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四話 偽りの仮面
しおりを挟む廃墟の湿った空気が喉に絡みつく。騎士の甲冑がガチャリと鳴り、ライアンの足音が後退する。埃まみれの窓から差し込む夕陽が、彼の蒼ざめた顔を不気味に浮かび上がらせた。
「……令嬢だと?」
ライアンの声が崩れかけている。彼の視線は、私の汚れたが明らかに高価なドレスの刺繍、騎士が恭しく垂らした頭、そして私の左手中指にはめたレイモンド家の紋章指輪へと移る。
騎士が困惑したように眉をひそめる。「ご存じなかったのですか? この方はレイモンド侯爵家の――」
「黙れ」
私の声が鋭く響いた。指輪を隠すように手を握りしめると、革手袋の内側で爪が掌に食い込む。「ここは貴方たちの出る幕ではない。引き下がりなさい」
騎士たちが狼狽しながら退出する間、ライアンは石化したように立っていた。男は既に縛られて運び出され、廃墟には絵具の混じった血の匂いが漂う。
「騙してたのか」
彼の低い声が、崩れかけた天井に反響した。キャンバスに飛び散った緑色の絵具が、まるで私たちの間に流れた毒の川のようだ。
「事情があるの。話させて――」
「お嬢様の遊びに付き合わされてたわけか」ライアンが荒々しくキャンバスを蹴飛ばした。パレットが転がり、茜色の絵具が私のスカートに飛び散る。「平民の真似事が面白かったのか? 破談になった王子の代わりに、僕が慰み物か!?」
「違う! あなたへの気持ちは――」
「僕は馬鹿みたいだった」彼の笑い声が乾いて響く。肩を震わせながら、ズタズタのスケッチブックを拾い上げる。「『エレノアさん』なんて、偽名だったんだな? 本当のお名前は? レイモンド侯爵令嬢様?」
瓦礫を踏みしめる音が近づく。私は思わず後ずさり、背中が冷たい壁にぶつかった。「ライアン、落ち着いて。あの夜市での出会いは偶然だから――」
「偶然?」彼の目が爛々と光る。「侯爵家の令嬢が護衛もつけずに市場をぶらつく? 僕が声をかけた時、初めて平民と話したような反応だったのは何故だ?」
鋭い指摘に息が詰まる。確かにあの日、私は婚約破棄の衝動から屋敷を飛び出し、初めて一人で街へ出たのだ。
「王子に捨てられたから、僕のような者で憂さ晴らしがしたのか?」
「そんなんじゃない!」 叫びながら掴んだ彼の腕が、冰のように冷たい。「あなたと過ごした時間は全部本当よ! 絵を見せてもらった時、りんごをもらった時――」
「全部お芝居だったろ!」 彼が激しく振り払う。私の指先から革手袋がすり抜け、紋章指輪が光りながら床を転がった。「貴族の娯楽だったんだ! 僕の絵なんて、侯爵家のコレクションに入る価値もないのに!」
「ライアン……!」
「触るな!」 彼の怒鳴り声に、天井から埃が舞い落ちる。「これ以上僕を愚弄するな! もう……二度と会うな」
駆け出す彼の背中に、夕陽が長い影を落とす。私は転がった指輪を握りしめ、崩れる膝を抱えてその場にうずくまった。廃墟の奥で風がうなり、壊れた窓枠がきしむ音が嗚咽に重なる。
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