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第四章 空と大地の交差
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これにて目的の一つは完遂したヨハンだったが、その際に生まれた新たな案件を放置して戻るわけにはいかない。
ヨハン達にとって幸いだったのは、ハーフェンとオルタリアが強い関係を結んでいないということだった。これで今回の件を解決すれば、国内有数の貿易拠点であるこの街を傘下に加えることもできるだろう。
勿論それには幾つかの問題があるのだが。
「ほらついた。やっぱりちょっとみんな元気ないなー」
ヨハンの横にはクラウディア。
二人がやってきているのは、港に併設されている市場だった。煉瓦造りの倉庫が大量に聳え立つその横には、露店や貸店舗が幾つも立ち並び、クラウディアの言葉とは裏腹に活気と人の行き来で満ちている。
「本当はこの倍以上人がいるんだけどね。船は出れないし、来れないんじゃ仕方いよね」
御使いはハーフェン沖を閉鎖するような形で怪魚を放っている。本人も船に乗り、そこに待機しているようだがその目的は不明。
石の地面で靴音を鳴らしながら、順々に並んでいる店を見ていく。
「魚市場は奥だよ?」
「誰が夕飯の買い出しをしに来たと言った?」
市場に用事があり、その案内を申し出てくれたクラウディアと一緒に来たのだが、当然食料品ではない。
「えー、折角案内してあげたのに」
「……用事が終わってからなら、何か奢ってやる」
「お、やりぃ! さっすが、イシュトナルの偉い人は話が判るね!」
「そんな大声で……」
クラウディアのその声を聞いた周囲の人々が、遠巻きにヨハンに向ける視線が増えた。
国内の情勢からも遠い彼等にとっては、イシュトナルは妹姫が突然反乱にも近い形で奪い取った土地。
そこから来た使者ともあれば警戒の視線を向けられるのも当然だった。オルタリアの支配が弱いので、すぐに憲兵が飛んでくるようなことがないのは幸いだったが。
「あのな」
「あちゃー。すっごい見られてるね。でも大丈夫だよ、アタシが何とかしてあげる」
「なんとか?」
「なんとか。ほら、何処で買い物したいの?」
人波を掻き分けて、道の橋の露店へと近付いていく。
そこで店番をしていた中年の男性は、イシュトナルから来たという男を見て一瞬身体を強張らせたが、そこ横に立つ人物を見て顔を真っ赤にして怒鳴りつけてきた。
「クラウディア嬢ちゃんから離れねえか、この権力の犬め!」
店に並んでいる品物を取って投げつけてきかねないほどの勢いだったため、ただでさえ注目を集めていたヨハン達に、更に視線が集中する。遠巻きにこちらを眺めている人々の間から殺気に近い感情すら感じられた。
突然のことにヨハンが目を白黒させていると、慌ててクラウディアのその間にするりと滑り込む。
「ちょっと待ってよ、おっちゃん。この人はいい人だよ、多分。海賊の撃退も手伝ってくれたし、アタシも無理矢理連れて来られてるわけじゃないんだからさ」
「あぁん? ……本当にか?」
「ほんとだよ、ほんと。だいたい、アタシが気に入らない男と一緒に歩くと思う?」
「そりゃ違いないや。……ってことは遂に、うちもイシュトナルの下に入るってことかい? そりゃここ数日の海での騒ぎは問題だが、だからって陸の連中に……」
「今のところそれは未定だって。ね?」
こちらを向いて確認するクラウディア。
「目下マルク氏と交渉中だ。……いや、全く話は前に進んでいるわけではないが」
それをするはずのヨハンが、こんなところをうろついているのだから当たり前だ。
「とにかく、話が落ち着いたなら品物を見せてもらっていいか?」
「構わねえよ。好きなだけ見ていってくれ」
簡素な天幕と台座に置かれた品物を、一つ一つ手に取って眺めていく。
「おっちゃんの店。わけわかんないものばっかりだけどちゃんと商売になるの?」
「なってるから生活できんだろうが。アタリアから取り寄せた珍しい品物なんだぜ?」
「誰が買うのさ、こんなもの?」
