彼方の大地で綴る【四章まで完結済み】

しいたけ農場

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第一章 エトランゼ

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 貴族の屋敷であるから場所が判らないという事態は起こらないであろうが、エレオノーラの足で今から出発すれば、夜通し歩かなければならないだろう。

 そう判断して、ヨハンは一晩の宿を借りるために再び村長の元で交渉した。

 納屋ならばいいと言われ、今二人は指定された村はずれの小さな小屋にいる。

 エレオノーラは村娘が着るような素朴な格好に着替えていた。これで一応、多少は誤魔化せるだろう。彼女が着ていたドレスは辺境に行けば行くほど目立つ。

 その問題は、一応はこうして解決した。

 農具が治められた納屋は狭苦しく、一応は飼葉が布団代わりになるがそれも一人分がいいところだろう。二人寝るには充分に密着しなければならない。


「まあ、こうなるだろうな」


 もともとは物置なのだ。そこで人が寝ようとすればどうなるかなど、少し考えれば判る。


「ヨ、ヨヨヨヨハン殿……。これは、ここで寝るには少しばかりその……。男女のあれとして、よくないのではないか?」


 何を想像しているのか、顔を真っ赤にしてエレオノーラはそんなこと言っていた。


「俺は外で寝ます」

「ま、待て!」


 出ていこうとするヨハンの服の裾を、エレオノーラが全力で引っ張った。まったくもって何がしたいのか。


「それはならぬ。ただ歩いているだけの妾よりもそなたの方がずっと疲れているだろう?」

「こんな藁の上で寝ても疲れは取れませんよ。どっちにせよ一緒です」

「いや、しかし……。妾が嫌なのだ。恩人を外で寝かせるとはとんだ薄情者ではないか」


 それからエレオノーラは俯いて、恥ずかしそうに呟く。


「その……。兄上達以外の年頃の男と夜に二人で過ごすなど初めてだからな……。少しばかり緊張しているだけだ」

「そこまで言われるのでしたら」


 引き返して、エレオノーラの横に腰を下ろす。


「ひゃ……」

「……やっぱり外に行きましょう。考えてみれば、姫様と俺が一夜を同じ場所で過ごすのもあまりいいこととは思えません」


 そんなことを抜きにしても、エレオノーラは年頃の少女だ。男性に対して色々と思うところも出てくるだろう。

 カナタほど無頓着ならば気にもならないだろうが、まさか彼女の感性を万人に求めるわけにもいかない。


「……いや、妾が悪かった。今夜は一緒にいてくれ」

「ですが」


 まだ何かを言おうとしたヨハンを、エレオノーラの次の言葉が封じ込める。


「不安、なのだ。誰かが傍にいないと、身体が震える。一人で考えれば考えるほど、最悪の可能性ばかりが浮かんでくる」


 そう。彼女は年頃の少女だ。

 具体的には聞いていないが、カナタより一つ二つ年上ぐらいだろう。

 そんな彼女が兄から命を奪われ、周りが敵だらけの現状で、正気を保っていられることが奇跡のようなものだ。加えて今日この村の現状にもショックを受けている。


「判りました。ですが妙な反応は慎んでください。恥ずかしかろうが気持ち悪かろうが、お互いに犬猫でも横にいる気持ちでいましょう」

「う、うむ。そうだな。犬や猫ならば何も問題はない。寝所を共にすると温かいしな」


 気候は春だが、夜は冷える。

 そして納屋は窓が閉じず、入り口の扉も立て付けが悪い。

 吹き込んできた隙間風に身を小さく震わせながら、エレオノーラはヨハンの隣に座った。


「ディッカーと合流して、それからのことをそなたは考えているのか?」

「ディッカー卿が受け入れてくれるのならば、そのままそこを拠点として、当面の目的はイシュトナル要塞を手に入れることですね」

「イシュトナル要塞を?」

「ええ。堅牢な造りの砦であるあの場所は、今後ヘルフリート陛下の軍勢から身を護るには最適な拠点となりますから」


 加えて可能ならば、南方諸国との交易も視野に入れることができる。


「うーむ……。しかし、そなたが言った通りあの要塞は堅牢。ディッカーの兵を用いたとしても陥落は容易くないぞ」

「ええ。ですからもう一手が欲しいところではあるのですが」


 こちらにとって都合よく事態が進んでいる点は幾つかある。

 ヘルフリートの強硬な政策による北側の混乱、加えてイシュトナル要塞の新たな指導者の暴走。それらを加味すれば、エトランゼやこの辺りに住む者達を味方に加えることも不可能ではないだろう。


