馬鹿な」


 それもあの畑の様子を見せられれば無理もない。やはり、何らかの事情があって早めに収穫し、何処かに保存してあるというわけでもなさそうだ。


「……何故、この時期に何もないのだ? 真冬ならばまだしも、何らかの作物を育てているのが普通ではないのか?」

「税の取り立て、だそうです」

「税だと? 確かに農村は作物によって収めることも許されているが、いったいどれだけを持って行かれるのだ」

「収穫の半分、だそうです」

「……ヨハン殿。そなた、妾をからかっているわけでなないだろうな? 半分も食料を持って行かれてどうやって生活するのだ?」

「……ふぅ」


 と、ヨハンはここで息を吐く。

 それが若干の苛立ちを含んでいることに気付いて、エレオノーラは次の言葉を飲み込んだ。


「ヨ、ヨハン殿? いや、すまぬ。別にそなたが妾をからかっているとかそういうのは本気ではないのだが……」

「いえ。状況の説明するにもここでは都合が悪い。まずは今日の寝床を決めないと」

「ふむ。拠点か。カナタ達はどうしているのだろうな?」

『あー、あー、ヨハンさん。聞こえる?』


 そこにタイミングよく、カナタからの声が聞こえてきた。彼女に渡したイヤリング型の通信機器は、ヨハンの頭の中に直接念話を可能としている。


『そっちはどうだ?』

『……あんまりよくない。畑は元気なんだけど、税とエトランゼに殆ど持って行かれちゃうんだって』

『エトランゼに?』

『うん。西の方の森に住み付いた一団で、抵抗しない限りは乱暴はしないんだけど……。ギフトを武器に食料を要求されるらしくて』


 またも溜息をつきたくなるのを、ヨハンはどうにか堪えた。

 念話が聞こえないエレオノーラはそんな彼の様子を見て、不思議そうに首を傾げている。


「どうしたのだ、ヨハン殿?」

『判った。他に何か判ったことはあるか?』

『あー、えーっと。……トウヤ君、なんかあったっけ?』


 向こうは向こうで、トウヤの呆れた表情が目に浮かぶ。


『そうそう。イシュトナル要塞……だっけ? そこの偉い人が変わってからこうなったらしいよ』

「なあヨハン殿。妾にもなにが起こっているか教えてくれ。一人で考えても埒が明かぬこともあるだろう」

「いえ。今は考える段階ではなく、情報を纏めているだけです。平たく言えば黙っていてください」

「……むぅ」

『で、偉い人が変わったというのは?』

『えーっと。なんとかって人が管理してたんだけど、王国ともめたとか何とかで、違う人が派遣されてきたんだって。それから、色々変わっちゃったって言ってたよ』

「エレオノーラ様。イシュトナル要塞にいた貴族の名前、覚えていますか?」


 ようやく話しかけてもらって、沈んでいたエレオノーラの表情がぱっと明るくなる。


「うむ。ディッカーだな。ディッカー・ヘンライン卿だ。真面目な男であったと記憶しているぞ」

『で、そのなんとかって人は西の方にある屋敷に帰っちゃったんだって』

『なるほど。判った』

『で、食べ物は殆ど貰えなかったんだけど……。どうしよう? それにここの人達も可哀想』


 カナタの気持ちは判るが、今できることは少ない。

 それよりも、ディッカー卿の話が聞けたことは不幸中の幸いだった。


『お前達は今からディッカー卿の屋敷に向かえ。明日、そこで合流する』

『うん、判った! それじゃあまた後で!』


 頭の中に響いていたノイズ交じりの嫌な音が消える。同時に襲ってきた頭痛に、ヨハンは顔を顰めた。


「本来の役割とは違うことをさせているから、やはり無理が出るな」

「どうしたのだ?」

「いえ、大したことではありません。それよりもエレオノーラ様。ディッカー卿がイシュトナル要塞の責任者を解任され、別人がその席に収まっている話をご存じでしたか?」

「それは初耳だぞ! どうしてディッカーが解任されるのだ?」

「理由は知りませんが。彼は今、西にある自らの領地にいるそうです。頼ってみましょう」

「うむ、そうだな。では早速出発するか?」

「ええ。……と、言いたいところですが」


 ヨハンは空を見上げる。

 既に太陽は頂点を過ぎて、赤い光が世界を照らし始めていた。

 先程まで力なく働いていた農民達も、次第に自分達の家へと帰っていく。
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