そこに並べられているのは魔物の部位や植物の根など、傍目には彩もなく奇妙なだけの品物にしか見えない。
「東からの連中にはよく売れるぜ。魔法が盛んな国なら幾らあっても足りないって聞くがね」
「店主の言う通りだ。これらの魔物や植物の欠片はこの辺りには生息していないもので、手に入れるには骨が折れる」
「ふーん」
もうあまりその話には興味がないらしい。クラウディアはきょろきょろと辺りを見て、知り合いと会うや声を掛けて挨拶をしていた。
手に触れて、それをじっと見る。
ヨハンの中にあるギフトが、小さく鼓動した。
その道具の本来の使い道とは別の、ヨハンだけが行使できる法則が見え、それと知識を照らし合わせて道具の使い道を模索する。
「で、お前さんは魔法使いかい?」
「いや、そう言うわけではないが」
「なんでえ。それっぽい格好してるのに、ただの見せ掛けかよ」
歯に衣着せぬ物言いだが、嫌な気はしない。ヨハンにもその自覚はある。
「取り敢えずこれとこれと、それからこの爪のようなものの在庫があればあるだけ欲しいんだが」
「あー、あったけなぁ? ひょっとしたら倉庫にあるかも。ちょっと取って来てやるから、店番頼んだぜ」
「いや、待て。なんで俺が……」
「そりゃ店空けるわけにはいかねえだろ? 大丈夫だって、クラウディア嬢ちゃんが連れて来たんだから、信頼してるぜ」
そう言って、店を後にして人混みに紛れて消えて行ってしまう。
ヨハンはしばらく呆然としていたのだが、頼まれた以上は無視していくわけにもいかず、仕方なく店の内側に入った。どうせ元々ろくに客もいなかったのだから、何かをするということもないだろう。
そこからクラウディアの様子を眺めていると、どうやら彼女はこの街では相当な人気者らしく、老若男女問わず多くの人と言葉を交わしあっている。
「それで、あれがよっちゃん。イシュトナルから来た人だけど、悪い人じゃないと思うよ。多分」
「相変わらずだね、クラウディアは」
同じぐらいの年齢の少女とそんな言葉を交わし、彼女は買い出しがあるからとすぐに去っていく。
今度はまた別の方向から主婦と思しき中年女性に声を掛けられていた。
「旦那が仕事がなくてねぇ。クラウディアちゃん、そっちはどういう話になってるんだい?」
「大丈夫大丈夫。アタシと、あっちにいるよっちゃんが何とかしてくれるって」
「クラウディアちゃんに頼りきりのあたしが言うのもなんだけど、あんまり危険なことはしないでおくれよ。顔に傷なんかついたら、お嫁の行き先もなくなっちまうんだからね」
「もー! 会うたびその話ばっかり! アタシはまだ結婚なんかしないって」
「そんなんじゃ駄目駄目。いいかい、女の幸せってのはね……」
「お、またやってんな。ヨーグルんとこのかみさんは」
そんな話を聞いている間に、店主が戻ってきた。
「ぶ、はは。お前、別に店番なんて商品が盗まれないように見ててくれればいいだけなのに、律儀に中に入ってくれてたのかよ!」
「客は誰も来なかったがな」
笑われた腹いせにそれだけ言って、最初の位置に戻る。
「ほらよ、これで全部だが。足りるか?」
「充分だ。ありがとう」
財布から金を取り出して、品物と引き換えに手渡す。
「毎度。クラウディア嬢ちゃんのことよろしく頼むぜ。この街の太陽みたいなもんだからよ」
「ああ、どうやらそのようだ」
後ろを振り返ると、たっぷり長話を聞かされたクラウディアが、むすっとこちらを睨みつけていた。
「遅い、長い! アタシがベティおばさんに絡まれてるの見えてたでしょ!」
「人気者で羨ましい限りだ」
「もー、会うたび会うたび結婚の話でいやんなっちゃうよ! 女の喜びは結婚だって言われてもさ!」
「ああ、だろうな」
余談だがこの世界での女性は元の世界よりも早く結婚する傾向がある。貴族の世界では十台の前半から嫁ぐことも珍しくはないし、十五歳ぐらいになればもう結婚の話が出始めるのも一般的だ。
だからと言って誰もが早婚なのかと言われればそうでもなく、それから二十代ぐらいまでは本人の意思が尊重されることも多い。
「ラニーニャも言ってたけど、エトランゼはそんなすぐに結婚しないんでしょ? 楽でいいよねー」