「何にせよ、ディッカー卿の元に行って受け入れてもらってからの話になります」

「うむ。ディッカーならば妾の話も聞いてくれるはずだ」


 エレオノーラはディッカーのことを随分信用しているらしく、そこに不安はないようだった。


「……月」


 彼女の唇から零れた言葉に、ヨハンは窓を見る。

 紅い月が、紫色のオーロラと共に世界を照らしていた。


「今宵もエトランゼがこの世界に現れるのか」

「でしょうね」

「ヨハン殿も、あの月の夜に現れたのだろう? ……嫌でなければ話を聞かせては貰えないか?」

「寝物語にはつまらない話ですが」

「いいのだ。そなたらの話は全てに価値がある。無論、エトランゼだけではないぞ。妾の知らぬこと、知らぬ世界の話は何もかもが眩しいのだ」


 身体を藁の上に横たえて、エレオノーラはヨハンの顔を見上げていた。

 その話の内容は、事前にヨハンが言った通りに特別な面白みなどなにもない。

 突然紅い月の下に放り出されたヨハンは、その夜を必死で生き抜いた。そして夜が明けるころ、同時に夢も醒めるものだと信じていたのだがそれも訪れない。

 混乱するままに各地を転々としている間に、名前を貰ったオルタリアの大魔導師、ヨハンと出会い親交を深めた。

 たったそれだけの話だが、目を細めながら、エレオノーラは興味深そうにそれを聞いている。

 時折質問を差し挟み、話を横道に逸れさせながらも話の内容自体は楽しんでくれているようだった。


「それで、ヨハン殿はどうしてあんなところで魔法道具屋を?」

「趣味が高じて、といったところですね。魔法道具をいじるのが好きだったので」

「ふむ。それはヨハン殿のギフトと関係があるのか?」

「あるといえばありますし、ないといえばないですね」

「それでは判らぬ」

「それはまぁ、判らないように言っていますから」


 まるで童女のように、目の前の姫は頬を膨らませる。


「そなたは少しあれだな、意地悪だな。カナタに対する態度もそうだが、改めねば婦女子にもモテぬだろう」

「モテたくなったら改めましょう」

 
 反論の代わりは「むぅ」という唸り声が一つ。

 不意に視線を逸らして窓を見れば、いつの間にか紅い月は消えていた。

 紅い月の後は決まって満天の星々と、普段よりも大きな月が世界を照らす。

 その光景は幻想的で、エレオノーラは何度も城の窓からそれを見ては、それらに照らされた大地を歩いてみたいと夢想したものだ。


「ヨハン殿」

「外には行きませんよ」

「妾の心を読んだのか!?」

「いえ、面倒なことを言いだすカナタと同じ顔をしていたので」


 更に言えば散歩を求める犬の表情だが、それを口にするのはあんまりなので黙っておく。


「……いつか、行きましょう。ちゃんとこの件が片付いたときにでも」

「……うむ! 約束だぞ、決して違えるでないぞ」


 ぱっと顔を綻ばせて、エレオノーラは子供のようにヨハンのローブを握って引っ張る。

 そうしている間に夜は深け、元気よく喋っていた少女の瞼も重くなってきた。緊張しているとはいえ歩き通しだったのだから、その疲労は相当なものだ。

 ヨハンのローブの袖を掴んだまま、エレオノーラは寝息を立てはじめる。

 その年相応の姿に苦笑しながらも、ヨハンもまた同じようにその横に身を横たえたのだった。
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