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第一章 エトランゼ
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「ヨハン殿!」
「来るな!」
背後からの心配そうな声に、半ば反射的に叫び返す。
目の前に立つのは三騎の聖別騎士。ヨハンの持つあらゆる武器を試しても、彼等に傷を付けることは叶わなかった。
その代わりというわけではないが、時間は充分に稼いだだろう。
辺りには幾つものクレーターが出来上がり、使い終わった魔法道具により発生した魔方陣に、火や雷、氷の残滓が残っていた。
既にこの場以外の大半は制圧済みで、敵兵も殆どが投降している。元よりここの指揮官に人望は殆どなく、彼等とて迷っていたのもこちらには追い風だった。
ショートバレルを構えて、表情のない兜を睨む。
あの中に入っているのが正常な人間ならば、この状況でまだ戦おうとは思わないはずだ。
既に周囲を制圧されている。投降か、もしくは逃走を選ばなければ犠牲者の数が増えたところで、彼等は死を選ぶことになる。
鎧の具足が地面を踏み鳴らし、砂埃が舞い上がる。
剣を構えたその姿に、降参の意はない。
「お前達、もうよせ! これ以上戦っても命を捨てるだけだというのが判らぬか!」
エレオノーラがヨハンの横に駆け寄り、そう叫んだ。
「危険です、姫様!」
その声は届かない。
三つの鎧はまるで意志なき機械のようにただ動き、殺すだけ。
エレオノーラを庇い、ショートバレルの引き金に手を掛けたところで、奇妙な現象が起こった。
投降するつもりはないだろう。彼等は剣を構え、まだ戦うつもりでいた。
しかし、奇妙なことに、まるで電池が切れたかのように彼等の動きが止まったのだ。
「……止まったぞ? 妾達は勝ったのか?」
「それにしては様子がおかしい。まるで……」
まるで、中の人間が突然死んでしまったかのような、急激な停止だった。
痛みにも見たざわめきが心に広がる。
「なっ……!」
エレオノーラの身体が不意によろめき、彼女は手を伸ばしてヨハンの二の腕の辺りを掴む。
まるで幼子が、夜道で両親にそうするように。
そうしなければ、闇の中に呑まれてしまいそうなほどの恐怖に耐えうるために。
要塞の窓から何かが垂れる。
肉色をした粘着質な何かは、地面に落ちるともがくように形を変え、やがて異形へと変化する。
それらは一目見て、危険な代物だった。
「全軍を下がらせてください!」
異形が動きだす。
理性もなく、理由もなく、一番手近な命へとその牙を剥く。
人間の形をしたもの全てに、情け容赦なく、何の区別もなくそれらは襲い掛かった。
たちまちに混乱の坩堝と化したイシュトナル要塞に、もう一つの絶望が舞い降りる。
要塞の四階部分の壁が溶けるように消えて、何者かが姿を現した。
陽光を照り返す銀色の髪、この場にはまるで似つかわしくないほどに美しい少女。
彼女を見れば心が騒めく。
それは美しさに心を奪われたからではない。
言い知れぬ恐怖に、未知なるものに対する畏れに、人の本能が叫ぶのだ。
逃走せよ、恭順せよ、彼の者は絶対者であると。
「ヨハン、殿……。あれは」
ヨハンは答えない。
厳密には答えられない。
それは、あれが何か判らないからではなかった。
――あれがなんであるかは知っている。
以前も出会ったことがある。あれと同じ威圧感を持つ存在に。
そして、それはヨハンから全てを奪った。
かつて至上のギフトを持ち、人の頂より世界へと挑んだ愚か者。
それを、単なる残骸へと貶めた正真正銘の怪物。
エイスナハルの教典にその名は何度も登場する。信徒の言葉として、人々を戒める。
父神であるエイス・イーリーネの忠実なる僕にして、世界を見通す者。
彼の者達の名は御使い。決して人の届かぬ場所より見下ろす者達。
彼女が要塞から顔を出すのと、正面の扉が荒々しく開かれて、トウヤが現れたのはほぼ同時だった。