「そうでもないぞ」
自由恋愛と言ってしまえば聞こえはいいが、その分自分の力だけで結婚相手を見つけなければならないので、それはそれで大変だろう。
もっとも結婚する奴はするし、しない奴はしない。それはどちらの世界でも変わらないのだろうが。
それから二人は市場のあちこちを巡り、ヨハンはその都度必要なものを買い込んで荷物と財布の中身を取り換えていった。
「どう、欲しいものは買えた?」
「ああ。それからもう一ついいか?」
「ん?」
「オブシディアンかエレクトラムが買えるところはないか?」
「えー……。なかなか難しい注文するね」
難しい顔をして、クラウディアは思案するのに腕を込む。
実は今日の本来の目的はそれだったのだが、珍しい異国の品々にすっかり目を奪われてしまい大半が寄り道だったことは黙っておくことにする。
御使いと戦うならばあった方が心強いのだが、海に面したこの地ではそれらが産出されるとは考えにくい。
加えて宗教上の理由でそれらの金属には輸出入の禁止が掛けられているので、本来ならば港町にある理由はないのだが。
「あー、あるかも! こっちこっち!」
何か思い立ったのかクラウディアはヨハンの手を掴むと、倉庫の裏の方へと引っ張っていく。
だんだんと人気がなくなり、二人の姿は倉庫の影に消えていく。
まるでそこは路地裏のような、港町特有の生臭さを含む臭気が籠った場所だった。
表の市場とは人の様相も変わり、人相の悪い男達が徒党を組んであちこちを威嚇するような目で見て歩き回っている。
そんな彼等の視線が、その場に似つかわしくないクラウディアとヨハンに集中するのが言うまでもないことだった。
当のクラウディアはそんなことを全く気にせず、倉庫と倉庫の間の狭い路地に茣蓙を引いて座っている老人の元へとヨハンを案内した。
「この人。ティモ爺ちゃん。昔っから変なもんばっかり売ってるんだ」
「随分な説明だな、お嬢ちゃん。相変わらず海賊モドキをやってんだろ?」
紹介されたのは白髪に髭を蓄えた、浅黒い肌の老人だった。
「武装商船団! 海賊なんてアタシが一番嫌いな連中だよ」
「似たようなもんだろ。だいたい、なんで海賊がいけないんだ。自由な海で自由に振る舞う。それが自然な姿さ」
「それで不幸になる人がいるからでしょ! だいたい、ハーフェンだって武装商船団を組織するまでは海賊にいいようにやられてたんだからさ」
「で、嬢ちゃん達のおかげで商売が上手く行ってるってか。おれから言わせれば、他人に護られっぱなしじゃないと生きていけないなら、死んだ方がマシだね。少なくとも、この海はそう言う奴等をいつまでも生かすようにはできていない」
「……爺ちゃんの言ってること、相変わらず意味判んない」
「乳ばっかり成長して、頭の中身は空っぽみたいだな」
「うるっさいなぁ! 今日はお客さん連れてきてあげたんだから!」
と、胸を庇うようにしながらヨハンの後ろに隠れ、その身体をぐいと押し出す。
ティモ爺さんは座ったままヨハンを見上げるように視線を合わせて、そのまま全身を睨むように観察する。
「いい材質のローブじゃねえか。確かにそんな超高級品を着て歩いているような奴は、表通りの品じゃ満足できねえだろうな」
その観察眼には素直に驚かされた。
自画自賛をするわけではないが、ヨハンの着ているローブはギフトで作り上げた特注品で、同じものを普通に作ろうとすれば途方もないコストが掛かる。
「いやご老人。今日来た目的は」
「ほれ。アーリ鉱山のブラッド・ルビーに、百人の魂を吸い込んだソウルダイア。それからこっちは吸血鬼の羽と牙だな。後は……」
ティモ爺さんは自分の横に置いてあった袋から次々と、それこそお菓子でも並べるかのような手軽さで、品物を並べていく。
それらはこの辺りで手に入らないというレベルではなく、滅多なことではお目に掛かることすらもできないような貴重品の数々だった。
ヨハンは本来の目的も忘れて、その品物の数々に見惚れていた。
それは普通の魔法使いからしても垂涎の品であるしまた悲しきかな、ヨハンのギフトは次々と、それらを使った彼ならではのアイディアを頭の中に流し込んでくる。
