さくらの剣

葉月麗雄

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挿話 〜episode sakura〜

桜の追憶 中編

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そんなある日、修行が終わった後、夕餉を食べ終えた桜が納屋の外に出て月を見ていると紗希が声をかけてきた。

「何だ、お前も月を見てるのか」

「はい。今宵の満月は綺麗なので」

紗希は桜の隣に座って月夜を眺めながら話しかける。

「どんなに痛めつけられても逃げないのだけは褒めてやる」

「私には逃げたくても逃げる場所も帰るところもない。石にしがみついてでもここで頑張っていくしかないんだ」

「なるほどな。根性も負けん気もある。お前は筋もいいし、将来は私の次くらいには強くなるだろうよ」

「本当ですか?」

桜は紗希に初めてそう言われて嬉しかった。
自分の次くらいと言うのが気になったが。

「桜、殿はそう遠くないうちに将軍になるだろう」

「将軍?」

「この国で一番偉い奴だ。お前は殿を守りたいと言ったな。将軍を守ると言うのは、そんじょそこらの殿様や大名を守るのとは訳が違う。徳川の世を転覆させようとする奴はそこいらじゅうにいる。そういった奴らの手からその身を守らねばならぬ」

紗希は桜の目の前で真剣を抜く。

「桜、これは何だ?」

「刀です」

「そうだ。刀は人を殺すための道具。そして剣術とは人を殺すための技だ。だが同時に自分を守るための道具であり、人を守るための技でもある」

紗希の言葉に桜はうなづく。

「剣の道を行く以上、誰かを助けるために誰かを殺さなければならない場面が出でくる。お前が殿一人を守ろうと思ったら何十人、何百人もの人を斬らねばならなくなるかも知れないんだ。お前にその覚悟はあるか?」

「。。まだわからない」

「だろうな。今のお前の歳でまだわからなくてもいい。いずれお前が現実に経験する話だと思って聞いていろ。いいか、人を斬るには覚悟がいる。その覚悟なしに剣を学ぶなら身につけられるのは単なる剣舞だ。私は人を斬る剣は教えられるが剣舞は教えられねえ。そしてこの道を歩むからには目の前の敵を斬る以外に先へは進めねえんだ」

桜にはまだ紗希の言っている事は半分もわからない。
でも吉宗を守るためには相当の覚悟がいるという事は桜は感じ取っていた。
必要なのは強い気持ち。
そう考えると紗希のあの厳しい修業も何となくだが桜は納得出来てきた。