そして彼を追うように要塞の内部から這寄るのは、無数の異形達。
その牙を、爪を、見ただけで吐き気が込み上げてくるような不気味な器官の数々を、人を屠るために振るおうと前進する。
炎を撒き散らし、多数の異形を焼き払いながら、トウヤはヨハンのいる位置まで走ってくる。
「トウヤ、中で何があった? ヨシツグは……」
「ヨシツグさんは……俺達を裏切った」
「……なんだと?」
トウヤの言葉は嘘ではない。
少女の傍に控えるのは、鎧を纏った青年騎士とその恋人。
「御使いだ」
「御使い、だと……」
驚愕に目を見開き、口を押えながらエレオノーラが呆けたような声を出す。
それも無理もない。この国に住まい、エイスナハルを信仰するならばそれは絶対なる畏怖の対象であるからだ。
幾度も教典に登場し、人を戒め時には導く神の使徒。
その御使いが降臨した。その事実がどれだけ衝撃的なものか、エトランゼには判らないだろう。
ふわりと、御使いの身体が浮かぶ。
彼女はまるで風船のようなゆったりした動きで、ヨハンの前まで来ると、その身体を地面に下ろす。
「もう。無粋ね。ウァラゼル達御使いの力を使わないと動けないくせに、それを自分の力と勘違いしているのだもの。ウァラゼルはそういうのは嫌い! それに、これからはウァラゼルが遊ぶ番だから、不格好な人形は要らないの!」
ウァラゼルが両手を翳す。
その行動に嫌な予感がしたのか、三騎の聖別騎士の中からそれぞれ、くぐもった悲鳴のような声が響く。
だが、彼女は一切の容赦をしない。掌から放たれた紫色の光は三つに分かれ、容赦なく聖別騎士達を貫いていった。
その巨体がぐらりと揺れて、地面に倒れる。鎧の隙間から流れる夥しい量の血が、中にいるであろう誰かがもう助からないことを物語っていた。
「はじめまして、ウァラゼルはウァラゼル。御使いの一柱で、銘は悪性よ。面白そうなものを見つけたから、つい来ちゃった。あなた、変わった気配がする。不思議ね、あなたも外から来た人なのに、贈り物の気配がないの。どうしてかしら?」
「来るな!」
背後からの心配そうな声に、半ば反射的に叫び返す。
目の前に立つのは三騎の聖別騎士。ヨハンの持つあらゆる武器を試しても、彼等に傷を付けることは叶わなかった。
その代わりというわけではないが、時間は充分に稼いだだろう。
辺りには幾つものクレーターが出来上がり、使い終わった魔法道具により発生した魔方陣に、火や雷、氷の残滓が残っていた。
既にこの場以外の大半は制圧済みで、敵兵も殆どが投降している。元よりここの指揮官に人望は殆どなく、彼等とて迷っていたのもこちらには追い風だった。
ショートバレルを構えて、表情のない兜を睨む。
あの中に入っているのが正常な人間ならば、この状況でまだ戦おうとは思わないはずだ。
既に周囲を制圧されている。投降か、もしくは逃走を選ばなければ犠牲者の数が増えたところで、彼等は死を選ぶことになる。
鎧の具足が地面を踏み鳴らし、砂埃が舞い上がる。
剣を構えたその姿に、降参の意はない。
「お前達、もうよせ! これ以上戦っても命を捨てるだけだというのが判らぬか!」
エレオノーラがヨハンの横に駆け寄り、そう叫んだ。
「危険です、姫様!」
その声は届かない。
三つの鎧はまるで意志なき機械のようにただ動き、殺すだけ。
エレオノーラを庇い、ショートバレルの引き金に手を掛けたところで、奇妙な現象が起こった。
投降するつもりはないだろう。彼等は剣を構え、まだ戦うつもりでいた。
しかし、奇妙なことに、まるで電池が切れたかのように彼等の動きが止まったのだ。
「……止まったぞ? 妾達は勝ったのか?」
「それにしては様子がおかしい。まるで……」
まるで、中の人間が突然死んでしまったかのような、急激な停止だった。
痛みにも見たざわめきが心に広がる。
「なっ……!」
エレオノーラの身体が不意によろめき、彼女は手を伸ばしてヨハンの二の腕の辺りを掴む。