「別に言いたくなきゃ答えなくていいんだが、お前は何処の魔法使いだ? オルタリアの魔法学院は閉鎖中だろ?」
こんな世捨て人のような老人がそれを知っていることも軽い驚きだった。どうやら見た目のような人物ではないようだ。
「いや、俺は魔法使いではなく、道具作成に使いたいんだが」
「魔法道具の専門家ってことか? 随分変わってんな」
「そうなの?」
ヨハンの後ろから顔を出して、クラウディアが口を挟む。
「そりゃそうだろ。魔法使いはその過程で魔法道具の作り方と使い方を学ぶんだからよ」
魔法使いが一人いれば理屈上は魔法道具の作成も、魔法を使うこともできてしまう。どちらか片方だけをする意味も特にはない、と言うのが実際のところだった。
「深くは聞かねえけどよ。で、何が欲しいんだ?」
「ああ、えっと。これと、これを……」
「ちょ、ちょっと待ってよよっちゃん! オブシディアンとかが欲しいんじゃなかったの!?」
「はっ……。俺はいったい何を……?」
最早無意識の行動だった。
最強だったギフトを失った代替で続けていたが、魔法道具の作成は嫌いではないどころか、すっかりヨハンのライフワークとなっている。
珍しい素材があればそれを集めて道具を作りたい。その効果を確かめてデータを集め、更なる道具作りの参考とする。
それは何も生きるために嫌々やっていたわけではない。元々、魔法が自由に使えたころからアーデルハイトの箒を作ったりもしていたのだ。
それは最早生活であり趣味でもある。珍しい材料を見れば目を奪われてしまうのも無理はない話だ。
「オブシディアン?」
「それとあるならばエレクトラムも」
「それはあるけどよ……。なんだってそんなもんを」
「御使いを倒すためには必要なものだ」
「御使い? ……あぁ、今海で暴れてるあれか。しかし」
言いながらティモ爺さんは大きめの袋をひっくり返して、その中身を改める。その中にまたもヨハンの目を引く物品があったのだが、クラウディアが一足先にヨハンの腕を抓ってそれに手を伸ばすのを止めさせた。
「御使いとは随分罰当たりな名前を付けるじゃねえか。おれがエイスナハルの信者だったら許してないところだぜ」
「敬虔な信者なら、オブシディアンとエレクトラムの密輸など行わないだろう」
「ははっ、違いない」
老人は笑い、悪びれた様子もなくありったけの鉱石を袋に詰めて渡していく。
恐らくそれ以外の品物も、真っ当な仕入れ先から卸しているわけではなさそうだ。
「値段は全部でこんなもんだな」
「うえ、たかっ! よっちゃん払えるの?」
具体額は控えるが、それなりに家が金持ちで金遣いの荒いクラウディアが引く額になった。
「安心しろ。金はそれなりにある」
金貨と紙幣を纏めてティモ爺さんの皺だらけの手に乗せると、それを軽く数えて満足そうに頷いた。
「毎度」
「よし、帰るか」
「いや、帰らないよ。奢ってくれる約束、誤魔化さないでよ」
「……そう言えばそうだったな」
「へへ。お金あるの見ちゃったからねー。なに奢ってもらおっかなぁ」
そんなやり取りをしながら、二人はティモ爺さんのところを離れていく。
それを黙って見送っていたティモ爺さんだったが、やがて我慢が限界を迎えでもしたかのように突然声を張り上げた。
「嬢ちゃんよ!」
「……うん?」
「あの海賊、どうなった?」
「倒したよ。アタシ達でね」
両手を組んで頭の後ろにやって、誇らしげにクラウディアはそう答えた。
「……そうか。強かったかい、ベアトリスは?」
「ティモ爺ちゃん。あの海賊のこと知ってんの?」
「――ああ。知ってる」
その一言には万感の思いが込められていると、何の事情も知らない二人が聞いてもすぐに判った。
でも、クラウディアは何も聞かない。だからヨハンもそれに習った。
「すっごい強かったよ。アタシもラニーニャもまだまだだって思い知らされた」
「そっか。なら、いい」
それきり、ティモ爺さんは何も言わなかった。
ヨハンとクラウディアは一度顔を見合わせて、それから再び歩みを進めていく。
果たしてその二人の間に何があったのか、知る由もない。最早それを知っても仕方のないことだ。