「桜。人はな、経験しないとわからない事がたくさんある。経験するからこそなにも知らねえし出来ねえくせに出来るフリをする人間にならずに済むんだ。

そういう人間は耳触りの良い理想論ばかりを口にするが、理想論ってやつは宗教と一緒で夢に溢れた素晴らしい世界ですねってだけで、現実じゃねえんだ。

お前は最初に私には逃げる場所がないって言ったな。そう言うやつは強くなれる。逃げられない以上道を切り開いて先に進むしかねえからな」

「師匠、私は絶対に逃げません。必ず強くなって殿を守って見せます」

桜がそう強い口調で言うと紗希はニヤリと笑い冷やかすように聞く。

「お前、殿に惚れてるな」

そう言われて桜は顔を真っ赤にした。

「ち、違います。私は殿を尊敬してるだけです」

「ガキが一丁前に照れやがって。まあ、お前と殿では身分が違う。惚れたところで手が届かえねからな。せいぜい側に仕えて守るのがお前に出来る事だ」

「そのつもりです」

「さあ、もう納屋に戻って寝ろ。明日はまた厳しい修業が待ってるぞ」

「はい」

桜は少しだけだが、紗希の厳しいだけでなく優しい一面も見た気がした。

⭐︎⭐︎⭐︎

桜が八歳になった頃、紀州藩家老、水野家の家臣の一人が紗希に試合を申し込んできた。
試合とは形の上でほとんど言いがかりであった。

「前々からお前の存在が気に食わなかった。女の分際で偉そうにしやがって」

「てめえが私を気に食わねえのはてめえの勝手だ。誰も好きになってくれなんて頼んでねえ。面倒くせえからさっさとかかってこい。一瞬で片付けてやる」

「ふざけるな、その口をふさいでやる」

男が紗希に刀を振りかざす。
それに対して紗希は木刀で相手をするつもりだ。

「師匠、相手は真剣なんだよ、木刀じゃ無理だよ」

桜がそう言うが、紗希は笑っている。

「心配するな。そこでちょっと見学してろ」

男が鯉口を切り剣を抜き、中段に構えを取ると、紗希はなんと木刀を右手の人差し指に乗せてバランス取りをやり始めた。

「ふざけるな!」

男が間合いを詰め紗希に斬りかかると、紗希は木刀をパッと手に持ち替え、一気に相手の懐に飛び込むと両腕を木刀で打ち付ける。

「ぐわあああ」

叫び声とともに刀を落としその場にうずくまる男。
一瞬で両腕の骨を折られたのだ。

「口ほどにもないとはてめえのためにある言葉だ。威勢だけでひ弱なら大人しく隅っこで縮こまっていろ」

桜は初めて紗希が戦うのを見たが、圧倒的な強さに目を輝かせた。

「師匠、強い!」

一部始終を見ていた加納久通がため息をついて男に忠告する。

「これに懲りてもう紗希に突っかかるのはやめるんだな。はっきりいってお前では、いや、お前が屋敷から仲間を十人呼び寄せて襲いかかったとしても紗希には敵わぬ。これ以上水野家の名を汚す真似はせぬ事だ」

男は額に汗をかいて久通と紗希を睨みつけるが、やがて家臣に抱えられて引き上げていった。

「久通殿、お手数お掛けした」

「いや、彼奴が悪いのだ。紗希は被害者だ。何のお咎めもあるまい。あとはわしが後始末しておく」


「師匠、凄かったです」

桜が尊敬の眼差しで紗希に声をかけると紗希は珍しく桜の頭を撫でる。

「この平和な時代、武士は刀を持つだけで人を斬る事がなくなった。だからやたらと精神論を飾るようになっちまったんだが、精神論なんて何の役にも立たねえし、実戦じゃ勝てねえよ。今の奴を見ただろう。昔、桜に言ったように人を斬る覚悟がないとああなるんだ」

桜はだんだんと紗希の言う事が理解出来る様になってきた。
紗希は口先だけでなく実戦で証明してくれる。
桜は頭だけでなく身体にそれを染み込ませている。
桜は吉宗と出会い、紗希と出会えた事をいい主と師に巡り会えた自分は恵まれていると思うのであった。


それから間もない一七一六年八月。
吉宗は八代将軍となり江戸へと拠点を移した。
この時、加納久通や根来衆を始めとする側近を連れて行ったが、まだ八歳だった桜は紀州へ残された。

「殿が連れて行ってくれなかった。。」

「当たり前だ。遊びで行くんじゃえねんだぞ。八歳の子供を連れて行くわけねえだろう」

「私は殿のお役に立てないのかな」

「時期が早いって事だろう。いずれお前が一人前の剣士として認められれば江戸に来るようお達しが来る。そうなれるように鍛え上げておくんだな」

桜は紗希の厳しい修業にも慣れてきて、その才能が頭角を表し始め、同じ八歳同士の試合では男子相手でも圧倒的な強さで幼少の部門では敵無しとなっていた。

「驕るなよ。お前は特別強い訳じゃねえ。他の奴らがまだ成長途中なだけだ。ここで怠けたら今日勝った奴らにもすぐに追い越されるだろう。人は自分が特別な存在だと錯覚すると尊大になり、周りが見えなくなる。そして暴走が始まる。お前はそんな風になるな」

「師匠の暴走を毎日見てるから、こんな風にはなりたくないと。。」

そごまで桜が言うと紗希が首に腕をかけて締め上げてきた。

「お前いい根性してるな。私がいつ暴走したよ?」

「しょっちゅう。。」

「これは暴走じゃねえ、愛のムチっていうやつだ」

「師匠、私を愛してるの?」

「変な意味に取るなよ。弟子として可愛がってるって事だぞ」

「ちょっ。。それ以上絞められたら息が出来なくなる」

こんな風に桜も紗希に気兼ねなく何でも言えるようになっていった。

桜は剣の修業だけでなく、花道や茶道、書道などの教養も身につけていった。
将来は根来衆〔後の御庭番〕に入ると決めていたが、吉宗の側近になるならそれに相応しい教養を身に付けなければと加納久通に頼んで養育してもらった。

剣術で鍛え上げられたのもあり、素直で明るい性格に整った容姿と申し分ない一人の女性として成長していった。
優しい親しみやすい性格に育ったのは良かったが、敵とみなした者に情け容赦ない部分が紗希に似てしまったのは少し残念だと加納久通が後に漏らしている。
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