まるで幼子が、夜道で両親にそうするように。
そうしなければ、闇の中に呑まれてしまいそうなほどの恐怖に耐えうるために。
要塞の窓から何かが垂れる。
肉色をした粘着質な何かは、地面に落ちるともがくように形を変え、やがて異形へと変化する。
それらは一目見て、危険な代物だった。
「全軍を下がらせてください!」
異形が動きだす。
理性もなく、理由もなく、一番手近な命へとその牙を剥く。
人間の形をしたもの全てに、情け容赦なく、何の区別もなくそれらは襲い掛かった。
たちまちに混乱の坩堝と化したイシュトナル要塞に、もう一つの絶望が舞い降りる。
要塞の四階部分の壁が溶けるように消えて、何者かが姿を現した。
陽光を照り返す銀色の髪、この場にはまるで似つかわしくないほどに美しい少女。
彼女を見れば心が騒めく。
それは美しさに心を奪われたからではない。
言い知れぬ恐怖に、未知なるものに対する畏れに、人の本能が叫ぶのだ。
逃走せよ、恭順せよ、彼の者は絶対者であると。
「ヨハン、殿……。あれは」
ヨハンは答えない。
厳密には答えられない。
それは、あれが何か判らないからではなかった。
――あれがなんであるかは知っている。
以前も出会ったことがある。あれと同じ威圧感を持つ存在に。
そして、それはヨハンから全てを奪った。
かつて至上のギフトを持ち、人の頂より世界へと挑んだ愚か者。
それを、単なる残骸へと貶めた正真正銘の怪物。
エイスナハルの教典にその名は何度も登場する。信徒の言葉として、人々を戒める。
父神であるエイス・イーリーネの忠実なる僕にして、世界を見通す者。
彼の者達の名は御使い。決して人の届かぬ場所より見下ろす者達。
彼女が要塞から顔を出すのと、正面の扉が荒々しく開かれて、トウヤが現れたのはほぼ同時だった。
そして彼を追うように要塞の内部から這寄るのは、無数の異形達。
その牙を、爪を、見ただけで吐き気が込み上げてくるような不気味な器官の数々を、人を屠るために振るおうと前進する。
炎を撒き散らし、多数の異形を焼き払いながら、トウヤはヨハンのいる位置まで走ってくる。
「トウヤ、中で何があった? ヨシツグは……」
「ヨシツグさんは……俺達を裏切った」
「……なんだと?」
トウヤの言葉は嘘ではない。
少女の傍に控えるのは、鎧を纏った青年騎士とその恋人。
「御使いだ」
「御使い、だと……」
驚愕に目を見開き、口を押えながらエレオノーラが呆けたような声を出す。
それも無理もない。この国に住まい、エイスナハルを信仰するならばそれは絶対なる畏怖の対象であるからだ。
幾度も教典に登場し、人を戒め時には導く神の使徒。
その御使いが降臨した。その事実がどれだけ衝撃的なものか、エトランゼには判らないだろう。
ふわりと、御使いの身体が浮かぶ。
彼女はまるで風船のようなゆったりした動きで、ヨハンの前まで来ると、その身体を地面に下ろす。
「もう。無粋ね。ウァラゼル達御使いの力を使わないと動けないくせに、それを自分の力と勘違いしているのだもの。ウァラゼルはそういうのは嫌い! それに、これからはウァラゼルが遊ぶ番だから、不格好な人形は要らないの!」
ウァラゼルが両手を翳す。
その行動に嫌な予感がしたのか、三騎の聖別騎士の中からそれぞれ、くぐもった悲鳴のような声が響く。
だが、彼女は一切の容赦をしない。掌から放たれた紫色の光は三つに分かれ、容赦なく聖別騎士達を貫いていった。
その巨体がぐらりと揺れて、地面に倒れる。鎧の隙間から流れる夥しい量の血が、中にいるであろう誰かがもう助からないことを物語っていた。
「はじめまして、ウァラゼルはウァラゼル。御使いの一柱で、銘は悪性よ。面白そうなものを見つけたから、つい来ちゃった。あなた、変わった気配がする。不思議ね、あなたも外から来た人なのに、贈り物の気配がないの。どうしてかしら?」
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