ただなんとなく、あのくたびれた老人もかつては海と自由を愛していたのだろうと、そんなことを漠然とではあるが理解していた。
ヨハン達にとって幸いだったのは、ハーフェンとオルタリアが強い関係を結んでいないということだった。これで今回の件を解決すれば、国内有数の貿易拠点であるこの街を傘下に加えることもできるだろう。
勿論それには幾つかの問題があるのだが。
「ほらついた。やっぱりちょっとみんな元気ないなー」
ヨハンの横にはクラウディア。
二人がやってきているのは、港に併設されている市場だった。煉瓦造りの倉庫が大量に聳え立つその横には、露店や貸店舗が幾つも立ち並び、クラウディアの言葉とは裏腹に活気と人の行き来で満ちている。
「本当はこの倍以上人がいるんだけどね。船は出れないし、来れないんじゃ仕方いよね」
御使いはハーフェン沖を閉鎖するような形で怪魚を放っている。本人も船に乗り、そこに待機しているようだがその目的は不明。
石の地面で靴音を鳴らしながら、順々に並んでいる店を見ていく。
「魚市場は奥だよ?」
「誰が夕飯の買い出しをしに来たと言った?」
市場に用事があり、その案内を申し出てくれたクラウディアと一緒に来たのだが、当然食料品ではない。
「えー、折角案内してあげたのに」
「……用事が終わってからなら、何か奢ってやる」
「お、やりぃ! さっすが、イシュトナルの偉い人は話が判るね!」
「そんな大声で……」
クラウディアのその声を聞いた周囲の人々が、遠巻きにヨハンに向ける視線が増えた。
国内の情勢からも遠い彼等にとっては、イシュトナルは妹姫が突然反乱にも近い形で奪い取った土地。
そこから来た使者ともあれば警戒の視線を向けられるのも当然だった。オルタリアの支配が弱いので、すぐに憲兵が飛んでくるようなことがないのは幸いだったが。
「あのな」
「あちゃー。すっごい見られてるね。でも大丈夫だよ、アタシが何とかしてあげる」
「なんとか?」
「なんとか。ほら、何処で買い物したいの?」
人波を掻き分けて、道の橋の露店へと近付いていく。
そこで店番をしていた中年の男性は、イシュトナルから来たという男を見て一瞬身体を強張らせたが、そこ横に立つ人物を見て顔を真っ赤にして怒鳴りつけてきた。
「クラウディア嬢ちゃんから離れねえか、この権力の犬め!」
店に並んでいる品物を取って投げつけてきかねないほどの勢いだったため、ただでさえ注目を集めていたヨハン達に、更に視線が集中する。遠巻きにこちらを眺めている人々の間から殺気に近い感情すら感じられた。
突然のことにヨハンが目を白黒させていると、慌ててクラウディアのその間にするりと滑り込む。
「ちょっと待ってよ、おっちゃん。この人はいい人だよ、多分。海賊の撃退も手伝ってくれたし、アタシも無理矢理連れて来られてるわけじゃないんだからさ」
「あぁん? ……本当にか?」
「ほんとだよ、ほんと。だいたい、アタシが気に入らない男と一緒に歩くと思う?」
「そりゃ違いないや。……ってことは遂に、うちもイシュトナルの下に入るってことかい? そりゃここ数日の海での騒ぎは問題だが、だからって陸の連中に……」
「今のところそれは未定だって。ね?」
こちらを向いて確認するクラウディア。
「目下マルク氏と交渉中だ。……いや、全く話は前に進んでいるわけではないが」
それをするはずのヨハンが、こんなところをうろついているのだから当たり前だ。
「とにかく、話が落ち着いたなら品物を見せてもらっていいか?」
「構わねえよ。好きなだけ見ていってくれ」
簡素な天幕と台座に置かれた品物を、一つ一つ手に取って眺めていく。
「おっちゃんの店。わけわかんないものばっかりだけどちゃんと商売になるの?」
「なってるから生活できんだろうが。アタリアから取り寄せた珍しい品物なんだぜ?」
「誰が買うのさ、こんなもの?」
そこに並べられているのは魔物の部位や植物の根など、傍目には彩もなく奇妙なだけの品物にしか見えない。
「東からの連中にはよく売れるぜ。魔法が盛んな国なら幾らあっても足りないって聞くがね」
「店主の言う通りだ。これらの魔物や植物の欠片はこの辺りには生息していないもので、手に入れるには骨が折れる」
「ふーん」
もうあまりその話には興味がないらしい。クラウディアはきょろきょろと辺りを見て、知り合いと会うや声を掛けて挨拶をしていた。
手に触れて、それをじっと見る。
ヨハンの中にあるギフトが、小さく鼓動した。
その道具の本来の使い道とは別の、ヨハンだけが行使できる法則が見え、それと知識を照らし合わせて道具の使い道を模索する。
「で、お前さんは魔法使いかい?」
「いや、そう言うわけではないが」
「なんでえ。それっぽい格好してるのに、ただの見せ掛けかよ」
歯に衣着せぬ物言いだが、嫌な気はしない。ヨハンにもその自覚はある。
「取り敢えずこれとこれと、それからこの爪のようなものの在庫があればあるだけ欲しいんだが」
「あー、あったけなぁ? ひょっとしたら倉庫にあるかも。ちょっと取って来てやるから、店番頼んだぜ」
「いや、待て。なんで俺が……」
「そりゃ店空けるわけにはいかねえだろ? 大丈夫だって、クラウディア嬢ちゃんが連れて来たんだから、信頼してるぜ」
そう言って、店を後にして人混みに紛れて消えて行ってしまう。
ヨハンはしばらく呆然としていたのだが、頼まれた以上は無視していくわけにもいかず、仕方なく店の内側に入った。どうせ元々ろくに客もいなかったのだから、何かをするということもないだろう。
そこからクラウディアの様子を眺めていると、どうやら彼女はこの街では相当な人気者らしく、老若男女問わず多くの人と言葉を交わしあっている。
「それで、あれがよっちゃん。イシュトナルから来た人だけど、悪い人じゃないと思うよ。多分」
「相変わらずだね、クラウディアは」
同じぐらいの年齢の少女とそんな言葉を交わし、彼女は買い出しがあるからとすぐに去っていく。
今度はまた別の方向から主婦と思しき中年女性に声を掛けられていた。
「旦那が仕事がなくてねぇ。クラウディアちゃん、そっちはどういう話になってるんだい?」
「大丈夫大丈夫。アタシと、あっちにいるよっちゃんが何とかしてくれるって」
「クラウディアちゃんに頼りきりのあたしが言うのもなんだけど、あんまり危険なことはしないでおくれよ。顔に傷なんかついたら、お嫁の行き先もなくなっちまうんだからね」
「もー! 会うたびその話ばっかり! アタシはまだ結婚なんかしないって」
「そんなんじゃ駄目駄目。いいかい、女の幸せってのはね……」
「お、またやってんな。ヨーグルんとこのかみさんは」
そんな話を聞いている間に、店主が戻ってきた。
「ぶ、はは。お前、別に店番なんて商品が盗まれないように見ててくれればいいだけなのに、律儀に中に入ってくれてたのかよ!」
「客は誰も来なかったがな」
笑われた腹いせにそれだけ言って、最初の位置に戻る。
「ほらよ、これで全部だが。足りるか?」
「充分だ。ありがとう」
財布から金を取り出して、品物と引き換えに手渡す。
「毎度。クラウディア嬢ちゃんのことよろしく頼むぜ。この街の太陽みたいなもんだからよ」
「ああ、どうやらそのようだ」
後ろを振り返ると、たっぷり長話を聞かされたクラウディアが、むすっとこちらを睨みつけていた。
「遅い、長い! アタシがベティおばさんに絡まれてるの見えてたでしょ!」
「人気者で羨ましい限りだ」
「もー、会うたび会うたび結婚の話でいやんなっちゃうよ! 女の喜びは結婚だって言われてもさ!」
「ああ、だろうな」
余談だがこの世界での女性は元の世界よりも早く結婚する傾向がある。貴族の世界では十台の前半から嫁ぐことも珍しくはないし、十五歳ぐらいになればもう結婚の話が出始めるのも一般的だ。
だからと言って誰もが早婚なのかと言われればそうでもなく、それから二十代ぐらいまでは本人の意思が尊重されることも多い。
「ラニーニャも言ってたけど、エトランゼはそんなすぐに結婚しないんでしょ? 楽でいいよねー」
「そうでもないぞ」
自由恋愛と言ってしまえば聞こえはいいが、その分自分の力だけで結婚相手を見つけなければならないので、それはそれで大変だろう。
もっとも結婚する奴はするし、しない奴はしない。それはどちらの世界でも変わらないのだろうが。
それから二人は市場のあちこちを巡り、ヨハンはその都度必要なものを買い込んで荷物と財布の中身を取り換えていった。
「どう、欲しいものは買えた?」
「ああ。それからもう一ついいか?」
「ん?」
「オブシディアンかエレクトラムが買えるところはないか?」
「えー……。なかなか難しい注文するね」
難しい顔をして、クラウディアは思案するのに腕を込む。
実は今日の本来の目的はそれだったのだが、珍しい異国の品々にすっかり目を奪われてしまい大半が寄り道だったことは黙っておくことにする。
御使いと戦うならばあった方が心強いのだが、海に面したこの地ではそれらが産出されるとは考えにくい。
加えて宗教上の理由でそれらの金属には輸出入の禁止が掛けられているので、本来ならば港町にある理由はないのだが。
「あー、あるかも! こっちこっち!」
何か思い立ったのかクラウディアはヨハンの手を掴むと、倉庫の裏の方へと引っ張っていく。
だんだんと人気がなくなり、二人の姿は倉庫の影に消えていく。
まるでそこは路地裏のような、港町特有の生臭さを含む臭気が籠った場所だった。
表の市場とは人の様相も変わり、人相の悪い男達が徒党を組んであちこちを威嚇するような目で見て歩き回っている。
そんな彼等の視線が、その場に似つかわしくないクラウディアとヨハンに集中するのが言うまでもないことだった。
当のクラウディアはそんなことを全く気にせず、倉庫と倉庫の間の狭い路地に茣蓙を引いて座っている老人の元へとヨハンを案内した。
「この人。ティモ爺ちゃん。昔っから変なもんばっかり売ってるんだ」
「随分な説明だな、お嬢ちゃん。相変わらず海賊モドキをやってんだろ?」
紹介されたのは白髪に髭を蓄えた、浅黒い肌の老人だった。
「武装商船団! 海賊なんてアタシが一番嫌いな連中だよ」
「似たようなもんだろ。だいたい、なんで海賊がいけないんだ。自由な海で自由に振る舞う。それが自然な姿さ」
「それで不幸になる人がいるからでしょ! だいたい、ハーフェンだって武装商船団を組織するまでは海賊にいいようにやられてたんだからさ」
「で、嬢ちゃん達のおかげで商売が上手く行ってるってか。おれから言わせれば、他人に護られっぱなしじゃないと生きていけないなら、死んだ方がマシだね。少なくとも、この海はそう言う奴等をいつまでも生かすようにはできていない」
「……爺ちゃんの言ってること、相変わらず意味判んない」
「乳ばっかり成長して、頭の中身は空っぽみたいだな」
「うるっさいなぁ! 今日はお客さん連れてきてあげたんだから!」
と、胸を庇うようにしながらヨハンの後ろに隠れ、その身体をぐいと押し出す。
ティモ爺さんは座ったままヨハンを見上げるように視線を合わせて、そのまま全身を睨むように観察する。
「いい材質のローブじゃねえか。確かにそんな超高級品を着て歩いているような奴は、表通りの品じゃ満足できねえだろうな」
その観察眼には素直に驚かされた。
自画自賛をするわけではないが、ヨハンの着ているローブはギフトで作り上げた特注品で、同じものを普通に作ろうとすれば途方もないコストが掛かる。
「いやご老人。今日来た目的は」
「ほれ。アーリ鉱山のブラッド・ルビーに、百人の魂を吸い込んだソウルダイア。それからこっちは吸血鬼の羽と牙だな。後は……」
ティモ爺さんは自分の横に置いてあった袋から次々と、それこそお菓子でも並べるかのような手軽さで、品物を並べていく。
それらはこの辺りで手に入らないというレベルではなく、滅多なことではお目に掛かることすらもできないような貴重品の数々だった。
ヨハンは本来の目的も忘れて、その品物の数々に見惚れていた。
それは普通の魔法使いからしても垂涎の品であるしまた悲しきかな、ヨハンのギフトは次々と、それらを使った彼ならではのアイディアを頭の中に流し込んでくる。
「別に言いたくなきゃ答えなくていいんだが、お前は何処の魔法使いだ? オルタリアの魔法学院は閉鎖中だろ?」
こんな世捨て人のような老人がそれを知っていることも軽い驚きだった。どうやら見た目のような人物ではないようだ。
「いや、俺は魔法使いではなく、道具作成に使いたいんだが」
「魔法道具の専門家ってことか? 随分変わってんな」
「そうなの?」
ヨハンの後ろから顔を出して、クラウディアが口を挟む。
「そりゃそうだろ。魔法使いはその過程で魔法道具の作り方と使い方を学ぶんだからよ」
魔法使いが一人いれば理屈上は魔法道具の作成も、魔法を使うこともできてしまう。どちらか片方だけをする意味も特にはない、と言うのが実際のところだった。
「深くは聞かねえけどよ。で、何が欲しいんだ?」
「ああ、えっと。これと、これを……」
「ちょ、ちょっと待ってよよっちゃん! オブシディアンとかが欲しいんじゃなかったの!?」
「はっ……。俺はいったい何を……?」
最早無意識の行動だった。
最強だったギフトを失った代替で続けていたが、魔法道具の作成は嫌いではないどころか、すっかりヨハンのライフワークとなっている。
珍しい素材があればそれを集めて道具を作りたい。その効果を確かめてデータを集め、更なる道具作りの参考とする。
それは何も生きるために嫌々やっていたわけではない。元々、魔法が自由に使えたころからアーデルハイトの箒を作ったりもしていたのだ。
それは最早生活であり趣味でもある。珍しい材料を見れば目を奪われてしまうのも無理はない話だ。
「オブシディアン?」
「それとあるならばエレクトラムも」
「それはあるけどよ……。なんだってそんなもんを」
「御使いを倒すためには必要なものだ」
「御使い? ……あぁ、今海で暴れてるあれか。しかし」
言いながらティモ爺さんは大きめの袋をひっくり返して、その中身を改める。その中にまたもヨハンの目を引く物品があったのだが、クラウディアが一足先にヨハンの腕を抓ってそれに手を伸ばすのを止めさせた。
「御使いとは随分罰当たりな名前を付けるじゃねえか。おれがエイスナハルの信者だったら許してないところだぜ」
「敬虔な信者なら、オブシディアンとエレクトラムの密輸など行わないだろう」
「ははっ、違いない」
老人は笑い、悪びれた様子もなくありったけの鉱石を袋に詰めて渡していく。
恐らくそれ以外の品物も、真っ当な仕入れ先から卸しているわけではなさそうだ。
「値段は全部でこんなもんだな」
「うえ、たかっ! よっちゃん払えるの?」
具体額は控えるが、それなりに家が金持ちで金遣いの荒いクラウディアが引く額になった。
「安心しろ。金はそれなりにある」
金貨と紙幣を纏めてティモ爺さんの皺だらけの手に乗せると、それを軽く数えて満足そうに頷いた。
「毎度」
「よし、帰るか」
「いや、帰らないよ。奢ってくれる約束、誤魔化さないでよ」
「……そう言えばそうだったな」
「へへ。お金あるの見ちゃったからねー。なに奢ってもらおっかなぁ」
そんなやり取りをしながら、二人はティモ爺さんのところを離れていく。
それを黙って見送っていたティモ爺さんだったが、やがて我慢が限界を迎えでもしたかのように突然声を張り上げた。
「嬢ちゃんよ!」
「……うん?」
「あの海賊、どうなった?」
「倒したよ。アタシ達でね」
両手を組んで頭の後ろにやって、誇らしげにクラウディアはそう答えた。
「……そうか。強かったかい、ベアトリスは?」
「ティモ爺ちゃん。あの海賊のこと知ってんの?」
「――ああ。知ってる」
その一言には万感の思いが込められていると、何の事情も知らない二人が聞いてもすぐに判った。
でも、クラウディアは何も聞かない。だからヨハンもそれに習った。
「すっごい強かったよ。アタシもラニーニャもまだまだだって思い知らされた」
「そっか。なら、いい」
それきり、ティモ爺さんは何も言わなかった。
ヨハンとクラウディアは一度顔を見合わせて、それから再び歩みを進めていく。
果たしてその二人の間に何があったのか、知る由もない。最早それを知っても仕方のないことだ。
ただなんとなく、あのくたびれた老人もかつては海と自由を愛していたのだろうと、そんなことを漠然とではあるが理解していた。
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